第2章

第2章 都市形成と中心市街地衰退の原因に関して

1.日本における都市形成の過程


都市の発生には、原因を求めることが可能である。何の理由もなく突然都市が発生することなどあり得ないと断言してもそれほど問題はないだろう。だが同時に、都市が発生する理由は多岐にわたっている事も事実である。もちろんいくつかのパターンに最終的には分類することが可能であるが、完全なモデル分類は、全く同じ姿をした都市が存在しないのと同様の理由で不可能である。
日本における中心市街地再生の議論において比較的よく持ち出される事例が、海外における成功事例である。アメリカ合衆国におけるサンフランシスコやポートランド、イギリスにおけるグラスゴー等、いくつかの先進事例に関する研究が現在盛んに行われているが、これらの研究、あるいはそれを受け入れて中心市街地再生について議論する場において、前提条件として、日本とアメリカやヨーロッパの都市形成が異なっている、という視点が抜け落ちている場合が散見される。特に行政における中心市街地活性化政策においては、全く海外の事例を無視するか、あるいは海外事例の真似をしようとするかの二極に分解されつつあり、日本の状況を考えた上で海外事例を研究・検証しようとする姿勢に乏しい所が数多い様に思われる。
このような単純な真似事や無視ではなく、海外事例を基に日本に合った活性化政策を立案するには、前提条件としての都市形成の違いについて理解しておく必要がある。そこで、日本の都市形成について考えてみたい。
日本において都市が形作られた時期をいつからと考えるかは論の分かれる所である。確かに奈良時代の平城京や、それ以前の橿原京、飛鳥京等も間違いなく都市であり、それらを起源としている都市の多くは現在も姿形を変えつつも存在している。しかしながら前述の都市は、日本の都市をある程度類型化した時には少数派、あるいは分類不可能のグループに入ってしまう可能性が高い。では、日本における都市を発生理由別に類型化すると、どのような類型が多数派を占めるかというと、城下町や宿場町となると考えられる。
中世における大名の築いた城郭の周囲に形成された城下町と、主に近世に発展してきた街道沿いの宿場町を礎とする都市が日本には多いという認識を持てば、おのずと日本の現代都市の特徴も明らかになってくる。
城下町は城を中心としたものであったとはいえ、外部への城壁等に囲まれた中世ヨーロッパ型の都市とは異なり、外部との境界線は不明確であり容易に都市がスプロール化して拡大する可能性を持っていたと言える。又、城下町は領主(主に大名)の直接的な必要に基づいて作られた都市であり、領主の支配下に都市が存在するという構造になっていた。これは、市民による領主からの独立・自治が原点にあるヨーロッパ系の都市とは根本的なソフト面での構造の差異と考えることができる。ソフト・ハード両面において城下町はヨーロッパの都市とは異なっている。一方宿場町も、大半が江戸時代の街道整備によって設置された宿場を原点としており、「旅行者の為の宿泊施設提供」を第一義とした街づくりが行われた為、こちらも城下町同様に外部との境界線は明確には存在しておらず、後に生じるスプロールの遠因となった事は間違いない。
明治維新以後の日本近代においては、鉄道の駅前を中心に発展する都市が数多く生まれている。又、城下町・宿場町などの近くに駅が開設された場合には中心部が駅前に移動するといった事態も数多く見られた。さらに明治から昭和を通して、大企業が工場等を集中的に立地させた、いわゆる企業城下町も数多く出現したが、企業城下町の多くは依存する企業の業績や社会情勢の変化に左右され、急速に活力が低下していった都市も数多く存在していた。これらの都市には中心市街地空洞化が他の都市よりも一歩早く訪れた所も多く、現在直面している問題を整理するのにはちょうど良いモデルケースと言うこともできる。

2.地方都市中心市街地衰退の原因


日本における都市整備は、バブル経済が崩壊する1990年代まで一貫して拡大志向であったと言うことができる。また、戦後一貫して土地の値段は右肩上がりで上昇する事も前提条件であったと考えられる。このような状況の中、1960年代以降急激なモータリゼーションの深化と人口爆発によって都市は一気に郊外へとスプロールしていき、大規模ニュータウン等という形で既存の市街地と切り離された住宅地が大量に供給されることになる。これら大量の住宅供給は大都市に於いては主に農村部や地方都市からの人口流入及び都市中心部の悪条件住宅からの住み替えによって満たされていた。
上記のような変化と平行して、1960年代以降徐々に中心市街地空洞化が問題視されるようになってきた。しかしながらこの問題が頻繁に語られるようになったのは、1990年代前半のバブル経済崩壊と前後している。
日本における地方都市中心市街地衰退の原因は通常、拡大志向の都市政策・モータリゼーションの深化・流通革命・土地利用規制の緩さ、などが挙げられている。
@拡大志向の都市政策
日本の都市政策は基本的に都市の縮小という事態を想定していなかったと言える。その為、人口増加・DID地域拡大を前提とした拡大志向を常に持った政策が行われてきていた。中心市街地空洞化が1960年代より問題化しながら、1990年代後半に至るまで有効な対策がほとんど打たれなかった理由も、まさに拡大化が問題を表面的に隠してしまったからに他ならない。問題が表面化した理由はその逆に、拡大が不可能ということが明らかになってきたことと関連があると言っても過言ではないであろう。
Aモータリゼーション
1970年代以降、日本における車の利用度は極度にアップし、自動車利用を前提としない中心市街地の道路にも大量の自動車が流入し、大量の交通渋滞と不法駐車などの問題を招く事になった。この段階で中心市街地への自動車流入制限へと政策が向かっていたならば、あるいは今日の中心市街地とは違った姿が現在あったかもしれない。しかし残念ながら、多くの都市に於いて区画整理や再開発を伴った中心市街地における道路拡幅や駐車場整備が行われた為、都市固有文化の破壊やコミュニティの破壊などがこの段階で始まってしまっていたのではないだろうか。
今日の中心市街地活性化に関する議論の中で頻繁に使われる文化やコミュニティの崩壊に関する可能性だが、実は1970年代には既に始まっていたと考えることは上記の前提に立つならそれほど難しいことではないと思われる。
B流通革命
モータリゼーションの深化と前後して、中心市街地において中核をなす商業分野において新たな勢力が誕生し、急速に力をつけていった。スーパーマーケットが1960年代半ば頃から日本中に一気に広がり、さらに1980年代にはコンビニエンスストアが文字通り日本全国津々浦々にまで展開していった。とは言え、スーパーマーケットの大半は当初駅前などの都市中心部に立地していた。しかしながら1980年代半ば以降スーパーマーケットは郊外のロードサイドへ進出しショッピングセンター(S・C)へとある種の業態転換を行っていった。そして郊外S・Cの展開と反比例するように中心部の大型店が多くの地域で閉鎖し続けており、今なおその動きは止まっていない。
C土地利用規制の緩さ
特に地方都市に於いては郊外型S・Cが大量に展開していった理由に土地利用規制の緩さがあった。中出文平(1999)はこの点に関して「用途地域指定のある区域以外の土地利用制御をもっぱら農業側の規制に頼らなくてはならない地方圏では、農業振興地域の指定、特に農用地区域の指定状況と、農地転用許可の容易さによっては、散漫な市街地拡大や農村地域への種々の施設立地への歯止めを掛けにくいという問題を持つ。そうした中で、中心市街地の衰退が多くの地方都市に共通する問題として生じた。4」と論じている。
つまり、地方都市においては、法律上も都市計画によってではなく、農業系の用途指定によって市街地の拡大をくい止めねばならないが、残念ながら農業政策上においては、農村地域への大型店等の各種施設立地は、農業振興上も歓迎されてきた経緯があり、大型S・Cが大量に出現してしまった遠因と言えるという問題があるわけである。そして、この問題に関しては、構造上は未だに解決されていないと言え、早急な対策が望まれる所である。



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