2005年12月31日(土)
 写真は法務の途中で撮影した、年末で混雑する「寺泊 魚のアメ横」。大晦日のこの日が一番のかき入れ時。 
 最近の大型店舗は「年末年始休みなしの営業」が主流になってきました。「せめて元旦くらいは・・・」と思うのですが。
 後、一時間で2005年も終わろうとしているこの時間でも、家族を家に残してその主流を支えている人たちが多くおられます。その「主流」えているのは文字道理「支流」なのでしょうね。

 本年もHPをご覧頂きありがとうございました。このHPも皆様に支えられて、また年を越すことが出来ます。ありがとうございました。よい年をお迎え下さい。
                     大蓮寺 住職 鷲澤文雄 
2005年12月30日(金)
時斎 分水町 源八新田
 今年も残るところ後一日。正月の準備は子どもたちの手伝いのお陰で無事に進んでいます。それにしても今晩の暴風雨では・・・明日からの天気が気になります。 気になるといえば「こんと」。夕方調べて見ました。
 昔は横書きでも右から読むことがあったので「とんこ」と読むのでないか?という推測から無謀な結論を出してみました。
 冬から春先にかけて採れる肉厚の最高級椎茸を冬子(どんこ)椎茸というそうです。しかも「どんこ」「とんこ」と呼ぶことがあるらしい? ということで「こんと」どんこ椎茸の看板という結論に達しました。これで安心して年が越せそうです。
 ところで、看板の側には店らしい建物が無かったのですが・・・やっぱり、無謀な結論だったのでしょうか?
2005年12月29日(木)
 今日は少しだけですが正月の準備を始めました。明朝は当院(長男)が帰ってくることになっていますので、当院の為にたっぷりと仕事を残しておくことにしました。きっと当院も帰って来たかいがあったと、喜んでくれることと思います。\(^O^)/
 写真は与板町の路沿いにある看板。通るたびに気になっていたので、車を止めて付近を観察したのですが、それでも正体不明? 誰かご存じの方はいらっしゃいませんか? おられましたら教えて下さい。気になっていますので、お願いします。m(_ _)m
 ちなみに、通り過ぎた後、ドアミラーで看板を見たら、こんな風に見えました。(^^; ....
2005年12月28日(水)
初七日 中島
 写真は最近行った建物。ひょっとして、コンクリートのひびかと思いましたが、内張の布が切れているだけでした。少し敏感に成りすぎている様です。

 「いいものを作りたい」と陰で尽力した人たちに光を当て続けた、NHKの『プロジェクトX』が最終回を迎えました。30ヶ国で放送されたということで、世界中の人に感動と勇気を与えてくれた番組だったと思います。 「原稿の行間にあるものを伝えたかった」と言われるのは、「・・・だった」という語り口が特徴のナレータ田口トモロヲ氏。 「コンクリートの中を隠したい」というのとだいぶ違うようです。
2005年12月27日(火)
葬儀 東京 小金井市
 東京で葬儀でした。89才 男性 吉田町出身。 夜学の大学を卒業された後、戦中・戦後の混乱期の国の行政で活躍された方でした。
 弔問においで元部下という方のお話では、仕事の時は厳しい方だったそうです。ニコニコ顔しか知らない私にとっては意外な感じでした。人は厳しさの分だけ優しくなれるのかもしれません。
 東京はさぞかし暖かいと思って行ったのですが、意外と寒くてびっくり。でも、窓から入ってくる日差しは新潟とは違いますね。新潟は明日も雪だそうです。
2005年12月25日(日)
上法事 吉田町   中陰法要 弥彦村麓   時斎 寺泊町 聖徳寺様
 わずか数キロしか離れていない中島と寺泊町魚のアメ横前。全く雪の様子が違います。地元寺泊の人話では、雪が降っても、強い潮風で瞬く間に雪が消えてしまうのだそうです。凍結した道路に塩をまくと道路の氷が溶けるのと同じ現象だそうです。
 でも、家庭でアイスクリームを作るときは、氷りに塩をかけて温度を下げるんですよね。・・・これが科学の面白いところ。 ヒント・・・海水の氷点はだいたい−2度。 納得されたでしょうか?
2005年12月24日(土)
中陰法要 分水町中島  中陰法要 寺泊町竹森  葬儀 分水町中島
 もうすぐお正月。近所の家ではのし餅を作って、お正月の準備が進んでいました。量が多いのは、自家用の他に兄弟・子どもにも送られるのだそうです。皆さんお餅が届くのを待っておられるのでしょうね。
 もうすぐ大晦日。年取りです。「また歳、とらんばだめらてばね」と渋い顔の近所のおばあちゃん。数え年は、生まれた時を1歳として、お正月が来ると1つとしをとる年齢の数え方。だから、大晦日(年取り)から正月になると、みんなが一緒に歳をとるのです。
 今日の葬儀は急病で亡くなった享年23才の青年。彼は24才になるはずの年取りを、ご家族と一緒に迎えることが出来なかったのでした。
 もうすぐ大晦日。年取りです。今年も歳を取らせてもらえそうです。
2005年12月23日(金)
入佛法要 長岡    入佛法要 分水
 入佛法要で長岡へ。積雪の割には道路に雪が残っているのにびっくりしました。豪雪地帯の長岡は、道路の除雪体勢は整っているはずなのですが・・・・? 早い時期の積雪・昨年の地震の影響。どちらにしても、一冬を乗り切るための予算の関係なんでしょうか?
 それにしても、去年の初雪は12月22日。本格的な積雪は1月からというのが最近の傾向でしたので、一ヶ月ほど季節が早まっているような気がします。早く冬が来たからといって、冬が早く終わるということはありませんので今年の冬は特に長くなりそうです。
2005年12月22日(木)
 今日は冬至。「ゆず湯」にと、今年もゆずをいただきました。新潟地震に次ぐ大停電ということで、お風呂に入れない方も多いかと思います。少し気が引けますが、せっかくいただいたゆずですので、使わせていただきます。
 県内の停電による混乱はいうまでもなく「もし停電したら?」と部屋の中を見渡すと使えそうな物は携帯電話と時計。いかに、電気に依存した生活を送っているかを感じます。自衛策といっても、電気は生活の中の末端まで入り込んでいます。先日、Hさんから話を聞いた「ソーラーパネル」は停電の際の自己防衛として有効なのでしょうか? 家庭用の蓄電装置があればいいんですけどね。
2005年12月21日(水)

 午前中の突然出てきた靄(もや)にはびっくりしました。湿った暖かい空気が流れこんだのが原因の様です。自車を確認してもらうために、ライトを点けている自動車を多く見かけました。 自動車のライトには、「見るため見せるため」の二つの働きがあるのです。
 ところで、霧と靄の違いをご存じでしょうか?視程が1km未満のものが霧、1km以上のものが靄なんだそうです。 今日まで全く知りませんでした。でも、今まで、何となくうまく使い分けていたような気がします。不思議ですね(*^_^*) 

 同じ物なのに全く違う二つの働きをする。同じ物なのに全く違う二つの名前がある。 ・・・・同じ物が、複数の働きをし、複数の名前を持つということも、世の中にはいくらでもある様です。

2005年12月20日(火)
 先日伺ったお宅で懐かしい香りに出会いました。男性用化粧品「MG5」の香りです。30年以上も前の香りなのに覚えているものですね。高校生時代に戻ったような気がしました。 
 今の男性化粧品は、「無臭・微香」が中心ですが、あの頃は「使ってるぞ」といわんばかりの強い香りでした。MG5のヘアートニックはアルコール分が多いとのことで付けすぎると髪が赤くなるということで、じゃぶじゃぶ付けていた友人もいました。高校生の茶髪など思いもよらない時代のことです。 気をつけていると、結構販売しているのを見かけます。今まで気が付きませんでした。
 MG5の隣が私が使っていたカネボウの「EROICA」。我が青春は棚の上でまだまだ現役ですが、愛用していた「ヘヤーリクイド」は今は全く必要なくなってしまいました。(^^ゞ
2005年12月19日(月)
 大雪により県内の高速道路は一時、全面通行止めになったとのことですが、旧西蒲原地区の積雪はさほど多くない様です。ただ、凍結している道路が多かったため、思ったようには法務が進みませんでした。
全国でも38か所で12月の最大積雪量を更新したとのことで、特に名古屋では58年ぶりの積雪を観測したとのことです。
 58年ぶりというほどではありませんが、九州の友人から7年ぶりに懐かしい電話をもらいました。「どうしてる?」という挨拶から始まり「近況報告・今度会いたいね」で終わる取り立てて用件のあるような電話ではありませんでした。取り立てた用件が無いだけに、話をしている間、ずっと気になっていました。「もしかしたら、体調が悪いのかな?」 久しぶりの友人からの電話は、そんなことが気になる年代になっているのでした。 
 県外に体調を崩している友人がいて、1・2年、気になっています。来年こそは思い切って会いに行こうと思います。
2005年12月18日(日)
中陰法要 分水町砂子塚  新潟教区臨時総会
 予想よりも少ない雪で一安心しました。日曜のいうこともあり、玄関前の雪の片付けをしている様子を多く見かけました。
 「中島は雪が全然ないけど、地蔵堂はいっぱいあるね」と地蔵堂のおばあちゃんに話したところ。「何ね・・・・σ(^_^;)? 」 「冗談です (∩.∩)」「そらろね(*^_^*)」
 自分の家の周りに多く雪があるときは、他の地区でも雪が沢山あった方が安心するようです。なぜでしょうね?
 写真は大川津分水路(渡部地内)から見た国上山。中央は弥彦山。暖かい車の中から見ている限りは、すばらしい雪景色です。
2005年12月17日(土)

 「この冬一番の寒気が近づいています。厳しい寒さがしばらく続くでしょう。(^.^)」 と、TVからさわやかにアナウンサーの声が聞こえてきます。「もうちょっと心苦しそうに言ってもいいじゃないか(_-_)。」と思ったのは明らかに私の八つ当たりでした。
 明日の分水町は今季初めての真冬日の予報が出ています。こうなってくると使い切りカイロ(ホッカイロなど)は頼もしい味方。近年は老若男女を問わず、日本の冬の必需品としてなくてはならないものになっているようです。
 静かだと思ったら、雪が積もり始めています。明日の朝が少し楽しみです。 (;^_^A

2005年12月16日(金)
時斎 分水町中島
 昨晩は大学時代の友人4人と久しぶりに会いました。大学は同じ講義を受けていても、今は違う道を歩み、違う職業に就いています。同級会であると同時に、本心を語れる異業種交流会でもありました。
 それぞれがそれぞれの道のベテラン。私の知らない世間の事を沢山教えてもらいました。それぞれの世界では、私の想像以上に変化が起きているようです。 よく見ようと顔を近づければ、近づけるほど周りのことが見えなくなることがあるようです。一昨日は同業種。昨日は異業種。今日は門徒さん。胃は悲鳴を上げていますが、有意義な一杯でした。
 近所の犬も「世間のことは無関心ではいられない」ということのようです。 
2005年12月15日(木)
 昨日からの勉強会は午前中で終わり、午後からの法務は今日の天気同様に清々しい気分で回らせてもらいました。
 今晩は大学時代の級友と久しぶりに一杯やることになっています。昨日に続き今日も寺を空けることに後ろめたさを感じながらも、気持ちはウキウキ(^◇^)。今日は20代に若返って来ることにします。 ということで、行ってきまーす。(^o^)/~~~~~     
 とは、少しはしゃぎ過ぎでした。f(^_^) ぽりぽり 
2005年12月13日(火)
御講 中島 川島地区
 南国 高知では20センチの積雪とか。 分水の積雪は2〜3センチということでホッとしました。でも、とにかく寒い日だったのですが、川島の皆さん御講をあげていただきました。有り難うございました。

 二十四節季の大雪に入りました。そして七十二候でいうと熊蟄穴(くまあなにかくる)に当たります。先日から我が家の池の鯉も巣ごもりに入ったようで、見なくなりました。冬囲いの中で、餌も食べず、じっと春が来るのを待っています。
 明日は一泊の高志会(勉強会)。毎年12月に行われる24時間耐久巣ごもり合宿です。ただし、池の鯉と違って食事・お酒の準備がしっかりしてありますので、池の鯉には内緒で行っ来ることにします。

追記
 1年を二十四等分して季節の分かれ目をあらわしたのが二十四節季。七十二候とは、二十四節季をさらに約5日づつの3つに分けた期間のこと。
2005年12月12日(月)
内佛法要 分水町 牧ヶ花
 今週は14日から週末までの5日間。ずっとお酒を呑む予定が入っています。晩酌をされる方には笑われるかもしれませんが、五日連続のお酒は初めてのことかと思います。少しはお酒が強くなるかも・・・ということはないでしょうね。
 お酒・たばこは嗜好品の代表。他にはコーヒー・紅茶・お茶などがあげられます。辞書によると嗜好品は「栄養のためでなく、味わうことを目的にとる飲食物」ということだそうです。最近はお茶などの効用もいわれていますが、言葉を返ると「生きるということに関して、全く必要性の認められないもの」ということでしょうか。 では、「生きるためにどうしても必要なものは?」
 最近は不必要なものが身の回りにあふれ、必要なものが隠れてしまっているような気がします。豊かになるということと引き替えに、大切なものが見えなくなっている時代です。
 昨日は雪がなかった国上山も今日は薄化粧でした。明日は厚化粧になっているのでしょうか?(^^ゞ
2005年12月11日(日)
内佛法要 燕市 大野
 今日の予報では雪のはずだったのですが、思いがけない天気になりました。明日も予報ではやっぱり雪。今日みたいに天気になってくれたら助かるのですが・・・駄目かな?
 雪の予報で雪が降れば(-_-;)、もしも晴れれば\(^o^)/
 晴れの予報で晴れたら(^o^)、もしも雪が降ったら(`_´メ)
 この時期は人間も天気と一緒に七変化です。
2005年12月10日(土)
時斎 分水町新堀
 今朝の中島は初積雪・・・といっても、昼前には強い雨で消えてしまいました。 雪をとかした雨が、もしも雪だったら・・今頃はすっぽりと雪の中だったことでしょう。雪の量は雲の上の寒気団のご機嫌次第です。
 雪はいろいろな降り方をします。たとえば「深々(しんしい)という降り方は大地に吸い込まれるようです。風の音も、木の揺れる音も吸い込んで静かに、静かに、積もっていきます。 もうすぐそんな夜を迎えることでしょう。
 14〜15日にある二日間の合宿勉強会のレポート作成が始まっています。深々と頭に吸い込まれるように勉強の内容が入ってくれたらいいのですが、勉強を中断すると雨に流されたように消えてしまいます。せめて、水滴くらいは頭の中に残っていてくれたらいいのですが・・ (-_-;)
 追記 「深々という降り方は違う」とおっしゃる方もあろうかと思います。雪の降り方の感じ方は個々によって違うようですのでご了承ください。
2005年12月9日(金)
 1人暮らしの高齢者女性が如来さまと一緒にグループホームに転居されたのでお勤めに行ってきました。
 伺ったグループホームは介護を必要とされる認知症のある方がスタッフの援助受けながら共同生活をする施設で、食事の準備・掃除・洗濯などもみんなで行うようです。
 途惑いながら入っていくと、ニコニコ顔の皆さんに迎えていただきました。あまりに楽しそうな雰囲気だったので、逆に「家族って何だろう」と考えてしまいました。これから、毎月一回伺うことになります。よろしくお願いします。 m(_ _)m 
2005年12月8日(木)
内佛法要 寺泊町蛇塚
 朝のなんと寒かったこと。外の水道は凍り、芝生の上は霜でバリバリでした。今季一番の寒さの様でした。その代わり朝焼けに映えた弥彦山は、とてもきれいでした。
 昨日の写真と比べると、同じ山でもだいぶ表情が違います。山は四季を通じて刻々とその姿を変えるのです。・・・・・が、山の本体はほとんど変化していません。本当は木・草・空・日光・雲・霧・雪・などの環境の変化なのです。 私たちは、山の本体と環境を合わせて山と呼びます。 
 耐震強度の偽造問題では、「何でそんなバカなことを」と思いますが、それぞれの事情(環境)が見え隠れしています。人間も山と同じで、縁(環境)によって、いくらでも変化してしまうようです。
2005年12月7日(水)
時斎 分水町新堀
 穏やかな一日でした。でも、一昨日の雪で弥彦山・多宝山はまだら模様の薄化粧。やっぱり、お山の上は寒い様です。
 夕方、隣地域の新堀で時斎がありました。そんなに寒くありませんでしたし、お酒を呑むということで自転車で行きました。ところが、帰りはお酒を呑んだということで自動車で送ってもらいました。
 ちょっと変だと思いながらも、筋の通った展開かな?と納得してしまうのはのは、お酒の酔いのせいでしょうか。
 帰りの私は自動車。私が乗っていった自転車は、伺ったお宅の奥さんに乗って来てもらいました。 展開的に矛盾は無いようでも、やっぱり・・・どう考えてもご迷惑をお掛けした様です。申し訳ありません。ありがとうございました。
 論理・計算を尽くす人生の展開も、やっぱりご迷惑を掛け放題の人生ではないでしょうか。
2005年12月6日(火)

 昨日の雪は里雪型。 いつもとは逆で、新潟市で積雪が観測され、分水町ではわずかな時間だけ雪がちらついた程度でした。別に何ということは無いのですが、何となく気持ちはにんまり(^o^) 「そうか。新潟市は大変だったんだな。」という余裕の表情は、「人の不幸は我が身の・・・・。」 また、相対の世界で一喜一憂する情けない自分に気が付きます。

2005年12月5日(月)
 「青春は寒くない!」ということはないと思うのですが・・・。バイクの二人乗り。しかも後ろの女の子はスカート(゚o゚)。 暖かい車の中で見ていても、寒気がしてきます。でも、取り澄ました大人の良識は別として、青春の情熱と無鉄砲さには敬意を払わざるを得ません。
 福永武彦は「草の花」の中で青春について「もし僕が悔なく僕の青春を歩いて来たのならば、悔なく死に向って歩いて行くことも出来るだろう」という主人公の言葉を載せています。悔いのない青春・悔いのない人生はあるのでしょうか?もし 「我が人生に悔い無し」ということを言える人がいたら幸せだと思います。でも、悔いは山ほどあるけれど、「生まれてきてよかった」と言える人生を歩めたならば、もっと、もっとすばらしい人生だと思うのですが?
 ところで、青春の二人が風邪をひかなかったかと、おじさんは本当に心配しているのです。
2005年12月4日(日)
法事 千葉県船橋
 法務で船橋市まで行ってきました。新幹線のお陰で日帰りが出来るのは助かりますが、やっぱり人混みは疲れました。
 帰りは船橋駅まで送っていただきました。写真はご親戚の高一のご長男。車内で「御経は漢文なんですね」という事から始まった会話。「御経には何が書いてあるんですか? ためになることが書いてあるんですか?」の質問にはドッキリ! 「いろいろ書いてあって・・・たとえば・・・」と早口で話をさせてもらったのですが・・失敗でした。
 「御経は生まれてきてよかったと、喜べるための教えが書いてあります。」とお答えしたらよかったのかな?
2005年12月3日(土)
法事 吉田町米納津
 分水町役場に設置された、ソーラー・風力兼用の蓄電装置です。電灯用としては、しっかり実用になっています。( 辞書によると「実用」とは、「実際に用いること。日常生活などの場で実際に役に立つこと」。)
 でも、この装置は結構なお値段だそうで、もとを取るという訳にはいかないそうです。この蓄電器が実用的になっているかというと、金銭的にはいささか問題があるようです。 ただ、地球環境を考えると十分実用的とも言えそうです。つまり、何を基準に考えるかによって物事の「正否・当否・可否・可不可・良否・理非・正邪・善悪・曲直」は変わってきます。 疑うことのない自分自身の判断基準(常識)を一歩退いて見ることができたら、今までとは違う新しい世界が開けてくるのかもしれません。 
2005年12月2日(金)
聞法会
 法務の途中で使わせてもらった、あるショッピングセンターのトイレ。洗面所に「こちらでの洗髪はご遠慮ください」との張り紙。トイレの手洗いを洗面所というのも変なのですが、洗髪までしてしまった人がいたんでしょうね。
 最近の電気製品などの取扱説明書は「取扱い上の注意(危険・警告・注意)のページ数が増えています。特に電子レンジの「危険・警告・注意」にいたっては常識というより、十分笑えるようなことまで書いてあります。メーカーの苦情担当者によると、常識を越えた使い方をされての、お客様の苦情もけっこうあるのだそうです。メーカーにとって常識であっても、お客様にとっては常識ではないようなこともあるようで、「そんなこと、説明書に書いてない」とご立腹されるお客様も多いとのことです。常識の多様化と損害賠償請求などによって、取扱い上の注意のページが段々多くなるということのようです。
 近々、このショッピングセンターの洗面所にあと二つ張り紙が増えているかもしれません。「こちらでの洗濯はご遠慮ください」「こちらでの写真撮影もご遠慮ください」
2005年12月1日(木)
葬儀 寺泊町
 師走の第一日目。あっと驚くほどの天気になりました。そんな中、スノータイヤの車を見かけました。「スノータイヤですね」というと「週末は雪だそうです」 という返答が帰ってきました。(ё_ё) もうすぐ初雪です。

 師走とは予想外の予定が入ってくるので、普段は走らない人も、思わず走ってしまうということでしょうか? 師走の師とはお坊さんという説もあるとか。年中走っている小生は、せめて師走くらいは走らなくてもいいようにと思い、霜月は頑張ったつもりだったのですが、ここに来てけっこう予定が入ってきています。年内は、もう少し小走りの必要があるようです。
2005年11月30日(水)
回檀 分水町新堀
 70代男性のお通夜でした。10月の中旬にお会いしたばかりなのですが、急病で亡くなられたのです。今になれば、「あの時もう少し、いろいろな話しをしておけばよかった」と思います。
 「一期一会」とは解っていても、日々の生活では「またこの次ぎにお会いしたときに・・」の繰り返しです。 今日も時計を見ながら早足の回檀でした。
2005年11月29日(火)
回檀 寺泊町敦ヶ曽根地区
 朝の暴風雨で、今日の回檀はどうなることかと心配しましたが、ほとんど傘の必要もなく終わりました。今日の回檀は18件。いくら自動車で玄関先まで伺うにしても、着物姿での、乗り降り・傘の開け閉めは18×2=36回。雨の日は濡れないわけがありません。ぜひ、ドアに連動して、開け閉めするような傘を作ってもらいたいものですが、簡単に作れるのなら、もう出来てますよね。(^^ゞ
 近所の神社のイチョウの葉が全て落ちてしまい、いつ初雪が降っても不思議でない季節です。消雪パイプの試運転も始まって、もうすぐ師走です。
2005年11月28日(月)
 裏庭の欅がなくなったということで、雨トヨの掃除をしました。本来ならハシゴを使わなければならないのですが、ちょっと楽をしようと屋根から鼻先に手を伸ばしての掃除となりました。 自分では大したことは無いと思っていたのですが、屋根から降りた途端に足がガクガク。(;^_^A 体は正直なんですね。
 10月10日に紹介した「てまりの湯」の裏山が紅葉しています。お風呂につかりながら、ゆったりと紅葉を楽しむ、落ち葉を踏みしめて裏山の散策。気持ちがいいでしょうね。 同じ、紅葉・落ち葉でも裏庭とは、全く感じ方が違うものです。
 アルビレックスの反町監督が退任するとのことです。残念ではありますが・・・m(_ _)mありがとうございました。
2005年11月27日(日)
法事 分水町中島
 先日、回檀に行った時に見せてもらった新聞の切り抜きです。1989年の新潟日報。大蓮寺の大門に良寛様の歌碑が出来たときの記事でした。たまたま近くで遊んでいた長男(手前)と友達が写真に収まったとのことでした。
 16年前の懐かしい長男の写真以上に、スクラップのきれいな保存状態にびっくりしました。
 保存してくれていたのは80才過ぎのおばあちゃんは保存しておくのが趣味?やがて還暦を迎えるであろうご長男の通知票・テストなども整理して保存してあるのだそうです。
 私の部屋にも古い書類を置いてあるのですが、如何せん未整理状態。下手に整理するとかえって、行方不明にになってしまいます。 必要なときにすぐにでも出せるような、整理、保存の秘訣を伝授してもらいたいものです。 もっとも、秘訣でなくて性格の問題なのでしょうか。
2005年11月26日(土)
回檀 寺泊 箕輪地区  長岡市 中条新田地区   上法事 中島   時斎 寺泊町
 久しぶりの天気 先日来の課題であった池の冬囲いをしました。始めれば30分ほどで終わるのですが、この辺の言葉でいうと「腰がふったたらない(あがらない)状態でした。今日は中玄関の冬囲いもしてもらったので、冬の準備はやや終了しました。 体の冬の準備は急にとはいかないので、徐々に寒さにならしていくしかありません。
 寒さを特に感じる体の場所は人によって違うようです。指先・つま先・背中・首筋・・・・。私の場合はお腹。どんな寒さもホッカイロをお腹に忍ばせると何とか我慢できます。「我慢できなくなったらお腹にホッカイロ。」不思議なもので、そのことに気づいたら、寒さの中でホッカイロなしでも安心感が出てきます。 何か暖めてくれるものに気づいている人は、どんなに辛い中でも、きっと安心感を持って生活することができるのでないでしょうか?
2005年11月25日(金)
回檀 燕市 道金地区 ・ 吉田町 田中新田地区 
 本堂の冬囲いをしていただきました。\(^O^)/ 雪国新潟での必需品。これで、雪が降っても、本堂から入ってお参りしていただけます。ありがとうございました。
 国は「広域地方計画」をめぐり、新潟県が「関東甲信越」・「東北」・「北陸 北信越」のどのブロックに属する(属したい)のかの意向聴取をするとのことです。
 文化は関東圏。雪、寒さは東北圏。歴史(移民等)、気候、スポーツなどは北陸 北信越圏。 どちらにしても、人の交流はどのブロックとも盛んに行われている様です。行政の都合で特定ブロックに振り分けられるよりも所属ブロックのはっきりしない、ブロックとブロックをつなぐ「特異県」があってもいいかと思うのですが?
 とかく、人もセクト(一つの社会・組織の中にできる、主張を同じくするものの集団)がはっきりしていると、セクト主義(自派の主張を強調するあまり、他派との連携を軽視する考え方)におちいることがあります。 人と人をつなぐのはセクトではなく、共感ではないでしょうか。
2005年11月24日(木)

 久しぶりに月読経以外の法務のない日でした。ご無沙汰していたところに顔を出したり、買い物をしたりで少しのんびりと過ごさせてもらいました。・・・・・・が池の冬囲いを忘れていました。暗くなってから思い出しても遅いようです。
 数年前までは、忘れないように「未処理事項」のメモを机の前に貼っておいたのですが、事項数が多くなると、ストレスの原因になってしまうようで、止めてしまいました。 最近は、忘れてしまった後始末が大変でやっぱりストレスが・・・・。
 どうしたらいいのでしょうか? 困りました。(^^ゞ

2005年11月23日(水)
回檀 燕地区
 車の中の柿・里芋・ミカン・長ネギ・白菜・キャベツ。八百屋さんの車ではありません。
 回檀に行った野菜農家で「里芋は掘りました?」と聞いたところ、「持っていくかね」とのこと。おねだりしたみたいで・・・(^^ゞ。申し訳ありません。
 ついでに、あれもこれもということで、車の中は写真の状態になりました。「新鮮な野菜と暖かいお気持ち」両方とも有り難くいただきました。ありがとうございました。
 あるご門徒さんの言葉。「この歳になっても、働く(勤労)ことのできる場所(ご縁)があるのが有り難い(感謝)。」 今日は勤労感謝の日です。
2005年11月22日(火)
回檀 燕市 八王寺地区
 庫裡(くり)の裏にある欅(けやき)を切ってもらいました。毎年に秋になると葉が落ちて管理しきれなくなっていたのです。 切ってもらえばさぞスッキリすると思っていたのですが・・・・。
 切られていく欅は、秋には困った欅だったのですが、夏には快適な日陰を作っていてくれたのです。何十年も頑張って生きていた欅を人間の都合で切ってしまった事に後ろめたさを感じ、前住職だったら切らなかっただろうなと思いました。 せめて、何かの用材として再生してくれたらいいのですが・・・・・。 m(_ _)m ごめんなさい。
2005年11月21日(月)
回檀 燕市小中川地区  新潟市月潟地区
 しばらく白衣での生活が続いていて、久しぶりにベルトのあるズボンをはいてみました。なんとズボンがきつい。 (・・;) 慌てて体重を計りましたが変化なし。腰回りだけが太くなっている様です。腰の肉は上半身から落ちてきた?のでしょうか。(^^; ....  不思議と、着物を着ていると自然と体型も着物を着やすい寸胴体型になるようです。
 今朝の寒さで車の上が霜で白くなってしまいました。こうして、段々と私たちの体は自然と冬の寒さに慣れてくるのですね。・・・たぶん・・・きっと・・・(-_-;)
2005年11月20日(日)
回檀 吉田町 佐渡山地区
 報恩講の手伝いに来てくれていた当院は午前中に京都へ帰って行きました。居る間は大いに助かり、楽をしたその分だけ、今日は法務のしんどさを感じました。楽に慣れるのはすぐなのに、しんどさに慣れるのには時間がかかるようです。
 回檀に伺ったお宅の菊です。午前中に表彰式があったとのことで、茶の間には、賞状とトロフィーが置いてありました。「今年はたまたま」と謙遜されていましたが、菊作りは大変な手間がかかります。今月27日から土作りが始まるということで、一年の手間がかかるそうです。私が「長い時間をかけてものを作り上げる」ということはもう少し後になりそうです。
2005年11月19日(土)
葬儀 寺泊町竹森    法事 新潟市月潟
 プランターの中の白いもの? 触ってみたらあられでした。朝方に凄い音がしていたのはあられだったんですね。寒いわけです。
 寺泊の葬儀の出棺は11時半。 月潟の法事は11時から。絶対に無理な日程だったのですが、無事に勤めさせていただきました。無事に勤められた理由は・・・出棺時間が決まった後で、電話で月潟の法事開始時間を遅くらせてもらうようお願いしたのでした。一般社会ならば許されることでは無いのですが「葬式なら仕方がない」ということで了承して頂きました。
 「葬式なら仕方がない」というのは今も昔も変わりません。どこの誰かも分からない人の葬式のために1時間近くもジッと待ってもらえるということは、顔さえ知らない亡くなられた方へのお敬いなんですね。
 法要の法話で「出棺時間の都合で遅くなりました」という言い訳をしたのですが、「こういう方の葬儀で遅くなりました」とお話しすべきだったと思っています。
2005年11月18日(金)
報恩講    初七日 弥彦村麓
 報恩講が皆様のご協力により無事勤めさせていただきました。_(._.)_ 法事を終えて「やっと、だっくら(安心)した」と言うのはいけないといわれますが、そんなことはないと思います。 務めをはたして「だっくらした」もOKかと思います。
 私も報恩講を終えて少しは「だっくら」としたいところですが、当分は忙しい法務が続きそうです。
 写真は、昨晩の報恩講の様子です。暗くて何をしているか、分からないでしょうか?
2005年11月17日(木)
報恩講
      
 報恩講が勤まりました。朝、4時半から本堂のストーブを付けていたのですが、今日の寒さでは、なかなか本堂は暖まりません。夏は涼しい本堂なのですが、すきま風が・・・・・。来年は対策が必要なようです。
 今日の仏照寺様のお話は正信偈の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」についてでした。特に無量寿・不可思議について、具体的なお話をいただき、寒い本堂でしたが熱心なご聴聞の様子でした。ありがとうございました。
 明日も10時から御経が始まります。明日のご参詣もお待ちいたしております。m(_ _)m
2005年11月16日(水)
分水町老人クラブ追弔法要

 分水町も残すところ、4ヶ月あまりになってしまいました。各種団体同様に、分水町の仏教会も市町の合併に伴い方向が見えない状態でしたが、「当面は現状のまま」ということで落ち着いたとのことです。慌ててきっちりとした形を作らないで、暫定という方向性を持たせる形もいいかと思います。
 写真は、老人クラブ追弔会に出勤された御寺院の控え室。読経前の緊張する時間です。今年は都合が付かなくて、欠席の御寺院が多かった様です。
 明日はいよいよ報恩講です。10時より読経が始まります。お誘い合わせてのご参集をお待ちいたしております。 m(_ _)m 

2005年11月15日(火)
 もみじの赤イチョウの黄色。見ている分にはいいのですが、共に薄くて掃除のしにくい葉です。特にイチョウの葉は一枚落ちていても目立ちます。本堂前のイチョウも落葉を始めていますが、落葉が終わるまでは、気が付かなかったということにしています。報恩講にお参りされたときも、気が付かなかったということでお願いします。(言い訳です(^_^; )
 ご門徒さんの家の前には、ギンナンの付く大きなイチョウの木があります。ギンナンにかぶれる体質のお母さんにとってはギンナンも悩みの種。 神社などのギンナンは近所の人がひろってくれますが、民家のギンナンは遠慮して誰もひろいません。結局は完全武装で、お母さんがギンナンをひろうのだそうです。美味しいギンナンを食べるにはいろいろ苦労がある様です。
 余談ですが、「ギンナン」をカナ漢字変換すると,「銀杏」になります。また,「イチョウ」「銀杏」になります。本来は,「ぎんなん=銀杏」で,イチョウの木を表すのは,「公孫樹」と書くこともあるんだそうです。
 写真は10日程前の近所の写真。10日ほどでだいぶ様子が変わっています。
2005年11月14日(月)
葬儀 弥彦村
 水が冷たくなると収穫を迎えるのが大根・白菜・体菜(たいな)。土を落とすときは、お湯を使うわけにはいかないので手が冷たくて大変だそうです。
 前住職が好きだったのは体菜の味噌付け。特に根本の肉厚のところがお気に入りでした。それと、これからの時季に欠かせないのが煮菜。体菜の塩付けを煮て塩出しをします。油で炒めて、だし汁、打ち豆を入れ、柔らかくなったら味噌を入れて味を整える。 食物繊維やビタミンA、ミネラルなどが豊富とのことです。素朴な味ですので、おふくろの味の代表というところ。ふるさとを離れている方は、かあちゃんの野菜を洗う真っ赤な手と重なって、煮菜の味を思い出されたのでないでしょうか?おふくろ味はいつも思い出と一緒です。
2005年11月13日(日)
法事 燕市大野  上法事 新潟市
 写真の点が見えますでしょうか?クリックしてください。久しぶりにカラスの群れを見ました。群れているとカラスは怖い感じがします。
 子どもの頃実家では、巣と一緒に落ちてきた、子ガラスを飼ったことがありました。頭の良いと言われるカラスは、おとなしくて、人になれ結構可愛いものです。
 個々ではおとなしくても、群れると怖くなるのは人間も同じなのでしょうか?
2005年11月12日(土)
法事 分水町 中島
 近所の法事でした。お斎会場は寺の前。月読経も終わっていたので、お斎のお酒を遠慮する理由も見あたらないということで、多少お酒をいただいてきました。昼間のお酒は久しぶりです。
 多少という言葉は面白い言葉です。日本で多少というときは「少しの・幾らかの」という意味で使います。ところが、中国では、多少という言葉は「多い」という意味あいで使うんだそうです。 つまり、日本と中国では、使い方が全く逆になるということなんです。 ちなみに、今日のお酒は中国式の多少の方でした。しておかなければならない事も沢山あるのですが、今晩は駄目なようで、 また明日に先送りです。
 しばらくはお酒は m(_ _)m
2005年11月11日(金)
回檀 燕市 大野地区
 自分で言うのはなんですが、今月は少し働く過ぎ。  ということではないのですが、回檀は報恩講の準備がありますので、予定通りしばらくお休みです。
 回檀の帰り道、車内のラジオ放送によると、今日は鮭の日とのこと。何で今日が鮭の日? 魚の隣が十一・十一だからだそうです。本来の「圭」という漢字の意味からは、かけ離れた発想なのですが・・・少し疑問を感じました。
 今週末はもみじ谷(弥彦村)見ごろとのこと、お出かけになったらいかがですか?  σ(^_^;)はもちろん行けないので、代わりに弥彦山の色を紅葉らしく補正してみました。 ちょっと寂しいですが、自分で作った紅葉で今年も我慢することにします。ヽ(^。^)丿
2005年11月10日(木)
回檀 燕市 三王渕地区
 好天ということで「菊まつり紅葉」が始まっている弥彦村では、いつもは空いている村営駐車場は満車状態。 昨日の(ノ_・、)はどこかに飛んでいって、とてもいい気持ちの一日でした。コロコロ変わる秋空にコロコロ変わる我がままな私の「一喜一憂」がしばらく続くことと思います。
 「天気の日は儲(もう)けもん」 昔から晩秋になるといわれている言葉です。 でも、儲ければ、儲けるほど、もっともっと儲けたくのが人情。
 きっと、コロコロ変わる我がままは「オレだけじゃない」のかも?
2005年11月9日(水)
回檀 旧 西川町
 新潟市( 西川町)の回檀でした。 大蓮寺の檀信徒名簿は、「市町村・大字」単位になっていますので、しばらくの間は「旧・・・」名を使わせていただきます。
 市町村の名前は歴史だからと、無くなることを惜しむ声を聞きます。そして、働き・願いをあらわすものでもあります。無くなりそうにならないと、気が付かないということは・・・・・・悲しいですね。

 今日は寒い一日。札幌では初雪が降ったとのことで、旧西川町(^^; .... の田んぼには冬の使者白鳥が来ていました。あーぁ(;o;) そして大嫌いな冬が来るのです。 (( ( (ヽ(;^^)/ 逃げる訳にもいかないし・・・(-_-;)  冬の予感は何度迎えても・・・。(ノ_・、)
2005年11月8日(火)
回檀 分水町 砂子塚地区    初七日 分水町中島
 法務が続いているということで、少々バテ気味 (-_-;) ....。知力は始めから当てにしていないにしても、気力・体力の減少は、歳、それとも寒くなってきたからなのでしょうか? たまには家で一日中、のんびり過ごしたいものです。

 そうなってくると、うらやましく思えるのは、ネコの暮らし。「今日は何をしようか?」ということさえ考えていないと思いきや・・・・そうでもないようです。
 上の写真は外ネコで、玄関から中の様子を、下は飼いネコで玄関から外をそれぞれ覗っています。中に入りたいネコと外に出たいネコ。 願いの方向は全く違っていても、元の願いは1つ。 勝手気ままなネコも思われているほどは、のんびりな生活という訳にはいかないようです。
2005年11月7日(月)
回檀 分水町 五千石地区
 今日は立冬。でも、午前の雨も大したこともなく、暖かでしたので、回檀に伺うには、おお助かりました。あるお宅では、84歳のおばあちゃんが待っていてくださいました。帰り際、私を見送ろうと慌てて私の後から玄関に出てこられました。草履を履きながら「急いで歩いて、転ぶと大変だから気をつけて(*^^*) 」と声をかけると、おばあちゃんも「気をつけて(*^_^*)」「はーい (^O^)/」と返事をした時にはすでに私は車の側。  おばあちゃんより私の方がもっと急いでいた様です。 ご心配ありがとうございました。
 最近、TVの特定チャンネルの映りが悪いときがあります。弥彦山に建設された地上デジタルの中継局の影響とのことです。来年にはデジタルの本放送が開始されるということですので「デジタルにしなさい」という沈黙の催促なのでしょうか?それにしても「地上デジタルチューナー」が必要ということになると・・・・ (´ヘ`;)
 昨日は日記のアップロードを忘れていました。失礼しました。m(_ _)m
2005年11月6日(日)
初七日法要 分子町砂子塚   回檀 佐善・溝地区 
 時間に追われる、ちょっと厳しい日程が続いています。今日は法務中に何回腕時計をのぞき見たことやら・・・。(^^ゞ
 この季節、勤めの方は、雨の降らない休日は貴重。早め、早めの冬の準備で大忙しです。今日伺ったお宅では、お父さんは庭の冬囲い、お母さんは畑の大根掘りの真っ最中。午後からは雨になってしまったのですが・・・お仕事終わったでしょうか?
 今年の報恩講は長男が京都から来て、準備から手伝ってくれるとのことで、大いに助かります。・・・・ところで、後、何年したら私が「報恩講の準備を手伝おうか?」と言えるようになるのでしょうか?そうは、遠くないようです。(*^^*)
2005年11月5日(土)
葬儀 分水町中島
 「鎌倉時代の鎌倉市の墓地から出土した人骨260体の歯や骨の分析して、亡くなった年齢を調べた結果、15歳未満の子どもとみられるものが77体と全体の3割を占めた一方で、55歳以上は5体。平均寿命の推定値は24歳になった。」との研究結果が学会で発表されるとのことです。
 鎌倉時代(1185年-1333年)は、親鸞聖人(1173〜1262)のご存命の頃とかなり年代が重なります。地域差による栄養状況等の違いはあるにしても、55歳以上の生存率が0.02%以下の時代に親鸞聖人は80歳を過ぎても著作活動をされ、90歳くらいまで存命でおられたということには(ё_ё)
 小生、51歳になったばかり。「50肩か?」と肩をなでるには、まだまだ早いようです。 それにしても・・・親鸞聖人の90歳は・・・やっぱり凄い (;^_^
2005年11月4日(金)
回檀 巻地区
 教区の教学研修部の機関誌「とびら第36号」が発行されました。36号は児童大会特集。本来は私がスタッフとして参加しなければならないのですが、所用があたったため、夏休み中の当院(長男)を拝み倒して(というほどでは無かったのですが!)一泊二日の児童大会に行ってもらいました。
 帰ってきた当院の第一声は「疲れ〜た〜」。 二十歳そこそこの当院が疲れるほど、今年の参加児童はパワフルだった様です。
 左の写真は「真宗佛光寺派新潟教区教学研修部」のホームページにリンクされています。「とびら第36号」でpdfファイルが開きます。「フォトアルバム」では写真が紹介されていますのでご覧ください。ただ、両方ともかなり大きなファイルですので、ご了承ください。
2005年11月3日(木)
葬儀 分水町砂子塚    内佛法要 吉田町高木
 昨日は新しい家族・親戚が増えた慶びの結婚式。今日は大切な家族を亡くされた悲しみの葬儀。 頭の切り替えが出来ない状態でした。
 でもその慶びも悲しみも、本来、頭の切り替えを必要としない、私たちの生きるという営みそのものなのでしょう。
 寺にある過去帳は、大切なご家族を亡くされた悲しみの記録であり、新しい家族を迎えた慶びの記録でもあるのです。そして、それはそのまま、1人ひとりのいのちの歴史でもあるのです。
2005年11月2日(水)
結婚式 与板 明元寺様
 明元寺様の結婚式に行ってきました。本堂で仏式の結婚式が行われ、その後長岡のホテルでの披露宴でした。
 午前9時に家を出て、帰ってきたのが午後5時。長い時間でしたが、行ってしまえば予定は全て相手任せですので、自分で時間調整しなくてすみます。急ぐ必要もありません。披露宴では、新郎・新婦の友人のヤングパワーに圧倒されてはいましたが、おじさんはドンと構えてのんびり気分を楽しんで来ました。そういえば、自動車の運転をしなかったのは、今年に入って、正月の一日・二日だけでしたので今日は十ヶ月ぶり。明日は、砂子塚で葬儀。回檀の予定も入っていますので、少し忙しい日が続きそうです。
 今、近所のおばあちゃんが亡くなられたとの連絡がありました。これから枕経に行ってきます。
2005年11月1日(火)
 法務に伺ったらお留守。先日、「病院の付き添いで」ということでしたので、今日もきっと付き添いなんでしょう。経机の脇に柿と「あま柿です どうぞ」と書かれたメモが置いてあります。
 10月27日の日記「ごまが沢山入った真っ黒くて甘い柿が食べたい」をご覧になったのでしょうか?夕方帰ってから早速食べさせていただきました。「甘くて、サクサクした歯触り」久しぶりに味わいました。ごちそうさまでした。
 ところで、美味しい柿を食べながら、ふと気になったことが1つ・・・・・「あま柿です どうぞ」と書かれたメモの「どうぞ」というのは、私にということだったのでしょうか
ね???? 「ありがとうございます いただきます 大蓮寺」というメモは残してきたのですが・・・・・もう遅い。食べちゃいました。 (・・;))
 ちょっとドキドキした11月最初の日です。 (^^; ....