2000.2.13
「同棲っていうより、合宿なの」って。

何日か前に大降雪。
それでもやることなくて営業に出ていた私は開かない自動ドアにやたらと出くわす。
凍り付いて開かないものと思っていたのだが、3件目で意を決して聞いてみると、

「寒すぎてセンサーが働かないのよ」

っていうか、政府もさ、駄目なものには駄目ってちゃんといってやんなきゃだめよ。
ほっておくとニンゲンってどんなトコロにも住んじゃうんだから。
というわけで、来年度から北陸地域は立ち入り禁止。

で、イシハラ外形標準。
なんというか、めちゃくちゃだけど、イシハラの意図はわからんでもないね。
あとはポピュリズムな連中に事態を持っていかれないように注意が必要というところか。
けど、各所に格好のいい訳を提供する形になるのはイシハラは承知か?
という訳で、銀行株、チャート睨んで中期の利鞘取るが吉。
三和銀を押目買い推奨。
万が一合併に踏み切ってしまっても、格好の利食いの場面。

久しぶりに、ホントに久しぶりにテレビ見たら、古館の番組にモモイ登場。
あの、いい加減さがなんとも、ああ、なんとも言えん。
ニンゲン、機能的に生きることがどれだけ素敵なことか、モモイ見ると、ホントにそう思う。
ジンセイについてはそれぞれの家で片づけてきてよ、って、素晴らしい。
開けるつもりの無いカティーサークを開けちまった。
畜生、また、足一歩踏み入れちゃったよ。
やれやれ。
仕事は猛烈な逆風だってのに。


っていうか、風呂入り過ぎ。
今月ガス代、1万円也。














2000.1.22
「知恵熱、でた」って。

日債銀経営陣裁判について。
酷い。
酷すぎ。
粉飾決算とやらが問題にされているのかも知れんが、経営責任とやらの名のもとに、究極的には「無能であることの罪」「無知であったことの罪」で裁かれようとしている。
アメリカの貯蓄組合の破綻処理からの間違いだらけの引用はもう飽きたよ。
我々は無能であることに対しては、寛容であるべきであると思う。
邪であることに対して、非情であるべきであると思う。
自己責任だか競争社会だかしらんが、ただアホであるというだけで法のもとに裁かれるような社会において、我々の居場所はどこにあるというのか。
民族浄化とか、人民裁判とか、優生思想とか、えっと、こういうのなんていうの?
国民の血税、云々いう首のすわってない奴もいるかもしれんが、じゃあ、あんたの会社にいる大馬鹿な上司を裁判にかけて裁きたいか?
そいつがいることによって組織の効率性が阻害されて、ひいては会社の納税額を減らしていて、結果的にはそいつは何よりも大事な血税を食い物にしている訳だ。
裁くのに十分な理由だろう。
ん?

そういうのは、なんか嫌だ。
















2000.1.16
「リスク背負うのは君なんだよ」って。

たとえば、管理職ユニオン。
ごめんね。
お情けは、健康で文化的な最低限度な生活までって憲法にも書いてあるでしょう。
福祉は俺も欲しいと思うよ。
でも、ホント申し訳ないんだけど、物乞い以外の何者でもないと思う。
っていうか、もっと機能的に生きてみたら楽かな、と。
誰かのプライドとか矜持とかなんて世界にとっては何の意味も持たないわけ。

あるいは、コインランドリー。
金沢は雨が多くて、っていうか、全数雨、って感じで洗濯物が全く乾かないので最近よく行くんですけど、そういうトコロで見掛けるヒトっていうのは、なんというか、圧倒的におんなじ顔してるのね。
多分俺も。
底辺って感じ。

はたまた、ビジョンについて。
そういうものは取締役会だか株主総会だかで決めてくれよ、と。
俺は現場のオペレーションで給料もらってんの、頭脳労働は高給取りがやってくれ、と。
以上でした。
















2000.1.1
「ただ好きなだけが、この手、つなげてるだけ」って。

紅白見る。
加山雄三のエスタブリッシュっぷりに圧倒される。
好みは別にして、ああいう大物が音楽シーンに対して何らの影響力を持たないというのは、なんというか、それはそれで一つの不幸であるように思える。
っていうか、めちゃくちゃ歌うまいじゃん。
カツラかどうかはしらんけど。

浅野忠信『鮫肌男と桃尻娘』見る。
なんか無理して壊しちゃってる。
去年一番、撃たれたことば。

「ちょっと変わった自分を演出するならうまくやれ」

うまくやりな。
監督とか別に普通の人でしょ。
自然に壊れているのは浅野忠信だけ。
あのヒトは本物。

ああ、そうそう、今年も宜しくお願いいたします。

















1999.12.26
「ただ好きなだけじゃ、その手、離れていくだけ」って。

俺がまだ5歳か6歳ぐらいの時、愛知県の岡崎というところに住んでいた。
今はどうなっているのか分からないけれども、その当時は、近くの川でザリガニ獲ったり、草の葉で船作って流して遊んでいられるようなところだった。

俺の原体験は、その時期にすべて出そろう。

うちのマンションには週に何回か、軽トラックが食料品を満載してなにやら売りに来ていた。
たぶんそういうのとは違ったと思うが、ヤマギシ、というのを思い浮かべていただけると非常に理解が早いと思う。
小学校に入る前のガキだった俺は、その軽トラ商店が売っている、ミカンだかサクランボだかのゼリーが食べたくて食べたくて、仕方が無かった。
ある日、意を決して母親に、
「ゼリーが食べたい」
というと、母親は、すぐに1000円札を渡して自分で買ってくるように言ってくれた。
俺にとってその行為は、非常に意外だったことだけを覚えている。
人の中に入っていくのに気後れするガキだった俺は、近所のおばさん連中が買い物を済ませてみんなが帰るのをじっと待っていた。
そろそろ、軽トラのニーちゃんが帰る支度をはじめた時に、俺は、近づいていっておずおずと1000円札を差し出した。
「なにがほしいの?」
腰をかがめて聞いてくれたのを俺は覚えている。
俺は、何も言えなかった。
ゼリーはそこにある。
お金も渡した。
でも、自分が何が欲しいか、いうことはできなかった。
困り果てたニーちゃんは、俺が何かのおつかいで来ているものだと思ったのか、一番売れている1リットルの牛乳パックを俺に持たして、お釣をくれた。
俺は何も言うことができなかった。
家に戻った俺は、自分の部屋で牛乳パックを持ったまま、ただただ泣いた。
見かねた母親は、俺にその牛乳パックで牛乳プリンを作ってくれたが、俺には食べた記憶がない。
















1999.12.9
「ラーメンってきもちいい?」って。

ココ壱番館でカレーを食す。
店の中に入っていくと、まだ10代であろう金髪のニーちゃんがめちゃくちゃな山盛りのトッピングで食べていた。
ざっと見た感じ、ヒトリはカツカレーにチーズ・うずらの卵・野菜・きのこをミックス、トッピングにベーコン・ツナ。
もうヒトリがビーフカレーにロースカツ・フライドチキン・オムレツをミックス、トッピングにコーンと生卵。
皿は両方とも600グラム以上の大皿。
おお、ニーチャン、パチンコでも大勝したのか、って感じ。
そんな若気の至りを尻目に俺はビールとカツカレーを400グラムで食す。
会社帰りのココイチでビールを飲めるなんて結構我ながらいい感じの仕上がり具合だと思う。

で、彼らがふらりと席を立つ。
店員は二人。
ひとりはカツを揚げていて、もうひとりは高く積んだ皿をよろよろと運んでいた。
俺は、一体いくらになるのか興味があったのでビールを飲みながら耳だけをレジの方に向けていたのだが、聞こえたのは自動ドアが開く音。
店を出た瞬間、ひとりは右に、ひとりは左に。
なんというか、本物。
店員は慌てて追いかけて二人とも店から出ていってしまって、なんというか、素人。
店のニンゲンが誰もいなくなってしまうと、意味なくそわそわしたりして、知らない人と目を合わせた後にレジを見たりすると非常にリアルでドキドキしてしまった。




サミュエル・L・ジャクソン「交渉人」見る。
美しいほど完璧。
ティム・ロス「ライアー」、豊川悦司「Lie,lie,Lie」に次ぐ、新たな営業マニュアルとして認定。
『人質事件では絶対に、ノー、というな』
か。
なるほど。
俺としては、ケビン・スペイシーとサミュエル・L・ジャクソンとの純粋メタ的やり取りを延々続けてもらいたい気もしたが、ああいう心理戦を人質事件などというきちんとした結末を求められるオープンシステムでやりきってしまった脚本のすさまじさに感服でした。




で、車で東京帰ってみました。
雪の安房峠を無謀にも軽自動車で走り抜け、八王子に着いた時には懐かしさで泣きそうになりました。
その後、新宿行って紀伊国屋で読み切れないほどの本を買い込んで、タワーレコードにぶらりと入ったら、なんとガンズのライブアルバムを発見して即購入。
これが泣ける。
「NightTrain」で帝王のボーカル、「It's so easy」のよたついたカッコ良すぎるグルーブ、大歓声の中でつま弾かれる「Patiance」。
嗚呼、やっぱり、あんたらはホンモノだったよ。
クレジットを見ると、メンバーとしてアクセル、スラッシュ、ダフ、イジー、スティーブンの五人のみの名前があって涙腺を更に開放。

で、T-zoneの横のベローチェでオレンジジュースのみながら延々本を読む。
なんというか、普通に休日を消費してしまって、ホントに京王線に乗って稲田堤のぼろアパートに帰りたかったが、泣く泣く石川に帰還。

久しぶりに会った友達には、
「まったく何も変わらないな」
茶色の革靴、ジーンズ、ベージュのセーター、カーキーのトレンチコート、ぼろの革のトランク。
ははは。
同じ種類とかじゃなくて全く同一物をいまだに身に付けてる。
そりゃ、変わりようがないわ。




ああ、そうそう、やっぱり思い出横丁は焼けてました。
昼行ったんで、あの、旨い煮キャベツを出してくれる焼き鳥屋は無事なのかどうなのかよく分からなかった。
何というお店か知らないけれども、俺は何回行っても自分で注文することができなかった。
「お、にーちゃん、ネギマ行くかい。こんどはこれ喰いな。このやきとりしってるか?」
と、いわれるがまましか食べさしてくれなかった。
「ん、そろそろやめとくか」
と、いつも締めるのも相手のペースで、最後に煮込みのスープを出されてハイさようなら。
あのころはビールしか飲めなかったけど、もし、今度行く機会があったら、
「おっちゃん、焼酎。色付けてよ」
とか、言っちゃったりしたいです。

というわけで、さらばトキヨ。
また合う日まで。
















1999.11.25
「伝わらないものの道理を伝えようと」って。

俺の人生、転校人生。
転向人生でもある。
天候人生、ん、なんでもいい。

今は、皆殺しモード。
ちょっと前までは、落とし所が見えたら徹底的にやっちまえ的な、ここまでの極道ではなかった。
仕事帰りのバスの中、課長のとなりでポケットウィスキーをあおったりする奴ではなかった。
飲み会で、
『好きな芸能人』
『1st 桃井かおり 2nd 篠ひろこ』
とかやったりしなかった。
『あー、桃井かおりとか好きそー』
とかいう物言いにはきちんと落ち込んだりするけど。
でもまぁ、現況、ちょっとお気に入り。
皆殺しでやっていける自分とかカンキョウとか、Webに好き放題書き散らして御満悦な満腹中枢の感度とか。

なんというか転校生というのは一度やっておくべきである。
小学校2年の時に、国分寺の第三小学校というところに転校した時、なんだか喉がいかれていてカスカスの声しかでなくて、
『はじめまして、○○です。よろしくお願いします』
なんてのを、トム・ウェイツみたいな声でやったら、
『わぁ、かっこいい・・・』
なんてのがそこかしこであがったりしていた。
今の今まで、あれ程の無防備な感情を浴びたためしなし。

転校して3日目ぐらいに図工の時間でみんなで塗り絵をしようというのがあった。
俺がごそごそとパレットと絵の具を出していると、
『使う色決まってるんだから、私のパレット一緒に使おう』
と隣の女の子が言ってきた。
俺が経済合理性に触れた最初の瞬間である。
その子は服のデザイナーかなにかの娘で、小学校2年生にして既に世界の成り立ちを理解していた。
彼女にとって、中間目標の自己目的化を強要する学校教育はとてつもなく退屈なものだったろう。
俺は、他のことでもことごとく差別的な奴ではあるが、東京崇拝/地方蔑視の根幹には彼女のあのコトバがあると思う。

俺はといえば毎日ドッジボールとドラクエで頭の95%を埋めていたシアワセなガキだった。
5年生の時に転校して名古屋に行ってしまうのだが、その時のクラスの担任がとてもイタいヒトで、Hという同類の悪ガキと一緒に徹底的に反抗してた。
みんなが俺達の暴虐をどう思っていたのかなんてその時はまったく考えたことはなかったが、俺が転校していった後そのクラスは全く以って収拾がつかなくなって担任が降りたという話を聞くにつけ、俺がみんなのアナーキー性を体現していたんだな、ってしみじみと思う。
多分そういう事だと思う。

そして、あの、忌々しい不毛の地、名古屋。
ひたすら大人しくして、ひたすらに時間が過ぎるのを待っていた。
あの7年間の歪んだ日々を清算するのに俺は大学4年間の全てを使い果たしてヘロヘロになった。
ニーチェとかも使った。
嗚呼、岸田秀、あなたはイノチのオンジン。
テポドンも名古屋にならOK。
というより、ぜひ名古屋に。





で、一つ余談。
転校すると寄せ書きの色紙って言うのをもらうんだけど、この前見てみたら親友と思っていたヒトビトのコメントがことごとく、

『イジメてごめんね』

ぎゃはははは。
『事実などありやしない。解釈のみが存在する』
ああ、ニーチェ、全くその通りだよ。
すべからく不幸とは内製的ではなく、ヒトから教え込まれるモノなのだ。
俺はそこにだけは毒されていなかった。

Q、生まれ変わるとしたら?
ヲンナ
オトコ
もう一度、俺。


俺は、シアワセモノである。
















1999.11.20
「バカは水ばかり飲む」って。

俺は、今エイギョウとやらをやっている。
どうやら、エイギョウとは努力である、という勘違いがそこかしこに存在しているように思えるが、まったくバカな物言いである。
弱者救済のスキームとしては、方向性は分かるが盲目的な苦悩を量産するだけだ。
俺が思うところでは、エイギョウほど努力が報われないものはないと思う。
経験だよ、とか言うヒトもいるけど、そういう物言いはかえって有害。

10年の盲目な経験は、6ヶ月のスジのいい教育に負けるって事を、俺はこの半年の間いやというほど見てきた。

俺には神様が二人いて、その二人以外の指示には従った覚えがまるでない。
そこはホントに任侠の世界っていうか、イノチのオンジンですから。
でも、その態度があからさまに顔に出るらしくて、不必要な反感を振りまいているらしい。
いや、バカにしているつもりはないんだけどね。
まぁ、あきらめてはいるけど。
「仕事の評価してくれるヒトがいなくて大変でしょう」
とか言って下さるヒトもいらっしゃいますけど、どこでスジのいい仕事ができたかなんてのは自分が一番分かってるから実務上問題なし。
それよりも、しかってくれるヒトがほしいなぁ、とか思ってた矢先、この前飲み会で、
「俺ってヘンジンっすから」
って、ポロって言ったら、
「そんなこというもんじゃないの。自分は多少変わってるかもしれないけど、

変わっている自分を何とか丸め込んで、ヒトと交流して生きていきたいって思うんでしょ?

だったら、ヘンジンなんて言っちゃ駄目」
俺、惚れました。
そのヒトはまったくのアル中で、おんなじ事必ずを3回言ってたけど。
















1999.11.17
「いじめてくんを使ったほうがてっとりばやいのにニャ…」って。

「パーフェクトブルー」というアニメを見る。
悪魔のビデオ。

いや、なんとなく、セルが見たくなって。
最初は、江口寿史キャラの、完璧に制御されたセルを見ていろいろと考えたりして。
この5年で、まともに腰を据えてみたセルは劇エヴァだけ。
あれは、セル以前に庵野がいるから、自己目的化した映像というアニメが抱える構造を超えたところで成立していたな、とか。
っていうか、俺の言ってることは、話1割で。

と煙草ふかしてるうちに映像と脚本がドラッグ化していく。
俺は、線引きの問題と見た。
古典的命題。
肥大する自己イメージをいかに制御するか。
自分が見る自分のイメージ - 他人が見る自分のイメージ - 自分が見る他人の中の自分のイメージ -自分が見る、他人が思っているであろう自分の中の自分のイメージ。
知らんね、って感じだけど、線引きが自覚的にできないヒトはつらいよね。
生来のタフネスは最弱でもスキルがあれば生きていける。
逆はキビシイでしょ。




























1999.11.7
「大事なのは自分の中での線引きなんだ」って。

岐阜県の多治見市というところでごみを23種類に分別して出すというキチガイなことが始まったとか、ニュースでいってた。

カンキョウとボウエイのねたになるとある種のニンゲンってのは程度ってモノをすっかり忘れるらしい。

キチガイじみた分別に異論を唱える声には、「カンキョウがどうなってもいいのか」とかいうヒス入ったヤジが飛んだんだろう、多分。
話のネタの中に聖域を作っちゃ、まともな結論でないでしょ。
どうせ生きてりゃ汚いものを垂れ流しつづけるんだ、ってことをきちんと引き受けた上で数ある選択肢のうちから現実的な落とし所を探っていかないと、こういう集団ヒスみたいなことになるわけでしょ。
自分たちで23種類に分別するか、金かけて施設作って一括してやるか、そんなもん知らんと全部埋め立てるか、どれを選ぶのが結局のところいいか、って言う問題でしょ。
結論は一つじゃないハズだし、

カンキョウは何としても守らなければいけないっていうドグマを全部のニンゲンが信奉する必要もなし。

俺は面倒なのは絶対いやだから、金はらって業者にやってもらいたい、もしそんなことしないと生きていけないくらいカンキョウがやばくなるのなら。

実際問題としてゴミを23種類に分別なんてしていたら、普通の人間は生活が回らなくなるの。
えっと、働いてない非納税人間は普通の人間じゃないから、除外。
社会問題とはすべからく税金投入のコストパフォーマンスの問題に集約されるため、上記のニンゲンにはこの種の問題に対して意見を言う資格なし。

ニュースの取材に答えていたのは、その後の人生でとくにやることのなくなったジジババのみ。
「いいことだと思いますよ」
ひまならほかの人の分までやってくれ。

俺が多治見市民なら絶対に市外に引っ越す。



以上、コラムでした。


















1999.10.31
「今更、なんて思わずにせかしてよ」って。

光文社「詐欺師入門」(原題 the big con)読む。
素晴らしい。
泣ける。
っていうか、僕らは他律のなかで生かされていて、他律のなかで考えさせられている、やぱり。

楽しければ笑うし、つらければ泣く。
Webに文章書くときは性格変わる。
営業成績が前年の2倍になればアゴも上がるし、上司がクズだとカイシャ辞めたくなるし、カイシャ辞めたければ、なんていうか、ねぇ。

でも、俺1人だけは、うまく行ってる時ほど眉間にしわを寄せて、ピンチの時ほど優しくふるまって、その因果の外側に立って状況を制御したいなんて四六時中考えてる。

俺が嫌なのは、どうしようもない状況になっちゃってることじゃなくて、何でそんなトコロにはまり込んでしまったのか理解できないこと。
さらに癪に障るのは、すべて理解した上で自分の感情がコントロールできないこと。


マネジメントを生業とする者は血を売ってでも読め。


















1999.10.27
「相手がオトコだとずいぶん楽よね。だって、オンナじゃ寝てごまかす訳にいかないでしょ」って。

intermidiation.
1999.10.25
at : まるきた屋

「ひまつぶし」
「アズキの先物相場って知ってる?」
「ん」
「オヤジがさ、むかしどっぷりはまり込んでて、一時期ムチャクチャな額の金を儲けてたのよ。儲かってる時にはもう絶好調で、飲み歩きまくり、ギャンブルしまくり、オンナ囲いまくり、家たてまくりってかんじでさ、もうドンファン地でいく男40歳」
「ん」
「でも、

あぶく銭を形のあるものに残すなんてことをやりだした頃から下り坂でさ、

逆張りで8桁の穴開けてそれで終わり。家も土地もゴルフ会員権も何もかも売り払われて、預金残高ゼロ。借金ゼロ。オンナもゼロ」
「ん」
「まぁ、人間収まるところに収まるもんだけど、でも、その前と後では同じ人間ではいられないよね」


















1999.10.23
「ブラックレインって滑稽」って。

停滞
1999.10.22
at : サテライト

「ちょっと飲みすぎ」
「飲む時間が出来たってこと」
「ん」
「最近、体がへたって来て100%働けないのよ」
「それでお酒?」
「予測可能性の向上。ステロタイプが俺の信条」
「ん」
「っていうか、誰かが言ってた、

視線を意識した瞬間に全て腐っていく

ああ、全くそのとおりだよ」














1999.10.18
メリッサに首ったけ。
唯我独尊
1999.10.15
at : 大黒屋

「で」
「会議行ってきたんだ。所属長会議みたいなやつ。
仕切る奴が、なんていうか、テレビのニュースかなにかで営業覚えたみたいなかんじでさ、現場の状況を報告しても

『これからは問題意識をもって事態に対処することが必要だと思います』

とかいって御満悦になってんの」
「ん」
「下が上に相談する時って、聞きたい言葉はただひとつでしょ。
『それはこうやれ。なんかあったら俺に電話しろ』って。まぁ、九州いって修行してきて」
「・・・・・俺は知らんぞ」


























1999.10.11
「ダンナと仲良く腕組んで道横切ってんは、お前だろう」って。
デニーロ『Wag the Dog』見る。
完璧。
いかさま映画の最終形態。


コンタクトが割れて、片目だけ買いに行く。
いつも疑問なのだが、必ず眼科の検診が必要とされる。
目が充血していたので、一方的に花粉症であると診断され、目薬と飲み薬(!)を処方される。
俺の酒臭さがわからなかったのだろうか。
受け取りを拒否してやろうかと思ったが、早く帰りたかったので素直に受け取る。

薬は俺の金で買ってんだ。

なぜ、必要かどうか聞かないのだろうか。
当然のように帰りにごみ箱に捨ててきた。


B'z「Survive」聞く。
もちろんレンタルよ。
いや、やっぱB'zはすごいね。
「walk this way」と「Sweet Emotion」のイントロで始まるのには、いやはや、トホホではあるが、このキャッチーさはやっぱり脱帽。
ホントに狭い部分だけど、B'zには本物の部分がある、かと。
邦楽ではだれも引き受けていない部分を全部飲み込んでいつ終わるとも知れないミリオンセールスを続けているという意味で、MichelもBlankyでも中村ですら勝てない潔さが、ある、と、思ったり、も、する。





















1999.10.3
The only true freedom is freedom from the hearts desires.

もう気分最悪。


以前に約束していた、羽振りのよすぎたおっさんの話をしてみよう。なんとなく気分が晴れるかもしれない。

あのオヤジはとにかく凄まじかったな。
座るだけで1万みたいな飲み屋によく連れてってもらったし、仲間で遊んでてその人と出くわしたりするとその瞬間から俺達の遊び代はその人もちになっちゃったりするようなひとだったから。
そんなもんだから、俺らの界隈ではだれもがその人に会いたがってるみたいな感じだった。
なんかあると、
「オヤジに直電」
って感じだった。
時代は1991年ってかんじなんだけど。
こっそり、オヤジの行き付けの飲み屋とかに行って、オヤジの付けで呑んだこともあったような、なかったような。
いや、さ、店のヒトが、

「オヤジの付けで飲んでいきなよ。ぜったいに分からないから」

とかいいだして、めちゃくちゃだよね。
俺はフルーツの盛り合わせって奴をあの時初めて見たよ。
アボガドとかざくろまであったよ。

一体なにやってる人なんだろう、っていうのがいつも頭の中にあったんだけど、なんていうの、その人にはオーラみたいなものがあって、俺なんかはそんなことすぐに考えられなくなるのね。
まぁ、俺なんてそういうところではむちゃくちゃな小物で最下層民だったから、そんなところでリスクヘッジを考える必要もなくてただひたすらに遊んでただけだったんだけど。
多分、周りの人たちはそれとわかっていて付き合ってたんだろうね、多分。
俺も今だったらジシャタタクよ(^-^;
大体ちょっと考えてみれば、サラリーマンやってる人間がそんな無茶な金の使い方できるわけないのにね。
でも、その人にはその辺のおっさんとは一味違う何かがあって、とにかく不思議な磁場を持った人だった。
カッコよかったね、実際。
外見は競艇場とかにいそうなただのおっさんなんだけど。

とはいっても、やっぱそういうのは金の切れ目が縁の切れ目っての?
その手の噂ってのはもうむちゃくちゃ早く伝染していって

「あのおっさん、800万借り換えしたらしい」

なんて事がそこかしこでこそこそ話されてるのを俺はよく目にしたよ。
そうなるともうおしまいで周りに人がまったく寄ってこなくなるのね。
オーラが消えてしまった人間っていうのはむちゃくちゃさびしくてさ、俺みたいな低級人種はべつにそんなこと関係なしに接してたけど、ほかの人はそうじゃないのね。
目も合わせようとしなかったりして。
店の電話が鳴ると
「あのオヤジだったら俺はいないって言え」
とかいろんな人に言われたよ。あの人は今どうしてるんだろうね。
元気でいてくれるといいけど。


「人生は素晴らしい、楽しければ」

今、俺が発見した真理。
意味は自分で考えてね。
結構深いのよ。
俺はもう駄目。

























1999.9.22
「騙されつづけてやってんだ」って。

GrapeVine「退屈の花」買う。
もう、どうしようもなく、「遠くの君へ」にはまる。
仕事中もずっと、ずっと、ずっとリピートで聞く。
移動中は車の中で聞きながら大声で歌う。
1日30回は聞いてる。
音としてはセカンドの「Lifetime」の方が比べ物にならないくらい完成度が高いが、いや、やられたよ。
日本語がこんなに心に響くものか、と。
ただ、弱ってるだけなんだけどね。







1999.9.12
獣医、再会。

住宅関連設備投資の一巡により生活インフラの整備は完了するものの、単月キャッシュフローに対する有利子負債の比率が222.1%という過去最高水準にまで高まる。ネットのキャッシュフローは6月より3ヶ月連続で流出超となっており、ALM管理の観点からも事態の改善が無ければバランスシートの資産側主導のドラスティックな圧縮が必要となる可能性も否定できない。
景況においては、昨年11月より改善を見せていたDIは、9月発表数値において98年5月以来の低水準への劇的な崩落を見せた。10月3日に予定される親会社の名称変更もマインドの悪化に拍車をかけると思われ、10月には景気底割れの危険性が非常に高まると思われる。
ファンダメンタルズの悪化を伴わないマインド主導の景気の落ち込みであるだけに、きっかけ次第では劇的な改善が期待できる反面、年度末にかけて景気の二番底をうかがうリスクシナリオがにわかに現実味を帯びてきている。
99年度通期を通しての懸案である人材流動化においても10月から11月にかけて大きな展開が予想され、まさにこの第三四半期は来年度をうらなう上での正念場となる。

















1999.9.8
トルシエを吊るせ。

the Brilliant green「TERRA2001」聞く。
これ、すごい、いい。
ギターがホントに自然にバンドサウンドの中心にいて、邦楽らしからぬ余裕綽々。
大してウマいバンドでないのに、ブレイクもばりばり入っていて、こういうのをセンスって言うのか、と思ったよ。

















1999.9.1
卒業、しない。

Q、「腕時計はどのようにつけるか」

A.M「毎日、ずっとつけてる。つけてないと不安。時計忘れたら店で買う」
M.M「つけてる時のほうが、多いかな。別に気にしてはいないけど」
S.K「つけてる日はずっとつけてる。はずす時は家においてくる」
Y.T「全然つけない。この前、携帯の液晶が壊れた時には、時間が分からなくなってしょうがなく買ったけど。携帯直したら全くつけなくなった。買った時計も必要なくなったんでどこかにいっちゃった」



A、「腕時計の扱いは異性に対する一般的態度を象徴する」

A.M「や〜ん、わたしったら、寂しがり屋さん」
M.M「標準。標準」
S.K「もしかして浮気性?」
Y.T「・・・・・やばいよ。それ」












1999.9.1
どうしようもない世界 寛容な僕ら

「ちょっと変わった自分を演出するならウマくやれ」

「きついな。俺はどう?」


















1999.8.27
てっぺん。

保坂のにらみひとつで緊張感を保っていたのに、あんまりにらまなくなったもんだから、急に詰まらん。
アイカワのエンディングはかっこいい。










1999.8.26
楽園の終焉。

植草秀一「日本の総決算」読む。

氏の著作についてはエコノミストでは良く読むが、単行本としては初めて読んだ。
いや、これが凄まじい。
約300ページの内容の中、120ページが
「おれは97年の増税はやっちゃだめだって、これほど声高に言ってたんだ」
という証拠の羅列に終始するという、やれやれな本。
これに類する発言は、以前、私の上司から聴かされたことがあった。

「おれは本部にいってやったんだ。こんなことやったら現場は立ち行かなくなるって」

こんなところで、同じような駄目人間の告白を読む羽目になるとは、いやはや。
言ってやって、結局、阻止できなかったっていうのは、

「わたしは無能です」

と公言しているのと同じことじゃないのか。

現場の人間と、経済の提言を行うエコノミストでは役割が違うことは良く分かるが、これはヤバイよ。やっぱり。
こういう本が2ヶ月で5回の版を重ねているのを見て、さらに脱力。









1999.8.23
「その悲しみはおまえのじゃない」って。
海へ。

急遽、ボディボードをあつらえて大自然との対決に臨むが、今日の太平洋はとってもディープインパクトであえなく轟沈。

のち、ご推薦の眼鏡との決別をし、コンタクトを再導入。
右の目が、傷ついていて、コンタクトでは矯正できない乱視になっていることが判明。
暫しの悲しみの後、カニを食す。


そして、さらば、ヒモ人生。
俺の人生がまた、そこに交差する、その日まで、さようなら。










1999.8.17
「お前は今 優しい気持ちにあこがれているんだ」
やまだないと 読みまくる。
くるまとカードを用意して、本屋でやまだないとが作者のものを全部買ってきて、ひたすら読む。
「僕と先生と白い車」が、とても、とても、いい。









1999.8.12
にじり寄る獣医。
西東京より2名来襲。
刺身食らわせて。

獣医ににじり寄られて、終電危うく逃しそうになる。













1999.6.27
Viva la solitude !!!
本を読む喫茶店を探して、すし屋に入る。
すし屋のカウンターでアジの握りなんかをビールで呑みつつ、延々「RO Japan」よむ。
いや、石川はいいところ。

「アルマゲドン」見る。
信じがたい駄作。
ギネス級。

「プラペートライアン」見る。
う〜ん、う〜ん。


最近、自分が何をしたいのか分からなくなっている。










1999.6.27
睡眠15時間。
Dragon Ash「Viva la Revolution」聴く。
あんまり大したことない。
「GratefulDay」と「Let〜」しかぴんと来ない。

坂本龍一「うらBTTB」聴く。
リゲインCMソング「energy flow」も、いい加減な仕事でいまいち。

坂本龍一「BTTB」聴く。
気持ちいい。









1999.6.27
そとまつまるひめうちひらたじよう。
村上春樹 「スプートニクの恋人」 読む。
よく語る比喩は既に存在していなくて、村上春樹のパロディーのような本。
最初はそれで十分楽しめたが、後半になってくると、とても、つらい。
村上春樹は、「ダンスダンスダンス」でとっくの昔に終わっていたのか。
「アンダーグラウンド」も優れたドキュメントだと思うが、果たして、それが村上春樹の仕事である必然があるか。

GrapeVine「LifeTime」聴く。
トテモヨイ。
毎日聞く。毎朝聞く。
最近プレーヤーから取り出した記憶が無い。
癒しの音楽。





















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