甘言に乗せられてふらっと九州

 

私は何故こんな所にいるのか。思いか返せば、昨晩会社の同僚が九州へ納車があるということが発端だった。聞けばキャリアーで九州は二日市まで車を運び、登録して帰ってくるという。彼は本気か冗談か、しきりに道中付き合ってくれと言っていた。普通ならば私にも仕事がある。言下に断る所だが、私は今日、たまたま代休を取るようにしていた。そして、自宅でゆっくりと寝転がってパソコンでもいじっているつもりだったのだ。しかしどうだ、付き合いの長い彼は、私の心を見透かすかのように、こういった。

「行きは一緒にトラックに乗ってもらうとして、帰りは博多あたりから列車に乗って、

ぶらりとしてはどうですか。」

それまでは九州に行くことなどおくびにも思っていなかったのに、その一言が突き刺さった。そして、直後にはどのようなプランで帰ってこようかと思案していたのである。まさに術中にはまったのだ。

そう、そして私はいまここにいる。

ここは博多の中心から東へ数キロ程離れた西鉄名島駅。特色のないベッドタウンにそっけなく、駅の所在を案内するものすらない存在感のない小駅である。本来なら市内電車の停留所といった佇まいだが、一応島式のホームを持っている。パートであろうと思われる中年女性の駅員もいる。ちぐはぐな印象が、どうも気に入らないが、地元の人にとっては自転車に乗るように利用している駅なのだろう。

博多、北九州一帯は巨大な人口を抱えている大都市だ。中心の極一部を除けば小さな町が数多く寄り集まっている印象があるが、この駅周辺を見廻しても、その印象は裏切られることはない。田舎臭い野暮ったさすらある。かといって、決して嫌っているわけではない。こうゆう佇まいは、自分が育ってきた環境を思い起こさせ、懐かしささえある。いまでは大きなスーパーや病院が出来ているが、当時は木造の長屋が将棋倒しになる寸前の状態で建っており、そこには勿論人々が生活しているのである。だが、そんな長屋でもそこに住む人々は決して、惨めではない。その人なりに生き生きと生活しているのである。事実、私の家がそうだった。なにか懐かしささえ感じる。

暫くしてやって来た2両編成のクリーム地に赤い帯の電車に乗る。赤いオールロングシートの車内には数人の学生が千鳥状に座っているだけだ。電車の走りは軽快そのもので、保線状態も悪くない。鹿児島本線とほぼ平行しており、時折JRの普通電車に颯爽と抜かれてしまう程ののんびり屋だ。車窓風景は特に目新しいものはないが、今日のようなうららかな日は、このまま終着の津屋崎まで乗って、ぼんやりと時間を過ごしたい、そんな気になる。しかし、時刻表を開くと、途中の和白駅で降りるのが良さそうだ。そこで香椎線に乗り換え宇美まで行ってみようと思う。

和白駅周辺は典型的な住宅街で、高い建物はあまり見当たらない。駅を出ると、すぐ横にある公園では小さい子供を連れた若い奥さん連中が子供そっちのけで世間話に熱中している。また、個人商店がいくつか軒を連ねている様子は、日本全国で見られる下町の景色そのものだ。自転車ですら入れないような路地に迷い込んでいくと、なにか煮物をしている匂いが漂ってきた。晩の支度だろうか。「シチューかな、カレーかな。」と、つい要らぬ詮索をしてしまう。更に路地に進むと、無造作にゴムの伸び切った女性ものの下着が干してあり、思わず顔を顰める。しかし路地裏をほっつき歩いている自分の状況を考えると、明らかに「コリャ、挙動不審者だな。」と、苦笑してしまう。警察官に見咎められれば、職務質問を受けるのは間違いない。しかし、子供の頃よくやった、ちょっとした「探検」にあい通じるものがあり、不謹慎ながらワクワクしてしまう。

北九州、博多付近の平野はアップダウンの多いところで、この和白駅も丘と丘に挟まれた谷に置かれている。香椎線の列車は、極端に言えばジェットコースターのカーブしながら急降下する格好で人影の少ないホームに進入してきた。ドアが開くと、恐らく強くなった日差しから逃れていたのだろう客が、ワラワラと湧いて出てきた。

次の香椎駅で宇美行きに乗り換える。香椎駅は流石は鹿児島本線、と思わせるほど大きく、JR九州ご自慢の優等列車がホームをかすめて疾走して行く。

宇美線沿線は、大都市博多に近いにも関わらず、意外とのんびりとしたところだ。丘を越え、谷に下り、切り通しを抜けるばかりが多く、基本的に旅客よりも、貨物を優先させている路線のようだ。北部九州の支線は大なり小なり石炭関係の輸送の影を残している。

長者原駅で篠栗線を上に跨ぐように立体交差している。線路は直交しているので、ホームも十字の形になっている。このような配置の駅はそう多くない筈で、新幹線と関東のものを除けば、同じ九州の折尾駅ぐらいしか思い浮かばない。しかしこの駅の歴史は浅く、割と近年になって設置されたと聞く。宇美方面からの乗り換えに便宜を図る為だろう。乗り換えの不便さはあるが、乗客は多く、こんな話を聞いた事がある。国鉄分割民営化の前、日本全国の赤字路線が大幅に削減さるまで、この香椎線のすぐ西側を走る勝田線と言うのがあった。当時は典型的な赤字路線だった勝田線をとある議員が視察し、その時の車内の様子から、「コリャ、廃止しても仕方が無いな。」と、発言したと言う。しかし当時から、沿線地域は博多のベットタウンとして発展が期待されており、将来的に勝田線を残しておこうという意見が根強くあった。結局、議員の発言のせいかどうかわからないが、勝田線は廃止された。現在、予測された通り沿線地域は発展を遂げたが、ところが今になって勝田線を廃止しなければ良かったという声が大きいと言う。確かに当時の路線図を見れば博多駅に無理なく直接乗り入れできる路線で、もし存続していれば、乗客の増加は勿論のこと、地域の発展に、より貢献できたであろうことは疑いない。これなど、近視眼的な判断の誤りの典型的な例であろう。

宇美駅に到着して、今後の行程を思案する。このまま香椎線を戻るか、はたまたバスに乗ってどこかへショートカットするか。時間に縛られていないのでとりあえずバス停を探してみる。思っていた以上に大きかった宇美の町を歩いていると、中心と思われるところについた。小さいながらもデパートもある。この近くにバス停はある筈だと決め込んで探すとすぐにそれは見つかった。各方面行きにいくつかの停留所に別れていたが、そのうちの一つに当たりをつけ暫く待ってみる事にする。博多方面へのバスが多いが、太宰府、二日市行きもある。これに目をつけ、何とかなるだろうと乗り込む。途中、低い峠を越え、大宰府に入る。ここまでくれば太宰府か二日市で西鉄に乗らねばなるまい。太宰府で降りるか二日市で降りるか逡巡しているうちに西鉄大宰府駅を通りすぎてしまう。バス停の目の前に駅があり、しまった、と思ったが、後の祭りだ。諦めて終点二日市で降りると、そこは殺風景な町だった。

ここで西鉄に乗りとりあえず南下する事にする。幸いすぐに特急がきた。これから先のことを考えると久留米あたりで久大本線に乗り換え、大分経由で広島に帰るのが順当なところだろう。乗り込んだ特急は満席で、立っている客も多い。徹夜し朝から列車に乗りまくっている身には少々きついが、30分の我慢と言い聞かせて車窓を楽しむ事に専念する。流石特急だけあって、その速度はかなり速い。線路の状況はいいようで揺れも少ない。沿線は殆どが農地で、筑紫平野の広がりが伺える。鹿児島本線は町並みに沿って走っているが、西鉄の場合は久留米、大牟田あたりへの高速輸送を念頭に置いているのだろうか、沿線人口は少ない気がする。

西鉄久留米駅で降り、改札を抜けると、そこは久留米市の中心部だった。大きなデパートが数多く立ち並んでいる。少し遊んでいこうかとも思ったが、これから先の行程を考慮して先を急ぐ事にする。タクシーを拾ってJR久留米駅に向かう。走るにしたがって段々と町並みが薄くなっていく。タクシーから降ろされたそこは、これがあの賑わいのあった久留米の駅なのか?と思ってしまうほどの貧相なものだった。駅の周りも活気が無い。道理で西鉄の客が多い筈だ。

みどりの窓口で別府までの特急「ゆふ」と、そこから小倉までの特急「ソニック」、そして広島までの新幹線の切符を求める。窓口氏は親切に博多経由のほうが安くて早いと教えてくれるが、こちらは、はなから承知のこと。その旨話すと、「ご苦労様です。」と、労いつつ呆れていた。

久大本線には何度も乗った事があるが、途中の夜明駅から久留米駅へ向かうときに見た夕焼けが印象的だった。枯れ草を燃やしていたのか、煙がたなびく筑紫平野の地平線に真赤に焼けた鉄のような太陽が沈んでいくその眺めは、原始の時代から人間が持っていた自然への畏怖を改めて感じさせるに充分なものだった。

車中、専らバイオノートでゲームばかりしていたせいか、いつのまにか日はとっぷりと暮れていた。疲れが出て少しうつらうつらするうち、終点の別府に着いた。そんなに遅い時間ではないと言うのに、ホームに人影は少ない。の仕事帰りらしい数人がいるだけだ。良く考えればここは有名な温泉地。この時間、駅に観光客がいる筈はない。別府駅の駅名表示板に大きな温泉マークが描かれている。その温泉マークに、「お前は一体、何をしにここに来ているのか?」と、訪ねられたような気がした。