すぐそこにある三段峡へ行こう

 

久しぶりの休日に、今日は珍しく朝早くから目が覚めた。いつもなら前の晩夜更かしをして遅い朝食、と言うより昼食を摂る事が殆どなのだが。寝覚めは決して悪いほうではない。いささか眠たくもあり、このまま寝ていようかとも思ったが、起きていれば今日、数時間を余計に過ごす事が出来る。暫く損得勘定をした結果、ごそごそと起き出した。とりあえず目覚ましに顔を洗う。さて、起きたのはいいが、何をしようかと考える。カーテンを開けると低い雲が垂れ込め、雨こそまだ降っていないが、午後には雨粒が落ちてきそうな気配だ。快晴であればカメラを持って山へ野鳥や野草の写真を撮りに行く所だが、この明るさでは露出がうまく得られないかもしれない。逡巡した末、可部線にでも乗りに行こうと思う。可部線にはこれまでにも何度か乗った事があるが、身近な割に結構長い距離があり、太田川水系に沿って走るので風光明媚だ。これまでは晴れた時にしか乗っていないが、雨降る中を行くのもいいかもしれない。 ことが決まり、早速カメラバックに機材一式と文庫本数冊を詰め込んで自宅を後にした。

今日はゴールデンウィーク最中の平成10年5月3日。安芸中野駅からとりあえず広島駅に向かうが、矢張り乗客が多い。ましてや、つい最近、新聞などによって可部線の可部以北の路線の廃止をJR西日本が検討を始めたとの報道がされており、恐らく1〜2両で運行される可部線は混雑が予想された。私自身、廃止が喧伝されるからと言って態々乗りに行くと言うのはどうも気が引けてしまう。乗りに行くのであれば、乗りたいと思ったときに行けばいいのであって、廃止されるから行くと言うのはどうも火事場の野次馬のようで、品性に欠ける行為だと思う。ただ、偉そうな事を言っているが、私自身にそのような気持ちが微塵も無いか?と問われれば笑ってごまかすしかない。

広島駅でフィルム等を買い揃え、可部行きの2両編成の電車に乗り込んだ。時間的にはまだ、郊外から広島中心部への人の流れで、その流れに遡行するこの電車には乗客は余り多くない。105系だったか、車両には詳しくはないが、こじんまりとした車内はすべてロングシート(窓に背を向けて座るタイプ)で、小旅行ながらも旅情が沸き立つような車両ではない。私はそのシートの一番端に腰掛け、先ほど広島駅で買った弁当をつつく事にした。乗客が多くないとは言っても、数人がこちらの様子を、ちらと伺っているのがわかる。何か気まずい思いだが小さな車内に逃げ場はない。殆ど食べ終わる頃になって、先ほど様子を伺っていた人の何人かが弁当を広げ始めた。私が、表面上堂々と食べているので安心したのだろうか。ここの中で「小心ものめ。」と呟く。

最初はあまり気に入らなかったロングシートだが、今日は乗客が少ない事もあってその利点に気づいた。普通のボックス席なら前、もしくは後ろ向きに座って進行方向に向かって半分の景色しか楽しむ事が出来ないが、人が少なければロングシートにゆったりと腰掛け、向かい側すべての景色を楽しむ事が出来る。靴を脱いで足を投げ出す事は流石に出来ないが、存外いいものだと思う。

可部駅までの可部線は駅間距離が概ね短い。これは、この可部線の前身が私鉄であった為で、全国どこでもそうだが、ローカル私鉄は地元密着型のサービスを施す必要があるので、自ずと駅間距離が短くなる。そしてその路線は住宅密集地を縫うように走るので、駅舎はこじんまりとし、ホームも充分に長さを確保できていない。可部線の可部以南は殆どが2両編成だが、中には山陽本線や呉線から乗り入れる4両のものがあり、その場合、電車がホームからはみでる駅もある。しかしそうでもしないと、輸送力を確保できないのだろう。電化されている可部以南は広島市のベットタウンとしてここ十年来周辺人口が増えている地域だ。数年前に開通したアストラムラインもそのために建設された。だから昔は、可部線の殆どの始発駅は広島駅の西隣の横川駅であり、終着三段峡行きの直通が多く設定されていた。現在でも数本残っているが、可部駅折り返しのものが当たり前になっている。だから可部駅には折り返し用の頭端式ホームも用意されている。

可部駅で2両編成のディーゼルカーに乗り換える。今までの車内の閑散ぶりが嘘のように混み合っている。通路に立っている人のひじが当たるくらいの混みようだ。恐らくその殆どは数駅で下車してしまいそうな雰囲気だが、明らかにピクニック気分のいでたちの人や、いかにも「鉄」分の多そうな人もまま、見受けられる。ここから北へは極端に列車本数が少なくなるのだから込むのも当然かもしれない。

列車は人の重量が負担なのか、のそりのそりと走りだした。ここからは進行方向左手にすぐ太田川を望む事が出来る。ポツポツ雨が降り出したようだ。川の淀みに雨の波紋が幾つも見られる。列車の窓ガラスにも縦長に雨跡がつき始めた。

一つ二つと駅に停まっていくうちに、次第に乗客は減り始め、安芸飯室駅を過ぎてようやく空席が目立ち始めた。その中で太田川の望める左側の席に陣取り、靴を脱いで向かいのシートに足を投げ出し、早速くつろぎモードに入る。雨の降り方も次第に激しくなり、対岸の新緑深い山肌に靄がたち始めた。快晴の日の景色もいいが、こうゆう雨にけぶった景色もいかにも日本らしくてよい。有名な鉄道紀行作家の宮脇俊三氏も、その作中に同じような事を書いていた。

列車は相変わらず太田川沿って河岸段丘の少し高いところをたいして速度を上げずに走っている。聞けはこの可部線、山陰の浜田まで延伸の計画があったと言う。今福線と命名される筈だったこの路線は、一度は太平洋戦争の為、二度目は昭和55年の工事凍結の為に計画中止を余儀なくされた。しかし、工事途中の遺構が、今尚所々に残っていると言う事だ。もし全通していれば、風光明媚な路線になり、広島から浜田を経由して、萩、長門市あたりへ向けて直通の急行列車が走った事だろう。列車名は急行「萩」とか「青海島」とかになったのだろうか。想像するだけで楽しい。広島、浜田間は、ビジネス客の需要が多く、現在はJRバスが運行しているが、鉄道が開通していれば両都市間の移動は容易この上ない。現在ある路線で広島から浜田まで行こうとすれば、新幹線で小郡まで行き、そこから山口線に乗り換えて浜田まで、といことになるからかなり遠回りになってしまう。しかし、現実的に、赤字路線として廃止の候補にあがる事も必至だ。同じ広島県内で陰陽の連絡線に、木次線、三江線、などがあるが、特に後者などは全通したこと自体が奇跡のような気がする。そういった意味で、今福線は運が悪かったと諦める他はあるまい。

列車はいつしか加計駅に到着した。ここで長時間の停車があると言う。気分転換に改札を抜け駅前を少し歩いてみる。霧のような雨が降っているが、傘をさすほどでもない。小腹が空いてきたので駅前のスーパーに入って物色するが、今一つ気のきいたものが置いてない。仕方なく魚肉ソーセージと菓子パンをもとめ車内に戻った。

何の為の長時間停車かと思ったが、聞けば行楽シーズンの為車両を増結するとの事。今日に限ってその必要は無さそうだが、その増結風景もまた楽しい。童心に返って作業をすぐ横から眺めていると、いつのまにか一人の中年男性が、腕組みをし、鼻の下を伸ばしながら一緒に覗き込み始めた。

加計を過ぎるあたりから、川の両岸はその間隔を次第に狭めてきており、山肌も険しさを増している。加計の地名の由来は「崖」が訛ったものと聞いた事があるが、成る程、うなずける説である。そのため列車は、今までは太田川の右岸を走っていたが、橋を渡り、小山をトンネルで抜けていく事が多くなった。これ以上川に素直に沿って走っていればカーブばかり多くなるからだろう。

列車は終着駅、三段峡を目前にして、今まで連れ添っていた太田川と別れ、丘に登り始める。息せき切って上り詰めればそこが三段峡駅だ。激しくなった雨の中、列車はキキーとブレーキを軋ませながら停車した。崖の手前で線路が断ち切られている。いかにも終着駅らしい風情だ。周りは山が一層深く取り囲んでいる。先ほどの今福線の事を思い出すが、ここからどうやって線路を延ばすつもりだったのか。そんな疑問が湧くのも当然と思えるほど、終着駅の役が似合っている三段峡駅だった。