2016年6月30日(木)
 今日で今年の半分は終わり。我ながら頑張って、実に充実した半年でありました。・・・と思いたいところですが、出来なかったこと、やり残した事が、まだ数ヶ月分も残っているようで・・・。まぁ、無事に過ごせただけでも (*^_^*) ということにしておくことにします。
 ところが、「無事」とは仏教語で「精神的になすべきわずらいのない状態。こだわりのない障りのない心の状態」をいいます。ということは、「無事」ということも、なんとも頼りないことのようです。

 写真は先日行った、小針地区に流れている西川。実家の西側を流れているので、西川という名前には何の疑問も持たなかったのですが、大蓮寺からすると西川は東側。 何を基準として西なのか? 疑問に思っていたのですが、先日、「西川」の昔の名前は「西信濃川」ということを教えてもらいました。西側は本流である信濃川の西側を流れているので西信濃川ということででした。言葉は略されると、本来の意味が伝わらないこともあるようです。気をつけたいものです。
2016年6月27日(月)
 今日は小針瑞林寺さまで、「聞法の集い」が行われました。今日の講師は寺ネット・サンガ」代表の中下大樹先生。先生は、、新潟県長岡市にある仏教系ホスピス(緩和ケア病棟)にて末期がん患者数百人の看取りに従事されとおられました。そんな看取り従事のご経験とご自身の生い立ちを重ねたお話をいただきました。
 「生は偶然、死は必然、死の縁は無量」といわれます。死の縁が無量ということは、人生・生活のご縁もまた、無量。 人生の一つひとつのご縁を大切に受け止めておられたお話でした。
2016年6月26日(日)
 初めて、ホームページのトップを変えてみました。如何でしょうか? (^^)V
 と言っても、顔が変わっただけで、中身は同じ。(^^ゞ 追々と、中身も手直ししていくつもりです。
 「夜分遅くすみません」と御門徒さんからの電話。「イヌが死んだのでお経を読んでもらえないか?」 電話口の向こうでは、子どもの声が聞こえます。明日は行けそうもないので、早速、着替えて伺いました。
 お経が終われば、ご家族の皆さんは涙目。ご家族全員で、いのちを学ぶ貴重な現場に立ち会せていただきました。
2016年6月23日(木)
 月命日でうかがった、個人商店さん。今日は定休日で店のシャッターは閉まっています。脇の玄関から入ると、シャッターの中ではご主人が片付け仕事の最中。「お休みでも仕事?」と聞くと、「お寺さんはお休みあるの?」と聞き返されました。 自営業?は、お務めの主婦の仕事と同じ。仕事は休みでも、家事仕事は山積み・・・。ただし、家事仕事の内容により自由裁量。意外と気ままなのかも?Y(^^)!

 大蓮寺機関誌「大地」第二号が発行されました。(実は先月に・・)リンクしましたのでお読み下さい。
2016年6月15日(水)
 昨晩は久しぶりに学生時代の級友と、浜のホテルで親交を深めてきました。浜のホテルとなれば、もちろんメインディッシュは夕陽。時間限定で堪能させてもらいました。
 夕陽はなぜ赤い? 夕陽の厚い空気の層を通っても、長い波長の赤の光は、拡散されにくく、遠くまで伝わり性質があるからだそうです。朝日が赤いのも同じ理由だそうです。 ということは、救急車両の回転灯が赤いのは・・・・・・。 法令で定められているからなのだそうです。

 こんなことを、考えることが出来る余裕が少し出てきたと思ったら・・・・・。
2016年6月7日(火)
 先月末より、葬儀が続いていました。礼参の時に休んでいいただく、み堂座敷(本堂脇の部屋)の窓の側にキジバトが巣を作っています。
 悲しみの葬儀の礼参の方々も、これから誕生するであろう命に触れて、少し微笑みが戻ります。ひたすら、卵を抱き暖めるキジバトの姿に、命の尊さを改めて教えられます。
 キジバトのふ化は15日~16日ということですので、そろそろふ化するはずです。

 明日は、仏教婦人会の総会。10時よりお務めが始まります。お参り下さい。
2016年6月2日(木)
 半月ぶりくらいに、明日の予定表とにらめっこしなくてもいい夜を迎えています。それでいて、リラックスしているかというと、・・・・どうも、そうではないようです。ちょっと、余裕が出来ると、今月に行われる、仏教婦人会総会・報謝講のことが気になり出し、なんとなくソワソワ (´ヘ`;)
 写真は先日伺った御門徒さん宅の雨に濡れたバラ。 雨に濡れても、堂々と咲いています。咲くときには咲き。散るときには散る。先の事にソワソワせず、今の今をしっかり光り輝いています。
2016年5月31日(火)
 本山佛光寺の布教使会の主催による布教大会が三条市の西照寺様で行われました。県内外から集まった布教使のお坊さんが70名以上。そんな状況での布教実演の四名は余程の覚語が必要なようです。ただ、長老の布教師さんが休憩時間の一言。「じっと聞いているより、布教をしている方が楽かも・・・?」 どちらの方にも頭が下がります。

 明日から衣替え。暑さのスタートが早かったために、暑さに慣れてうっかりと衣替えを忘れていました。人間の慣れとは不思議なものです。
2016年5月26日(木)
 雨に濡れた参道。本当に久しぶりの雨でした。参道の石が気持ちよさそうです。でも、カラカラの畑にとっては、まだまだ足らないお湿り。毎日の畑も水まきに精を出していたおばあちゃん・・・・今日はお休みとのことです。
 一方、田んぼの苗の根元には水がたっぷり。降水は関係ないのかと思えば、やっぱり自然の雨にはかなわないとのことでした。

 今日から主要国首脳会議が始まっています。世界経済・貿易・政治・外交・気象変動・エネルギー・保健と多くの議題で、話し合われるのだそうです。こんなに多種、多様だと、自国の主張を伝えることに集中してしまし、他国の主張を聞くことがおろそかに成ってしまわないか・・? 心配です。
2016年5月21日(土)
 今日は長女の結婚式。長女夫婦の提案で、式は大蓮寺の本堂で、執り行われました。両家のご親戚には遠方よりお出でいただき、近所のお母さんたちからも見送りを受けて嫁いでいきました。本当に、ありがとうございました。
 披露宴では、つきものの花嫁の父親の涙。ズッと心配していたのですが、意外にもなんとか堪えることが出来ました。
 一日中見せてくれた、幸せいっぱいの娘の笑顔。それは、父親にとっても、幸せでないはずあありません。 ありがとうございました。 お幸せに(^o^)/~~~~~
2016年5月17日(火)
 6月8日(水)の仏教婦人会の為の役員会が行われました。ついでに?仏具のお磨きもしていただきました。ピッカピカの仏具で、婦人会総会を勤めさせてもらうことが出来ます。ありがとうございました。m(_ _)m
 
作られて60年以上を経過した真ちゅうの仏具。毎年のお磨きで新品の様に綺麗になりました。

 「磨けば光る。」???
 
元々「磨けば光る」とは、日本語にはなかった様です。ダイヤモンド(宝石)の原石の様に磨けば光る(将来有望)人だと、特別な素質がある人に用いる言葉のようです。

 でも、仏教的に言えば「一生懸命に生きている人は、年齢・経験に伴い、色も光り方も変化する。その、一つ一つの色の光が全て尊い」ということに成るかと思います。

  『青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光』

 人生の輝きに、手遅れという事はないようです。
2016年4月30日(土)
 新潟市内の親戚寺院の法要に行ってきました。法要に合わせて掃除が行きとどいている新緑の庭。清々しい気持ちで覩ていても、やがて観えてきたのは自宅の庭の草と枯れ葉。覩ているものと、観えているものは別。こんなこともあるようです。

 田んぼに水が入る時期になると、急に気温が下がるようです。気化熱によるものか、元々この時期はこんな天候なのか。お医者さんが、お休みのこの時期は、とかく体調を崩しやすい季節です。お気を付け下さい。 
2016年4月18日(月)
 「真宗佛光寺派 新潟教区 春期教区総会」が開催されました。長い名前の会議は、重要な会議ではあるけれど、盛り上がりに欠ける・・というのは私の偏見でしょうか? ともかく、今年の活動方針が決定されたという事です。 表紙の「新潟教区行事一覧」にリンクいたしましたので、ご覧下さい。
 今回、「新潟教区のホームページ」がリニューアルされました。合わせてご覧下さい。
2016年4月16日(土)
 熊本地震で甚大な被害が出ています。関係される皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 中越地震(2004)、中越沖地震(2007)を思い出します。当時は、音・揺れ過剰に敏感になっていたことを思い出します。被災地では局地的に大雨の予報が出ています。せめても、夜間だけでも、静かな眠りにつけていただくことを念じて止みません。 明日は燕市観光協会主催の「おいらん道中」が旧分水地区で行われます。燕市の社協では、「おいらん道中」の会場で熊本地震の募金活動を計画しているとのことです。


 今日は分水仏教会主催の「花まつり(灌仏会)」が行われました。花まつりはお釈迦様の誕生を祝う行事です。お釈迦様は誕生されて「天上天下唯我独尊」と産声を上げられたといわれます。「天上天下唯我独尊」とは、「人は生まれながらにして尊い」ということです。生まれたという事が尊いのです。本来、人間は独りひとり、尊く生まれ、尊い人生を歩んでいるのです。「花まつり」「誕生日」はそういうことを確認する日です。  
2016年4月11日(月)
 季節外れの風邪? いよいよ、花粉症が来たのかも・・・。鼻水が止まらなくて・・・・。ティッシュペーパーの箱が離せない状態。 誰もが日常生活で困る鼻水。近所のお母さんはマスクで隠しているとのこと。坊さんにとっては仕事に関わる一大事。マスクをしながらお経は・・・。(^^; ....  想像しただけで、しっかり笑えます。 (-_-;)
 
 やっと、桜の花が満開なのに冬のような寒い一日でした。モクレンも満開です。弥彦山には積雪。雪国の春は、そう簡単には来てくれません。
2016年4月8日(金)
  「散る桜、残る桜も、散る桜」  良寛禅師の辞世の句といわれ、世の無常を歌ったものです。人のいのちのはかなさを桜の花にたとえたものです。

 「諸行無常」とは人生のはかなさ、生命のもろさ、そしてときには死を意味する言葉としてなじみの深い語句になっています。しかし、本来、「諸行無常」とは、この世は絶え間なく変化し続けるという事実をありのままに述べたもので、仏教のひとつの真理です。
 とかく、暗いイメージのある「無常」という言葉ですが、人が死ぬのも無常、生まれるのも無常。また、成長することも無常だということです。没落するのも無常ですが、不幸な人が幸福になるのも、また無常なのです。
 万物は絶えず変化(流転)しています。だからこそ。努力するのであり、今の今が貴重であり、限りある、はかない、いのちだからこそ大切にしなければならないのです。

 いつの間にか大川津分水の桜が見頃を迎えていました。明日、明後日が見頃の様です。  
2016年4月4日(月)
 ちょうど一ヶ月前にお会いしたばかりの女性の枕経に行ってきました。不慮の事故でした。お話ししていたときの笑顔ばかりが思い出されて・・・。「一期一会」の言葉がおもく、重く心に響きます。
 御門徒さんのお宅のこぶしの。雨に濡れたこぶしの花。一層、うなだれて見えました。
2016年4月3日(日)
 弥彦村 照瑞寺様の前坊守様がご往生され、通夜に行ってきました。94歳というご高齢ということもあって、特別養護老人ホームの看取り介護の支援を受け、家族に見守られながら静かなご往生を迎えられたのことでした。
 看取り介護とは、特別な医療支援を受けずに、人生最後の時間を迎えるための介護をいいます。一部の病院で行われている、ターミナルケア(終末期ケア)のホスピス、ビーハーラの特養版ということでしょうか。「無理な延命治療は必要ない。」という最後の迎え方。段々と、定着してきている様です。

 大川津分水路の桜。いつの間にか、紫色に膨らんできています。よく見ると、ピンクの花びらが見えています。今年の桜の開花は早そうです。
2016年4月1日(金)
 今日から四月。新入社員にとっては緊張の一日だったと思います。成功して名をあげることを立身出世といいます。最近の若い人たちは、名より実をとるようで、役職に就きたがらないとのことです。

 出世とは、本来、仏が衆生を救うために、仮に人間の姿となって、この世に出現されることいいます。また、迷いの世俗世界を超えて仏道に入ることを出世間ともいいます。

 世間の常識にこだわらず、自分の身を立てる現代の若者は、正に立身出世の道を歩んでいるのかも知れません。

 御門徒さんのお宅の梅の木。木の中心が朽ち果てても、立派に花を咲かせています。妙に、勇気づけられてしまうのは・・・私だけでしょうか?
2016年3月31日(木)
 明日から4月。農家では、田植えの準備が始まっています。田んぼを耕し、畦(あぜ)作る。平行して苗のビニールハウスを作り、種もみを水に浸してすじ蒔きの準備。 4月下旬から始まる田植えの為に稲作農家は大忙しです。機械化が進んだとはいへ、会社務めの合間の農作業は大変です。
 29日の日記を見てもらい、私の一番いい顔の写真をメールで添付してもらいました。早速ありがとうございました。いただいた写真には、これ以上ないような満面の笑顔の私・・・・。でも、可愛らしい赤ちゃんと現実の姿の私とのツーショット写真。
 真実を写すから写真。やっぱり真実とは怖いもののようです。(;^_^A
2016年3月30日(水)
 「戦没者叙勲・勲八等白色桐葉章」
 この勲章は終戦後に、戦没者の遺族におくられたものです。事情があって、戦没者の実家から離れていたものです。「あるべき所に返して欲しい」と依頼され、戦没者の御実家に持っていきました。戦争を知らない世代のご家族に「いまさら」と言われることも覚悟していましたが、「何十年ぶりに帰って来た」と言ってもらい、無事にお届けできて、ホッとしています。  この勲章の周りの人たちは、戦争によって、大きく人生がが変わってしまいました。 折しも昨日、29日は安全保障関連法案が施行されました。 
2016年3月29日(火)
 御門徒さんのお宅では、赤ちゃんと里帰りの娘さん。もちろん、赤ちゃんを抱っこさせていただきました。(^_^o)  ここ一ヶ月で三件目ですので、昔を思い出し、余裕のスマイル。 (^^)V  今日もスマホで記念写真を撮られてしまいました。 赤ちゃんを抱っこしている時は、その人にとって一番にいい顔なんだとか・・・。 とても怖くて、スマホの写真を「見せて」とは言えませんでした。(-_-;)
 「お上手」と誉められても、本当は新前ママの抱っこが赤ちゃんにとっては、一番安心できるところ。当然、領解いたしております。

 関東では桜の開花宣言が終わっているのに、玄関前の梅がやっと咲き始めました。今年はちょっと花の数が少ないように思われます。
2016年3月27日(日)
 冬の間は、除雪以外は外仕事はほとんど無かったのですが、一気に外の仕事が湧いて出てきています。少しずつ進んでいるのですが、去年痛めた膝がうずいてきています。でも、そんな事は、気にならないほど、春の日差しの快さを満喫しています。やっぱり、春はいいですね。
 本堂の冬囲いも外してもらいました。本堂も、本格的な春を迎える装いになりましたが・・・・。あんまりスッキリして、ちょっと、恥ずかしそうかな?
 
2016年3月25日(金)
 卒業、転勤、退職のシーズン。寂しい別れがあるからこそ、出遇いが大切に思う。「一期一会」を実感するものです。 死があるからこそ、生まれたことが喜べる。毎日が「一期一会」の私のいのちとの出遇い。大切にしたいものです。

 (春の)淡雪。日中の日差しであっという間に消えてしまいました。日差しが、段々と強くなっています。
2016年3月23日(水)
 毎月伺っているお宅 「おはようございます」「はーい お願いします」返事の声はお母さん?それとも娘さん??  娘さんでした 。(^.^)  電話では、親戚の方はもちろん、父親さえも時々間違ってしまうほど声が似ているらしいとのこと。本人の思いとは別に、親子ですから仕方がありませんね。

 「子どもは親の背中を見て育つ」・・・・ 親の言葉からだけでなく、毎日の生活の中で、子どもは意識することなく、親からさまざまなことを吸収する。
 という意味なのですが、なぜ背中なのか? 子どもが見ている親の背中は親である本人は見たことがない。親自身が、全く気が気付いていない所作を見ながら子どもが育つということの様です。 実に、恐ろしいことです。 (-_-;)
2016年3月22日(火)
 月命日に伺った地蔵堂の商店。若主人が店内を片づけておられました。「明日、「TVの取材が来るので・・・・。」4月17日に行われる「おいらん道中」のPR用の取材だそうです。「まだまだ、桜開花の様子が全くないのに・・・・」とおっしゃりながらも、散髪に行ったばかりの頭。しっかり、取材の覚悟はできているようです。
 世間一般に「覚悟」とは、あらかじめ心の準備をするという意味につかわれています。また、あきらめることや観念することの意味にも使われています。でも、本来は「覚悟」は「さとる」という漢字を重ねて、迷いを去り、さとりの智慧を得るということを意味する仏教語です。 時代と共に、言葉の意味が大きく変わってしまった様です。
2016年3月21日(月)
 東京では桜の開花が発表されました。新潟市は4月9日頃になるのでは?とのこと。新潟の春はもうちょっと先のようです。
 高校野球ファンには、堪らない春の選抜高校野球が今日から始まりました。高校球児の特有の真っ正直で何者にも負けない根性に春を満喫された方も多いことかと思います。
 現在使われている「根性」という言葉には二種類あるようです。一つには厳しい訓練にもくじけない強い気力。 野球球児の根性はこれに当てはまるようです。 二つは、その人の生まれつきの根本的な性格。仏教では教えをうけるものの性格、資質のことを根性といいます。人それぞれの根性に合わせてお釈迦さまは説法されたとのことです。
 同じように見える山でも、登り方は全く異なるのだそうです。澄んだ空気でクッキリ見えている雪山。雪山の根性に挑戦している登山者が見えるかのようでした。
2016年3月20日(日)
 19日、20日と彼岸法要を勤めさせていただきました。布教は弥彦 照瑞寺様より、「歎異抄」九章を中心にお話をしていただきました。何回も何回も読んでいるはずの「歎異抄」ですが、話される方、私の聞き方によって心への響き方が違ってくるのは、ビックリポンです。
 段々と暖かくなって来ています。天気のいい日には、井戸端会議ならぬ畑端会議。冬の間の情報交換の大切な会議です。
2016年2月29日(月)
 早いもので明日から3月。でも、今年は4年に一度のボーナスYear。ちょっと、得した気分です。比較的に暇なはずの一月、二月。時間的には、まとまった事が出来るはずなのですが・・・・・今年も反省 (^^; ....  寺の新年度3月の始まりです。
 農家も三月の声を聞くと田んぼ・畑の段取りが脳裏に浮かんでくるようで、農家にとっても、三月は新年度の様です。

 年間行事・お使僧・維持費のご案内をお届けしました。今回は当院が頑張ってくれて大蓮寺寺報「大地」を同封いたしました。
2016年2月12日(金)
 「いい天気ですけど、寒いですね。」

 「寒いですけど、いい天気ですね。」


 言葉の順番が変わっただけですけれど、受け取る方の印象が全く違うようです。言葉により互いの理解を深めるのですが、また、その言葉により誤解を招き、傷つけてしまうこともあるようです。 法務中の何気ない会話で、気付かせてもらうことが多くあります。有り難いことです。
2016年2月11日(木)
 全国的に晴れで温かな一日。こんな日は、早く雪が消えて欲しくて、スコップを持って、ザクザクと雪割。雪を割った土の上で見えてきたのは春の香でなくて・・・松っ葉と雑草の春の仕事でした。それでもやっぱり、春は待ち遠しいものです。

 「あの日から1年」ご主人が亡くなられてから、ちょうど1年になる命日の読経に行ってきました。「命日」とは、「建国記念の日」のように、普段はうっかり忘れている「命」について考える日ということです。ちなみに、建国記念の日の2月11日は神武天皇が初代天皇として即位した日ということだそうです。
2016年2月10日(水)
 「自覚する」ということは、自分の状況などを知り、自分の在り方をわきまえることをいいます。仏教では「覚」は「さとる」ことですから、自覚はみずから覚るということです。
 また、、みずから覚るだけでなく、教えを説いて他人をさとらせることを「自覚覚他」といい、これは菩薩の実践行なのだそうです。
 ですから「自ら覚る」ということは、菩薩の実践行。そして、私たち人間にとっての自覚は「自ら覚らしめられる」ということになります。

  猛吹雪から半月。16万㎞越の愛車は翌日にはバッテリー交換・基板交換で何もなかったかのように快調に法務に付き合ってもらっています。ところが、当の私は2週間、ズッと風邪気味。熱は無いのですが、鼻風邪に悩まされています。若いときの風邪はドッと熱が出て、1~2日後にはスッキリ治っていたのですが・・・。年齢等による自然治癒力の低下を否応なしに私自身の体から私自身の意識に自覚せしめられたということのようです。
 写真は、数日前の国上山・弥彦山の様子。半月前に猛吹雪で自動車がエンストした場所からの撮影です。(^_^;
 
2016年1月26日(火)
 猛烈な寒波が通りすぎ、青空が見られるようになりました。本堂に屋根からは雪がなでつきそうです。
 猛烈な寒波が来てから四日目。まだ、長岡、三条地区では車の猛烈な渋滞が続いているようです。 全国版のTVでも、「雪国新潟がなぜ?」と渋滞の様子を報道していました。 三条市東部に通勤している長女。昨日は行きに四時間、帰りに五時間を要したとのことです。様々な条件が重なったようですが、近年の小雪続きで、新潟は雪国の生活を忘れかけているのかも知れません。楽な生活には直ぐに慣れてしまいますから・・・・・。
2016年1月24日(日)
 予報通りの寒波と降雪。午前中は道路の境界が見えない程の強い雪でした。ということで様々なハプニングがあったようです。写真は近所の電信柱。雪で倒れた訳では無く、除雪車が作業中に引っかけたとのことです。幸い、停電はなかったようです。もしも、停電にでもなっていたら・・・・。現代人の生活は、あまりに電気の依存率が高くなりすぎたように思います。

 小生も、張り切って、吹雪を押して法務に出かけたまでは良かったのですが、途中で愛車が停電・エンジンストップ・・・。キャリアカーで修理工場に持って行ってもらいました。今週に入って、電気系のトラブルで、自動車修理工場のお世話になったのは二回目。16万㎞を超えた軽自動車。ちょっと、まずい状態です。 
2016年1月22日(金)
 「ありがとう」は感謝やお礼の心をあらわす言葉。お世話になった時には「ありがとう」の言葉を忘れないように! これが、生活のマナーということです。
 「ありがとう」の語源は「有り難し(ありがたし)」という言葉で、「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味を表したものです。

 24日は、西日本に数十年に一度と言われるほどの猛烈な寒気が流れ込むとのこと。25日にかけては全国的に寒くなり、39年ぶりに沖縄に雪が降る可能性もあるとのことです。

 数十年に一度の全国を覆うほどの猛烈な寒気は、正に有ること難し。もしも、沖縄に雪が降れば、沖縄の子どもたちにとっては「ありがとう」。雪国にとっては、「ありがとう」「有り難し」とは・・・・・。 (-_-;)
 
2016年1月15日(金)
 世界四大文明は、農耕の為の治水(水のコントロール)から始まりました。ですから「Nature」という言葉は「自然(しぜん)をコントロール・管理」するという意味合いを持っています。それに対して「自然(じねん」とは、人の力、意志ではコントロール・管理はできないという自然観です。
 「人は、自分の意志にかかわらず歳をとる。」というあるがままを引き受けることも仏教における自然観です。「諸行無常」とはそんな仏教における自然観を言い表した言葉です。

 寒さが増すに連れて布団から出て本堂のお務めが辛くなってきています。今日は今季一番の寒さ。一番の寒さが更新される日数だけ、布団から出る辛さも更新されるのです。(-_-;)  あるがままを引く受けても、寒い時は寒い。でも、寒い冬があるからこそ、暖かい春が来ることをこころから喜べるのです。

 写真は雪景色の国上山。
2016年1月14日(木)
 細かな雪が降り続く一日でした。でも、外気温が高いため、日中の積雪量は、少なくて済みました。問題は外気温の下がる夕方以降です。後は自然にまかせるしかありません。

 「自然」は、「おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。あるがままのさま。」(広辞苑)という意味の言葉です。でも、Natureを自然と訳してからは、自然界、自然科学、自然食品などのように広く用いられる言葉になりました。前者の自然は「じねん」後者は「しぜん」と読みます。先輩たちは「あるがままのさま」を受け入れるを日本人は持っていたのです。もちろん、仏教では「じねん」と読みます。  
2016年1月12日(火)
 全国的に今季一番の寒いの一日。近郷では初積雪です。数日は雪の予報が出ていますので、いよいよ新潟は雪国の

 音楽のメディア(記憶媒体)はレコード・CDへとあっという間に変わってしまいました。また、書き込み式メディアは、オープンリール・カセット・MD・メモリーと変化しまいました。 アナログからデジタルへと進化し、より小さく便利なものになってきました。

 ところが、いまだに、中高年層を中心にレコード愛好者は多くおられます。 最近は、わざわざ中古の機械を買って「カセットテープ」を聞く若い人が世界的に増えているとのことです。 デジタル音源では味わえない、アナログ音源の温かみが魅了なのだそうです。
 
 時代の要求である「便利、簡単」から、時代に逆行し、あえて「不便、手間をかける」というところにも温かみの要因があるように思います。 
2016年1月6日(水)
 時々お見かけするWindowsのブルースクリーン。ノートパソコンに正月早々に出現!このブルーカラーは好きな色ではあるのですが、この状態の時は、大抵の場合パソコンがややこしいことに・・・・・。
 案の定、画面に表記されている英語は「critical process died」。訳すと「重要なプロセスが死亡」 ・・・(-_-;) 人間の体に喩えると「多臓器不全」「心不全」ということのようです。
  仕方なく、「繋がらない、待たされる」ということで有名な、某サポートセンターへ電話させてもらいました。担当部署にたどり着くまでに、三回の電話と同じ事の三回の説明。やっと出た答えが「ハード(機械)の故障と思われますので、担当の係に電話し直して下さい。」とのこと。しかし、残念ながら、ここでタイムオーバー。
 坊さんだって、たまには、愚痴を言いたいときがあるのです。ご静聴ありがとうございました。 m(_ _)m
2016年1月4日(月)
 めでたいお正月が終わり、今日から仕事という方も多いようです。この「めでたい」は漢字で「目出度い「芽出度い」と書かれることがありますが、いずれも当て字で漢字には意味は無いのだそうです。現代は、「祝う」「慶賀」という意味で用いられますが、本来は「すばらしい」「立派」「見事」という称賛の言葉として使われていたそうです。そういう意味で「あなたはめでたい」と称賛の言葉として用いるべきなのですが、現代においては・・・・・。
 時代と共に、気付かずに変化している言葉の意味。私たちの、信じている「常識」「非常識」極まりないものなのかもしれません。
2016年1月2日(土)
 1日2日の寺の年始と除夜の鐘の時を含めると400名以上の方より寺に来ていただいたことになります。厚く御礼を申し上げます。混んでいるときは、まともなご挨拶が出来ないときもありました。申し訳ございませんでした。
 と言っても、2日の午後になると大抵はお客様はまばら。娘の提案で、お客様にお茶を飲んでいただく、下茶の間のいろりで焼き芋に挑戦。アルミ箔に包んで・・・・??? 何処に入れて?時間はどのくらい? 時々焼き芋を作っている母に聞くと、台所にいて「端に入れて置けば、じっき(すぐに)できる」とのこと。 は炭の端ということは常識で想像できるのですが、じっきと言われる時間が???10分?20分?30分~1時間。
 台所にいて、芋の大きさ、炭の火の強さを見ていない母にもう一度聞き返すと「臭いがしてきて、ちょっと経ったら」との答え。 料理名人の極意をかいま見たような気がします。
 個数・長さ・重さ・時間・広さ・・・・。ズッと単位を勉強し、育ってきたものにとっては、驚くべきアドバイス。恐れ入りました。m(_ _)m  
 適切なアドバイスのお陰で、美味しい焼き芋を食べることができました。 
2016年1月1日(金)
 新年 あけましておめでとうございます 新しい年を迎えられたことを心よりお慶び申し上げます。

 千利休の弟子の山上宗二という茶人が『茶湯者覚悟十体』という茶道の心得を示した書に「そもそも、茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我一世一度の会なり」と記して一生に一度の出遇いの会の心得を述べておられます。

 諸行無常の世を生きる私たちにとって、新しい年を、新しい一日を、そしてたった今迎えた、今の時間を感動をもって、慶んび生活したいものです。
 今年も多くの方より、除夜の鐘をつきに来ていただきました。寒い中、ありがとうございました。

 本年もよろしくお願い致します。