ダバイファミリー通信(2002年12月号)

 今さばいひーr しのわはういっく? らべーす? さっはっ! だるびじゃんアロミ

早いもので、もう師走。何かと忙しなくなってきますね。最近Hippoがご無沙汰の方もお元気ですか。 11/30のファミリーに、渡辺ぺコリンが遊びに来てくれました。チュニジア交流から3ヶ月。帰国したばかりの頃には気づかなかったことも、最近になって気がつくことがぺコリンからもマリンカからも出てきて面白いよ。  例えば・・みんなが言ってる「さばはるひー」って、毎朝言ってた「さばいひーr」の事だって気づいたとは、マリンカ。ぺコリンに至っては、1人でタクシーに乗った時、それまで左が「ラゴーシュ」で右が「ゴーシュ」だと思ってて「ゴーシュ」って言っているのに左に曲がってしまう運転手さんに不信感を持ってしまったんだけど、帰国してフランス交流から帰ってきた人の話を聞いていたら「あらっ?左に曲がって良かったのね」って気づいたんだって。このタクシーの話、私は可笑しくて涙流しながら聞きました。ぺコリンらしくてとってもいいね。私も最近アラビア語のCDで「ガミーラ」や「ゲッダン」などここにも、ここにもって見付かって面白くなってきたよ。

 さて、ここで私からの提案があります。なーんて、もうファミリーとかでチョコチョコ話しているんだけどね。来年から月1回のペースでお昼間ヒッポをしたいなぁと思うんだけど、いかがですか? 先日、中央線でいくつかのファミリーが合同で行っているお昼間ヒッポにお誘いいただいて行って来て、コレが結構新鮮でした。司会役が3人いて、その人たちで中身づくりをする。要はやりたいことを司会の特権でやれるって訳。その日面白かったのはチビ輪アンジュセヨ。4〜5人のチビ輪だからいっぱい話せるしその後全体の シェアリングもあり、何より司会の人がそれぞれ自分ことを話したのね。音の発見を話す人もいれば、整体に行ってその先生と中国語で話した体験を言う人もいればそれぞれが『自分の体験』を話す。この『場に出て話す』ということを飯能の皆とやりたいんです。今、飯能には4つのファミリーがあるし、その上またぁ!?って思う人も居るかも知れないけど、ちょっと最近の私の体験を書かせてね。  実は10月の初め、ダバイファミリーの継続が難しいかなと思ったんです。理由は、わが子供達とファミリーに来ても「サダやらなーい、メタ活やらなーい、アンジュセヨでは勝手におしゃべり」って感じでコレじゃ嬉しく言葉なんか育てられないよーなんて思ったら止めようかって結構真剣に考えて、その日ファミリーが終わった後1人で出かけちゃったんです。それから二日後、日本青年館でフェロウMeetingがあって丁度、隣に居た よーかんにその話をしたことがきっかけで、月1回本部であるフェロウMeetingの司会チームに入ってしまったんです。もちろん私としては沈んだ気持ちで居たので勘弁して〜って感じなんだけど、必ずしもノッテない人も前に出るきっかけをもらえるのがヒッポの面白いところ。でもその時は勿論そんな風には考えられないで「えー、勘弁してー」って言ってたの。ところが最近フェロウ達もあんまり元気じゃない人が多くて、なんと司会チーム6人のうち私を含めて半分以上があまりヒッポを楽しんでいなかったの、笑っちゃうよね。で、二週間後にあるフェロウMeetingをどうしたい?フェロウってなに?色んな話を司会チームの人たちとしていくうちに、私は何でヒッポに入ったんだっけ?ってところに戻るわけ。初めて講演会に参加して、いくつもの言葉を楽しそうに話す人達を間近にみて、私もあんな風になれるのかしら?とワクワクしながら入会したことを思い出す。 そう、私は『もっと気軽に多言語を話していきたい』って自分の今の目標というか、原点が、皆と話していくうちにくっきりしてきたの。可笑しいよね、多言語の活動してるはずなのに。だから逆に言うと、今までいろんなことに気をとられていたのかも。で、Meetingでは何を話したかっていうと今書いたそのままと、ファミリー終わって『プチ家出』しちゃいましたって韓国語で。おまけに前日にあった冬の交流準備会でも司会になって、その時にもチュニジア話を日本語なしでやってみようと無謀な(!?)ことをすることにしたの、これはかなりドキドキでした。何しろご存知の通り自己紹介と空耳のところぐらいしかアラビア語では言えないし、フランス語も、ねぇ。そこで当日までファミリーでもどんな集まりでも皆に聞いてもらって、足して貰って、それでも言いたいこと伝わらないかもって、絵も子供に手伝ってもらいながら描いてって大騒ぎでした、私の中で。しっかり子供達にも協力してもらってることも笑っちゃうでしょ。 でもその様子を見ていたチャンが、「何か楽しそうだなぁ」だって。えっ、楽しそう?そうかもしれない「大変、大変」といいながら「できない、できない」っていいながらヒッポに入って一番excitngな日々だったかも。 それを、興味津々で見ていてくれる、よーかんの存在もとっても大きかった。そして、フランス語もアラビア語も私の中に結構あるじゃない、韓国語だってあんなに長く話したの初めてだった、言おうとしてなかっただけなんだってことも、発見でした。 長々と書いてしまったけど。『場に出る』ってことをきっかけにこ〜んなに沢山の自分発見があるのなら、み〜んなにも必ずあるし、そのプロセスを共有することをやりたいって思っちゃった訳です。体験話は、自分の中の『同じ』を見つけたときこそ共鳴するよね。以前カンカンから「私、話せてるって実感がないの」って話をされた時、じゃ話せる実感が持てることをファミリーではしてないのかな、どうしたらそうなれるんだろうって思ったら悲しいことに何も私から言えなかった。そんな沈んだ時は、いろんな人の話を聞いたところで、それはあなたの嬉しい体験で私とあなたは違うの、なーんて妙に卑屈になったりしてね。自分の内側から起こること言葉にしていかなけりゃ話せる実感なんて持てないもの、って今は思っています。ヒッポが『赤ちゃんをやっちゃおう』ってなった時、赤ちゃんを外側から眺めて赤ちゃんとは・・なんて議論をしても一向に赤ちゃんの本質が見えてこないように、言葉とは、多言語がはなせることとはって話すより、先ずは一言でも発してみる、赤ちゃんのように。そこから見えてくる内側の体験を語り合いませんか?先日、私から提案があるのってカンカンにTelしたら、返事は「え〜」って思った通り。ハハハ、私も気持ちが引いてる時に背中をポンと押して貰ったように、今度は今引いてるカンカンの背中をポンって押したいと思います。だって「多言語、話したいんだよね」って Telでも強く言ってたよね、じゃ話そうよ、ねっ。取りあえず、一年をメドに継続していきたいなと思ってます。うん、それ乗ったって言う人アロミまで声かけてください、一緒に多言語歌いましょう。