ことばの変異を考える
― 電子メールと手紙の挨拶の差異 ―
1. 言語変項
電子メールという比較的新しいシステムを利用するようになって一年と数ヶ月。使い始めた当初に感じた戸惑いが、手紙の書式と違っていたことが理由ではないかと考えるようになったのは、社会言語学の講義を受講するようになってからであった。
ここ数年、パソコンの普及とともにインターネットの利用者が急速に増加してきた。それは同時に電子メールの使用者の増加をも意味する。電子メールというこれまでにないコミュニケーションの手段が、手紙などとどのように違っているのか、という事に興味があったので、電子メールと手紙の差異について調査しようと考えた。私自身が電子メールと手紙の両方を書いていて思ったことは、手紙より電子メールのほうがより口語体にちかい(あるいは、話し言葉そのもので、相手が聞いているつもりで文章を書いている場合もある)ということである。その中でも、文章の冒頭、挨拶の部分は、手紙と電子メールが最も差が現れるのではないかと考えたので、このレポートのテーマとした。
文章の最初の部分の差として、手紙は時候の挨拶等がくるのに対して、電子メールでは最初に自分自身について自己紹介のように名乗るのではないかと、私はこのレポートの調査を開始するにあたって予想した。
2. 調査方法
調査方法として、2つの手段を用いた。まず、電子メールのあいさつ文については、私自身が参加しているメーリングリストや、私宛に送られてきた電子メールを調査対象として、調査した。
まず、メーリングリストでの調査についてだが、初めてメーリングリストに参加した人(つまりそのメーリングリストに最初に送ったメール、ほとんどの場合は自己紹介が行われる。)のメールの書き出しについて50通程のサンプルを抽出しそこからまとめてみた。対象としたメーリングリストは「建築メーリングリスト」という1997年3月にスタートしたばかりの比較的新しいメーリングリストである。
次に、手紙と電子メールのあいさつのについてそれぞれどのように書くかについて、状況を設定した上で、10人程にヒアリング調査を行った。設定した設問は、「以前に友人から紹介されたことがあるが、それほど面識のない人に手紙(電子メール)を出して、その上で面会しなければならなくなりました。このような場合に、あなたはそれぞれ手紙・電子メールをどのように書き始めますか?」というもので、記述形式で解答をお願いした。
3. 結果・考察
(1) メーリングリストにおける文章の書き出しについての結果と考察
メーリングリストというものは、全く面識の無い人たちが、何らかの共通の話題を話し合う場として存在している。このようなものにメールを出すときに、どのようにメールを書くのかという調査に対して、いくつかの特徴を持った結果があらわれた。以下は調査したメールの書き出しを種類別にまとめた物である。
「こんにちは(こんばんは)、○○@××大学です」(18通)
「☆☆に住んでいます○○です。」(4通)
「こんにちは、○○です。」(9通)
「みなさんこんにちは(こんばんは)」(10通)
「こんにちは、○○@××%建築とは無関係な仕事 です」(2通)
「○○です。」(7通)
(注)○○は名前を、××は大学名・会社名を表す。
調査対象とした「建築メーリングリスト」に送られたメール約50通の書き出しをまとめたところ上の様に8つに分けることができた。まず、何よりも注目すべきことは、多くの人がメールの書き出しの部分で名前を名乗っていることである。手紙の場合、普通は最後に名前を書いて終わることを考えると、明らかに電子メールと手紙の書き方に相違があることがわかる。
なぜ、冒頭でこのような書き方をするのだろうか。一般的には“メールをもらったとき、受信人が一番先に知りたいのは、誰から来たメールであるかということだから”というように説明されている。しかし、少なくとも最近の電子メールソフトには差出人欄が付いていて、メールを開ける前に誰が出したメールかわかるようになっている。ということは、これ以外にも理由があるに違いない。
1つ考えられるのが、手紙というのは基本的に一対一のやりとりのみが可能であるのに対して、電子メールは複数の人間の間でやりとりをすることが可能であるということである。一対一であれば、よほど見ず知らずの人から送られてきたものでもない限り、相手の素性ははっきりしているが、電子メールの場合、複数間でのやりとりということが考えられる。このような場合、送られてきたメールの差出人欄を見ても、メールを出した人がどのような人か全くわからないという状況も十分考えられる。さらには、電子メールには転送という機能も存在している。自分とは全く関係ない人が書いたメールでも、誰かの手を経由して転送されてこないとも限らない。そのようなとき、文章の始めに名前と何らかの所属等がかかれていれば、メールの内容を理解するのに少しは役立つのではないか。以上のような理由から、記事の冒頭に自分の名前と所属を名乗るという習慣が発生し、現在も継続しているのではないかと考える。
次に、あいさつの仕方が「こんにちは」というものと「こんばんは」というものに分かれているということが注目される。これは、発信者がメールを送った時間によって分かれていることが明らかにわかる。今回の調査では、あまり存在していなかったが、自分自身の経験から考えても、朝送られたメールには「おはようございます」という一言がそえられている可能性は高いのではないだろうか。手紙の場合には「こんばんは」や「おはようございます」と書くことはあまりないので、電子メールでのみよく見かけるものだと言わざるをえない。この理由としては、やはり電子メールは発信すればすぐに相手のところに到着している可能性がある、という同時性の共有があげられるのではないだろうか。その意味では、電子メールは手紙と電話の中間に位置していると推測することができる。
この他に、現在のところ電子メール以外では全くといっていいほど見かけないものに
「小川@関学大です」
というような表現がある。“@”はatの意で、「私は関学の小川です」といっているのと「小川@関学です」というのが同義なのである。つまり、「名前@所属」という形式が電子メールの世界では完全に認知されており、日常的に使われているということである。このような書式は手紙などでは全く見られない、電子メール独特のものである。そして、この“@”の使い方も、現在ではかなり変容してきている(或いは、用途が拡大してきている)ように思われる。調査対象のメールの中にも「○○@暑いですね」とか「○○@仕事中」など、「名前@心境」や「名前@現在の状況説明」といったパターンで使われているものがいくつか見られた。“@”のこのような使い方をしていたメールはほとんどがメーリングリストの常連投稿者であったことから、おそらく、ある程度相手が自分のことを知っていて、いちいち所属を表明しなくてもいいと考えられる場合に、“@”を使わないのでなく、“@”の意味を変化させて使っているのだと考えられる。
(2) 手紙と電子メールの書き出しの違いについて
手紙の書き出しと電子メールの書き出しを、実際に10人程に書いてもらった。その結果についてだが、まず手紙の場合には、やはり本文の中で名乗ったりせずに、時候のあいさつ等をほとんどの人が書いていた。それに対して、電子メールの場合には(1)でも扱ったように「こんにちは、小川@関学大です」という書き出しがほとんどであった。言葉遣いについて見てみると、どちらも口語体という人が多かったが、ほとんどの場合、手紙よりも電子メールの方がくだけた書き方になっていた。
4.反省・評価
手紙と電子メールの書き出しの違いについて調べてみた今回のレポートにおける反省点として、まず、調査対象が限定されていた、ということを挙げることができる。調査対象を広げ、より多くのサンプルを集められたならば、もう少したくさんの具体例を使用することができたような気がする。また、手紙の挨拶に関する部分が深く考察しきれなかった点に悔いが残る。
次に、評価できる点としては、“@”の使い方についてと、何故電子メールでは自分の所属を文頭に記すことが多いのか、の2点について独自の観点から論じることが出来たことである。
最後に、調査と並行して、今回のテーマについていくらかの文献にあたってみたが、残念ながら参考となるような文献はそれ程多くはなかった。おそらく、電子メールの書き方について多くの人が論じはじめたのは最近のことであり、また、これから盛んになるであろうと考えられるが、私自身ももう少しこのテーマについて時間をかけて考えていきたいと思う。
【参考文献】・月刊言語1996年9月号(大修館書店)
・月間言語1997年1月号(大修館書店)
・日本語学1996年11月号(明治書院)
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