紀州のローカル私鉄を訪ねてぶらり

 

平成9年7月。さて、またまた行き掛けの駄賃旅行である。聞きれなれない名前だが、御察しの通り、仕事での県外出張を利用して、その帰りにちょっと寄り道するものだ。今回の行き先は、愛媛県は川之江市。友人の住む町である。いつもの通り広島を早朝に出発して、松山市で新車登録、そして夕方納車という段取りだ。

いつもなら川之江市へ来れば、友人宅に一泊させてもらうのだが、今回に限ってはそうは行かない様だ。皆さんは子供の頃、三大流感に罹ったことがあるだろうか。そう「おたふく風邪」「水疱瘡」「はしか」である。実は私はその中の「はしか」に罹っていない。と、こう来れば事情はわかって頂けることでしょう。

かくゆう仕儀で夕食の誘いもそこそこに、川之江駅まで送ってもらうことになった。今回は綿密な計画を立てていないが、いつものこと、遠回りをしようと思う。しかし、四国の場合遠回りといっても出来ることは限られている。川之江から西へ向かうか、東へ向かうか。それしか選択肢はない。西へいけば九州。東は近畿、紀伊半島。比べてみれば、和歌山県のローカル私鉄が手招きをしている。そうとなればご招待にあずからねばなるまい。

納車の段取りが意外と簡単に片付き、とはいっても夕方一歩手前の3時過ぎである。これからとるべき行動は、いかにして今日中に徳島の小松島港に辿り着くかに尽きる。であるから、川之江駅に着いて、最も早い特急列車に乗ることにした。最近はどうも怠け癖が出て、指定席のある列車に乗るときは、必ず指定券を買うようにしている。いくら列車に乗るだけの旅とはいえ、席に腰掛けないとろくに車窓を楽しむことも出来ない。しかし、乗るべき列車は岡山行きとの事。とりあえず高松まで行きたい旨、窓口氏に相談すると、途中で乗り換える手間を看過すれば、高松まで通しの指定席特急券を発行してくれるとの事。料金はもちろん通しの料金である。渡りに船とばかりにお願いし、しばらくして車窓の人となる。

小気味良いレールのリズムでうつらうつらする私を運んでいる車両は、JR四国ご自慢の振子式特急電車である。詳しい型式は分からないが、カーブの多い予讃本線を右に左にローラースケートをする要領で駆けている。後から調べたところによると、路線のカーブのデータをあらかじめ入力しておくので、滑らかに曲がれるのだという。確かに今まで乗ったどの振子電車よりも乗り心地は良い。一般に振子電車は乗り心地が悪いものと相場が決まっている。

途中、高知からやってきて高松へ向かう特急列車に乗りかえる。矢張り四国での人の流れは、岡山を経由して近畿を目指しているのだろう。高松に向かうこの列車は、今まで座っていた人のものと思われる空缶や雑誌が散乱している。

車内で時刻表をめくると、高松で1時間ほど余裕が出来る事がわかった。高松駅は、現在は瀬戸大橋の影響で廃止になった宇高連絡船との乗り換えを考慮して、桟橋に寄り添うようにある。青森駅と同じく頭端式のホームを持ち、駅舎は桟橋とホームの中間に位置する。クシ型をしたホームの根元付近にある改札口周辺は、テーマパークの入場ゲートの趣がある。そこにはおなじみのキオスクは勿論、各種店舗が、ディズニーランドで言うところのワールドバザールのように並んでいる。当然うどんの立ち食いスタンドもある。夕食を取るにはまだ少し早い時間だが、本場讃岐のうどんを食わねば失礼というものだろう。早速ワカメうどんを注文し、即座に出てきたどんぶりを掴み寄せて、噛むのもそこそこに一気に流し込む。うまい。矢張りうまい。地元の人に言わせれば駅のうどんなどで感心してもらっては困るかもしれないが、広島駅のチューブから押し出してきたようなうどんと比べれば段違いだ。

駅周辺の様子を見に歩いて出る。しばらくしてアーケード商店街を見つけ歩いてみて驚いた。アーケードは真っ直ぐに遥か彼方、そんな表現でもおかしくないほど続いていた。10分ほど歩いても終わりが見えない。確かめてやろうかとも思ったが、意地になって次に乗る列車に遅れてはいけないので、一つため息を吐いて踵を返した。

途中、琴平電鉄の駅に立ち寄り様子を伺う。薄ら暗い待合室には人影は少ない。ローカル私鉄の「まあ、ちょっと乗っていきなさい。」という雰囲気を発散させているが、今日のところは涙を飲んで見送る。営業距離の長い琴平電鉄である。ぜひ次回はここだけの為に四国を訪れたいと思う。

次に乗るのは特急うずしお、徳島行き。改札を抜け目の前に鎮座しているそれは、まるで普通列車のようだ。たったの2両で特急列車とはJR四国もいい度胸だと思う。しかしその2両でさえ乗客の姿は余り認められない。なんだかわざわざ指定券を持っている私を嘲笑っているようだ。ただ私の場合、指定券をとるのは、座りたいのは勿論だが、列車名の入った切符を手元に残こす目的もあるので、そのあたりで気持ちに折り合いをつける。

すでに日はとっぷりと暮れ、時々並走する自動車をぼんやりと眺めながら駅弁をつつく。食事が済むと、先ほど買った夕刊に目を通す。地元の新聞だが、記事の内容がローカル色豊かで興味深い。全国規模では報道されないニュースというのは結構あるものだ。そして白眉はテレビ欄。地元制作のとんでもない番組があったりするが、私は旅行中の身。見る事が出来ないのが何とも歯がゆい。

いつのまにか舟を漕ぎ、停車の気配に目を開けると、すでに徳島駅に到着していた。少なかった乗客はみな居なくなり、私一人が車内に取り残されていた。素早く手荷物をまとめてホームに駆け出る。一息つくまもなく、小松島に行く為、普通列車に乗り換える。車内は帰宅の会社員でごった返している。それもそのはず。この列車が最終なのだ。酔っ払い、ろれつが回らないまま同僚と話をしている中年男性。口をポカンと開け、顔を上に向け寝ている学生。機関銃のような調子で下らない世間話をしているOL。どこの町でも変わらない情景の中で、私一人、旅をしているのだという奇妙な優越感に浸る。私だって今スーツを着ているのだから、余計に奇妙だ。

小松島駅は島式ホーム1面の小さな駅だが、ホームから見える線路脇には、見事な菖蒲が所せましと咲いてる。昔ここから小松島港に向けて支線が伸びていたが、そんなジャングション駅の風格など微塵も感じられない。改札を抜けると、町並みはいかにも漁業の町といった雰囲気で、いたるところに関連の小店舗が見受けられる。割と広い通りには、人影は全く無く、この駅で降りたはずの数人の客は、いつのまにか町並みに吸い込まれていた。町は暗くひっそりとしているが、これから向かう和歌山行きのフェリー桟橋は煌煌と明かりを点し、不夜城のようだ。事実、ここからは昼夜を問わずフェリーが発着している。瀬戸大橋が開通したとはいえ、徳島から関西へは、この小松島―和歌山がメインルートのようだ。大型トラックの数多くが乗船待ちをしている。

和歌山へ向かう便は思いのほか多いが、今日は一便見送って午前3時の出港のものまで待つ。待合室に桟橋の2階にあり、大型テレビが見る人の無いまま今日の野球のニュースを映していた。私はその真正面に陣取り、先ほど桟橋に入る前に買ったカップラーメンを啜った。ちょっとしたホールほどの大きさの待合室に啜る音が響き渡った。他には誰も居ないのである。はばかること無く、ベンチに横になった。昨夜は一睡もしていないので、たちまち睡魔が襲ってくるが、ここで寝過ごしてしまえば万事休す。10分もしないうちに、硬いベンチの事、横になるのも辛くなりあても無くテレビのチャンネルを変えたり、明日の予定を確認したりする。それでもいつのまにか夢の中をさまよい、有らぬ方向へ首を曲げていた結果、痛みに耐え兼ねて目が覚めた。いつもの事だが、ハッと周りを見回し時刻を確認する。ちょうど係員が乗船ゲートを開けている最中であった。体一つの乗客は私だけのようだ。そそくさとそのゲートを通り抜け、船内に乗り込むと桟敷を探しあて、靴を脱ぎ捨てたままですぐにゴロンと横になった。その数秒後には、意識を失っていた。

矢張りというべきか、和歌山に到着して尚爆睡していた私は、船員によって揺り起こされた。下船が始まって10分は寝ていたらしい。この桟橋から和歌山駅までは乗り換え時間がさほど無い。長いゲートウェイを重いカメラバッグに振り回されながら駆け抜ける。早朝にもかかわらず、幸い1台のタクシーが客待ちをしていた。行き先を告げ走り出すと、意外と時間がかかる。早朝の為、他の車は殆ど見かけないが、市域が予想以上に大きい。目論見では5分で到着のはずが10分かかってしまった。

何とか予定の列車に間に合い紀勢本線藤並駅に降り立つ。ここでお待ちかねの有田鉄道が待っている。が、しかし、その駅舎らしきものは見当たらない。発着はおそらく、藤並駅の3番線に相当するところからであろうが、その表示はない。物置小屋があるくらいだ。発車まではいくらかあるのでとりあえずJRの改札を抜け案内表示が無いか探してみる。駅前に出ると重く湿気を含んだ風が頬をなで、髪の生え際あたりから汗が沸いて出る。右往左往してみるが一向に有田鉄道の案内は見つからず、仕方なくJRの駅員に訪ねる。すると、面倒くさそうに先ほどの物置小屋のところで待っていろ、と言う。再び改札を抜け、跨線橋を渡りそこへ行ってみる。はて?と思い裏へ回ってみると、なるほど物置小屋の壁に、有田鉄道の時刻表が貼ってあった。駅名表示板はないかと探してみると、朽ちかけた板切れにかすれた文字がわずかに残っていた。

発車時刻が迫っているが、他の乗客は現れる気配が無い。ローカル私鉄の現実はこんな物だろうか。まして、今は朝のラッシュ時間を過ぎ乗客の少ない筈の時間帯だ。

しばらくして入線してきたのは、かわいらしい、とはいっても少々けばけばしい装飾のレールバスだった。南部縦貫鉄道のようなものを期待していたので、がっかりした、と言えば失礼だろうか。車内には職員が手書きしたものらしい張り紙があちこちに散見できるが、面白いのは車端部に本棚が置いてある事だ。児童向けのものばかりだが面白いアイデアだ。窓には普通家庭でするようなカーテンがかけてある。

発車時間になっても発車する気配が無い。今改札を抜けてきた客が何人かいるが、走ってこちらに来る様子はない。何か事故でもあったのかと思い待っていると、先ほどの数人の客が運転手に親しい挨拶をしながら乗り込んできた。それを待って、レールバスはゴトゴトと動き出した。今乗ってきた人たちは、この時間の列車に乗る事が日課になっているのだろうか。

JRでは考えられないような曲率のカーブを低速で曲がり、さてそろそろ加速するかな?と思わせておいて、すぐに最初の駅に停車する。ドアが開くと、外の熱気と土砂降りのようなセミの鳴き声が車内になだれ込んできた。歩いてもよさそうな距離だが、一人の老人がここで下車した。

レールバスは再び動き出す。沿線には夏休み中らしい子供たちが何人か集まって元気に遊びまわっている。そのうちの一人レールバスに向けて手を振り始めた。運転手がいつもの事のように大きく手を振り返している。今度は子供の視線がこちらに集まり、私に向け手を振っている。いささか気恥ずかしくはあったが小さく振り返してやった。

民家の裏口を通り抜けるようにして、終着の金屋口に着いた。料金箱に小銭を入れ降り立つ。小さいながらも終着駅の雰囲気を充分に持ち合わせていたが、いかんせん、すぐに折り返し発車してしまう為、2、3枚写真を撮って再び乗り込む。運転手が呆れた顔をして、一つ小さいため息を吐いた。

藤並駅に戻り、紀勢本線を南下して御坊駅に着いた。ここで待っているのは、紀州鉄道。御坊駅の一番海よりのホームで列車は出発を待っていた。クリームと紺の二色に塗り分けられた車体は、すでに何年使い込まれているのだろうか。あちこちに錆の出たところを塗り直した後があるが、全体には良好に維持されているようだ。車内に入ると、まず板張りの床に気がつく。そしてニスを何度も塗り直した座席。思わず、これこれ!求めていたものは、などと埒の無いことでにんまりする。乗客は多く、席の半分ほどが埋まっている。冷房のような気の利いたものはない。すぐに窓を全開にする。動き出して次第に気持ちのよい風が入ってくる。先ほど乗った有田鉄道以上に民家の裏を霞め通る。迂闊に手や顔を出していると物干し竿に手痛い一撃を食らいそうだ。しかし面白いのは、こうした民家は道路に面して表を向けている。勿論、人が出入りするのだから当たり前だが、たいして鉄道に面しては、無防備なまでにプライバシーを曝け出している。下着姿のままで昼寝しているおばちゃんも、列車が通過してもどこ吹く風、と言ったところだ。流石は南国と言って言い紀州。ソテツなどの植物が多く見られる。バネなどついていないような揺れ方をする列車で顔いっぱいに向かい風を受ける。いい気分だ。

終着駅の西御坊は、民家が片手間に駅もやってます、と行った雰囲気で、駅員もどこにでもいるようなおばちゃんがやっている。記念に切符を買い、駅を出ると、線路はこの駅より先にずっと延びていた。昔はこの先へも列車が走っていたとの事。もう暫く乗っていたい、そんな気にさせる、味わい深いローカル線であった。