キリスト教学Aレポート1

キリスト教学A レポート

人間と自然との関係について


 創世記において、人間と自然との関係を示唆する記述は、ほぼ第一章から第九章までに限られている。そのなかで一貫していると思われる考え方は、人間が自然の上に立っているという考え方である。神が人を祝福して言った言葉が「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」というところからも、人が他のすべての生き物を支配するという思想が根底にあるように思われる。この考え方は、古代からの日本の自然観である、自然を畏れ敬うという考え方の対極にあるように思える。日本或いは東洋的な考え方のなかには、自然と共生するという考え方は存在していても、自然を支配するという発想はおそらくは無いであろう。人間が自然に対して優越であるという考えを旧約聖書が示していることは、今日の西洋的な、自然に対して強圧的な態度で臨もうとする人々の心の根底に、キリスト教的価値観があることを証明している。自然と人間とを客観的に対等に考えるということは、おそらく創世記から新約聖書にまで続くキリスト教のなかには存在していないのであろう。人間が自然よりも優位に立つという考えは、自然をいかにしてコントロールするかという発想には結びついても、自然をいかにして理解するかという発想には絶対に到達しないであろう。確かに人間はあらゆる種類の動物を捕らえて食することが出来る。しかしながら、どのような動物によっても危害を加えられる可能性がある。また、人間は自然を簡単に破壊することが出来るが、破壊した自然を元に戻すことは全く不可能である。このことは、人間が20世紀に至った現在でも自然を支配していないということの証明ではないだろうか。少なくとも自然に対するときは、人間は、創世記の神の言葉よりも現実に目を向けて、支配するのではなく共生する道を探るべきではないだろうか。


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