2010年2月28日(日)
 明日はバンクーバー五輪の閉会式。ここ半月間は、オリンピック関連とトヨタのNews報道ばかり。 オリンピック前は、朝青龍・小沢さんの報道ばかりだったのに・・・・朝青龍・小沢さんはお元気なのでしょうか? 今、気がついたのですが・・・日記を書かなくなったのもその頃からでした (*^^*)) 思いはバンクーバーに飛んでいて、足元を忘れた、半月だったようです。 明日からは早くも三月なのです。(^^)/  
 本堂前に雪だるま(*^_^*) でなくて、いわゆる「なで
(本堂屋根から落ちてきた雪)」の残がいです。思いつくと、少しずつ削って溶かしてはいたのですが、中心部は未だに硬く締まった氷の状態。(^^; .... でも、暖かくなれば一気に溶け出すことでしょう。本堂前の松の葉も自然に溶けてくれたら良いのですが・・・・・。 (-_-;)  
2010年2月27日(土)
 毎晩脳裏をかすめてはいるのですが、半月も時間が過ぎると日記を書かないことが日常になってしまいます。(^^ゞ 元気にしていたのですが、「除雪の疲れが出ていたもので・・・・」とは言い訳にはなりませんね。人間は何処までも「楽ちん」を肯定しようとするものの様です。(-_-;)
 吹きさらしの西川の河川敷も雪が少なくなって来ました。「雪が無くなるのはうれしいけど・・・。雪が無くなると畑仕事がね・・・・」と指先がしびれるように冷たくなる、春先の草取りがお母さんたちを待っています。
 3月は本山布教(お使僧)・彼岸など寺の行事が続きます。誘い合わせてご参詣下さい。
2010年2月12日(金)
 関西のある企業の新任研修は、新入社員に一日中、大きな穴の掘り戻しを繰り返すのだそうです。その目的は、意味のない労働の辛さを身をもって教えるためなのだそうです。
 中途半端な雪が数日続いています。ほっといてもすぐに消えてしまうほど少ない積雪量ではなく、かといって、除雪をあきらめるほどの積雪量でもありません。平日という事で、空き時間が有り、結局は三日連続の除雪になってしまいました。 普段の運動不足は少しは解消された様ですが、体はヨレヨレ。
 「意味のない労働」はないと思うのですが、朝の新雪を見ると・・・・。(-_-;) 明日の朝が・・・・楽しみです。 (;^_^A  、
2010年2月9日(火)
 大雪も幾つか目の一山を越えたようです。今日の雨で、境内の雪はだいぶ消えましたが、この雨がもしも雪だったらと思うと・・・・。今冬は後、幾山あるのでしょうか?
 雪で人間はウンザリしていても、元気を出していたのは我が家のウサギ。普段はゲージの中の生活ですが、野生の本能を取り戻した様です。
 野生には「人が教育などによって整えられたりせず自然のままの状態で育つこと。」という意味があるとのことです。 か弱いウサギに生命のたくましさを感じた瞬間でした。
2010年2月4日(木)
 県都では49センチの積雪で、交通機関に大きな影響があったとのこと。写真は、私用で出かけた新潟市亀田駅前。分水地区よりかなり雪が多いようです。消防署の署員が消火栓の掘り出しをしていました。どんなに多い雪でも。春になれば消えてしまう雪ですが、それまで待っていることの出来ないことは沢山あるようです。
 県都では、まだ大雪警報が出されていて、段々と南下するとのこと。明朝の積雪と空模様が気になります。
 今日は暦のうえでは立春。でも、雪国は冬の真っ最中です。
2010年2月2日(火)
 毎月2日は、少し遠めの月命日の法務がある日。昨晩のぼた雪で今朝の積雪を心配したのですが、順調に法務を回ることが出来ました。道路に積雪がないだけで、余計な疲れもなく、有り難いものです。でも、積雪でもあろうものなら、気分は・・・・・・。結局は、有り難いというは、自分にとって都合が良いという意味の置き換えの言葉でしか使っていないようです。
 早朝。細い枝にまで雪が付いた光景は、雪が少しだけ降り、しかも寒い日でないと見ることができません。ダイヤモンド ダストにはかないませんが、これはこれで雪国の美しい光景であることには違いありません。
2010年1月30日(土)
 寺泊敦ヶ曽根地区では、中越沖地震で崩壊した「観音堂」が完成しました。地震以後、集会場、神社の修復を済ませ、地域としては最後の仕事だそうで、自治会長を始め皆さん安堵の様子が伺われました。でも、個人のお宅単位としては、完全復旧に至ってはいないとのことでした。大蓮寺の本堂でも、地震の影響で、気になるところが多々見ることができます。

 当院が京都から帰ってきたら、場合によっては当院に留守番をしてもらい、ちょっと息抜き・・・。と期待していたのですが、そうはうまく行かないようです。当院は法務で今日から四日ほど留守をしています。当院の本山(京都)へ行かなければならない予定を見ると・・・。まだまだ、私の留守番の機会が多くありそうです。 
2010年1月24日(日)
 「なぜ 足がしびれるの?」と朝のTV放送中の一言。最近、少々メタボ気味になってしまい、正座での足のしびれが気になる小生。当然、小生が知りたかったのは、「しびれの切れない、最善の座り方AND治し方」 でも、放送された内容は、足のしびれる体の仕組み。 (;^_^A
 とかく、「自分の都合のいい事を聞きたい。自分の都合の良いことを話したい。」というのが人間関係の常。「聞きたいこと」「話したいこと」にはかなりギャップがあるようです。
 写真は御門徒さんの雪に埋まった庭。私の所の庭だったら「何時になったら雪が無くなるのか?」と心配でため息が出るのでが、他所の庭だと白い雪の美しさにため息。同じため息でも・・・・。 やっぱり自分の都合しか考えていない小生です。
2010年1月23日(土)
 真宗寺院の本尊は阿弥陀仏。本尊とは並ぶもののない本当に尊いものという意味です。つまり、「これ一つ」という中心になるもので、これさえ明確になっていれば、ぶれることはないはず。もしも、ぶれたとしても、すぐに本道に帰ることが出来ます。
 現代人は本尊が多すぎて・・・・・・。本道に帰るどころか益々迷子のになっているようです。昨日の予算委員会を見ていて、ふとそんな事を思ってしまいました。

 上越市高田地区では、4年ぶりに一斉雪下ろしがあったとのことです。まだまだ、冬の真っ最中ですが、今年の雪の特徴はボタボタ雪で重いこと。気象庁の暖冬の予報は、案外と的中しているのかもしれませんね。
 田んぼの真ん中の桜の木。硬い芽が出ていて、まだまだ先の春を待ちきれないようです。明日も雪交じりの時雨れた天気なんだそうです。
2010年1月20日(水)
 「大寒なのにポカポカ」とは全国ニュース。新潟県内も暖かな一日だったとのことですが、体感的には(ё_ё) するような感じではありませんでした。その原因は、本堂裏の雪。本堂と竹藪に挟まれ、年中日陰の場所。本堂かの屋根から落ちてきた雪は、所によっては身の丈ほどもあります。 これからこの雪が段々少なくなるのか?もっと増えるのか? これからの天候次第です。20年ほど前は5月の連休まで残っていたこの雪でした。最近は3月中に消えてしまうことが多くなりました。やっぱり、雪が少なくなって来ているのですね。
 この雪の上を通った風が本堂の床下に・・・・・?本堂が寒いのは・・・この雪の影響達多のでしょうか?
2010年1月16日(土)
 寒くても晴天の天気は気持ちがいいものです。日差しがあれば、肺の中に入ってくる冷たい空気も清々しい。 雪が降っていなければ、体が濡れることもない。カチカチに凍った圧雪の道路でも、思わず鼻歌が出が・・。と自分に言い聞かせながら、寒さに耐える一日でした。(-_-;)

 「冬のこの寒さと雪には幾つになっても慣れない。」とは老年の男性の言葉。大抵のことは、当たり前とすぐに納得して当たり前になってしまうのに・・・。不思議です?
2010年1月13日(水)

 朝の強風の後は積雪。大変な一日でした。 近年、風が強いとJR越後線は運転見合わせ、運休が多くなりました。朝の強風で赤塚付近では、電車が立往生。電車に乗っている人は大変だったでしょうね。
 明日も、新潟市内へ法務で出かける事になっています。気温と積雪が気になります。

 ところで、弁慶が全身に矢を受けて立ったまま死んだ様子が立ち往生ということで、現代では「往生」は人の死か困りはてて動きがとれない様子を意味します。
 でも、親鸞聖人は自我を中心とした自分の都合を生きるのでなく、浄土の尽日に照らされ、賜った命に目覚め生きていく人生の自覚を「浄土往生」とい言われています。 本来「往生」とは死ぬとか困るという事ではないのです。

2010年1月12日(火)
 昨年末に頼まれていた御門徒さんの過去帳の整理。やっと取りかかることにしました。
 大蓮寺の過去帳は全部で四冊。数回の火事で焼けてしまったとのことですが、現在は宝暦13年(1763)からが残っています。約250年分という事で、歴代の住職が書き続けたもの。額にして飾っておきたいような字もあれば、せめて、読める字をと思うことも・・・(;^_^A 結構、墨字の判読は大変なんです。
 過去帳は、基本的には亡くなられた方の名簿。でも、見方を変えれば、ご苦労された方々のいのちの名簿であり、自分のいのちの本籍でもあるのです。 
2010年1月11日(月)
 一月としては暖かい一日。夕方にはアルプスが綺麗に見えていました。・・・・と1月も中旬になって、周りを見渡す余裕がやっと出てきました。
 一年の計を考える余裕もない一年のスタートになってしまいました。辞書によると余裕とは「必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。」とのことです。小生の場合、時間の限度よりも、気持ちの限度のほうに問題があるようです。 
2010年1月9日(土)
 近所の田んぼでは多くの白鳥が餌探し。近年毎年のことなので、本来なら、気にもとめないところですが、今年はちょっと違います。あの中にちょっと小さくて、顔が赤いのはいないかな?(ё_ё) 年末から正月にかけては朱鷺の居場所が聞こえてこないので、ひょっとしての期待感。(*^_^*) 写真を撮って、家で子細に調べましたが、残念ながらいませんでした。(^^ゞ  聞くところによると、朱鷺を見つける方法があるのだそうです。「たんぼ道での自動車の不自然な渋滞」なんだそうです。「少しでも早くみたい」というのは野次馬根性なのでしょうか?いつの日か群れを為す、朱鷺を見ても気に留まらない日が来ることと思います。
2010年1月8日(金)
 関東では元旦より七日までが松の内。七日正月が過ぎると、生活を日常に切り替えるということのようです。新学期が1月8日から始まるのはその習慣からなのだそうです。一方、関西では小正月の15日になると正月飾りを外し正月が終わる。ここ新潟では、関東、関西の両方の文化の影響を受けているようです。元々、新潟は北陸つながりで、関西の文化圏だったのが、上越線(在来線)の開通で関東文化圏になったとか?
 以前は交通機関が文化圏に強い影響力があったのですが、今はマスコミなのでしょうか? 次々と仏事等の目新しい常識が増えていて、私たちも面食らうことが少なくありません。止めどもなく増え続ける新しい常識の心を問い直す必要があるようです。
 1日のタヌキに続いてみそさざい?の来訪がありました。一番奥の客殿にいたのですが、どこから入ったか・・・・未だに不明です。
2010年1月7日(木)
 年末に降った重たい雪はほとんど消えたのですが、道路の除雪で固まった雪は所々に残っています。アーチ状に残った用水路の上の雪。もしも子供が上がったら危険! という事で、足で崩すことにしました。端は崩したのですが、中央はかなり硬くなっていて崩すことが出来ません。思い出したのは子供の頃の凍み渡り「もしかして、この雪の上に上がれるかも? (ё_ё)」 でも、お衣姿で用水路にはまっている姿を想像して凍み渡りの挑戦はやめておきました。 危険ということでも、年齢に関係ないようです。
2010年1月6日(水)
 春から秋にかけて使う茶の間。普段、よくおいでのお客様でも、知っているのはここまで。奥のふすまの向こうを見たことがない方も多いはず。奥のふすまを外すのは、広い部屋を必要とするときくらいで、数年に一回くらい。遠慮されているのか、気にしていないのか、意外と「この奥はどうなっている?」という人は少ないんですよね。
 
 今日は日記の愛読者(^^ゞの為に特別公開。ココをクリックして下さい。ふすまの奥に廊下があるはずもなく、やっぱり部屋なのでした。(*^_^*)
2010年1月5日(火)
 正月の1日2日は300人ほどの年始のお客様がいらしゃいます。毎年は朝、6時の勤行に合わせていらっしゃる方が数人。今年の一番乗りは、なんと泊まりがけ。 廊下の下にある炭入れで二年参りでした。
 毎年、春先に姿を見せるタヌキ? 毛が抜けて、弱っているようだったので、そのままにしておいたのですが、いつの間にかいなくなっていました。この寒空に何処にいるのか? 今年も、春の訪れと共に、元気な姿を見せてくれたらいいのですが・・・・・。
2010年1月4日(月)
 中島に嫁がれて60年。女性の葬儀でした。 4年前に亡くなられたご主人と共に、寺のあらゆる行事で、長年お世話になっていました。長い間、有り難うございました。
 葬儀は亡くなられたご主人と同様に通いなれた大蓮寺でとりおこなわれました。出棺の時はあいにくの雪でしたが、多くの会葬者で玄関前はぎっしり。人柄が偲ばれる葬儀でした。
 昨日の日記は・・・。私も昨日のお通夜で人柄を偲びすぎて、アルコール値が限界になり休ませてもらいました。やっぱりアルコールは苦手です。
2010年1月2日(土)
 今年も多くの方が除夜の鐘に来られました。特に最近はご家族で来られる方が多くなったように思います。 除夜の鐘は、中国宋(そう)代から始まったとされています。12月31日(旧暦30日)大晦日(おおみそか)の夜半から元日にかけて、梵鐘(ぼんしょう)を108回つきます。108とは、人間の煩悩の数を表し、梵鍾をつくことにより、その煩悩を除くことを願うというものです。 ただ、私たちの煩悩は、梵鍾をついただけで、除かれるような、やわな煩悩ではないようです。むしろ、梵鍾をつくことにより、私たちの日頃の煩悩を再確認するという意味合いの方が正解ではないでしょうか?
2010年1月1日(金)
 大荒れの一日。多くの方々より年始の挨拶に来ていただきありがとうございました。m(_ _)m

 大晦日から元旦は人間の生活にとって大きな行事であり節目です。でも自然の営みは継ぎ目なく流れ続けているのです。そして、人間の命の営みも実は、行事・節目などの人間の都合に関係なく自然に流れ続けているのです。 そんな事を知らされた一日でした。