2004年9月1日(水)

  パソコンを使っていると、「文章の漢字変換ミスは日常茶飯事」と思っているのは私だけかと思っていましたが、結構あるようです。変換ミスを争う「変漢ミスコンテスト」なるものを財団法人 日本漢字能力検定協会が主催しています。「コンテスト」と「主催者」の組み合わせが変換(へんか)なとも思いますが、あえて、主催者の意図には触れないことにします。  以下はエントリー作品の一部です。ありそうですね。
  渡しといて下さい→ 私と居て下さい     正解はお金です→ 政界はお金です
 気をつけてはいるのですが、この日記にも時々・・・(;^_^ 自分の文章の間違いは、自分では付かないようです。
 先達の言葉「仏道を習うというは自己を習うなり」のように、自分の本当の姿も仏教という鏡を通さないと見えないのです。

2004年8月31日(火)
 早いところでは、稲刈りも始まりました。早稲米の刈り取りは週末から本格的に始まりそうです。機械化により稲刈りは田植えと違い、何とか一人でも出来る作業になっています。天候によっては、日中の仕事を終えてから、夜に稲刈りをする人もいるそうです。「今は、てんで(おのおの)の都合だ」 一家総出で汗まみれになった稲刈りを懐かしむ声も聞こえてきます。
 いよいよ明日から9月に入ります。9回目の仕切り直しです。
2004年8月30日(月)
内佛法要 分水町佐善

 「おはようございます」留守番はブルーのワンピースの似合うおばあちゃん床の間に、時々行く「介護老人福祉施設」の誕生祝いの額が飾ってありました。
 「ばあちゃん 91になったんだぁ!おめでとうございます。」  「この前、誕生祝いしてもろたんだてばね。」  
 「誕生日 いつらね?」 「大正4年の・・・何時らったろ?」
 「この前、祝いをしてもらったんなら8月らろね。」  「8月30日らったろか?」
 「それ、今日らいね。」 「そらかね。忘れてしもた。」 

 91才です。そろそろ痴呆・・・・かな?(ごめんなさい) でも婿取りだったおばあちゃんは、家人の命日はほとんど憶えています。おばあちゃんにとって自分の誕生日より、お世話になった人の命日の方が大切なんですね。
 両親の誕生日・歳を忘れそうになっている私と比べると・・・・・。私の方がきっと痴呆が進んでいる様です。
2004年8月29日(日)
中陰法要 分水町新堀

 「デデッポッポ・デデッポッポ」数日前からキジバトの声が聞こえていました。雛を育てている鳩が巣の近くで鳴くはずはありません。 見に行くと、巣の中は空。しかも巣の下には雛が1羽落ちて死んでいました。いなくなった雛をさがしていたんでしょう。 つがいでしょうか?やがて、キジバトは、二羽となりじっと、巣の方向を見ています。 キジバトは毎年同じところに巣を作るようです。来年、またお出で!
 今朝の新聞の見出しです。「三重 殺人未遂で母親逮捕」  とてもつらいニュースでした。

2004年8月28日(土)
上法事 吉田町 高木

 先日の台風の影響でケヤキの葉が枯れた状態で落ち、裏庭も黄金色になってしまいました。雨トヨに詰まったケヤキの葉を取るために屋根に・・・。仕事も終わって、屋根の上で休憩(^〇^)   ボーと周りを見ていたら、Yahoo!NEWSを思い出しました。
  米国では「空飛ぶ車」が今世紀の新産業と期待され、ボーイング社・米航空宇宙局(NASA)・ベンチャー企業などが開発を始めているとのことです。
 ボーイング社が発表した「空飛ぶ車の模型」は、ヘリコプターに車のタイヤを付けたようなもの・・・・ (-_-;) 。交通整理(管制)や違反の取り締まり方などについても検討を始めているという手回しの良さ。
 形などは別として、手軽に空を飛べたらいいですね。\(^o^)/
  まず第一段階では、飛行は高速道路上の空に限る。車線は上下の二車線。やっぱ、最高速度の規制も必要です。
  第二段階では、一般道路も解放。 そうなると、玄関の表札が見えなくなりますから、屋根の上に「大蓮寺」とか名前を書いたりして・・・・・。 そうすると、屋根の上の景色もだいぶ変わってきますね。

 こんなばかげた妄想が出来るのは、屋根の上ならでは・・・。やっぱり
屋根の上、好きですね〜。 o(^o^)o    でも、瓦のすぐ下は、いつもの生活 (^^; ....




2004年8月27日(金)

 11日から始まっているアテネオリンピックも、もうすぐ終わろうとしています。日本人選手のメダル獲得総数が史上最多ということで、応援に力が入り寝不足の方も多いようです。その一方、日本の経済効果は一兆円に迫るという予想も出ています。スポーツの祭典も経済抜きでは語れなくなった様です。
 田んぼも、収穫の秋を迎え、黄金色に変わってきました。もうすぐ稲刈りも始まりそうです。新米が出回る「経済効果」はオリンピック程ではないにしても、私にとってオリンピック以上に新米の香りは「精神的効果」は大きい様です。

2004年8月26日(木)

 結局雨は、児童大会の2日間だけでした。屋外で出来たのは「飯ごう炊飯」だけという結果でした。でも、子どもたちにとって「忘れられない夏休みの思いで」になったことと思います。宿泊になった児童大会も始まって二十数年経ちました。二世代の参加ということもあるようです。我が家も、二世代のスタッフも近いことと思います。
 児童大会の写真の公開準備が終わりました。「新潟教区教学研修部」のHPで公開しています。左中央の「フォトアルバム」をクリックして下さい。
 少し重い画像ファイルです。ご勘弁下さい。

2004年8月25日(水)

 朝晩の涼しさと共に鈴虫の音色もよく聞こえるようになってきました。確実に秋が一歩一歩近づいていることが実感できます。
 鈴虫を飼っている方は、この時期に鈴虫の声が聞けないと寂しいものです。 先日、知り合いの魚やさんが鈴虫のふ化を失敗したということでしたので、少しお裾分けさせてもらいました。すると・・・・・・・・
 秋の虫の横綱「鈴虫」が秋の魚の横綱「サンマ」になって帰ってきました。来年は八百屋さんにあげたら秋の味覚の横綱「マツタケ」になって帰ってくるということはないでしょうね
(^^ゞ
 日本には「春夏秋冬」それぞれの季節に、それぞれの「旬」があります。人間にも、それぞれの「年代」によってそれぞれの「旬」があるはずです。それぞれの旬を楽しみたいものです。

2004年8月24日(火)

 予報通り二日続けての雨で、児童大会も大幅予定の変更でした。でも、若手・中堅スタッフの頑張りで本年も充実した児童大会になりました。お疲れ様でした。
 その間に私は何をしていたかというと・・・・。新潟教区HP用の写真を撮りまくっていました(*^_^*)  かなり大量の写真になりそうですが、今週中にも公開できると思います。
 それにしても、黄色い声の集団には疲れました(;^_^  お陰で、今日はぐっすり眠れそうです。おやすみなさい。

2004年8月22日(日)
法事 寺泊町 鰐口
 24日〜25日と教区主催の児童大会に行ってきます。今年は初めての県外、福島県三島町が会場です。プール・キャンプファイヤー・ウォークラリーと盛り沢山の行事の打ち合わせは完璧です。ところが、会場の福島県は雨の予報。屋外の行事が多いだけに、今頃は、実行委員長の広澤さんは頭を抱え込んでいるのでは?(-_-;)
 でも、広澤さん大丈夫\(^O^)/ ベテランスタッフが多いので何とかなりますよ。
 ベテランと言えば、いつの間にかスタッフでは私が最高齢になってしまいました。子どもたちにとっては、親よりもおじいちゃんに近い年齢ですので、気持ちが若いだけでは子どもたちに付いていけません。子どもたち、若いスタッフの皆さん。お手柔らかにお願いします。 と言うことで、明日の日記はお休みします。行ってきまーす。(^o^)/~~
2004年8月21日(土)
法事 寺泊町 鰐口   内佛法事 分水町 大川津

 朝晩の風がすっかり秋めいてきました。自動車のボンネットの上は、寒さに敏感な猫の足跡が残されています。毎年はこんなに涼しくなかったような気がするのですが・・・・?
 とにかく今年の天候は極端です。暑いときは酷暑・雨は土砂降り。やっぱり地球の天候は変になっているのかも知れません。
少し気が早いですが、冬の雪が心配になってきます。今年はドカ雪があるのでしょうか?
 お盆前は、頭の中は「お盆、お盆」。お盆が終わると、次は・・・その次は・・・。秋の来ない間にもう冬の心配です。少し、足元を楽しむ余裕が持てたらいいのですが・・・・・(;^_^

2004年8月20日(金)
入佛法要 分水町

 久しぶりに大学時代の友人と会いました。二人とも自動車だったのでお酒なしの夕食でした。広い駐車場でしたので、駐車場の中でお互いの場所を携帯電話で連絡します。携帯が無いときは待ち合わせは、どのようにしていたのか不思議に感じました。
 でも、大学時代は電話の無いアパートでお互いどのように連絡を取っていたんでしょう? そう言えば「あそこに行けば誰かいる」という「たまり場」なるものが有ったのでした。私の場合は、大学の近くの私の部屋か喫茶店。教室では会えないのに、喫茶店に行けば会えるという不思議なヤツもいました。最近は学生街でも喫茶店が少なくなっているんだそうです。きっと、携帯電話の普及で「たまり場」が必要なくなったのかも知れません。少し寂しく感じるのは、懐かしい大学時代の友人に会って来たせいでしょうか?

2004年8月19日(木)

 銀行の方に一足遅れで同じお宅にうかがいました。お仏壇に座ると、玄関先での銀行の人と若奥さんの会話が聞こえてきます。
   銀行員・・・・「お盆休みは、どこかへ出かけられましたか?」
   若奥さん・・・「子どもと近場をうろうろしてました。」

   私・・・・・・・・振り返って「私は墓場をうろうろしてました。」

 会心の作とは言いませんが、結構自信があったのですが、意外に受けませんでした。止めておけばよかったと反省(-_-;)。中年のお坊さんが振り返ってまで言うことではないですよね。
 今度からもうちょっとオシャレなギャグを考えます。・・・・という問題じゃないか!(;^_^A 

2004年8月18日(水)

 16日に紹介した「自動根菜洗機」が置いてあった農家の前を通ると、「自動根菜洗機」が動いています。早速、車を止めて「にんじん」を洗っている様子を見に行きました。でも、機械の中身は「枝豆」。にんじんの収穫の時期じゃないですよね。にんじん用の洗機を枝豆に流用しているのだそうです。

 機械好きの私は興味深々。洗うブラシの素材はゴムだと思っていたのですが、ナイロンを束ねたものでした。水は奥の方から出ます。枝豆を出すときは、機械を傾けて出します。・・・・説明を受けること10分。帰りにはおみやげの枝豆を頂きました。
 車の中では、好奇心を満たした私はご機嫌\(^O^)/
 でも、出荷の忙しい時間に、機械を止め説明し、商売物のお土産まで・・・
 なんとも、傍迷惑な好奇心でした。 m(_ _)m ごめんなさい。でも、楽しかった
なぁーo(^-^)o

2004年8月17日(火)

 今日は一日雨模様。雨に「ひまわり」は似合いませんが、ちょっと素敵なのは「サルスベリ」。中国原産のサルスベリはミソハギ科 サルスベリ属で別名を百日紅(ひゃくじっこう)とも言います。実は百日紅が正式名称でサルスベリが俗称と思っていました。調べてみないと判らないものですね。
 子どもの頃、サルスベリの木は苦手でした。実家にあったサルスベリは、小さい木だったのですが、
登れそうで登れない・・・・。足が滑って、しこたまアゴを幹にぶつけて記憶があります。ですから、「さるすべり」というと白いツルツルした木肌しか憶えていません。なに色の花が咲いた木だったんでしょうね。まだ、サルスベリの木が残っていたら、なに色の花が咲いているか確かめたいと思っています。でも、登り付くような無茶はしないつもりです。・・・たぶん? 十分大人になっていますから!
 写真は分水町真木山 遠藤さん宅の大きなサルスベリです。

2004年8月16日(月)

 最近の農家は機械化が進み、不思議な機械を見かけることがあります。右の写真何の機械だと思われますか?クリックしてよーくご覧下さい。ヒントは「洗機」
 答えは「ここ」をクリックしてみて下さい。・・・・・まだ、判りませんか?
 それでは、「ここ」・・・メーカーのHPです。(ごめんなさい勝手にリンクしてしまいました)  一つひとつ見ていくと、結構面白いですよ。\(^o^)/  でも、人間洗機が無かったのが残念。
 農家が作ろうとしているものは農作物としての食品。でも、消費者から要求されるものは、一定規格内で見た目は清潔な商品としての食品。 農家の収入は「農作物を商品にするための手間賃」と言っていた人がいました。 
 いのちには規格はありません。 いのちである農作物を規格の中に入れ様とすれば、どこかで無理が起こってきます。そんな無理を、農家の皆さんに押しつけているのが、私たち消費者ではないでしょうか?

2004年8月15日(日)

 今日は五十九回目の「終戦記念日」です。いまや、人・経済・食料・エネルギー等の交流は、世界規模になり、一国だけでは、あらゆる面で存続出来なくなっています。しかし、世界中の全ての人が平和を願ってながら、いまだに地球上では国と国、部族と部族がいがみ合い、それぞれの社会正義を振り回しています。

 今日は分水町では成人式が行われました。当院(長男)も成人ということで「成人式」、そしてお楽しみの「二次会」に出かけていきました。羽目を外さない程度に楽しんできてもらいたいものです。 
 
 「人」という字は支えあっている様子を表していると言います。「成人式」(人に成る式)とは支えあっていることを再確認する式なんでしょうね。支えあっていることに気づいて人に成る。そういう意味では、「全ての人」にとっても意味のある式なんだと思います。
  

2004年8月14日(土)

 寺泊 聖徳寺様のご門徒さんのお通夜にお参りしてきました。亡くなった方は寺泊の魚屋さんで、中島へ行商に来られていました。お陰で、スーパーマーケットが無い時代でも、中島の人達は普段から美味しい魚を食べることができたんです。
 寺へ来られると、商売に関係なく、お茶と甘いお菓子で30分。中島の最新情報は、この方に聞けば何でも判る程でした。
長男が生まれたときはどこから見つけてきたのか、大きなドナルドダックのぬいぐるみをもらいました。・・・・・色々な事が思い出されます。
 ご長男から「お世話になったから」と亡くなられたことの連絡をいただきました。・・・・・一方的に「お世話になる」ということはないんですね。その時気付きました。  
 渡安さん、お世話になりました。長い間、ありがとうございました。

2004年8月13日(金)
墓参会

 鈴虫も今朝から鳴き始めて墓参会ムードをもり立ててくれました。墓参会 お疲れ様でした。
 亡くなられた先祖・親戚・知人に会いに来られるのがお墓参りです。
では、亡くなられた方の何に会いに来られたのでしょうか? お墓の中身はお骨ですから・・・・・。お骨?
 お骨になってまでも、願いをかけて下さる、先祖・親戚・知人の「願い」に会いに来るのがお墓参りです。 さて、さて、どんな願いが聞こえてきましたか?

2004年8月12日(木)

 寺の檜葉の木に鳩が巣を作りました。玄関前でしかも手の届く高さのところにあります。「こんなところに!」と私が思う以上に、鳩は「しまった!」と思っていることでしょう。 卵を抱いているようで、人間が近づいても飛び立ちません。人間も含め動物の世界は「母は強し」と言うところでしょう。
 ところで、この鳩を見つけたのは、近所の小学生三人娘。家人は誰も気付かなかったのに、ラジオ体操に来ていて見つけたようです。子どもたちの観察力、好奇心には脱帽です。 写真はクリックしてご覧下さい。

2004年8月11日(水)

 夏の花の代表は「ひまわり」。 でも、「蓮」も代表的な華です。 
 蓮はスイレン科の多年草で原産地はインドで、日本には大陸から渡来した植物です。別名「はちす」と呼ばれ、花の中にある実が蜂の巣に似ているところからきているようです。
 蓮の花は、美しい清水の湧く処には生えず、どろどろとした深い淀みの中から花を咲かせる不思議な植物です。
 深く淀んだ泥の中は、私達の住む娑婆世界を表し、苦しみや怒り、貪りに弄ばれて、四苦八苦している私達の姿を表しているのです。
 そんな、泥の中から美しい蓮の花を咲かせるということで、 蓮の花は仏教の尊い教えを表すものと示されています。

2004年8月10日(火)
教区主催 児童大会打ち合わせ会議
 教区主催 児童大会打ち合わせ会議がありました。ここ数年、児童大会に行ってはいるのですが、参加している子どもたちに体が着いていきません。もっとも、気持ちは十分若い(幼い?)つもりでいるのですが、子どもたちの「お父さん」より「おじいちゃん」に近い年齢になっているので仕方がないですね。
 宿泊の児童大会になって、20年くらいになるでしょうか?今年は始めて県外へ行くことになりました。
 日時 8月23日〜24日・行き先 福島県三島町・対象・小学生
 まだ、定員に余裕があります。詳しくはお問い合わせ下さい。
 写真は、引率スタッフの演じる劇の打ち合わせ風景です。
2004年8月9日(月)

 「よっぱら」(飽きる、さんざん、沢山)になりました。毎日の暑さはもちろんですが、「暑いですね」という挨拶の言葉もよっぱらになってしまいました。今日は思い切って「いいお盆ですね(^-^*)」・・・・・笑われてしまいました。 (^^; .... でも、暑いお盆は「いいお盆」なんですよね?
 暑い季節は暑く。寒い季節は寒い。これが一番。\(^O^)/  と忙しいお盆を前に自分自身に気合いをかけています。もうすぐ、墓参会です。      残暑お見舞い申し上げます。

2004年8月8日(日)
合同之碑 追弔法要

 本堂前にある「合同之碑の追弔法要」でした。「合同之碑」は戦争で家族を亡くされた方が合同で碑を建立されたものです。会の世代も変わりつつあり、戦死した方の顔も知らない人も出てきています。昭和20年の終戦から59年。「戦後」という言葉さえも風化してしまいそうです。
 昨日はサッカーアジア杯の決勝が行われました。中国サポーターの応援が、何かと問題になっています。「政治・歴史とスポーツは別」「国際感覚に成熟していない」・・・・、いろいろな人達からのコメントがマスメディアから放送されています。ただ、問題の是非は別として、中国には戦争が風化されていないという事実があります。

以下は広島の第一回平和宣言です。少し長文ですが、お読み下さる様お願いします。

本日、歴史的な原子爆弾投下2周年の記念日を迎え、われら広島市民は、いまこの広場に於て厳粛に平和祭の式典をあげ、われら市民の熱烈なる平和愛好の信念をひれきし、もって平和確立への決意を新たにしようと思う。

昭和20年8月6日は広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして潰滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く要因となったことは不幸中の幸いであった。この意味に於て8月6日は世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして世界人類に記憶されなければならない。われらがこの日を記念して無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和祭を執行しようとするのはこのためである。けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。

又この恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を世界の人々に明白に認識せしめたからである。これこそ絶対平和の創造であり、新らしい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない。われわれは、何か大事にあった場合深い反省と熟慮を加えることによって、ここから新らしい真理と道を発見し、新しい生活を営むことを知っている。しかりとすれば今われわれが為すべきことは全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新らしい文明へのさきがけとなることでなければならない。

この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。
永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。
ここに平和の塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する。

1947年(昭和22年)8月6日     広島平和祭協会長・広島市長  浜 井 信 三
2004年8月7日(土)
盆参会

 今日は暦の上では立秋。でも1日同様、暑い盆参会になりました。猛暑の中、布教をお願いした潟東村法讃寺様・ご参詣の皆様、ありがとうございました。
 1日・7日合わせると400人近い皆さんの参詣でした。大変なのは、お斎の準備のです。中島のお母さん達は、猛暑の中、冷たい水を飲みながら朝早くから動きっぱなしです。ありがとうございました。
 「お願いします」で始まり「ありがとうございました」で終わるのがお寺の行事。そして、一人では生きられない、私たち人間の一生も同じです。

2004年8月6日(金)

  59回目の広島原爆の日です。広島市を中心として多くの行事が行われました。59回目を迎えた今日でも核廃絶は一向に進んでいないように見えます。また、59年という歳月が戦争という事実を伝承(伝え聞くこと)を困難にしているようです。
 核家族の進む現代において、伝承する為には「伝える人と聞く人」の努力が必要です。
 3日前から、近所の男の子が6時前に来て、朝の梵鍾を手伝ってくれています。最初の日は恥ずかしがって一つだけでしたが、今日は三つ突いてくれました。明日は幾つかな? また明日 待ってます
(^o^)/~~

2004年8月5日(木)
回檀 分水町真木山地区  寺泊町蛇塚地区

 鈴虫がだいぶ大きくなりました。まだ雌雄の区別は付きませんが、この調子だと、後一週間から十日位で鳴き出すこと思います。それまでは「ゴキブリ飼ってるの?」という声が聞こえて来そうです。
 でも、鈴虫は一晩で劇的変化を遂げます。これが人間だったら大変です。一晩経ったら別の人間が一丁上がり。(ё_ё)
 ただいま、室温は33度・・・
「熱帯夜」・・・こんな時はとんでもないことを妄想してしまいます。失礼しました。\(_ _)
 鈴虫が鳴き出せば、夕方はひんやりした秋風。そうそう・・・熱帯夜も、もうすぐ終わりになります。そんなことを考えると、妄想の熱帯夜も名残惜しい感じがします。
今日も寝苦しい夜になりそうです。 とりあえず・・・おやすみなさいませ。

2004年8月4日(水)
大蓮寺 聞法会

 ほぼ毎朝やって来る近所の「ケンコ」。今朝は来ていないと思ったら、午後一番暑い時間にやって来ました。「こんな暑い時間に来なくても」と声を掛けながら冷たい牛乳のお裾分け。
 「ケンコ」が朝に来なかったのは理由があるようです。実はこの「ケンコ」は人嫌いという訳ではありませんが人見知りなんです。外でご主人様に会っても撫でさせない程の徹底ぶり。ところが、朝の本堂前はラジオ体操ということで、ちょっと遠慮している様です。子どもたちにとっては楽しい夏休みも、「ケンコ」にとっては迷惑な夏休みというところでしょうか。
 徳をする人がいれば、その影で損をしている人がいるかもしれません。楽をしている人の影で、忙しくなっている人がいるかもしれません。ちょっと、退いて見ると色々なことが見えてくるかも?

2004年8月3日(火)

 「ちょっと過ごしやすい一日でした」と言っても、真夏日の一日。暑さに体が慣れてきた様です。何を間違ったのか、中庭の藤が咲いています。
 
デビュー以来、112連敗中の高知競馬(高知市)の人気サラブレッド・ハルウララ(8歳牝馬)が武豊騎手の騎乗を最後に引退するとの記者会見がありました。
 競馬に全く興味のない私でも知っている「ハルウララ」。連戦連敗の馬なら沢山いるはずなのですが・・・?人気のきっかけは全国放送のテレビで紹介されてからなんだそうです。 ひたむきでも結果が伴わない。そんな全国の名もない「ハルウララ」のみなさんに・・・・\(^O^)/

2004年8月2日(月)
百ヶ日法要 分水町真木山

 月読経で三条市曲渕まで行ってきました。お仏壇は、仏壇屋さんに預けてあるとのことですが、ご本尊が厨子に入ったお木像でしたので、洋間に仮安置という事でお勤めをさせていただきました。床上浸水した一階には畳も道具もなく、まだまだ、落ち着いた生活とは行かないようですが、お盆までには、なんとか格好を付けたいとガンバっておられました。
 そんな中でも、ところどころ、田んぼが黄色くなっています。早稲米の穂が大きくなってきているのでした。
実りの秋を迎えたいと稲穂もガンバっています。暑い、暑いと言っている間に、秋はもうすぐそこまで来ているようです。

2004年8月1日(日)
盆参会

 月潟村 梵行寺 木村俊尚師をお迎えして盆参会が開かれ、暑い中、200人以上方の聴聞をいただきました。ありがとうございました。
 新盆参りの方もいらっしゃるので、年齢がバラバラで話しにくかったことと思いますが、いつもの調子で簡潔にユーモアを交えて話していただきました。特に「友引」についてのお話しは、皆さん熱心に聴聞されていたようです。

 盆参会の写真をなんでも「写真館のスナップ集」にアップしておきました。ご覧下さい。

2004年7月31日(土)

 パソコン本体の置いてある部屋は、午後9時現在、35度。高温の為かバックアップ用のHDDが停止しています。
 宮内庁は皇太子妃雅子さまの病状について、一連のストレスが原因の「適応障害」によって不安や抑鬱(よくうつ)気分が表れているとする医師の診断を発表しました。
 適応障害
とは、ある社会環境にうまく適応できず、ストレスに対する反応としてさまざまな心身の不調が起きる状態を言います。
 現代にあっては、「複雑な環境下に適応できない」ということは人ごとではなくなっています。ただ、複雑になった環境、あれも、これも、全てに適応するということは可能なのでしょうか?むしろ、「適応できない」ということがはっきりすれば、「できないという適応」もあると思います。
 パソコンの機能障害は完全停止すればいいのですが、人間はそんな訳にはいきません。明日は
盆参会。私も高温で「適応障害」お起こしそうですが、そんなことは言っていられません。10時からお経が始まります、お参り下さい。お待ちしております。

2004年7月30日(金)

 茹だる・煮える・焼ける・・今日の気温にピッタリの言葉です。
 夏の果物と言えば
「スイカ」が一番。しかも、このスイカはブランド物の「八色スイカ」。正面には「私たちが作りました」と写真入りのコメントシールが貼ってあります。しかも、食べ頃の温度を知らせるセンサー付きシールです。 最近の農家の方も農作物に「付加価値」を付ける事に努力されています。 「美味い、安い」だけでは売れない様です。
 その他の、物・サービスなども「価値+α」のαで皆さん苦労されている様です。αの部分は・・・・人間関係でないでしょうか?人間関係が希薄になった言われる時代だからこそαの部分を求める人が多くなったのだと思います。 やっぱり、どこかで暖かい人間関係を求めているのでしょう。

2004年7月29日(木)

 空は抜けるような青空、腰も抜けるような暑さでした。「第86回全国高校野球選手権新潟大会」(何と長い名前でしょう)で巻高校と日本文理高校との間で決勝戦が行われ、熱戦の結果、日本文理高校の甲子園出場が決まりました。 選手・関係者・応援の皆さんお疲れ様でした。
 我が家でも、長女が在籍している学校の応援に出かけ、日焼けして帰ってきました! 応援の結果は「残念」でしたが、皆さんから「元気」をもらって帰ってきたようです。
 応援というのは「される方とする方」が元気の「あげっこ」をすることを言うんでしょうね。

2004年7月28日(水)

 台所の床がフワフワしていたので、調べてもらったところ台所下の水道パイプから水が漏れていることが判明! 床板も湿気ていて張り替えが必要とのことでした。
 水道パイプの補修は、床下に入れない状態なので、土台のコンクリートを壊しての補修になってしまいました。 水漏れは直ったのですが、今後、床板の張り替え、土台の修復と大変なことになってしまいました。おまけに、本堂座敷下の鉄骨も錆びて早急に交換が必要とのことです。
 そのほかにも気になるところが数カ所・・・・・(-_-;)  
 サマージャンボ宝くじは今月末まで販売とのこと。 ちょっと、気になってます。(^_^;ゞ

2004年7月27日(火)
とびら編集会議

 午後は月潟村で教区機関誌「とびら」の編集会議でした。今回は32号の最終編集ということで、長時間の会議となり、帰りはお日様と一緒になってしまいました。
 一日の仕事を終わり、山に差し掛かった夕日はあっという間に沈みます。一日の終わりです。そんなに急いで帰らなくてもいいと思うのですが・・・・。
 去年の10月編集会議終了後、急いで帰る車に、私の車をぶつけられたことを思い出してしまいました。 (-_-;)   夕暮れ時は、注意力が散漫になり、視界も悪くなります。ゆっくり帰りましょう。(^_^)/ 

2004年7月26日(月)

 子どもたちは夏休み\(^O^)/今日から如来さまの前でのラジオ体操が始まりました。私の子どもの頃とラジオ体操は変わりありませんが、ちょっと様子は違います。
 土曜・日曜はお休み。役員のお父さんが数人いますが、中学生・先生はいません。そして、人数は毎年少なくなって来ています。まぁ、少数精鋭ということで。楽しい夏休みを過ごして下さい。

 昨日の物体?は「ナガユウガオ」でした。ユウガオには「マルユウガオとナガユウガオ」があるんだそうです。

2004年7月25日(日)

 六日町の方からの到来物の到来物。「食べて下さい」と言われていただいたんだそうですが・・・。「食べて下さい」ということなので食べられる事は間違いないのですが、名前が不明ですので・・・食べ方も、もちろん不明です。すったもんだの末、六日町の方に電話で聞いてもらうことになりました。
 干瓢(かんぴょう)でゆでて、マヨネーズ・醤油で食べると美味しいとのことでした。干瓢といえば、ユウガオ・・丸いはずなのですが・・・・・? 
 美味しかったのですが??? これ、何だろ? 気になっています。(^_^;

2004年7月24日(土)
回檀 寺泊町北曽根地区
  柳宗悦が創始者と言われる民芸運動は 暮らしの中で日常的に使われてきた民器のなかに”用の美”見いだすという運動です。柳宗悦は、民芸の品々の特徴として、(1)無銘の品である、(2)作家の作品ではなく、職人の作である、(3)実用品である、(4)大量生産の品である、(5)美しさをとりわけ狙って作られたものではない、の5つをあげています。言わば「どこにでもあるものの機能美」ということでしょう。
 民芸からは離れますが、どこにでもあるものの機能美の代表は「生き物」です。 それぞれが、それぞれの機能を極限まで引き出した「形と色」です。自然に出来てきたということを考えると・・・・・不思議ですね。
2004年7月23日(金)

 昨日は、所用の途中、友人に誘われて新津市金津にある石油王中野邸に行ってきました。廊下に腰掛け、庭を眺める・・・・。
 1時間足らずでしたが、の〜んびりとした時間を過ごしてきました。こんな時間の過ごし方があったんですね。すっかり忘れていました。
 
「よーし!こんな時間をこれからは作るぞ〜 \(^O^)/」 と力んではかえってダメかな? 自然体 自然体 

2004年7月21日(水)

 20日〜21日と分水まつりです。隣接の中之島町・三条市が7.13水害で大被害を受けたということで、花火大会は延期となり静かなお祭りになっています。
 7月もここまで来ると、盆参会・墓参会はもうすぐ。普段は静かな墓地も、この時期は墓参会までにお墓を直したいということで、石屋さんの出入りが多くなります。
 昨日は、遠路、小千谷からお墓参りの来訪がありました。お世話になったおばあちゃんのお墓とのことでした。小千谷で土産話を待っている
高齢の母親に見せるために記念撮影。ご姉妹で思いで探しのお墓参りでもあったようです。
 新潟地方は明日にでも「梅雨明けか?」ということです。 それぞれが、それぞれのご縁の中で、様々な夏を迎えようとしています。

2004年7月20日(火)
 三条市曲渕地区に行ってきました。お見舞いに行ったお宅は想像通り床上浸水だったということでした。掃除が進んでいて、一階は新築途中の家の様子でした。畳・障子戸・ふすま・テーブル・・・。何一つない状態です。外には、茶色に染まった、たくさんのタオルの洗濯物が乾してありました。
 「大変でしたね。」と言うのがやっとで、後は何も言えないで帰って来てしまいました。がんばっている人達に「がんばれ」という言葉は励ましの言葉にならないのでした。
2004年7月19日(月)
上法事 分水町
 法務にうかがうと仏間に布団とカバン、そして見慣れない子どもたち。夏休みになるとよく見かける光景なのですが・・・「すみなせん。荷物があって。三条の親戚が来ているので。」・・・・子どもたちには、「大変だったね」と声をかけるのが精一杯でした。そんな家が連休中に数件ありました。
 今日、うかがったお宅の玄関には見知らぬ犬が、・・・・上目使いで私の方をじっと見ています。 「犬を飼われたんですか?」  
 「三条の知り合いが飼えなくなったというので、2、3日前にもらってきたんです。」
 「・・・・・・がんばれよ」 と声をかけたのですが・・・被災地のペットたちも大変な様です。  (本文と写真は関係ありません)
2004年7月18日(日)
初七日 分水町新堀    法事 分水町中島   法事 寺泊町

 県内に出されていた洪水警報は午後3時10分にすべて解除になりました。ただ、魚沼地方の雨で大川津分水路の河川敷も冠水があり、川幅が3倍以上になってしまいました。福井県でも局地的な大雨に見舞われ、福井市の4万世帯以上に避難勧告が出されました。
 「日本の天気、何か変?」素朴な心配を感じます。 天気だけでなく「なんか変だよ日本」そんなこと感じませんか?
 「素朴な心配・素朴な疑問」 素朴だからこそ、大切です。

2004年7月17日(土)
御講 大川津地区   法事 中島

 法事があったため、大川津の御講のお斎は食べることが出来ませんでした。残念!精進料理で美味しいんですよ。
 お斎の料理の材料は皆さん分担して家から持ってこられます。もちろん皆さんの畑で取れた自家製です。そして皆さんでおしゃべりしながら、寺の台所で調理が始まります。
 おしゃべりはやっぱり料理の話題が多い様で、先輩から後輩へ・後輩から先輩へと料理の秘伝が伝えられます。他の家の味付けを勉強する料理教室も兼ねているようです。

2004年7月16日(金)
教区機関誌「とびら」編集会議

 分水町でも7.13集中豪雨の被害が出ているようです。16日15時現在の資料によると分水町では床上浸水1件・床下浸水8件が報告されています。(写真は近所の道路が補修されている様子です。)県内では三条市を除き床上浸水3581件・床下浸水6501件ということです。
 三条市の資料は床上・床下浸水が合わせて14767件との報告です。つまり、3日たっても被害の状況が把握できていないということです。三条市の混乱がうかがえます。明日から三連休になります。被害があった家出は親戚を交え本格的に復旧作業が開始されると思います。「これ以上雨は降らないで欲しい!」皆さんの願いが通じてほしいものです。

2004年7月15日(木)

 時間と共に集中豪雨による、被害が大きくなっています。
 身近な人達の被害の様子もわかってきました。
 門徒さんの中にも床上浸水で避難所生活をしておられるお宅・裏山に亀裂が生じ、夜間の避難勧告を受けたお宅(写真 寺泊町赤沢地内)・子どもさんの車が水に浸かってしまったお宅・など様々です。

 自然の猛威の前では、残念ながら人間の力はあまりに無力です。でも、無力ということに気づいた時には、進むべき道が明かになり、その道を歩んでいけるのでないでしょうか。

2004年7月14日(水)
葬儀 分水町新堀

 4と9の付く日は地蔵堂市の日です。露天市の並ぶ周辺では、多くの車が駐車され、買い物袋をぶら下げた人達の往来があります。その、少し先では、半月くらい前から始まっている歩道工事で一方通行。誘導員の人が車を停止させるために赤い旗を振っています。いつもと変わらない地蔵堂の様子でした。

 記録的集中豪雨から一夜が明け、被害の様子が徐々に明らかになってきました。三条市・中之島町の冠水の様子がTVで放映されています。
 分水町からわずかしか離れていない所の映像です。普段と変わらない生活をしている私・いつもの生活を当たり前と思っている私に痛みを感じました。でも、その痛みは長続きしませんでした。 気付いてみればいつもの生活。
 
 分水町は大川津分水路で信濃川から「水を分ける」ということで命名された名前です。あまりにストレートな名前なので親しみが持てませんでした。でも、今回のことで「分水町」と命名した人達の願いが聞こえてきたような気がします。後、数年で「分水町」という名前もなくなることとでしょう。せめて、それまでは、大切にしたいと思います。

2004年7月13日(火)

 関東甲信地方梅雨明け。一方、越地方は集中豪雨の一日。県内各地で大きな被害がありました。被害に遇われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 分水町では大きな被害はなかったようで、大蓮寺も変わった様子はありません。 こういう時になると
  「水も溢(あふ)れねし、この辺が一番いい所らて」
ということをよく聞きます。
 四大文明に象徴されるように文明の発端は治水でした。人間の歴史は水との戦いの歴史といっても過言ではないと思います。壮大な蒲原平野の稲作を支えているのは信濃川です。そして、時に大暴れする信濃川を支えているのが「大川津分水」です。
 私たちは何かに「支えられて」生活しています。こういう時こそ、支えてくれているものに目を向けるチャンスではないでしょうか?
                           「信濃川大川津資料館」のHP
 
 写真は分水町大川津地区 道路がこの状態で大川津の法務に行けませんでした。

2004年7月12日(月)
教区教学研修部会議 広海寺様

♪♪気楽に行こうよ 俺達は 焦ってみたって同じ事
   のんびりゆこうよ 俺達は なんとかなるぜ世の中は
   気楽にいこう のんびりいこう 気楽に行こう のんびりいこう
♪♪
          自動車はガソリンで走るのです!
 作詞 作曲 唄 :マイク真木  ナレーター:加藤和彦 出演:鈴木ヒロミツ
このCMをご存じの方は40代以上でしょうか?懐かしいですね。思い出した理由は右の写真です。危うく鈴木ヒロミツに成るところでした。自動車は「E」の下でも結構走るものです。びっくりしました。

 自動車はガソリンだけで動くものではものではありませんが(最近は例外もあります)、基本エネルギーはガソリンです。人間の基本エネルギーは・・・・「いのち」です。「いのち」を「食べ物」とすることで私たちは生かされています。最近の日本は「食べ物はいのち」ということを忘れた食文化に成っているようです。
    人間は他の生き物をいただいて、生きているのです!

2004年7月11日(日)
法事 巻町下和納  法事 分水町新堀

 参議院議員通常選挙でした。中島地区の投票場は「あおい保育園」でした。七夕飾りに迎えられて、入場をしてみたものの・・・はて!はて!どうしたものか?
 投票所の雰囲気は独特のものがありますよね。一挙手一投足を見られているようで・・。いや、きっと見ているに違いありません。立会人の皆さんはそのほかにやることが無いのですから・・・。 
 実は私。投票所に入ると上がってしまいます。漢字は忘れる・手は震えるで大変なんです。そして、「あの字読めるかな?」という心配事を残して今回も退場。
 投票所に入って上がるというのは、私だけなんでしょうか?

2004年7月10日(土)
報謝講 出雲崎 万因寺様

 キリンの会(三条徳誓寺様青壮年会)に行ってきました。講師は本山宗務総長 大谷義博師で、「善行にあこがれ善行にゆきづまる我が身」というテーマのお話しでした。
 昨日・今日と二日続けて講話を「聴聞」するご縁をいただきました。真宗は「聴聞」に尽きると言われます。真宗における聴聞とは、仏様の教えを聞くことを通して、自分自身の有り様を聞くということです。 自分自身では気の付かない自分自身を聞くということは大変な作業です。 

2004年7月9日(金)
テーマ学習会

 新潟教区企画部主催の「テーマ学習会」。「いのちの教育」というテーマで、北海道の清水恵美子先生のお話しを聞いてきました。 
 24時間、何時も一番身近にある「いのち」だからこそ「当たり前」なものとして「尊い」ということが現代人に見失われているようです。
 先生は著書に
 私たちは、死を意識してこそ与えられたいのちの尊さが意識され、今の自分が生きていることがどんなに尊いことか、どんなにすばらしいことなのか、つまり「生命の尊さ」とか「生命はかけがえのないもの」ということを、自明の理として認識できるのでないでしょうか。
 と述べられています。私たちの生活は、頭で理解している事と自明の理として認識することは別なようです。

2004年7月8日(木)
教学研修部会議

 「真宗セミナー公開講座」についての会議でした。皆さんお盆前なのに疲れ切っている様子でしたが、それでも決めるべき事はきっちりと?決まりました。「真宗セミナー公開講座」の詳細については、「新潟教区ホームページ」の「公開セミナーのご案内」をご覧下さい。どなたでも参加いただけますのでお問い合わせ下さい。

2004年7月7日(水)

 去年の7月14日、風呂場に珍客の来訪がありました。(昨年の日記参照)それから一年。今年は別な珍客がペアで台所においでになりました。「何で?」と考えても??????

 とにかく、珍客の皆さんはよほど水回りがお好きなようです。おふた方ともこれから、羽ばたく人生が始まろうというのにどうしたんでしょう。野外(野内?)学習というところでしょうか?とりあえずは、迷子になるといけないので、お気に入りの場所に移動をお願いました。「何時か、お礼に来てくれたら」というのは・・あつかましいですね。
2004年7月6日(火)
聞法会
 高温が続き人間はへたり気味ですが、元気を出してきたのは蝉です。我が家の蝉?のお気に入りは鐘楼脇の大きな木。

 別名を曙杉(あけぼのすぎ)」と呼ばれる「メタセコイヤ」です。 メタセコイヤは6500万年以上前の中世代白亜紀以降に生息し、新世代第四紀に絶滅したと思われていましたが、昭和20年に、中国四川省(磨刀渓)で生き残っているが判明し、「化石が生きていた」と世界中で注目されました。1949年秋に日本へ100本が送られてきて、以後さし木増殖によって全国に普及したんだそうで時々見かける木です。成長はきわめて早く20メートルくらいになりますので小さい庭だと、この木一本で手一杯になりますので庭木としては不向きかも知れません。
 メタセコイヤの葉は、柔らかく、薄緑で風にそよぐ感じはとても涼しそうです。人類誕生からの歴史を知っているこの木の下で昼寝をしたら、きっと気持ちいいんだろうな! 待てよ。上には蝉が・・・。やっぱりやめておいた方がいいかもしれません。
2004年7月5日(月)
報謝講 寺泊町夏戸 本光寺様
 今日はお説教をする方も聞く方も汗を拭きながらの本光寺様の報謝講でした。ただし、御門徒さんの汗は、暑さの汗。私の汗は脂汗。ちょっと汗の種類が違うようです。
 でも、お説教してる以外の時間は本光寺様のご接待でのーんびりさせて頂きました。こんな時間を数時間も過ごせるのは「報謝講」の時くらいのものです。しかも、帰り際本光寺様からお見送りを頂き、「ありがとうございました」という挨拶までいただきました。こちらこそ「ありがとうございました」今年の報謝講も出雲崎の万因寺様を残すだけになりました。ちょっと寂しいような気もします。
2004年7月4日(日)
上法事 寺泊町敦ヶ曽根   法事寺泊町 敦ヶ曽根    法事 分水町中島
 蒸し暑くハンカチの離せない一日でした。もうプールの季節になったんですね。

 法事のお斎での会話です。夏物のお衣の透けている様子を見て隣の人が・・・
  「おめさんのお衣涼しそげらね。」
    「いゃー ちっとも涼しくないんですよ。見かけ倒しです。」
  「中はね?」
    「σ(^_^;)? ・・・・・・・(-_-;)」
  「????」
   実はお衣の下の白衣の事だったのです。危うくトンチンカンな返事をするところでした。でも、私も今年で50才。見かけ倒しを楽しめる余裕も出てきたようです。(^o^)??
2004年7月3日(土)
内佛法要 分水町新堀   法事 分水町野中才   法事 分水町中島     中陰 燕市三王渕
 が家の「三菱製自動車の続報」です。無償整備も済ませ無事に働いていてくれます。ただ、この前までは「三菱ですね」という皆さんの冷やかしの言葉も「大丈夫ですか?」に変わっています。近日中には「三菱製自動車駐車禁止」という駐車場も出現するかも知れません。
 という、冗談も知り合いの三菱製自動車が数年前に火を噴いたと聞き呆然!!「自分だけは大丈夫」という気持ちも吹っ飛んでしまいました。
 そうなんです。「自分だけは大丈夫・自分だけは別・自分だけは例外」というなんていうことはいないんです。でも、私たちの日頃の心は・・・・・
2004年7月2日(金)

 蝉も数日前から鳴き始めています。真夏の暑さを予感させるような日差しの一日でした。
 7月になるとそろそろ気になり出すのが「お盆」の準備です。「新盆の案内」から始まり、草取り・芝刈り・本堂の荘厳・本堂の掃除・・・・等々。当然一日で終わるはずもない仕事ですので、順番・天気を考慮してのカウントダウン方式の作業になります。まずは「新盆の案内」は終わりましたので、次は墓地の除草剤散布の仕事でしょうか?
 蝉は羽化のために7年間土の中で準備をして7日間空を飛びその生涯を終わります。(蝉の種類等、諸説いろいろあるようです。) 7日÷7年=1日/年  蝉は1日のために1年の準備をしていたのです。

 私の場合は、たった一ヶ月前から・・・。ゆっくり準備させていただきます。(^_^)/

2004年7月1日(木)
報謝講 寺泊 長善寺様
ふと、車のメータに目を落とすとカウンターが「55555」数字そのもののゴロ合わせにこだわるつもりもはありません。でも、カウンターは、早送りも巻き戻しも出来ません。一つひとつ、積み重ねた数字です。毎日・毎日、私の思いを乗せて「55555キロ」付き合ってくれた車です。ありがとう。

 ホームページのアクセスも「10000」を超えました。お伝えする程の内容のないホームページですが、お付き合いいただき心より感謝致しております。ありがとうございます。<(_ _)>