楽 園 都 市 の 夢 『銀砂の絆』
第七話 黒き制裁者
あの、花見の宴から早三日が経とうとしていた。
「アレイ、今日は何処に行く気だい?」
「当てなんか無いわよ。とりあえず、近場から当たってくしかないんだからっ」
『full moon』の前の小道で。
後ろに付いて来るソルトに投げやりな言葉を返してから、アレイはちっと舌打ちをした。
あの、別れ際の場面の後。
アレイは飛ぶような速さでジェルラの元へ駆け込み、スィードの素性を問い詰めた。
しかし彼女は、『よく喫茶店に茶を飲みに来る客』としか答えず、居住地も知らないと言い張った。
そのため、アレイはこうやって地道に歩き回っているのだ。
スィード・・・『裁きを下すもの』の手がかりを追って。
「ねぇ、アレイ」
「なによ」
「どうして、そんなに必死にスィードを追ってるんだい?」
そのソルトの問いに、アレイは暫く押し黙った。
真実を告げるべきか・・・いや、そんな気はさらさらないのだが、まぁどうやってかわすか・・・それを
考えていた。
「・・・もしかして、惚れちゃった?」
どごっ。
鈍い音がして、アレイの拳が叩き付けられた『full moon』の壁が、ぼろぼろと崩れた。
「んなわけないでしょーが・・・」
口調は静かだ。
しかし、とてつもなく不機嫌であるのは一目瞭然である。
「じゃぁ、どうして?」
内心、ああ僕があの壁じゃなくて良かったなとか思いながらも、ソルトは小首を傾げて尋ねる。
アレイはその問いに、また押し黙った。
瞼の裏には、あの日の光景。
「・・・・アレイ?」
自分の顔を覗き込んで来るソルトに。
自嘲が色濃く映る笑顔を向けて、アレイは言った。
「聞きたい?あたしの故郷の話」
アレイの故郷は、忘れ去られたようなちいさな村だったけれども、それ故に長い間、平和だった。
少なくとも、アレイが10の誕生日を迎える頃までは。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
幼いアレイは、焼け落ちかけた扉の影から顔を覗かせて、絶句した。
ほんの少し前まで、あれだけ平和だった村が。
瓦礫の山と、化していた。
あちこちで、ぶすぶすと炎が燻っている。
嫌な、−−−人の肉が焼ける匂い。
アレイは思わず胸を抑え、吐いた。
こわい。こわいこわいこわいこわいコワイ
たすけて。助けて助けてたすけてタスケテ
どうして。どうしてどうしてどうしてドウシテ?
がくがくと体を震わせながら、アレイはふと視界の隅でうごめく影に気がついた。
直視しないほうが、幸せだったかもしれない。
しかし、アレイは反射的に振り返り、ソレを見てしまった。
父が。
その手に抱えた母の胸に、長い剣を突き立てている光景を。
父さん・・・・・・・・・・・?
そこに居たのは、アレイの知っている優しい父ではなかった。
小さな村で唯ひとりの医者で、あんなにも村人に慕われていた父ではなかった。
母の胸を貫いたまま、恍惚の表情を浮かべる父の姿をしたそれは。
しばし余韻に浸るように、暖かい血潮を滴らせる母の骸を抱いていて。
そして徐に、少し前まで母だった肉塊を投げ捨てて、アレイのほうへ歩み寄ってきた。
「あぁ・・・ぁ・・・・・・・・・・」
体を動かすことも出来ずに、アレイはただ掠れた声を出した。
それに気を良くしたかのように、くすりと微笑って父は、アレイの細い首筋にそっと手を添えた。
アレイ、私の可愛い娘。
私の・・・聖魔の血を与えたお前を他の人間共のように殺すのは忍びないが、解ってくれ。
もう、楽しすぎて、自分でも止められないんだ−−−
そのまま、アレイのからだを宙へと引き上げた。
「あ・・ああ!!」
人に在らざる凄まじい力で喉を締め付けられ、アレイは抵抗することも出来ずに、その命の
終わりが近いことを示す、血の混じった声を上げた。
アレイの意識が、途切れる一瞬前。
ぼやけてろくに見えない父の顔が、あきらかに歪んだ。
アレイは地に落ちた。
ヒュゥヒュゥと鳴る喉を抑え、上を見上げると。
後ろから、銀の剣に胸を貫かれた父が、そのままの姿で絶命していた。
ビュゥ、と血が吹き出す音がして、父を殺した剣が胸から抜かれた。
どさり、と支えを失った父の骸は地に落ちる。
丁度、今し方母が父によってそうされたように。
そして、銀の剣を握っているのは。
氷のような表情の、美しい青年だった。
いや、女だったかも知れない。
あの、氷のような冴え冴えとした雰囲気しか憶えていない。
ともかく、その・・・『氷』としよう。
『氷』はアレイに目もくれず、地に伏した父の体にもう一度銀の剣を穿った。
びくん、と父は大きく跳ねて、まるで砂の城が崩れるようにして消えていった。
跡には、何も残らなかった。
その様を見届けてから、やっとアレイに目を向けた『氷』は、その薄い唇を微かに開く。
聖魔の血を継いだ娘よ
お前は運命の中で、精々もがくが良い
『氷』は一対の白き翼を広げた。
『氷』が去り、死に絶えた村にはアレイだけが残された。
自嘲の笑みを浮かべたまま、一度も押し黙ることなく経緯を述べたアレイは、いっそ清々しい
とでも言うかのようだった。
「そして・・・・・アレイは死ぬ気なの?裁きの黒天使を探し出して、殺してもらうつもりなのかい?」
ソルトの問いにも、アレイは臆することはなかった。
「そうよ。あたしは自分の血に決着を付ける為に。−−−死ぬ為に今、此処に居るんだから」
「ダメだ!僕が死なせない!!」
頑ななソルトの言葉に、アレイは酷く優しい笑みを浮かべた。
「あたしは死ぬのよ」
ソルトが首を振り、なおも叫ぼうとしたその前に。
織鈴の叫び声が、2人の元にまで響いてきた。
「だれか・・・スィードさんが!!!!」
反射的にアレイは走った。
一瞬呆然としたソルトも、それに続く。
そして、『full moon』の裏手で2人が目にしたのは。
胸部から夥しい血を流し、その長い髪をレンガの上に散らして倒れ伏す、スィードの姿だった。
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