総合コース「アメリカ」・ファイナルレポート


“The Wall Street”を観て


   「ウォール街」、アメリカの金融市場の中心であると共に世界の金融市場の中核的存在と呼ぶことが可能な、このニューヨークの一角には、アメリカンドリームを手っ取り早く実現できるかのように錯覚させてしまう何かがあるようである。アメリカの、いわゆる一流ビジネススクールを出た野心的な若者達が目指す先は、銀行ではなくウォール街の証券会社であるという。これは、銀行などで安定した生活を求める日本の学生達とは全く異なっていると言うことが出来る。確かに、“The Wall Street”の主人公もそうであったが、若くても、才能次第で高額の取引を成功させることもでき、成功すれば高い評価を受けて好待遇を受けられるウォール街は、若い野心家にとっては最高の場所だろう。それは、言ってみれば「成功したものが正義」「結果良ければすべて良し」といった結果主義的な部分が、この街には多分に存在している場所だからであろう。これは、特に日本の「結果に至るプロセス」を重要視する方法とは180度反対の方向であると言っていい。
 アメリカにおけるウォール街と対比できる対象として、「兜町」「北浜」などが日本には存在する。確かに80年代半ばから後半にかけての、“バブル景気”の頃の東京市場はニューヨークをも追い越さんばかりの勢いであった。しかしながら、90年代初頭にバブルがはじけてから後には、兜町は日々生気を失っていき、反対にウォール街は再び活況を呈し始めている。現在の日本が直面している、金融機関等が抱える諸問題と似たような問題を80年代のアメリカ(“The Wall Street”の設定されていた時代?)は経験し、そして立ち直っている。そこには日本とは異なる対策が立てられており、それが成功したことは、アメリカ人の危機管理能力が優秀であることを証明しているのではないだろうか。
 アメリカの金融システムは、日本と比べるとはるかに多様性に富んでいる。銀行や株式市場はもちろんのことだが、起業家に対しても太い金融パイプ(いわゆるベンチャー・キャピタル)が存在していることなど、それを証明する最たるものであろう。そこが、銀行融資だけが依然として主流である日本と決定的に違うところである。ベンチャー・キャピタルが融資の対象とするような中小企業に対する評価には、少なくともつい最近まで日米でかなりの格差が存在していた(或いは現在も大幅な格差は存在しているかもしれない)。日本ではほとんどの国民が安定を求め、大企業に就職することが良いことであるといった価値観が幅を利かせていて、中小企業の社会的地位・評価等は、決して高いとはいえない状況にある。それに対してアメリカでは、起業家に対して高い社会的評価が与えられており、近年でも多くのベンチャー企業が一流企業へと脱皮していくなど多数の成功例に支えられ、ベンチャー・キャピタルによる、有望と考えられる中小企業への投資・融資が活発に行われている。そしてそれは、成功した企業に刺激されて、さらに新たなる有能な野心家達がベンチャー企業を興し、それにベンチャー・キャピタルは新しい投資先として資金を融資して、ベンチャー企業は発展していく、という好循環がアメリカ経済の中に居場所を確保している証のように感じられる。現代のアメリカ経済は、起業家を重んじる価値観・風土、盛んな起業精神等が発展を支える柱として存在しているといっても過言ではないだろう。
 アメリカの経済・金融政策はある意味での“公平さ(機会の均等さ)”を求めているように思える。例えば、インサイダー取引に関してアメリカは過剰なほどに反応しているようである。これはインサイダー取引が罪であるという認識に乏しい経済・金融関係者が結構存在していてインサイダー取引というものがそれほど重い刑にならない為、「インサイダー天国」とまで言われている日本とは対照的である。又、「スーパー301条」が、相手国の輸入障壁の問題に対する報復的制裁措置の発動をみとめていることから、アメリカが、同じフィールドで勝負をすることにこだわりを持っているといえる。これはレーガン以来ことある毎に強調されるようになった相互主義を背景としたアメリカの“公正貿易”という概念に、市場参入の平等性の確保という考え方が含まれていることからもわかる。さらには、先年の大和銀行の巨額損失事件に対してアメリカ側がとった反応から、この“公平さ”はある種の情報の公開に関しても求められているのではないかと感じた。さらに、“The Wall Street”の最後に、主人公が司法当局の関係者と司法取引をしているらしきシーンがある。この司法取引という制度はアメリカにおいては頻繁に(特に重大犯罪ほど)行われているようであるが、日本には陪審制度と共になじみの薄いシステムである。司法に協力するかわりに、犯した罪を減免するというこの制度はより巨大な犯罪を立証するためには有効な手段であるかもしれない。
 いまだに国際基軸通貨であるドルは、ウォール街の地位の強化に役立っているようである。世界史上においては20世紀は「アメリカの世紀」であったといえるが、はたして21世紀も「アメリカの世紀」と呼ばれるようになるのであろうか。こればかりは予測しても無駄のような気がする。世界は常に変化しており、5年先など誰にもわからないのだから。しかし、20世紀のアメリカの経済システムについては、資本主義という観点からみれば、能力とやる気を持つ万人に対して平等に門戸を開いていたという点で高く評価されるのではないだろうか。


Copyright(C)1996 Tomohiro Ogawa All Right Reserved
戻る