比較本町商店街論

比較本町商店街論


〜三田・本町センター街の活性化策を探る〜


【1】はじめに
「本町」とは、おそらくは、その地域で最も早くから開けた場所であったり、城下町であれば、メインストリートであったケースが非常に多いように思える。本町ラボの一員として三田・本町センター街に関わる者としては、全国に、どのような本町商店街が存在しているのか非常に興味があった。そこで、いくつかの「本町」商店街と三田・本町センター街を比較・検討し、そこから、本町センター街の活性化策を考えてみたい。

【2】本町商店街概要
三田を含む、私が実際に現地を訪れた5つの商店街を今回のレポートでは取り上げ、比較の対象としていきたい。
(1)三田・本町センター街
 三田・本町センター街はJR三田駅から徒歩7〜8分、神戸電鉄三田本町駅から徒歩2分ほどのところにある。商店街の道路は道路幅3m強で南から北への一方通行である。商店街の距離は300m〜400mほどで、アーケードのないスタイルである。商店街の商店の構成は、生鮮食品等の日用品よりは呉服や楽器等日常生活には直接関わりのない商品を扱っている店と、金物屋や事務用品店・洋品店などの日常生活に関わりはあるが毎日買いに来なければならないものではない商品を扱っている店が多いという印象を持った。これは、本町センター街の特徴で、生鮮食品等の店は、文字通り本町周辺の人々を対象とした商売を展開し、それ以外の商店は、三田近郊全体を対象にした商売を行っているように感じられた。しかし、そこから生まれる結果は、本町センター街への来客がそれほど多くはないというものである。日常生活必需品を買いにくる人が本町周辺のみでは、数は限られているし、それ以外の商品を求めて本町センター街を訪れる人々は、週に一度・月に一度、或いは年に数回というケースも多いであろうし、三田全域を商圏としていても、毎日の来客数はほんの数人であると思われる。また、古くからの顧客を持つ商店には、外商で利益を稼ぎ、店での売り上げを気にしないところもあるように思われる。このような結果として、本町センター街は、一見すると人通りの少ないさびれた商店街に見えてしまう(実際さびれている部分もあるが・・・)のである。
 しかしながら、三田は現在急速に人口を増加させており、ニュータウン地区の住民を本町に呼び込めれば十分に活性化できると思われるし、古い街並みを活かした形での観光型商店街への脱皮という手も考えられる。少なくとも、周辺の人口が減少し、観光に頼る以外に活性化の道がない商店街ではなく、本町センター街はいろいろな形での商店街の活性化が望めるのではないかと感じられた。
 さらに、本町センター街は古くから存在している歴史・伝統のある商店街だけに、市街地で行われる祭りなどのイベントの担い手であるケースが多く、これらの行事で培われたイベントの運営能力・商店街の結束はかなり強いものがあると思われる。ここに企画力を付け加えれば、様々なイベントが容易に行えるようにも感じられた。
 このような、三田・本町センター街の活性化の方法を、後の「5.三田・本町センター街への提言」の中で探ってみたい。
(2)明石・本町一番街
明石・本町一番街はJR・山陽電鉄明石駅から南へ徒歩3分ほどのところにあり、東西に200mほどの距離に商店が並んでいた。アーケードは歩道の上のみで道路は対面2車線で、道幅は6m強と思われる。
 本町一番街は明石駅近郊の商店街としては、駅から最も離れている商店街の1つといえ、駅前の大型スーパーなどに客を取られている状態であり、さらには、魚の棚商店街(魚の棚通り)という本町一番街よりも駅寄りの商店街や、大通りに面した銀座通り商店街などの方が人通りも多く、繁盛しているように思えた。また、核となるような店舗も見あたらず、駅前の大型店舗や魚の棚で買い物をする客も、本町一番街までは訪れないケースが多いようである。しかしながら、本町一番街と銀座通り商店街・魚の棚商店街が共同で「蚤の市」や夜市を行うなど、地域の商店街が一体となって活性化に向けて取り組んでいるようでもあった。
 本町一番街も含めて、明石駅前の商店街は全てアーケード等が類似していることから、再開発事業又は近代化事業で、商店街を再開発したように見受けられる。しかしながら、本町一番街に限って言えば、あまり特徴のない、訪れてみたい商店街とは思えず、また、地元客にとっても、安さや品揃え或いは店の種類の多さなどで利用したいと思わせる感じも見受けられなかった。再開発以前の状態がわからないので、はっきりしたことは言えないが、商店街の再開発によって、街並み等が失われ、活性化に失敗したのではないかと思われる。それでも、駅からの地の利等を考えれば、地域密着型の商店街として活性化していく方策はいくらでもあるのではないかと思われる。少なくとも、「蚤の市」にはかなり多くの人が訪れていたことは間違いないのだから。
(3)茨木・本町ローズ街(本町商店会)
 阪急茨木市駅から西へ徒歩3分ほどのところに本町商店会(本町ローズ街)がある。阪急本通り商店街の中間地点から北へ200mほどの間に延びる商店街で、道路は3m弱で南向き一方通行、アーケードは存在していない。本町界隈は、交通の結節点として古くから栄えた茨木の中でも特に古い地区であり、昔から商店が数多く存在していたようである。本町商店会は、茨木の台所的役割を持っており、商圏はほぼ茨木全域と言っていい状態である。これは、本町商店会の南端の、阪急本通り商店街と交差する近くにある「魚神」という、集客力のとても強い大型鮮魚専門店があるためと言ってしまっても過言ではない。
 本町商店会は、1つの核店舗の存在が周辺にどのような影響をあたえるかを如実に見せつけている。「魚神」の営業日(月〜土)には、茨木全域から魚を買いに人々が集まってくるため、本町商店会と阪急本通り商店街の交差する付近は人が身動きできず通行することが困難なぐらいに混雑する。そして、「魚神」で買い物をした人々はそのあと、周辺の専門店や市場・商店などで買い物をし、場合によっては食事をしていく。その為、「魚神」を中心として人の流れができあがっており、「魚神」の近くの専門店・商店はいずれも多くの客が訪れて買い物をしていき、活性化していると言うことができる。「魚神」は価格の安さ・品揃え・新鮮さで周辺では抜きんでており、その為、徒歩・自転車での買い物客のみならず、バス・電車で頻繁に買い物に訪れる客も数多い。このような、核となる商店(専門店)の存在が商店街自体を活性化させている姿は、地域密着型商店街が再生を目指すときに多くのヒントを与えてくれるのではないだろうか。
 しかし、本町商店会にも多くの問題は存在している。本町商店会は「魚神」という強力な店の存在ゆえに活気があるが、その活気は「魚神」からの距離に比例して落ちていくのである。その為、本町商店会の北端では、商店が廃業し住宅地(ほとんどがマンション)に変化してしまっており、商店街が北側から崩れ落ちていく状態にあると言える。これに対して有効な手段は全く採られておらず、商店街が短くなってきている現状がある。さらに、「魚神」一店に頼っているため、「魚神」が休みの日は、かなり人通りが落ち込むという問題点も抱えているが、これに対しても有効な対応策は採られていない。
(4)大阪・淡路本町商店街
 大阪・淡路本町商店街は阪急電鉄淡路駅の西出口すぐから西へ向かって約250mの間続き、車の進入を日中は規制してる全面アーケードの商店街である。
 商店街の中に公設市場や大型店(イズミヤ等)があり、商店街内の商店と競合しているようであった。しかし、商店街の店舗構成と大型店の品揃え等を比較するとあまり商品が重複しないように見えた。それ故、駅前で人通りが多いという立地を活かしてそれなりに活気のある商店街になっているのではないかと思う。
 淡路本町商店街を歩いていて、商店街が一体となってフェアやポイントカード(J・Jカード)などを行っていることが伝わってきた。確かに、これらのフェアやカードによって大型店との違いを演出したり、競合する他の商店街(淡路には駅の東側にも商店街がある)との差異化を目指したりしているのではないだろうか。これらの手段は、都市部の活気のある商店街の多くで見られる手法であり、商店街が街として生き残っていき、大型店と対抗していくためには有効なのではないかと思う。
 又、淡路本町商店街では、インターネット上にホームページを設け、商店街内の各店舗の紹介やフェア・カードの案内を行っている他、掲示板を設けて、利用者からの声を求めるなど、商店街ならではのきめの細かさ、一人一人の顧客に対応できる能力をインターネットでも行っていこうという姿勢が伺える。
(5)桜井・桜井本町商店街
 桜井本町商店街は、近鉄大阪線・JR桜井線桜井駅から徒歩2分の位置にあり、道幅2m強で全面アーケードの商店街である。また、中央通り商店街や桜井一番街と接続していたが、商店街が一体となって何かをしているという感じは全くなかった。
 桜井駅前は、人通りもまばらで町自体が活気のない感じがし、観光地(山辺の道・古墳群など)の入り口としての活気が駅前のバスターミナルに見られるていどであった。それ故か、本町商店街も全く活気のない状態で、ほとんど人通りもないという状況でった。これは、駅前が再開発され、そちらに人が集まったという影響もあったのではないかと思う。そして、街並みは櫛の歯が抜けてしまった状態で、所々に店を取り壊した跡地や移転・閉店した店などが残っているという感じであった。とはいえ、本町商店街の中には、古くからの風格のある家が何軒か残っており、これらの家並みを有効に活用すれば、観光型商店街として再生できるのではないかと思わせる雰囲気を持っていた。

【3】本町商店街論(比較本町商店街論)
 今回直接訪れた「本町」商店街の中には、人通りが少なくなり、活性化策を早急に模索する必要のある所もあった。しかし、逆に活気のある商店街も存在していた。「本町」商店街と一概に括るにはあまりにも活気という面で見ると差があるような気がするが、同時に、多くの「本町」商店街には、歴史を感じさせる風格のある建物が見受けられる等の共通項が存在していた。これらを比較検討しながら、本町商店街論を考えてみたい。
@商店街の活性化とは? 
 商店街とは本来、経営基盤も経営者も取扱商品も異なるたくさんの商店が1つの地域に集積してできたものであり、商店街としての統一性は当初は持っていなかったはずである。言ってみれば、大型店とは異なった、商店が何の規則性もなく並んでいる、文字通りの商店の集合体であり、ショッピングセンター等のように統一された、運命共同体的なものではないのである。商店街自体に魅力がなくても、そこに存在する商店の中に魅力のある店があれば、人々はその店を利用するであろうし、その結果商店街が寂れていってもその中で魅力のある店だけが生き残れるはず、という前提に立ったとき、魅力のある店が集まった商店街は、決して寂れないのではないのだろうかと思え、そういう魅力的な商店の集合体としての商店街が、商店街の目指すべき方向性なのではないだろうかと思えた。あるいは、核となる店舗を中心にスプロール的に商店街が存在して、人の流れがつくられていくことが良いのだろうか。それとも、商店街を街として一体化して魅力のある街として活性化させ、人を呼び寄せることがよいのだろうか。これらは、商店街の活性化に関わる本でも意見が割れており、私自身、結論がはっきりとは見えない。しかし、商店街には固有の歴史や文化があり、その固有のものを無視した形では活性化はできないという事だけは、言えるのではないだろうか。
A「本町」商店街の地位
 「本町」という地名は、その地域の中心部を指す意味を持っていると私は考えているので、「本町」商店街は地域の中心であり、基本的に市街地の中心部に存在しているのではないだろうかと思う。これは、調査した5つの「本町」商店街に関しては当てはまっている。確かに三田・桜井の「本町」商店街は現在では人通りが激減しているが、かつては中心市街地として栄えていたことは街並み・家並みから間違いなさそうであり、茨木・淡路・に関しては、人通り自体もかなりあるといえ、現在でも地域の中心商業地であるということができる。また、明石も、車の交通量や通過する人の数から、かつては中心部であったことは間違いなさそうである。
三田・桜井に関しては、地域が完全に車社会となってしまい、人々が車の利用に便利な国道等に沿った大型店に流れてしまい、鉄道等の発達した地域に比べて、よほど魅力的な商店街にしない限り人々が訪れないという問題点が発生してしまっている。しかし、茨木や淡路のように地域が完全な車社会には移行しておらず、アクセスが便利な所では、数多くの人々が商店街を訪れている。ということは、「本町」商店街はかつてはどこでも、地域商業の中心地であり、多くの人が訪れる活気のある場所であり、現在でもアクセスの良い場所では中心商業地の地位を保っている、という感じの定義付けをすることが可能かもしれない。
B比較本町商店街論
1)「魚神」にみる商店街の可能性
 5つの「本町」商店街を見つめ直したとき、茨木・本町商店会の「魚神」の存在がクローズアップできる気がした。「魚神」のような核となる商店は、他の4つの商店街には見あたらなかった(淡路・本町商店街には、商店街内部に大型店が存在していたが、大型店はそこだけで完結してしまう可能性が高いので、核店舗ではないと判断した)。「魚神」の持つ集客力は周辺の商店をも活気づけ、地域全体の活性化につながっているということができ、地盤沈下した商店街を活性化させるのに、最も手っ取り早いのは、「魚神」のような集客力のある専門商店を商店街に誘致することではないかと思わせられた事も事実である。しかし、現実には、「魚神」も茨木・本町商店会での長い歴史が地域住民の信頼を得て、その信頼がさらに多くの顧客の獲得へとつながっていっているのであろうから、単純に強力な集客力のある専門商店を商店街に誘致すれば良い、というものでもない。他地区で集客力があった商店が、誘致されて新しい店を別の商店街の中に開設しても、すぐに地域の評価を得られるとは限らないのである。だが、そこから、集客力のある商店を商店街の人たちが自分たちで創り上げていくということは可能かもしれない。その為には、莫大な努力が必要となるだろうが・・・。
2)「本町」商店街の歴史的建築物
 今回調査した5つの商店街のうち、再開発が行われていなかった三田・桜井・茨木の3つの「本町商店街」には、江戸期や明治期・大正期のものと思われる古い風格を感じさせる建築物が結構残っていた。以前に述べた、「本町」はその地区で最も古く、地域の中心地であったという考えに立ってみると、これらの歴史的建築物が残っていることには、何の不思議も感じない。おそらくは、昔から商店が建ち並んでいた「本町」地区が大正或いは昭和初期暗いから、商店街という形でまとまりはじめて、今日の「本町」商店街の原型が形づくられたのではないだろうか。その後、古い建物は、ある建物は老朽化により、又ある建物は商店の拡張により、少しずつ姿を消して、今日の「本町」商店街の街並みにつながったのであろう。これらの風格のある建物は、使い方しだいで、商店街活性化の大きな武器となるように思える。その点では、再開発事業がなされていない「本町」商店街の多くは、商店街活性化戦略の選択肢が、他の商店街よりも1つ多いという幸運な状態なのかもしれない。

【4】三田・本町センター街への提言
 三田・本町センター街は実際に歩くと非常に魅力的な商店街であるが、その魅力を知っている人の数は、実はそれほど多くないのではないだろうか。三田市の人口が10万人をこえた現在、本町センター街が商圏として容易に持てる範囲は三田全域と神戸市北区の一部(鹿子台等)であるといる。三田だけで10万人の人口がいるとはいえ、そのうち7万人以上がいわゆるニュータウン住民であり、その多くが本町センター街の存在を知らないか、知っていても訪れたことはない・祭りの時に行ったことがあるだけという人々である。現在の三田市の状況が、完全な車社会であり、車がないと生活がとても不便になるという状態であるため、特にニュータウン住民は自宅の近くのショッピングセンターや或いは車の駐車場がある郊外のロードサイドストアに買い物に向かい、市街地中心部にはほとんどやってこない。三田のニュータウンの構造自体が、ニュータウンのみで生活が可能な完全自足型で、ニュータウン住民が市街地を訪れる事など全く想定していないので、ニュータウンから本町センター街へ行こうとするととても不便な状態になっている。ウッディタウンやフラワータウンから本町センター街へ行こうとすると、電車の場合30分近くかかってしまい、かなり不便である。また、車でも駐車場の問題もあり、ニュータウン住民にとって市街地は行きにくい場所になっているようである。では、どのようにすればニュータウン住民にとって行きやすい本町センター街がつくれるのであろうか?
@アクセスの向上
 ニュータウンから本町センター街(或いは市街地)へ行く場合に問題となる点は先にも述べたように、不便という言葉でくくられるものである。これを解消するための手段として、武蔵野市等で近年導入が図られているコミュニティバスを三田でも導入し、ニュータウンと市街地の中心部(センター街から中央通りを通って三田駅に至る地域)を循環するバスを一乗車100円程度で15分に一本程度走らせる、という方法を提案する。これによって、車を持たない高齢者の外出意欲を向上させ、また、主婦の行動半径を広げさせることが可能であり、これらの人々が市街地で買い物をすることを容易にさせるのである。
Aセンター街の方向性
このような本町センター街に、どのような活性化策があるのだろうか。まず、考えられることは現在の状況を利用する形で、日常生活用品を買いに行くところではなく、少し特別なもの(呉服・楽器などはたまにしか買わないものだろう)を買いに行く場としての本町センター街を形成し、それを三田全域にアピールしていくことである。但し、このような形の商店街は人通りという面ではどおしても寂しくなってしまう。そこで、集客力のある核店舗の誘致又は育成という手段が考えられる。ここでいう核店舗とは、百貨店や大型店である必要はなく、集客力があれば小さな商店でも何ら差し支えはない。たとえるなら、茨木・本町商店会の「魚神」のような店であっても良いのである。このような商店を誘致・又は育成するには多くの課題が存在しているが、不可能な事ではなく、むしろ、商店街を再開発するよりも容易な事ではないかと思われる。
別の方向性としては、古い街並みを生かした、観光型商店街を目指す方法がある。例えるなら、長浜・大通寺前商店街のように地域の人々が利用する商店街でありながら、同時に観光客が訪れるような商店街ということになる。その為には、三田全体としての取り組みが必要な事は言うまでもない。
B イベントへの取り組み
本町センター街を多くの人に知ってもらうためのPR方法として、商店街としてのイベントが考えられる。本町センター街は、「2.本町センター街の概要」でも述べたように、イベントの運営能力・商店街のイベント時の結束力に関してはかなりのものを持っていると思われるので、その力を生かして、例えば「夜市」などのイベント、さらには、現在既に2度行われた「お宝展」のようなイベントをより多く実行して活発なPRをしていくべきではないだろうか。少なくとも、費用のかからないイベントならば、いくらでも可能なはずである。
C 情報化への取り組み
本町センター街は、現在商店街独自のホームページは持っておらず、本町ラボやゆりのき台自治会が紹介ページを設けているという状態である。例えば、淡路本町商店街のように商店街のページに掲示板を設けて、顧客からの意見を対面だけでなく、ネット上でも聞ける体制をつくったり、イベントの情報を流す、といったPRの手段を考えてみてもいいのではないだろうか。又、電子マネーの実用化についても、早期に検討を始めるべきではないだろうか。このような情報化のサポートとして、本町ラボや関学総合政策学部を使うことを考えてもよい時期に来ているのではないだろうかと思われる。

【5】 おわりに
 今回のレポートで対象とした「本町」商店街はいずれも関西地区に存在している。しかし、現実には全国に「本町」商店街は存在しており、それぞれの場所で活性化への途を探っているはずである。これらの全国の「本町」商店街の関係者が一同に集い、互いの知恵を利用しながら商店街の活性化の方策を探る「本町商店街サミット」の開催を最後に提唱して、このレポートを締めくくりたい。

Copyright (c)1998 Tomohiro Ogawa All Rights Reserved.


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