自然と人間の交流史 ファイナルレポート

(1)自分の提出課題から
 「自然と人間の関係が変化する時には、社会的・歴史的な事件や発明・著作などの登場があると考えられないだろうか?このように設定した時、古代から近代(現代)までの各時代の分岐点と思われる歴史上の事件・著作・人物などを数点取り上げて、自然と人間の関係の歴史を考えなさい。」


 古代の西ヨーロッパ世界は森林に覆われた世界であった。このような世界においては人々は狩猟によって生きる以外に方法はなく、人間にとって自然は支配しうる存在ではなく、支配される存在であった。食料の(つまり生きる方法の)全てを自然に頼っていたがゆえに、自然は畏怖の対象であり、崇拝されるべきものであった。このような社会においては、人間は自然というものにたいして野心を持つことはなく、自然に対して間借りしているという気持ちが強かったであろうと考えられる。しかしながら、農業技術等の革新により、森林は次々と畑などへと変化していった。このことは当然のように、人間の自然にたいする心理に多大な影響を与えることとなり、この頃から人間は、自分達を自然と対等な関係として認識するようになったのではないだろうか。
 歴史上おそらく、人類が自然にたいする認識をもっとも激しく変化させたのは18世紀〜20世紀のあいだであろう。この間、人類は自然にたいして優位に立とうとし、さらには、一部の人間は、自然と人間の関係は、自然が人間を支配する関係へと変化したと確信していたかもしれない。そのような、認識の変化の契機となったのが、18世紀のイギリスに始まる“産業革命”であろう。産業革命は科学技術の進歩に対応して起こり、そして、産業革命が科学技術革命を引き起こす結果となった。科学技術の進歩は、人類に巨大な力を与えることとなり、自然の営みを、人類の欲求によって変化させることを可能とした。囲いこみ運動とワットの蒸気機関の改良から始まったとされる産業革命は、豊かさを追い求めることを性とする人類にとっては、たどり着かなければならない目標であった。そして、この産業革命から始まる人類社会の劇的な変化は、近代化という名前で歴史的には括られることになる。19世紀、そして20世紀前半の人間達にとって、自然は人間が支配することが可能であると考えるそんざいであった。自然は人間が豊かに生活するための道具と考えられ、自然が人間に対してしっぺ返しを行うのは、人間の技術力が弱いからだと思われて、人類は更なる科学技術の力の発展を目指そうとするだけであった。このような認識を人類が改めるのは、少なくとも20世紀後半、つまり、現代社会での出来事なのである。
 1960年代以降、激増する環境問題を目の前にして、人類は産業革命以降初めて、自然の存在が人間の活動に左右されることの恐ろしさを知ることとなる。環境保護運動のほとんどは(環境を“保護”するとう、人間が自然を支配しているかのような言葉を使うことで人間の“プライド”を保っているのだろうが)、この、人間が自然に手を加えることによる自然の反抗にたいして、恐怖を感じることから始まったのではないだろうか。しかし、現在にいたっても、大部分の人間は、人間と自然の関係は対等か、人間が支配可能と考えているようである。人間は自然にたいして間借りしている存在であるということを、多くの人が今だに認識していない。人間が存在していなくても自然は存在しているが、自然が存在していなくては人間は存在できないということを、人類全体が認識した時、初めて、自然と人間との相互理解がはじまり、自然と人間が“共生”(この言い方も、少しおかしいが、あえて使うことにする)することが出来るのではないだろうか。



(2)自分以外の人が提出した課題の内の任意のもの
 ・「ユートピア」とは何か。
  「科学」と対比して論じなさい。


 人間は、一人一人違う考え方・想いを抱いて生きている。「ユートピア」という概念を「理想社会」あるいは「理想郷」と考えるならば、「ユートピア」とは文字どおり、人の数だけ存在していることになる。例え、一定の基準を「ユートピア」というものに与えたとしても、個人個人が描く理想社会には際限はないと考えるべきであろう。
 ルネサンス期のトマス=モアが描いたユートピアというものが“その時代(この場合はルネサンス)”の理想社会を描いているように、時代によって人々の抱く理想社会・ユートピアの考え方・幻想は違ってきている。科学万能への道をひた走ってきた現代社会にとっての、ある意味での「ユートピア」とは、スウィフトの著した『ガリヴァー旅行記』の中の“ラピュータ”という世界なのではないだろうか。科学というものが人間の生活を豊かにしてくれるという考え方を持てば、「ユートピア」とはまさに科学によってこそ築かれるべきであり、科学というものの存在と発展があって初めてたどりつける存在であろう。産業革命以後20世紀半ばに至るまでの間、科学は人類の理想を実現してくれるという部分にのみ光が当てられることに、疑問を抱くものは少なかった。しかし皮肉にも、科学の進歩は、科学(あるいは科学技術)の存在・行使が必ずしも人間社会に対して好影響であるばかりでなく、むしろ人類、そして生物全体の生存そのものに対しても悪影響を与える可能性があることを証明してしまっている。20世紀という、比類なきジェノサイドの世紀は、人類が日々努力して積み重ねてきた科学というもののたどり着いた最悪の一面であるといえる。人類はその努力の果てに、その成果として豊かな生活と同時に、自分達全てを自分達の手で滅ぼすことを可能とする力を手にいれることとなってしまった。このような社会に生きる人間にとっての「ユートピア」は、“ラピュータ”の世界なのだろうか、それとも、古代の、科学の存在していない社会なのだろうか。
 人類は現在までの歴史のほとんどすべての時間を、より豊かに生活するために費やしてきたといっていい。その過程において、人類は豊かな社会の実現という共通の目標のために互いに争い、そしてその中から、“技術”“科学”などをうみだしてきた。「ユートピア」を理想郷と捉える限りにおいては、20世紀半ばまでは“より豊かな社会”の実現こそが人類の夢見る理想であったのではないだろうか。
 人類の理想は“豊かな社会を求める”という一点においては、おそらく歴史上のほとんどの時代に存在したものとして考えることができる。しかし、その具体的な理想社会は、個別の時代においてそれぞれ違うものを求めていたことは間違いない。客観的な理想が存在しないのは確かだから、人類の理想とする社会は時代毎に、その理想を変化させているはずである。個人個人は、それぞれの理想と現実の折り合いをつけながら生きていくことが可能であるし、その軌道を変更するのは自分の努力しだいといったところがある。しかしながら、人類社会全体としては、様々な要因が複雑に絡み合うため、統一された理想を追い求めることは不可能である。「ユートピア」は時と共に進化していき、形を変えていくものであるが、そこにあえて一本の定められたレールを引くならば、やはり“豊かな社会の実現”という抽象的な言葉があてはまると私は考える。

Copyright (c)1997 Tomohiro Ogawa All Rights Reserved.



戻る