中心市街地の空洞化は、人口増加が止まった地域や人口の減少が始まっている地域だけではなく人口増加が続いている都市に於いても明確になってきている。ここでは、兵庫県の三田市と川西市という共に人口の急増を経験した都市の中心市街地活性化政策を分析・比較してみたい。
1970年12月 | 県公報において市街化区域及び市街化調整区域都市計画決定 |
1975年8月 | 駅前地区市街地の再開発基本計画作成委員会が発足 |
1976年6月 | 三田駅前地区再開発基本計画の調査報告書が発表される |
1979年5月 | 三田駅周辺地区まちづくり研究会が発足 |
1980年5月 | 三田駅及び同周辺整備計画協議会が発足 |
1981年7月 | 市総合計画基本構想を発表 |
1982年4月 | 県三田総合庁舎の完成式。三田保健所施設の落成により完成 |
1982年6月 | 市総合計画審議会が基本計画案を答申 |
1982年11月 | 三田駅前市営二輪車整理場(駐輪場)の完成式 |
1983年5月 | 三田駅前地区市街地再開発事業の基本構想がまとまる |
1983年8月 | 三田駅前地区Aブロック再開発推進協議会が発足 |
1983年 | 三輪石名線着手 |
1986年11月 | 福知山線宝塚−新三田間の複線化 |
1987年3月 | 国鉄三田駅の橋上駅化完成記念式典 |
1988年4月 | 三田駅前一市役所前間の停車場線が開通 |
1989年5月 | 市営三田駅前自転車駐車場を開設 |
1990年5月 | 市新総合計画基本構想がまとまる |
1990年7月 | 三田駅前再開発事業(Aブロック)が都市計画決定 |
1992年6月 | 都市計画道路三輪石名線の武庫川左岸部分が開通 |
1993年秋 | 三田市と阪急百貨店が出店交渉を開始 |
1995年11月 | 阪急百貨店と三田市が出店合意の覚え書きを交換 |
1996年4月 | 市消防本部新庁舎が業務を開始(3日竣工式) |
1996年4月 | 市総合福祉保健センターの竣工式。 |
1996年5月 | 市商工会館・三田経済交流センターの竣工式 |
1996年5月 | 三田駅前再開発事業Aブロック地区の事業計画決定を告示 |
1996年7月 | 三田駅前再開発事業Dブロック地区再開発準備組合設立 |
1997年9月 | 三田駅前再開発事業Dブロック地区が県都市計画審議会において事業計画承認 |
1997年11月 | 三田駅前再開発にともなう駅前広場工事に着手 |
1998年7月 | 三田市が阪急百貨店出店に関して「大店法3条申請」提出 |
1999年2月 | 三田駅前再開発事業Dブロック地区再開発組合設立 |
1999年9月 | パスカル三田オープン |
1999年12月 | 阪急百貨店「三田への百貨店形態での出店を断念」(新聞報道) |
三田市中心市街地活性化の動き(※4)
(2) 駅前地区以外の活性化に関する動き
@ 本町地区・中央町地区
本町地区や中央町地区の商店街では、活性化策として空き店舗対策事業や1999年に配布された地域振興券とセットにしたプレミア付き商品券の販売などを行ってきている。しかしながら、これらのソフト面での対策はさほど大きな成果を上げているとは言い難い。又、ハード面では、本町西山線の拡幅などが1970年代から常に議論の対象となってきたが、何らの進捗も見られない状況であり、本町地区や中央町地区に対して何らかの活性化政策を行政が行ってきたといった形跡はほとんど見受けられない。
A シビックゾーン
シビックゾーンを中心市街地に含める事についての是非については前述の通りであるが、現在シビックゾーン内には道路計画を含めて様々な公共施設の建設が始まっている。特に1996年以降、三田市消防本部・総合福祉保健センター・商工会館・三田経済交流センターと立て続けに建設されている。一方でソフト面に関しては、この地区は業務地域という特性から居住者も商業者もほとんどなく、全くといって良いほど何らの施策も施されていない。
5.三田市民の中心市街地に対する認識
三田市は、中心市街地活性化基本計画に関して市民にあまり説明をしたように筆者は感じられなかった。そこで、1999年12月上旬から中旬にかけて、三田市民及び三田市中心市街地地区の商業者に対して意識調査9を行った。以下はその時の結果を基にした三田市民の中心市街地に対する意識に関する分析がある。
@ 三田市中心部に関する認識
三田市の中心部はどこなのかという点に関して、三田市当局は駅前を中心としたいわゆる中心市街地活性化基本計画で定めた地域であるとの立場に立っている。しかしながら、三田市民がどのように考えているのかという部分に関しては全く別の状態を示すのではないかとの予想を基に、「三田市の中心部はどこか?」という質問を複数回答可能とした上で行った。結果としては、三田駅前及と本町地区の中心市街地活性化基本計画に定められた地域が半数を占めたが、フラワータウン・ウッディタウン等のニュータウン地区を挙げた市民も40%近くになり、ニュータウン地区のみを中心部と認識していた人も25%近くにのぼった。この結果からは、三田市の中心部がいわゆる中心市街地からニュータウン地区にシフトを始めているという分析が可能である。
また、「よく利用する商業施設は?」との問に対しては、フラワータウンセンター・エルムプラザというニュータウンの大型商業施設が過半数を占め、宝塚駅前や梅田などの市域外地区の利用が三田駅前地区・本町地区の合計を上回るなど、中心市街地における商業地位の低下が明確に現れていると言える。この結果で特に注目すべき点としては、宝塚駅前・川西駅前・神戸・梅田などの市域外商業施設の利用者が非常に多い事である。三田市民の3分の1以上が市域外の商業施設を「よく利用する」と回答しているということは、それだけ市内の商業施設に魅力が乏しいという考え方ができる。
さらに、三田市の中心市街地が衰退した理由としては、「駐車場の未整備」「自動車のアクセスが不便」「公共交通機関のアクセスが不便」などの、アクセス問題が原因と考える人がかなり多かった。また、大型店やロードサイドのS・Cとの競争に敗れたから、と考える人も多くおり、この問題の複雑さを示している。
A 中心市街地活性化に対する認識
まず始めに、「中心市街地の活性化は必要か」という問いを行った。この問いに対する三田市民の回答は「必要だと思う」50%、「必要ではない」20%、「どちらともいえない」30%という結果になった。この結果から考えると、中心市街地の活性化を必要と感じていない市民が20%、回答保留も含めると半数が中心市街地活性化に対して必要性を認めていないと判断することもできる。このような現状の中で大金を投じて中心市街地活性化を推し進める為には、やはり「必要でない」「どちらともいえない」という回答の市民の大半が納得する理論付けが必要なのではないだろうか。
次の市民の中心市街地活性化法に対する認識を問うたが、「名前を聞いたことがある」という回答と「知らない」という回答がほぼ同数でそれぞれが45%を越えており、「よく知っている」という回答は数名にとどまった。一方商業者に関しては、「知らない」という回答は皆無であったものの、「よく知っている」という回答は約20%と筆者の予想ほどには高くなかった。この事から、中心市街地活性化法という法律自体は国と地方自治体にとっては重要かつ大きな意味を持っているものであったとしても、それが市民や商業者に明確には伝わっていないという事がわかる。一方で、三田市民にとって身近な問題である「三田市中心市街地活性化基本計画」に対しては「計画書を読んだことがある」「内容を聞いたことがある」が約35%あったが、同時に「全く知らない」という回答も40%以上あり、「存在は知っているが内容は知らない」という回答も含めると60%以上が「基本計画」を知らないという事でもあった。この数字に対する評価は、立場によって非常に異なるものになることが予想される。筆者のように、中心市街地活性化には市民の合意形成が必要であると考える立場からすれば、三田市における市民の中心市街地活性化法及び中心市街地活性化政策に対する認識は低いと言わざるを得ない。しかしながら、商業者と行政を中心に中心市街地活性化を進めるべきであると考えるなら、前述の数字はむしろ多いぐらいであり、市民の中心市街地活性化政策に対する関心は高いと言うことも可能かもしれない。
さらにアンケートにおいては、三田市の活性化政策はどのようなものか、という問も用意した。これに対する回答は「駅前再開発についてしか興味がないのではないか」という回答が最大値を占め、それに「シビックゾーンや道路整備などのハコモノ整備ばかり考えているように見える」という回答が続いていた。このように、三田市の中心市街地活性化対策を冷ややかに眺めていると判断することができる。あるいは、三田市の中心市街地活性化政策に対する批判が強いと言うこともできるのではないだろうか。
〔2〕川西市
1.川西市の現況
川西市は大阪府と接する兵庫県南部にある人口約15万5千人の郊外型都市であり、大阪都市圏のベッドタウンとして1970年代から急速に発展を続けてきた。市域は南北に長く、阪急電鉄・能勢電鉄川西能勢口駅周辺を中心とした南部既成市街地と、能勢電鉄平野駅等を中心とした中部地域、能勢電鉄山下駅を中心とした北部地域という3つの地域に分けることができる。また、川西市における人口増加のタイプを北條蓮英は駅周辺のスプロールと市の北部でみられた民間ディベロッパーによる大型開発の2つに分類できる。さらに、川西市都市計画マスタープラン(1997年作成)によると、商業系の土地利用は中心商業地としての川西能勢口駅周辺と近隣商業地としての能勢電鉄山下駅及び多田駅周辺、さらには沿道サービス地として多田東谷線・呉服橋本通り及び川西猪名川線の一部並びに川西伊丹線が想定されている。
2.川西市中心市街地の範囲と概要
川西市は1999年12月末現在のところ、中心市街地活性化基本計画を策定しておらず、市として公式に中心市街地の範囲を明示してはいない。しかしながら、川西市における中心市街地は川西能勢口駅周辺であると考えること11はそれほど難しくなく、本稿でもその前提に基づいて論を展開していきたいと考えている。
3.川西能勢口駅前再開発
@再開発の過程
川西能勢口駅前再開発は1973年度に駅周辺約38haを対象にした整備基本構想によってスタートし、現在も継続中である。A〜Gの7地区に分けられた事業計画のうち、3地区が未だ事業化されていないが、他は事業完了又は事業中である。また再開発計画と平行して阪急電鉄・能勢電鉄の川西能勢口駅付近の連続立体交差事業による高架化が行われ、また、国鉄(当時)福知山線川西池田駅の移設も計画され、1982年に東へ駅が300メートル移動する事となった。
B 再開発の特徴
川西能勢口駅前再開発の最大の特徴は、百貨店などの商業機能のみでなく、市立図書館や「みつなかホール」・多目的ホール・カルチャーセンターなどを集中的に立地させたことであろう。通常の再開発においては、核店舗としての百貨店や大型スーパーの誘致と業務系ビル、それにホテルと駐車場に居住用のマンションといったメニューが決まっていて、再開発組合や行政がその中から選択しているだけなのではないかという疑問が生じるほど同じ様な姿になるが、川西においては、通常の再開発の姿に平行して様々な公共的施設の集中配置を行っており、これによって街の利便性及び活気が一気に上昇した事は間違いない。
川西市駅前再開発関連年表
1970年 | 川西能勢口駅前再開発A地区住宅改良事業開始 |
1971年 | 花屋敷1丁目住宅地区改良事業の事業認可 |
1973年 | 「駅周辺都市整備計画基本構想」策定 |
1974年 | B地区市街地再開発準備組合 |
1975年 | C地区再開発基本計画作成 |
1976年 | 栄町A-1地区住宅地区改良事業の事業認可 |
1978年7月 | B地区を第1工区と第2工区に分割。 |
1979年12月 | C地区再開発に関して都市計画決定 |
1980年3月 | 「阪急・能勢電川西能勢口連続立体交差事業」計画決定 |
1980年5月 | B地区市街地再開発組合設立 |
1981年8月 | C地区事業計画決定 |
1982年 | 小花新町地区再開発準備組合設立 |
1982年7月 | C地区核店舗に阪急百貨店が内定 |
1984年5月 | C地区住宅部分完成 |
1985年4月 | B地区「パルティ川西」オープン |
1985年6月 | B地区第1工区完成 |
1985年9月 | B地区第2工区再開発協議会設立 |
1986年12月 | B地区第2工区再開発の都市計画決定 |
1986年12月 | G地区計画決定 |
1987年7月 | B地区第2工区再開発組合設立 |
1988年8月 | 小花新町地区再開発組合設立 |
1989年4月 | C地区商業棟完成、「アステ川西(含む阪急百貨店)」オープン |
1990年12月 | 阪急電鉄下り線高架切り替え |
1992年1月 | 「パルティK2」着工 |
1992年12月 | 阪急電鉄上り線高架切り替え |
1993年1月 | G-1工区市街地再開発組合設立 |
1993年3月 | 「シャンテ川西」着工 |
1994年1月 | 「川西能勢口駅東地区第1工区市街地再開発組合」設立 |
1996年2月 | 小花新町地区再開発事業完成、「シャンテ川西」完成 |
1996年3月 | 能勢電鉄高架切り替え |
1996年4月 | B地区第2工区完成、「パルティK2」完成 |
1996年6月 | 「みつなかホール」開館 |
1998年9月 | 「中央北地区住宅街区整備準備組合」設立 |
1998年12月 | 「中央北地区住宅街区整備事業計画」都市計画決定 |
1999年 | 「中央北地区住宅街区整備事業組合」設立 |
1999年 | 川西能勢口駅東地区第1種市街地再開発事業完了、「ジョイン川西」が誕生 |
〔3〕三田市及び川西市の中心市街地活性化政策に関する分析と評価
中心市街地の形成過程はともかくとして、三田市と川西市は人口急増という同じ経験をしており、また、1970年代後半に駅前再開発構想が持ち上がって以降、中心市街地における再開発が行われてきたという意味においても類似している都市と考えることができる。しかしながら、今日の三田市と川西市の中心市街地が置かれている状況はあまりにも対局に位置していると言わざるを得ない。では、この違いはどこから生まれたものなのであろうか。また、駅前再開発を含めて中心市街地活性化の必要性が強い三田市は、川西市の政策から何を学ぶべきなのかをこの章では考えてみたい。
@ 計画範囲
三田市の中心市街地活性化基本計画における中心市街地区域は約200haであるが、三田駅前再開発計画は約5haと範囲的にそれほど大きくない。一方で川西市の川西能勢口駅前再開発は約35ha以上を再開発しており、文字通り中心市街地の大部分を更新するものであった。
A 施設配置
三田市における中心市街地の施設配置はシビックゾーンを除けば、市役所と再開発地区の百貨店及びホテル計画がある程度であり、その他の公共施設や集客性の強い施設はシビックゾーンやニュータウン地区に散在してしまっている。これに対して川西市では再開発地区周辺に百貨店・大型商業施設3ヶ所・大型スーパー2店・図書館・カルチャーセンター・音楽ホール等の集客性が強い施設が集中は位置されており、川西能勢口駅から徒歩圏内に市役所も配置されている。
川西市の施設集中配置は様々なメリットを産み出しているが、何よりも「人が自然と集ってくる」という意味に於いて最大の効果を発揮していると判断できるのではないだろうか。この点に関しては、三田市は駅前再開発地区には百貨店及びホテル程度しか計画がなく、公共施設が郊外へ大量移転してしまったため、集客という観点においては大きな問題を抱えていると言わざるをえない。さらには、三田市駅前再開発計画において核店舗の決定がズレ込んでおり、出店予定の阪急百貨店が、最近になって出店に尻込みする理由として、三田駅前地区以外の地区において大規模商業施設の建設が計画されていることが考えられるが、三田駅前に図書館や公共ホール等が集中配置されて、街のにぎわいがある程度予測できれば、阪急側としても決断を鈍らせる理由は少なかったのではなだろうか。
少なくとも、川西駅前と三田駅前で百貨店を出店する時のメリットを比較すれば、明らかに川西の方が有利である。それは後背人口等の問題だけでなく、川西駅前が阪急百貨店を中心としながらも、回遊性の高い空間を構成しており、決して百貨店に頼った構造になっていないのに対して、三田駅前の再開発計画は明らかに百貨店に頼り切った空間構成を行っており、他の目的で三田駅前を訪れて、ついでに百貨店を訪れる客があまり考えられない構図であり、三田駅前は都市型百貨店を建設する所としては致命的な問題が存在していると言えるかもしれない。