2015年11月3日(火)
 アッという間に11月。紅葉がドンドン進んでいます。弥彦のもみじ谷も、菊まつりも相まって混雑しているとのことです。今年こそは「紅葉狩りに・・」と思っていましたが、一週間ほど前に右膝をひねってしまい、正座もままならない状況。今年も、紅葉狩りはお預けのようです。
 回檀もあぐらでのお務めとなり、お見苦しい状況でご迷惑をおかけしています。 お医者さんに行ったのですが、状況の回復にはしばらく時間が必要なようです。
 「どうしたね?」と心配をいただき「右足をひねりまして・・」お答えしているのですが、お医者さんによると、加齢による軟骨の減少が原因とのことですので・・・・。
 お釈迦さまの教えに引き当てると、直接的原因と思われる足のひねりはあくまでご縁。直接的な因は加齢ということになるようです。残念ながら・・・・。f(^_^)  
 玄関前の錦木が紅葉真っ盛りです。
2015年10月7日(水)
 今日は平日の友引ということで二ヶ寺の親戚寺院の法事がありました。住職、当院で手分けをしてお参りさせていただきました。「他を知って自らを知る」他所の寺の法要は何かと参考になります。

 友引は先勝・先負・仏滅・大安・赤口などの六曜(ろくよう)の一つ。「結婚式は大安がいい」「葬儀は友引を避ける」など冠婚葬祭に結びついて使用されています。

 六曜は、鎌倉時代末期に中国から日本に伝えられ、赤口以外は全て名称が変わったとのことです。明治時代には、迷信として政府が禁止しましたが、第二次世界大戦後は政府による統制がなくなり、六曜を含む占いが氾濫するようになったとのことです。また、大安・友引・仏滅など六曜の漢字は当て字で、漢字そのものにはなにも意味がありません。(アメリカを亜米利加と漢字表記したことと同じ)

かなしきかなや道俗の  良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀をつとめとす

 と親鸞聖人は御和讃に「かなしきかな」といわれ六曜、占い、迷信などを戒めておられます
 とは言え、真宗寺院の会議、法要はお葬式があまりない、友引の日に行われるのはなんとも皮肉なものです。

 写真は、今日伺った 越前浜 西遊寺様。十五間四面の本堂は圧巻です。 
2015年10月6日(火)
 TVではスノータイヤ、暖房設備のCMが流れ始め、しかも、今朝の気温はストーブが恋しくなるほど・・・・。「また雪が降る冬になるのか・・・ (-_-;) 」 冬の予感で心寂しく、憂鬱な気分になってきます。62回目の冬なのにちっとも慣れるということはないようです。でも、日中は、憂鬱な気分を払拭する雲一つない秋晴れ。 落ち込んでる場合ではありません。今頃が一番過ごしやすい季節なんですね。
 「先の心配ばかりして、大切な、今の今が見えない。」そんな事って沢山ありますよね。
2015年10月1日(木)
 今日から10月、そして衣替え.。 平安朝では,4月1日と10月1日にそれぞれ夏装束・冬装束に改め、室町・江戸時代にはさらに細かい決まりがあったとのこと。現在では制服について,6月1日と10月1日を目安として行われています。
 冷暖房完備の部屋での法要には、重い、厚いの冬用の法衣は必要ないのかも知れませんが、作法の一つとしての衣替えを行っています。
 制服は時間、場所(TPO)を・・・衣替は、外気温・天候を考えなくても済むところ。センス音痴、ズボラの人にはピッタリなようですが、多少の忍耐は必要なようです。

 写真は26日の結婚式終了後に連れて行ってもらったジャズスポット。「ブルーノート 東京」の入り口。 20代の頃は一度は行ってみたい場所の一つであって、初老になって諦め忘れていた場所の一つでもあります。とても、とても最高\(^O^)/ でした。
 若いときだったら「また来よう」と思うのでしょうが、感激のあまり思ったことは「これで、死に土産がまた一つ・・・・」  (´ヘ`;)
2015年9月28日(月)
 昨晩は中秋の名月。今晩はスーパームーン。幸いにも二日続けて見ることが出来ました。 といっても、中秋の名月、スーパームーンと特別な月夜ということを、教えられなければ全く興味を示すこともなく、見上げるということもなかったことかと思います。
 私たちの生活の営みは日々のの積み重ね。その、一日一日が特別な時間の積み重ねであること示し、教えてくれるのが仏の教えです。

 「月ではウサギが餅をついている。」月の影の形容はインド神話にさかのぼるのだそうです。 昨日、今日の月は残念ながら「月にウサギが・・・」には見えなかったようです。 月の影の見え方は、地域によって違うとのこと。「バケツを運ぶ少女・かに・サソリ・ライオン・・・」など様々。同じような月の影を見ても、見え方は様々。さて、今晩の月の影は何に見えるか???

 同じものを、見ても、聞いても、人それぞれ見え方も感じ方も様々。自分が見たもの、聞いたもの、感じたことが正しいと信じ、なかなか、他を認められないのが人間なのです。
2015年9月27日(日)
 昨日は親戚のお嬢さんの結婚式で東京に行ってきました。
  
 結婚式に出席すると必ず聞く言葉が「御礼と感謝」 
 辞書によると感謝とは「ありがたく感じて謝意を表すること」。 また、謝意とは「(1)感謝の気持。(2)謝罪の心。おわびの気持。」  平たく言うと、感謝とは「ごめんなさい」ということのようです。
 「ありがとう、ごめんなさい」と素直に言い合えることが夫婦の人間生活の基本の様です。
 おめでとうございます  感謝の気持ちを忘れず お幸せに\(^o^)/

 結婚式場は六本木ヒルズ内のホテル。どのように行ったらいいのか判らず、東京駅までの送り迎えをいただきました。最近の結婚式は新郎新婦の二人で企画準備するとのこと。今回の結婚式で、一番、ご家族に、お手間を取らせたのが・・・・σ(^_^;)? 私だったのかも? ご迷惑をおかけしました。 m(_ _)m
2015年9月23日(水)
 連休最後の日。雨により、稲刈りの出だしが遅かったため、まだ、刈り終わらない田んぼが目立ちます。新米コシヒカリの流通は少し遅れているの様です。

 「暑さ寒さは彼岸まで」といいますが、今年は、残暑がないままお彼岸になってしまいました。格言までも時代と共に変化してしまうのでしょうか?

 毎年の事ですが、秋分の日が終えた明日から朝の梵鐘は春分の日までお休みします。 目覚まし代わりに寝床で聞いていた方は、ご注意下さい。(^・^)
2015年9月21日(月)
 昨日は高校の友人が家に来てくれました。十年ぶりに会いました。私が出席できなかった高校の同級会の様子を伝えに来てくれたのでした。有り難いことです。話題は勿論、同級生の近況。高校生時代に隣に座っていた、同級生55人はそれぞれの道を、一生懸命に歩いているようです。「ところで、高校を卒業して何年?」二人で絶句してしまいました。

 今日は敬老の日。国民全体に敬老という精神が浸透していれば、本来、必要としない日なのかも知れません。また、一年中で「敬老の日が一番に寂しく辛い日」と感じる高齢者も多くおられるとのことす。
 例外なく、だれもが、確実に老いに向かって生きています。「敬老の日」とは、老いに向かう、日々の自分の生き方を問い直す、いいきっかけになるのではないでしょうか?
 
2015年9月18日(金)
 明日から大型連休。楽しい計画を立てておられる方も多いかと思います。稲作農家の方は、連休中の好天を当てにした、コシヒカリの刈り取りを予定されているようです。 夕方から雨が降り出してきました。思わず空を見上げてしまった、農家が多いのでは・・・・。

 今日は午後から公務の会議。次回の会議は・・・、予定表には入っているのですが・・・。予定を確実に守れないことが多いのが私たちの仕事。 次回の予定の確認の時は、思わず下を向いてしまいます。

 人生も、予定通りにはいきません。「おまかせ」で生きられる勇気があれば、こんなにバタバタしなくてもいいとは思うのですが・・・。 
2015年9月17日(木)
 「寒い!」と感じるほどの気温。10月中旬の気温だそうです。テレビでは、スノータイヤ、除雪機の寒い映像。おまけにNewS番組ではお寒い映像まで。 冬の予感の心細さは、今年はちょっと早く来ているようです。
 
 昨日は「法衣、袈裟、等」の営業の来客がありました。本社が京都で、全国に支店がある大手織物屋さん。もうすぐ衣替えなのに、置いていかれたのが「平成27年度 夏の価格表」名刺??? 私は留守だったので、お会いできませんでしたが、置いていくなら、名刺だけの方は良かったのでは?と思うのですが・・。
2015年9月16日(水)
 鬼怒川堤防の決壊では、甚大な被害が出ています。水の恐怖を改めて私たちに知らせる結果となりました。旧分水町の町名は、信濃川の人口の支流、「大川津分水路」から命名されたことは説明の必要もないことです。 写真は、先人の尽力により、出来上がった分水路の高い堤防です。
 でも、「これだけ高い堤防だから大丈夫!」と安心することは出来ないようです。この高い堤防は、これだけの高さが必要だったということであり、もしこの堤防が決壊したときの水量を考えると・・・・・。
 大川津分水路の改修工事が始まりました。完成は18年後ということです。18年という歳月は長く思えますが、今後の百年、二百年の先を考えると、この時間も必要とのことです。

 私たちにとって大切な生命・財産を守るための準備、作業は18年以上を費やしても決して無駄ではないと思うのですが・・・・・。
2015年9月15日(火)
 昨晩は学生時代の友人と一杯呑みました。呑みながらの話題は、思い出話しでなく現在、これからのことが中心でした。友人は大学職員ということで、学校運営、教育、就職など多岐にわたる第一線の話しを聞かせてもらいました。 大いに、勉強になりました。
 ただ、話しを聞いているときは、かなり酩酊しておりましたので、かなり聞き漏らしがあったようで・・・? 勿体ないことです。
2015年9月13日(日)
 お墓の仕事に来られている上田石屋さん。社長さんのご長男も帰ってこられ、常勤の三人体制で仕事に来られています。仕事は、重い、大きな石を扱うので、かけ声を掛け合ってと想像していましたが、予想に反して、他の人の動きをチラッと確認する程度でほとんど無言。それでいて、三人とも無駄のない動きにはビックリします。
 「地獄は言葉の通じない世界。娑婆(この世)は言葉の通じる世界。浄土は言葉を必要としない世界。」と喩えられています。 職人さんの世界は浄土に一歩近づいている様に感じます。

 「娑婆は言葉の通じる世界」ということは、「言葉が必要、大切」ということでもあります。言葉が通じる世界にいながら、その言葉により傷つき、誤解を招くということが多いようです。言葉が通じるための基本は、語ることでなく、聞くということではないでしょうか?
2015年9月12日(土)
 久しぶりに雨を想像しなくてもいい、秋晴れの一日でした。今日は法務の少ない日でしたので、芝刈りでもと思ったのですが・・・・。「夏バテは初秋に入って出て来る」ということを言い訳にして、家の内外を、ぶらり、ぶらりとしている内に一日が終わってしまいました。

 こんな日は、かえって気持ちが滅入るものです。こんな日は、思いっきり仕事をするか、全く仕事から離れるかした方がいいようです。

 写真は庫裡の屋根から撮影して参道。そろそろ、刈り込みが必要になっている芝ですが、写真で見ると、結構いい感じ。もうちょっと我慢できそうかな? f(^_^)
2015年9月11日(金)
 各地で集中豪雨による川の決壊で、甚大な被害が出ています。被害に遭われた皆様にはお見舞い申し上げます。
 水が豊富な日本。大きなメリットがありますが、反面、大きなリスクを抱えていることも事実です。世界有数の治水の設備も、時として全く間に合わないことがあります。
 近くの西川沿いの道路に救急車とパトカー。「まさか・・・・。」一瞬ドキッとしましたが、野焼きの注意のようでした。 「ここだけ(私だけ)は大丈夫。」という油断は、禁物。 聞き流していた、テレビの声も、真摯に聞いていかなければならないようです。
2015年9月10日(木)
 大正生まれの女性。座れなくなったけれど、別段に痛いところはなし。内蔵も問題なし。認知症は?これも問題なし。
 家族に囲まれた生活では、自分の事は全部、自分で出来ます。家事の手伝いも畑もOK。  でも、「人は、元気だ、若いというけれど・・・・同級生が誰もいない・・・・」 時々、愚痴、弱音が出るけれど、与えられた人生。ご縁をしっかり受け止めて生活しておられます。
 百年生きれば、喜びは百年分。悲しみも百年分。ご苦労も、苦しみも百年分。
 

 本堂前にコケが生えてきました。所々、虫に食べられたような穴。虫が食べたのなら人間も食べられる・・・・とはかぎりません。でも、食べてみたい衝動に駆られています。
2015年9月9日(水)
 台風18号上陸。広い範囲で激しい雨 土砂災害などの警戒が必要 とのことです。写真は夕方の6時過ぎ。西の空は晴れ、それ以外は真っ黒な雲。いつもと違う風向き。ちょっと気持ち悪い夕暮れ時の光景です。

  「昨日と同じ今日。今日と同じ明日」 
 「諸行は無常」というお釈迦さまの教えを聞いていながら、ふと、そんな事を考えてします。「せめて」などという副詞まで付けたりして・・・・。なんとも厚かましい生き方をしていることか・・・・・。

 明日から地蔵堂地区八ヶ所の回檀が始まります。9月、10月、11月と順次、回檀に伺いますのでよろしくお願いいたします。
 
2015年9月8日(火)
 「多少の混乱」とは混乱が多いのか少ないのか? 常識的な用例では少ないということになるのですが・・・。

 辞書によると多少とは
(1)多いことと少ないこと。また、多いか少ないかの程度。
(2)ちょっとした分量。少しであること。
(3)(「少」は助字)多いこと。

 量的にもかなりアバウトですが、意味はもっとアバウトになっています。益々、意味不明?
 どうも、今昔物語の時代は多いということ重きがありましたが、近年の用例では少ない方に重きがおかれるようになってきたようです。
 大切な事を脇に置き、どうでもいいことを頑張る。人間の変化と似ているように思います。

 燕市地内の農家では、待っていた、晴れ間を利用して稲刈りが行われていました。待っていたのは農家の人たちだけでなかった様です。
2015年9月7日(月)
 一般的に「無学」ということは、学問知識がないという意味です。理解するに必要な知識がない、ものの道理を知らないという意味になります。
 ところが仏教で「無学」とは「学ぶべき事は学びつくし学ぶべきことが何もない」という意味になります。「無学なもので申し訳ありません」とへりくだって使う言葉が、全く逆さの意味になってしまっているということのなります。 一方、学ぶべきものが残っていることを「有学」といいます。生涯、有学の精神を貫きたいものです。

 ただ、説明なしに「無学・有学」を使うと、聞きてに多少の混乱が生じますので、お気を付けください。 
2015年9月6日(日)
 今日も雨。農家のため息が空いっぱいに広がり、余計に雨が降っているかのようです。ぬかるんだ田んぼの稲刈りは、手間ばかり掛かって、なかなか進まないとのことです。 道路には、田んぼで繰り広げられた激戦の名残が見受けられました。

 「最近十歳若返りました。六十歳になったのに五十肩。(^^ゞ 」 そんな事をいうと、一瞬ビックリされたような顔をして、その後はニンマリ(^_^) そんな若返りは、さすがに誰も「うらやましい」とはおっしゃりません。 そんな冗談を言わなければならないほど・・・・・かなり きています。 (^^; ....  「気持ちは若ぶっても、もう歳なんだから気をつけなさい!」 体が注意してくれています。 m(_ _)m
2015年9月5日(土)
 御門徒さんの赤ちゃんは明日から「離乳食」を始めるとのことでした。初めて、離乳食を口にしたときの赤ちゃんの表情は絶好のシャッターチャンス。

 赤ちゃんは、様々な愛くるしい表情を私たちに見せてくれます。 言葉で、表現できない分を「顔の表情、全身を使った身振り」で周りの人たちに、表現し伝えようとしています。 
 やがて言葉が自由に使えるようになると、反比例のように段々の表情が乏しくなってきます。やがて、60歳も過ぎると使える表情は「すまし顔、にが笑い、ムッとした顔」の三種類。 赤ちゃんから顔の表情の使い方を学ぶ必要があるようです。

 追記 かわいいお年寄りっていらっしゃいますよね。そういえば、顔の表情が豊かです。
2015年9月4日(金)
 70代女性の葬儀でした。ご主人を亡くされてからは病気がちに。ここ数年は入退院を繰り返されておられました。春先からは、体調が悪いにもかかわらず、「こうやって生かされていることが幸せ」と頻繁におっしゃっておられました。何の不足も心配もない生活が幸せとは限らないようです。

 大門正面の松がなくなってからは、大蓮寺の象徴?ともなったメタセコイアの大木。1939年に関西地方で化石として発見。当初、「化石」として発見されたため絶滅種されたました、1945年に中国で存在が確認され、「生きている化石」とも呼ばれているそうです。
 問題は、樹高は生長すると高さ25-30m直径1.5 mの巨木になること。幹の芯は止めてあるのですが、枝がドンドン上に・・・・。もっと問題なのは根っこ。これはそう簡単に対応はできないようです。 このままにしておくことも出来ず、造園屋さんにお願いするか、思い切って木挽(こび)きさんにお願いするか・・・。迷うところです。
2015年9月3日(木)
 午前中は長岡市の鰐口、竹森、小豆曽根の回檀でした。これから三ヶ月はいよいよ回檀シーズンが始まります。順次ご案内を差し上げますのでよろしくお願いします。
 午後は新潟市への法務。途中、ガソリンが少なくなっていることに気付き、初めてのスタンドに立ち寄り生ました。エンジンを止め、給油口を開いているのに誰も来ない・・・。セルフ形式のスタンドでした。セルフ形式のスタンドは初めてだったので、多少は面食らいましたが、どうにか備え付けの説明を見ながら給油することが出来ました。若かければ説明をパッと見てしていたことが、歳を重ねると一つ一つの確認が必要です。 歳を重ねるという事は実に有り難いことです。
2015年9月2日(水)
 午後からの雨に晴れ間を見ながらの稲刈りが始まっていました。稲作農家の空を見上げてのため息。天に届いたようです。

 昨日今日と教区講習会(真宗佛光寺派新潟教区主催)に行ってきました。1日の昼過ぎから、2日のお昼間まで。 ほぼ丸一日の長丁場の講習会でした。幾つになっても、生涯ズッと勉強。(^_^)/  ただ、効率が段々と悪くなることは否めないようです。  (^^; ....
2015年9月1日(火)
 余裕を持ったカバンを買ったはずなの、にいつの間にかパンパン。仕方がないので、もう少し大きいカバンを買ったのに、いつの間にかギッシリ。そんな経験ありませんか?ということで、30日に紹介したカバンは基本的に同じ大きさのカバンにすることにしています。
 近年、収納スペースを多く取った住宅が建てられていいます。結果、収納に余裕が出来たかというと、不必要らしいものでギッシリ。 そこで、生活空間を広く取り、収納スペースを狭くした、住宅が建てられるようになって来たとか。必要のないものは、買わない、取っておかないということを前提とした住宅なのだそうです。

 あれほど願っていたことが叶うと、次の願いが出てきます。ひょっとして、次の願いが叶うと、また次の願い・・・・・。余裕のある人生を過ごしたいと思いながらも、裏腹に、人間のカバンはふたが閉まらないほど、いつもパンパンなようです。
2015年8月31日(月)
   残暑 お見舞い申し上げます
 という、時候の挨拶は今日くらいまでは使えるはずなのですが、すっかり秋になってしまいました。日照不足、秋雨前線の停滞で、野菜、米の収穫に大きな影響が出ているようです。
 それでも、気温は別として残暑らしい我が家の状況。朝顔が咲き、鈴虫が鳴く。そして、一番存在感があるのがヤブ蚊  (-_-;) まだ、頑張っておられます。そして、もう少しするとヤブ蚊は車内蚊に・・・・。 「そんなに頑張らなくていいんだよ」 優しく声をかけも無駄でしょうね。(^^ゞ
2015年8月30日(日)
 法務に行くときは必ずお供をしてくれるミニダレスのカバン。使いやすいので、ただ今これが二代目。このカバンのバックルが不具合で急に閉まりにくくなってしまいました。f(^_^)
 あれこれ調整(いじり回した)すると、閉まりやすくはなったのですが、開きにくくなってしまいました。 (-_-;)
 
閉まりにくいカバンより、開きにくいカバンの方断然使いにくくなってしまいました。(本来、比較することではないのですが・・)
 再びの調整で、以前のように開閉するようになったのですが、原因は不明。原因が不明ということは、再び開閉不都合が出る恐れがあり、対処法務も不明ということになります。
 ある男性言わく、バックルのように、単純な構造であればあるほど、調整はデリケートなのだそうです。 だとすれば、人生の中での、単純明快なことほどデリケートな扱いを心がける必要があるようです。
2015年8月29日(土)
 「落研県央 旗揚げ公演 若きアマチュアの落語会in燕」
に行ってきました。会場の燕市文化会館 大ホールは満席。友人の長男も出演していたので、ホッとしました。
 出演者の半数は十代。 県外勢は全員、全国大会優勝経験者とあって、ハイレベル?な落語を聞かせてもらいましたが、二時間半も笑うと・・・・・笑いじわ、笑い疲れが出てきたようでが、現実から離れたゆったりとした時間を過ごさせてもらいました。

 今日から稲刈りを予定していた農家も多いようでしたが、午前中の雨で出鼻をくじかれた様子。明日の天気も・・・・。照る照る坊主を本当に造ろうかと考えている農家も・・・。ただし、孫さんと一緒に造るのだそうです。「天気と孫だけは・・・」農家のご主人の独り言。
2015年8月28日(金)
 大正15年生まれ、いつも明るく笑顔が素敵な90歳、女性の葬儀でした。この女性の父親は亡くなられたのは、同じ大正15年、20歳の時だったそうです。女性は生後百日ほどで、勿論、父親の顔は知るよしもありません。激動の昭和を女性のお婿さんが来られるまでの間、女性だけで家を守られて来られたとのこと。大変なご苦労があったとのこと。 だからこそ、笑顔の価値を知っておられたのではないでしょうか?

 写真は、私の百日目の写真。レンズのこっち側には、父親、母親、姉、兄がいたはず。みんなどんな顔をしてたんでしょうね。

 「私の 誕生を 泣いて 喜んでくれた
  人がいた そのことだけで
  私は   生きていける」
         本山佛光寺 掲示板より
 
2015年8月27日(木)
 毎朝6時前。毎朝来てくれる新聞屋さん。毎朝の梵鐘を突いているときに、たまたまのタイミングですが、見かけることはしばしば。 そんな時はお互いに軽く会釈。 でも、遠目でしかもヘルメット姿。お顔は知りません。
 毎日、新聞を届けてもらいお世話になっているのに、お顔を知らない。どこに住んでおられるのかも知らない。どこかですれ違っても、絶対気が付かないはず。ちょっと、不思議な気がします。
 でも、気が付かないだけでそんなこと、いくらでもあることなのかも知れません。先輩たちはそんな事を「お陰様」と言っておられたのです。
2015年8月26日(水)
 今日は午後から公務の研修会と会議。久しぶりに出席できました。この、公務に就いてから27年。ベテランと呼ばれるようになっていても、公務仲間の経験談を聞くとまだまだ新前ということを思い知らされます。気持ちも働きも、「まだまだ新前」。これでいいのかと思います。それでなくてはならないと思います。

 「リーン リーン」 新前の鈴虫が、小さい声で鳴いています。羽をを上に伸ばしきらずに鳴く姿は、思わずかけ声を・・・・「ガンバ」。  朝晩がドンドン涼しくなってきています。
2015年8月25日(火)
 早朝 五時過ぎ。法務の途中で見かけた朝日です。北西向きの私の部屋からは見ることの出来ない朝焼けの様子でした。さぁ、日の出は一日の始まりです。

 日々の始まりは、終わりにまた一歩近づいたということ。私が迎えた一日の始まりの「今」は、また、これから人生を終えようとされている方の「今」でもあるのです。
 人はなぜ日の出夕日に手を合わせるのでしょう。
2015年8月24日(月)
 御門徒さんの奥さんが今日は在宅。7月で惜しまれながらも、満期退職されたとのことでした。「もうちょっと」とも、声をかけてもらったのですが、お務めでできなかった家のことがやりたいと退職されたのだそうです。・・・・が
 今は、やりたいことどころか、今迄やれていたことも、できていないことがあるとか。主婦業を全うするには、お務め以上に覚悟は必要な様です。

 写真右側の薄紫の花は擬宝珠(ぎぼし)。そろそろ、終わりに近づいているようです。この花も長く咲いていてくれて、中庭の大事なアクセントになっています。ただ、主に葉が観賞用ということで、花はおまけ的存在とのこと。結構、かわいい花なんですけどね?
2015年8月23日(日)
 近所の庭に咲いているサルスベリ。7月8月9月とおおよそ百日咲いていることから百日紅の別名で呼ばれることもありまが、ミソハギ科、サルスベリ族、サルスベリということでサルスベリが正式名称になります。開花はおよそ三ヶ月ということですので、人間に例えると開花年齢は、私と同じ終盤戦の60歳ちょっとというところでしょうか。道理で、よく見ると所々花びらの変色が見られますがまだまだ現役。終盤戦のガンバリを見習わなければ・・・・・。

 百歳で亡くなられた女性の一周忌法要でした。本来、今年の初旬に百歳のお祝いをされる予定だったこともあり、百歳の記念品をいただきました。桐に蒔絵がほどこされた「年輪」という商品名の素敵な桐箱でした。大切に使わせていただきます。
 樹木は毎年、毎年、歳を追うごとに年輪を重ねていきます。せめて、歳を追うごとに目減りしないような人生を歩みたいものです。
2015年8月22日(土)
 雨の心配もなく無事に納骨ができました。私を含め、ご家族も昨日から、傘の用意、代表納骨など、様々な心配をされておられたようです。当然、準備は必要としても、心配はしてもしなくても、天候は変わらない。当たり前なことですが、それでも、それでも人間は心配し憂いてしまう。そんな事を十分に織り込んでの人生を過ごせたらいいのですが・・・。
 写真は去年の今日の温度。まだまだ、熱中症は油断はできません。
2015年8月21日(金)
 シトシト シメシメ まるで梅雨の時季ような一日。ただ、田んぼの様子はまさに晩夏。毎日少しずつ黄色みを増している稲穂(手前の黄色みが多いのは早稲品種)です。
 田んぼの土の硬さは稲刈りの効率を左右します。「こんなに雨が降るのだったら、早く田んぼの水を抜いておくんだった。(-_-;) 」と農家のご主人。
 明日の法要は、納骨も予定されているのですが、今日と同じで雨の予報。
 自然は人間の都合には応えてくれません。 
2015年8月20日(木)
 朝晩は急に涼しくなってきました。今年は半分諦めていた鈴虫も、今日から鳴き始めました。写真の鈴虫が鳴き始めるには、脱皮が必要です。
 動物には脱皮を繰り返して成長するものと、昆虫のように脱皮をすることで劇的に形が変わるものがあります。特にセミ・トンボなどは土中、水中から一気に空を飛ぶことになるのですから、仮面ライダーの「変~身」など遠く及ばないところです。
 人は、何かしら変身(転身)願望があるとか?背景には、「もしもあの時・・・」と、「有ったかも知れないもう一つ人生」を追い求め、他人をうらやんでしまうということがあるのだそうです。
 人間が、ささやかな変身を遂げることができるとすれば、昆虫の脱皮のように、女性が母親になるため出産をするように、いのちをかけたリスクが必要なのかも知れません。 その点男性は・・・・・・ (-_-;)  
2015年8月19日(水)
 「貧しさとは 物のない状態を いうのではない 与えられてある物が
  受けとれず ないものばかりに 目を向ける 心の内にある」
                            本山佛光寺 掲示板より


 本山佛光寺の「掲示伝道」をまとめたものが学研より出版されました。写真と共に66の標語が掲載されています。この掲示伝道(八行標語)は、若者が使うSNSでの話題が発端となり、新聞、テレビで反響を呼び、出版ということになったのだそうです。初版は3日間で完売とか?すごいことになっているようです。 (ё_ё)

それにしても佛光寺が全国的なマスコミの話題になるのは、何年ぶりだろう?
2015年8月18日(火)
 近所の農家からコンバインのエンジンの音。もう稲刈り? 農舎の中の機械の入れ替えと稲刈りに使うコンバインなどの農業機械の点検とのことでした。後、10日もすれば稲刈りが始まるそうです。
 稲作農家の大きな作業は田植えと稲刈り。この田植えと稲刈りは始まってしまえば、時間と天候との勝負。でも、この勝負を支えるのは、十分な時間をかけた、農業機械の点検を含んだ下準備。稲作農家の気持ちの上では、稲刈りはもう始まっているようです。
2015年8月17日(月)
 お盆に入って、日没も早くなり、めっきり朝晩が涼しくなりました。セミの鳴き声もアブラゼミからツクツクホーシに変わってきています。
 境内のあちこちに、わずか一週間?ですが命の限りを燃やしたアブラゼミの亡骸が落ちています。 という小生も、セミほどにはとうてい及びませんが、お盆の準備、お盆で過ごした一ヶ月の疲れが出てきたようです。夏バテは涼しくなってから出て来るとか?ご自愛下さい。
2015年8月16日(日)
 今年は早い時期からの猛暑ということで、日記は三ヶ月の夏休みをいただきました。(^^ゞ お盆が終わり、つかの間の帰省を果たした皆さんも明日から出勤という方も多いことと思います。
 毎年見られる、新幹線ホームでのテレビのインタビュー。「お盆はいかがでしたか?」という質問に大人は「のんびり過ごしました。」子どもさんは「楽しかったo(^-^)o」とテレビの期待通りの返答。
 でも、せっかくお盆の帰省だったのですから、「ふるさとのお仏壇にお参りして、身の引き締まる思いがしました。お墓参りをして、先祖のご苦労に思いを致しておりました。」という返答が一人くらいあっても良いと思うのですが・・・・。(ひょっとして、テレビ番組作成の意図と違うためボツになっているのかも?)

 田んぼの穂が出てきました。今月末には稲刈りが始まることと思います。農家のご苦労と引き替えた、美味しい新米が楽しみです。 田んぼの真ん中にビニールでできたトラ。かかしの代わりになるのだそうですが効果の程は・・?
 田んぼでは端に追いやられたかかしと真ん中にいるトラとがにらみ合い。お互いの存亡をかけた真剣勝負が行われていました。
2015年5月22日(金)
 弥彦村麓 広福寺さまで佛光寺派新潟教区主催の「布教大会」が開かれました。若手・中堅・ベテランの三者のお説教を聞かせていただきました。人の話を聞くことは楽しくもありシンドイ。でも、確実に刺激を頂いたようです。ありがとうございました。
 天気の日は数時間ずつ外仕事。いつまで経っても「これでいい」ということがないのが庭の掃除。「色が付いたね。ゴルフ行ったかね?」とは近所のお父さん。なにせ「陽に焼けやすく、取れにくい」という特異体質なのでしかたありません。でも、単に色黒という方も・・・・。^-^;
2015年5月5日(火)
 大型連休も残すところ後わずか。好天で順調に進んだ田植えで近郷の田んぼは薄緑色になってきました。半月もしないうちに、辺り一面は鮮やかな緑色になるはずです。
 今日は5月5日のこどもの日。この日は未だに後ろめたさを感じる日でもあります。 今年も庫裡(くり)の避雷針に鯉のぼりを繋ぎました。親の都合で、何処へも連れて行ってもらえない子どもたち、何処にも子どもを連れて行けない親たち。 そんな人たちが、少しでもこどもの日気分を感じてもらえたら幸いです。 それにしても、こどもの日でも、鯉のぼりを見かけることが少なくなりました。
2015年5月1日(金)
 新年度から一ヶ月。もう五月になってしまいました。
 近郷では田植えが始まっています。やがて、家族総出の田植えが行われ、夜ともなれば、水の張られた田んぼでは、カエルの合唱が聞こえてきます。田んぼが一年で一番にぎやかな季節です。 国上山も若草色に変わってきました。5月は何もない処が一番に素敵なシーズンを迎えます。 人生も変わった事が何もない毎日が一番に特別なことかもしれません。