『生物学魔法もの』 場面は高校生物の授業。 教師が黒板に大きく六角形を書き、H、N、Oの文字を書き添える。 線が入り交じった複雑な図形を4つ。書き終えると、教師は赤いチョークを持ち その下に大きくA、T、G、Cと書いた。 「知っているやつもいると思うが、これらは生物の体の中で重要な要素を示している。 これらの名称を知っているやつはいるか?」 教師は生徒の方に向き直り、反応を待った。 6,7本の手が上がる。 一人を指さして、教師が言う。 「よし。吉峰、答えなさい。」 「はい。DNAです。」 教師はうなずき、吉峰と呼ばれた生徒を座らせた。 「吉峰が答えてくれたように、これらの4つの化合物は、DNAと呼ばれるものを構成し ている。順に、アデニン、チミン、グアニン、シトシンと呼ばれている。」 教師はチョークを持ち、Aの下にアデニン、Tの下にチミン、Gの下にグアニン、 Cの下にシトシンと書いた。 「DNAは生物としての情報をもっている。その組み合わせによって生物としての種ばかり か、個体差まで発生させている。DNAは特徴的な構造として、二重螺旋という構造を形成 している。」 教師は、黒板に二つの絡み合う曲線を書き、AとT、GとCを線で結んでいった。 「このように、A,T,G,Cが並んでいる2つの線が絡み合っている。そして、 必ずAとT、GとCが対応している。」 教師はさらに黒板に文字の列を書いた。 DNA: ・・ATGGTCGTCTAAA・・・   ||||||||||||| ・・TACCAGCAGATTT・・・ 「さてDNAといえばもう一つにた名前で知られている物が あるが、それは何か知っているか?」 今度も6,7本の手が上がる。 「それじゃ次は渡辺。答えなさい。」 「RNAです。」 教師はうなずき、渡辺と呼ばれた生徒を座らせた。 そしてチョークを持ち、続ける。 「RNAは、DNAからコピーされてできる。その役割は主に伝達であり、その構成化合物も 異なっている。」 教師はT(チミン)の左の方にあるCH3という文字を消し、かわりにHと書いた。 そしてTの下に『U(ウラシル)』と書いた。 「DNAではAにはTが対応していたが、RNAではTと似た化合物のウラシルが代わりに結合 している。構造をみてもらうとわかるが、違うところはたった一つだけだ。」 そこで教師はひとしきり生徒を眺めた。 ノートを取っている者あり、居眠りをしている者あり、プリントを教科書の間に挟んで なにやら他の事をやっている者もいる。いつもの風景だ。 「さてここまでは古典だ。皆は新聞でも見たとおもうが、最近、新しい化合物が発見さ れた。」 そういうと、教師はCの左肩にあるCH3という文字を消し、CH2CH3と書いた。 「RNAではTの代わりにUが使われているように、ごくまれにだが、Cの代わりにこのよ うな化合物が結合することがあることが最近わかった。」 Cの下にMと書く。 「最初はどのような性質を持つか不明だったのだが、数年前にタルカスという学者がこの 化合物を多く持っている人間は異常な能力を持っていると発表した。」 「魔法使いさ。」 一番前の席にいた生徒がそう言った。 「魔法使い?」 「そうだよ、ほら新聞でみたろ。」 「あなたも周りにも魔法使いが・・・ってやつか?」 「でもそれって本当なの? 父さんはそんなことないっていってたけど。」 「でも本当に魔法が使えれば面白いよな。」 生徒が『魔法使い』という単語を聞いて、一斉に騒がしくなる。 教師は、そんな生徒にはおかまいなしに黒板に続きをかいた。 「タルカスはこの化合物をM(マジカル)と名付けた。そしてこのMの比率がそのまま 異常な能力の強さに関係していると結論づけた。」 生徒の一人が手を挙げる。 「先生、じゃあRNAを変えれば僕らにも魔法が使えるんですか?」 教室の中がまたざわつく。 「そんなわけないだろ。」 「でも使えたら面白そうだよな。」 「離れたところからノートとってこれるかな?」 「もっとすごいこともできるよね。」 教師は手で生徒達を制した。 「RNAは残念ながら変更することができない。また、Mを持つ人間はまだまだ少ない。」 その言葉に、生徒達の間に落胆の色が出始めた。 「やっぱり夢なんだよ。魔法なんてさ。」 「それは違・・・」 教師が続きを言おうとしたとき、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。 すかさず日直が「起立、礼!」と言う。 授業はそこでおしまいになった。 教師は職員室に帰る。 そして、誰とも無く言った。 「それは違う。今もMを持つ人間は増えて居るんだ。いつの日か、全ての人間がMを 持つようになるだろう。そうなったら・・・・どうなるんだ?」 場面は大学病院。 会議室のような広い部屋に、院長を始め 助教授、助手、インターン、看護婦、薬剤師などが顔をならべる。 ここはセクションMとよばれている。 RNAにMを持つ患者が収容される場所である。 Mの存在が世間に認知されてから、Mを持っている人間は その異常な能力ゆえに拒絶感をもたれるか、もしくは畏怖される 存在になっていった。しかし、Mをもつ人間が多くなるにつれ、 その弊害も見られるようになった。 一つはMの性質によるものである。 RNAは伝達の役割をもち、主なものにm(メッセンジャー)RNAというものと、 t(トランスファー)RNAというものがある。 mRNAとtRNAはリボソームという組織で、生体にかかせないタンパク質を形成する。 mRNAとtRNAは、またA−U(T)、G−Cの組み合わせによって結合する。 このとき、tRNAはある規則によってアミノ酸を持っているので、 それにより形成されるタンパク質が決まる。    mRNA:・・・・・・・AUGGCCUAUCAA・・・・・      tRNA:・・・・・・・TACCGGATAGTT・・・・・ タンパク質:・・・・・・・ D  S  K  L ・・・・・ このとき、Mを持っている人間は、通常ではありえない タンパク質が形成される。                ☆      ☆    mRNA:・・・・・・・AUGGCCUAUMAA・・・・・      tRNA:・・・・・・・TAMCGGATAGTT・・・・・ タンパク質:・・・・・・・ D’ S  K  L ・・・・・               ☆ このタンパク質は本来存在しないものなので、このタンパク質が異常な能力の元に なっていると考えられてきた。しかし、それより深刻なのは、普通に存在する タンパク質も変わってしまい、ジャンク(屑)になってしまうのである。 それゆえにMを持つ人間は、ほんの少しの怪我や病気で死んでしまうくらいに病弱になる。 例としては、白血球が極端に少なかったり、赤血球の色が薄くなったりすることが知られてきた。 もう一つは、メルトダウンと呼ばれる現象である。 それはこの会議で明らかになる。 では会議室に目を向けよう。 「みなさんお集まりのようなので、始めよう。エリウッド医師より報告がある。」 院長らしき初老の男が、横にいる若い男を指し示した。 エリウッドと呼ばれたその男は、プロジェクターを取り出した。 そうしてから会議の面々をひとしきり見回して口を開いた。 「セクションM、2F担当のエリウッドです。早速この患者をご覧ください。」 エリウッドがプロジェクターのスイッチを入れる。 スクリーンに投影されたのは、40代前後の男が椅子に座っている姿だった。 顔は苦痛にゆがみ、今にも叫びそうになっているが、その体には何も異常がみられない。 「この患者は、5日前に当院に運び込まれました。職業は塗装工で、仕事中に突然腕に痛みを 訴えて倒れたところを男の同僚が見て通報しました。」 スクリーンの画が変わり、今度は男の腕が拡大されて映った。 「見ての通り、腕には何の外傷も見られません。しかし、痛み止めの注射を打とうとした際に、 処置医が突然倒れました。電気的なショックをうけたのです。」 エリウッドはここでスクリーンにポインターを出し、腕のひじの部分を丸く囲った。 「このひじ部分をよく見ると、わずかに紫色が濃くなっています。これは内出血をおこして いるためですが、腕のかなり深いところで起こっているために目立ちません。」 会議場の中で、一人の白衣を着ている男が手を挙げた。 「で、その患者はMをもっていたというんだね?」 エリウッドはうなずいた。 「その通りです。処置医が電気的なショックをうけ倒れたという報告を聞き、患者をセクションM に移送しました。腕からは注射をできないので、舌禍より痛み止めを打ちました。患者が落ち着いた ところで血液検査を行ったところ、Mを持っていることが判明しました。」 スクリーンの画面が変わり、今度は棒グラフになった。 「ここ半年で、当セクションに移送、または急患として来た患者は100名を越えます。 その9割方が、このような痛みを訴えています。」 棒グラフのほとんどが青く染まり、"pain"と書かれた。 「私たちのグループはこれらの患者に共通する事項を見つけました。」 スクリーンはある紙を映し出した。 そこには様々な質問が書かれていた。名前、性別、血液型、職業、住所、父母の生死、 代換受精、凍結精子、住民圏、認識民族、生活スケジュール、日々の不満、営み・・・ 「患者一人一人に、様々な質問を無作為に選んで質問し、データを取りました。 これらは医師、看護師、薬剤師の部門のバックアップによるものです。」 スクリーンのある項目がピックアップされた。 「目を引いたのはこの2つの項目です。 『あなたはMを持っていると自覚したことがありますか?』 この問いにはyesと答えた人が大半でした。 次です。 『あなたは自分の異常な能力を普段使用していますか?』 この問いにnoと答えた人が実に9割を越えました。」 エリウッドはここで一つ息をついた。 会議の面々は、手元の資料をみつつ行われた調査についての結果を吟味している。 「つまり、これらの痛みを訴えている患者は、Mを持っているにもかかわらず その能力を行使しない人々だといえます。」 会議場がざわついた。 ある初老の医師が発言をした。 「エリウッド医師。ということは、能力を持っていると自覚して、なおかつ それを使わないでいると、身体に変調をきたすということかね?」 エリウッドはうなずいた。 「そう仮定してよいと思います。ですが、一部の患者は、自分がMを持っている という自覚が無いものもいます。能力を自覚していようがいまいが、その能力を 使用しないでいると、変調をきたすのだと思います。この場合は痛みですね。」 その後もいくつかの質問が投げかけられた。 Mを持っている人間はどの位の期間、能力を使用しないでいると変調をきたすのか? そもそも変調をきたす原因は何か? いろいろな能力をもつ者がいるが、それによる発症の違いはあるのか? などなど。 エリウッドは答えられる質問には答えを返し、答えられない質問は自分のパソコンに 入力をしていった。 こうして会議は夜半まで続いた。エリウッドは最後にこう発言した。 「私の勝手な予測ですが、この症状はMによる変異タンパク質の蓄積によるものと 考えます。ある段階でタンパク質の制御を失い、暴走を始めるのではないでしょうか。 ちょうど、制御棒を失った原子炉のように。人体におけるメルトダウンですね。」 場面は高層ビルの1室。 部屋自体は15畳ほどあるだろうか。 大きな窓のあるこぎれいな一室に、きれいに調度された本棚、 それに高そうな机がある。 その机には「市長 サイラス」という名札が飾ってあった。 そして机でノートパソコンを操る男がいる。 男は特にどこにでも良そうなビジネスマン然としたスーツ姿だった。 ただ普通のビジネスマンと異なるのは、胸に光る金色のバッジである。 そのバッジがゆらめき、彼のからだが椅子の背もたれに深く沈んだ。 「やっと終わったか。なんとか間に合いそうだな。」 『本日午前11時に市長ビル屋上のヘリポートに到着する。』 この連絡を秘書から受け取ったのが、朝の9時である。 それから今まで、ずっと彼は職員に指令を出し続けていた。 もう少し早くに連絡をくれないのか? と聞くと、彼女の答えはこうだった。 「わたくしの能力は未来予知ではありませんから。」 もっともだ。まだ世界中で未来予知の能力を持つ人間はいない。 いや、過去に予言者といわれた人間ならそうかもしれないが、 この街にいるわけではない。 Mによる異常な能力の開花は、世界に混乱という花を咲かせただけだった。 能力を持つものはその特性を生かして人類社会に変化をもたらしていった。 そして、やがてMを持つ者はだれであろうとも毛嫌いされる傾向になっていった。 能力を持たない者は武装し、自衛しなければならない国もあった。 そんな中、地球連合はある政策をうちだした。 「Mを持つ者を一定の特別区域に移民させる。」 「特別区域以外でのMによる能力の使用は申請者のみとする。」 「特別区域には別の自治組織を設け、その費用は所属する地域の国がまかなう。」 この政策に世論は割れた。 あきらかな人種差別だ、Mをもっているだけでのけ者あつかいなのか、 そもそもMを根絶させる治療などを優先させるべきだ、などの声があがった。 だが、ちゃちな人権擁護派はあっさりと敗北した。 Mによる暴力の大きさが浮き彫りになってきたのである。 武器を持たず、丸腰なのにその能力を使って破壊活動を行うことのできる Mの能力は、もはや軍隊じみた組織でしか制圧できなかったのである。 かくして、M隔離政策は地球連合で決議され、採択された。 地球上のあらゆる国でMをもつ人間が隔離地域へ移されていった。 ではMを持っていることを見つけるにはどうすればよいのか? 答えは非常に簡単だった。 ただ時を待てばよいのである。 能力を発動させた者は通報され、そのまま隔離される。 能力を発動させていない者は病院で検査をうける。 能力を発動させず、検査も受けない者はメルトダウンを起こし、いずれ病院送りになる。 メルトダウンとは、エリウッドという医師が命名した現象である。 Mを持つ者はその能力を使用することで、体内に生成した変異タンパク質の 絶対数を減らし、その生命活動を支えている。その能力を使用しなければ、 体内の変異タンパク質が貯まり、ある閾値を超えると耐え難い痛みとなって 本人に襲いかかる。これを防ぐ方法は今のところ知られていない。 隔離地域とはいえ、そこには社会が存在する。 自治を行わなくてはスラム化してしまう。 そして、隔離地域の中では自分たちの「街」を宣言し、 独立行政を打ち出すところも出てきた。 そのような国では、Mを持つ人と持たない人の境界線がやや緩やかで あることが多かった。サイラスはそのような街の正当な市長なのである。 さて、そんなサイラスの元にある来客が来る。 その様子を屋上のヘリポートから見てみよう。