New Year's Eve in London31/December/1997

 今年もとうとう大晦日。ロンドンでの新年の迎え方といえば、とりあえずTrafalger Squareに集結して騒ぐというもの。実は昨年も行って、ただ騒ぐだけということが知ってはいたのだが、今年もまた行ってしまった。
 ロンドンに残っている同僚とすき焼きパーティーを、私の自宅で開いた後、バスで
Trafalger Squareへと向かう。今日は交通規制のため、バスはOxford Circus止まりであった。そこから徒歩で南へ向かう。だんだんと騒がしくなってきた。Picadilly Circus辺りに来ると、酔っぱらいが笛を吹いて歩き回っている。その音が大きくなってきた。Trafalger Squareの手前で警察官のボディーチェック。そして歩を進めた。広場の中には黒山の人だかり。とにかく凄い。笛は吹くは酔っぱらってるは、手が付けられない状態。我々はちょっと離れた辺りで状況を見ていた。Nelson提督像の下には電光掲示が出、地下鉄駅の営業時間と、N Busの発位置の変更について表示していた。時は刻一刻と進んでいき、1分前、人々の興奮が高まっていく。しかし、別にカウントダウンするというわけでもなく、ただ騒いでいるだけ。そして電光掲示に、

1998 HAPPY NEW YEAR 1998

と表示された。あっ!新年だ!。興奮は絶好調に達したようで、騒ぎは大々的になった・・・と程なく、人々は思い思いの方向に動きだした。"Happy New Year!"と声を掛け合い、騒ぐ騒ぐ。我々はWhitehallを南下し、BigBenへと向かった。道路には酒の空き缶・空き瓶が散乱していた。BigBen周辺からも、12時の鐘を聴いた人々が、Trafalger Squareへ向かって歩いてきていた。とにかく騒いでいる。とはいえ、ただ騒ぐだけであることにはかわりない。これでもおもしろいのだが、やはり何か企画があった方がとは思う。しかし、警察はあまりこういうお祭り騒ぎをやって欲しくないようで、結局「何かあったらTrafalgerで騒ぐ」というロンドンっ子の習性の延長上の行事でしか成り立っていないようだ。
 ところで、この日は23時からバス・地下鉄が無料!!。各故我々も、St. James Park駅から地下鉄に乗り帰ってきたが、車内は日本の軽いラッシュ並み(大した物ではないが・・・)。車内でも騒ぐ者もいたが、それなりに秩序は守られていたようだ。やはり泥酔者はまだ騒いでいるのだろうか。とにかく、1997年も終わってしまった。1998年もいい年になりますように。

御意見・御感想・苦情は、こちらまで。送信フォームはこちら


並ぶ・アメリカ編30/December/1997

 ちなみに今日は私の誕生日である。この年にもなって嬉しいこともない。おまけに来年は30かぁ・・・。
 もとい、また並ばされた。Washington Dalles International AirportUnited Airlineのカウンターでのことだ。ある程度の混雑は予測しており、結構早く行ってはいた。予想通り、国際線エコノミーのチェックインカウンターは長蛇の列。おまけにカウンターの人々は動く気配がない。まぁいろいろ事情があるのだろうが、チェックイン自体、早く済ませば1分で終わることと思う。そういう中で、出発時刻の迫った便の乗客を優先的にチェックインさせていたのはなかなかだと思う。まぁ当然だと思うのだが、某英国の航空会社はそういう柔軟な態度をとっていない(Heathrowでの話ではあるが・・・)。
 ただ、乗客が窓口でいろいろ聞いているのは、英国と状況は一緒。やはり同じ様な国なのだろうか。そうこう見ているうちに、自分の番が近づいてきた。と、横を見ると今まで閉めていたもう一つのレーンが開いていた。後から来た人が先にチェックインをしている。「どういうこと?」とそのレーンの入口を見ると、そこには「UA918/920 London Heathrow Only」とあった。おいおい、俺も該当者じゃないか!しかし今さらどうしようもなく、とりあえず自分の待つのであった。まぁそれでも窓際の席が取れたからいいとしよう。ただ、手際の悪さはやはりどこかの国と一緒なのかも知れない。これが2年前だったら爆発していたのだろうが、今となっては慣れてしまったのか、「またか」と軽くあしらうことのできる自分を見て、「日本に帰ったら便利すぎてびっくりするんだろうなぁ」と思うのであった。


Baltimore29/December/1997

 アメリカ東海岸には古い町が多い。Baltimoreもその一つ。今日はWashington DCから足をのばし、Baltimoreまで行ってきた。なぜBaltimoreか?。Water Frontの再開発で有名な街、アメリカの国歌「星条旗よ永遠なれ」が書かれた街、ベーブルースが生まれた街、シーフードが美味しい街、いろいろあるが、最大の理由は、映画"Sleepless in Seattle"で、Meg Ryan演ずるAnnieが住んでいた街なのだ。ロケもやっている。だから行きたい!そういうただの「おのぼりさん」であったのだ。
 Washington DCUnion StationからMetro Linerで約40分、列車はBaltimore Penn Stationへ到着。ここから最近延伸して駅構内に乗り入れてきたLight RailInner Harborへ向かう。時間がまだ早かったせいか、Inner Harborのお店はまだ開いていない。とりあえず歩くだけ歩き(かなり寒かった)、地下鉄に乗りマーケットへ。ここには鮮魚類の販売の他、多くのTakeaway型の食品店があった。私はカウンターで生牡蛎3ヶを$4弱で賞味。実に美味しかった。その後またInner Harborに行ったのだが、さすがWater Frontの再開発で有名なだけあった、お店は活気で溢れていた。ここでBuffet型のレストランに入り、美味しいムール貝、浅蜊を食べた。
 その後古い街並みを歩いたのだが、まるでヨーロッパの大陸の街を歩いているよう。ただ、道が真っ直ぐであることだけが違う。そうしているうち、またマーケット近くへやってきた。そこのスーパーで水を買おうと入り、レジに入って気付いた。

ここの客、俺以外全部黒人だ

そういえば、さっきのInner Harborの客は白人が多かった。どういう違いだろうか。そしてまたマーケットに入ったのだが、やはりここの客層も黒人ばかり。これだけはっきりと別れているというのも不思議である。直感としては、どうも人種によって歩く場所が違うということ。ただ、私は黒人が多かったマーケットの雰囲気の方が好きだ。
 ただ、Baltimoreは、全米でも結構治安の悪い都市の方だと聞いた。アメリカは複雑な問題を抱えていると思う。


ハーレム28/December/1997

 今日はNew YorkからWashington DCへ向かう日。空港はNYの都心から一番近いLa Guardia空港である。ここへは、Manhattanの北側、125stを通って空港へ向かう路線バスが出ている。今回は試しにこれを使ってみることにした。なぜか?、125stと聞いてわかった方もいるだろうが、この通りはハーレムの中でも比較的安全(?)と言われる通りではあるのだが、一応ハーレムを通過していくバスだからだ。
 地下鉄1号線(こういう言い方するかなぁ?)Colombia Univまで出る。バスはここを通過するようで、地下鉄の案内でも、ここを乗換駅としている。バスを待つがなかなか来ない。全然来ない。他のバスは来るが、待つべきM60は来ない。飛行機の発時間が14:5013:50まで待って来なかったらタクシーを拾おうと覚悟を決め、待つ、すると・・・来たのだ、なぜか来たのだ。とりあえず乗り込んだ。
 バスは北に向かい。125stへ。見た感じはロンドンの汚目の街に似ている。しかし、歩いている人は黒人ばかり。そこがロンドンとは違う。ロンドンの汚い感じの街とは雰囲気が違う。ただ、この125stは前にも言ったように、まだ治安はましなところな様なので、この程度の印象で済んだのかも知れない。
 さて、肝心のバスは、私の思惑とは裏腹にゆっくり走り、結局航空会社のカウンターに着いたのは出発15分前。結局その次のフライトに変えてもらった(ただ、このチケットは変更不可の物ではあったのだが・・・)。変えられた飛行機は何とプロペラ機。多分40人乗りくらい。狭かったが、低空を飛んだため、ニューヨークの夕焼けが綺麗に見ることができた。今回はなんとか上手く行ったが、M60を使ってLa Guardiaに行くなら、かなり時間に余裕を持っていった方がいい。(ただ、他のラインからM60乗り継げば、もっと早く着くことはできるのだが・・・)


Nets VS Bucks27/December/1997

 とうとうNBAの試合を見ることができる日が来た。このNew Jersey Nets VS Milwalkee Bucksは、当日会場に行ってもチケットが取れるということだったが、私は万が一を考え、Ticket Masterのホームページを使い、事前に予約をしていた。New York市内のTicket Masterのオフィスに行ってきいてみると、チケットは会場であるContinental Arenaで手に入れろとのこと。夕方5時、会場に向かうため、Port Authority Bus Terminalへと向かった。
 一緒についてきてくれたいい加減にしろブランメル氏の誘導により、バス券売場へ。ブランメル氏も言っていたが、このターミナルはわかりにくい。ここで、Maidowland(だったと思う)行きのチケットを買うのだが、思わず"One return ticket to Maidowland please."と言いそうになった。そうじゃない。ここはアメリカ。"round trip"と言うのが正解。そう言うと、売場のおばさんは、"You'll go to Game?"と訊いてきた。みんなここで切符を買うのだろうから、わかるはずだ。そこから、全く表示のないところをブランメル氏の誘導により、何とか乗り場へ到着。こんなの初めて来たらわかるはずがない。不親切の最たるものだ。まぁ何とかバスに乗り、ここでブランメル氏と別れた(本当にありでもがとうございました)。バスは程なく発車。トンネルを抜け、New Jerseyへ。真っ暗な街を越えると、そこにあったのがContinental ArenaContinental Airlinesの所有物で、バスケットボールの他、アイスホッケなどもでき、またコンサート会場にもなるようである。バスはここの入口で停まり、みんなぞろぞろと降りた。私はチケットを取りに窓口に行き、それを手に中へと進んだ。
 中は結構広い。ただ、コートの大きさは普通なので、客席がその分多いということ。今日の席は$60のところ。ゴールの斜め後ろだが、前から9列目、なかなかの好位置である。試合開始まで90分、とりあえずHodDogでも食べて待つことにした。だんだんと席が埋まり、私の周りに空席が無くなった頃、試合開始の時間が来た。まず、小学生位の女の子がコートに出て、マイクを持って国歌の斉唱。そういえばMajor Leagueの時も同じ感じだった。アメリカのスポーツの開始はこんな感じなのだろうか。この曲を聴いていると、日本にも誇れる国歌があればと思う(現在、日本には国歌はない)。
 気が付くと試合が始まっていた。さすがプロの技、迫力が違う。試合はNetsが押せ押せで前半を終了。しかしながら後半Bucksが追い上げ、同点のまま後半が終わってしまった。そこで5分の延長戦、しかしそこでも同点、そして再度5分の延長戦で、Netsがリードし、勝利を収めた。こう書くと、結構早くゲームが進んだように見えるのだが、そうではない。Timeoutが多いのだ。とにかくタイムが多い。作戦なのだろうが、私としては、ゲームが止まってしまっておもしろくなかった。Timeoutの時間には、いろいろな企画があり、マスコットのSLYが出てきて何かやったり、場内のビジョンに客席を映し出して、それに出たいがためにみんな踊ってるし、まぁそれなりの楽しみ方を持ってはいるのだが、でも、Timeoutの多さにはうんざりした。だから、12分×4の試合のために、2時間半もかかるのだろう。
 選手の技には感動したものの、試合運びには少々疑問を感じた初NBA観戦だった。

おまけ 今日の収穫(買ったCD)
 ロンドンでやってることをニューヨークでもやってしまった・・・。

Tina Arena "don't ask"
 Times SquareVirgin Megastoreの店内で流れていたビデオを見て、思わず買ってしまった。しかしながら・・・なぜ今まで知らなかったんだろう!こんないい曲があったとは・・・いい歌手がいたとは・・・知らなかったのが悔しい。"heaven help my heart"は、完璧なまで私のお気に入りになりました。


ロックフェラーのクリスマスツリー26/December/1997

 冬のニューヨークの風物詩といえば、ロックフェラーセンターに飾られる巨大クリスマスツリー、そしてその下のアイススケートリンクである。今回のニューヨーク行きは、これを見に行ったと言っても過言ではない位、中心に位置づけていた。今日は、ニューヨーク在住歴9ヶ月いい加減にしろブランメル氏がつきあってくれたので、歩く方としても楽であった。市内をいろいろ回り、Starbucksで休んでいると、外は暗くなってきた。いざ出陣、5番街を北にロックフェラーセンターへ・・・あった!クリスマスツリー。
 実に綺麗である。ロンドンのトラファルガーのクリスマスツリーなんて、比べものにならない。何が違うのか?。大きさだけではない。使っている電球の色である。ロンドンでは白1色。まぁ周りの風景との調和もあるからしょうがないのだが、ここの奴は、赤、黄、緑といろいろ使ってある。木自体も立派なので実に映える。スケートリンクの方も大盛況のようで、列ができていた。これぞニューヨークのクリスマス!思わず堪能してしまった。
 その後、32stに行き、焼き肉を食べたことは言うまでもない・・・。


クリスマスの街25/December/1997

 クリスマスの朝、ちょっと早起きした私は、車で中心部を走ってみた。
 今日は地下鉄はストップ。BRPaddington駅も閉まっていた。Charing Crossも同様だった。バスは、観光バスとAirbus以外は見かけなかった。一般の路線バスは今日はお休み。また、タクシーもほとんど走っていなかった。とにかく道路は空いている。本来はバス・タクシー以外は通行できないOxford Streetを走ってみたが、とにかく人がいない。その時午前9時。いくらBank Holidayでも、ここまで人が歩いていないというのは見たことがない。
 そんな中でも、うちの居間の下にあるNews Agent "Portland Express"は営業していた。こういうのを見ていると、クリスマスはあくまで宗教行事であることが判る。開いている店は、大体はインド系の店である。
 街中を歩く人、見ていて思ったが、大体がHomelessの人か観光客。あと、休みだというのに清掃をしていたONIXの人(City of Westminsterから清掃業務を委託されている会社)、お疲れ様です。考えてみれば、交通手段がないのだからまぁしょうが無い。
 そういえば、今朝のBBCは、ニュースの時間帯に他の番組をやっていた。ニュースすらろくすこ流さない。Sky Newsもいつもよりくだけた放送であった。何もかもが止まるクリスマス。明日のBoxing Dayも同じ様な感じ。ただ、近年Boxing Dayは店を開けるところが増えてきたようだし、9時頃には地下鉄・バスが復活する。とはいえこういう死んだような街はどうも嫌気が差す。ということで私は今日旅に出る。

そういうことで、今日からNew York & Washington DCへの旅行に出ます。帰ってくるのは大晦日ですので、更新はその後になります。


イヴの街24/December/1997

 ロンドンのイヴはどんな感じか?。夜に車で走ってみた。
 はっきり言って交通量はいつもより少ない。特に都心部は、バスの交通量が少なく、いつもより走りやすかった。市内各所でクリスマス飾りが目に付く。飾りと建物のライトアップが相まって実に綺麗である。明日、明後日と休みにする店も多い。インド系のEUROPA FOODは休まないようだ。なら、イスラム系のHARRODSも休むのは変な気もするのだが・・・。
 ロンドンの新都心、DocklandsのランドマークであるCanary Wharf50階建てのビル)は、緑と赤にライトアップされていた。ロンドンらしくない風景とは言え、やはり綺麗なものは綺麗だ。私のお気に入りのドライブスポットである。
 弾みでMotorwayに乗り、ガンガン走った。途中Serviceに寄ったのだが、何と入口に鍵がかかっていた。クリスマス期間中は、レストラン・売店は休みとのこと。まぁ売店機能はPetrol Shopがその代役となるが、まぁ使う人も少ないのだろうから、いいのかも知れない。
 明日はクリスマス。街の機能は止まる。こんな状況は、先進国と呼ばれる・・・と言うか、自らそういっている国の中では、この国だけだろう。宗教行事のために公的機関の機能がほとんど死んでしまうような国を先進国と呼んでいいものか・・・私には疑問が残る。


BEAN23/December/1997

 公開からどれだけ経ったことだろうか。やっとこの映画を見てきた。Time Outによると、今ロンドンでこの映画を見ることができるのは、Leicester SquareODEONだけ。同僚と映画館へ向かいチケットを買う。こっちの映画館にはいるのは初めてである。なんと指定席、これにはびっくりした。メインのシアターでは、現在007 Tomorrow Never Diesをやっているようで次はTitanicを上映するようだ。BEANは、その横のサブの方で上映。こういうシアターが5つあるようだ。
 上映時間になり、狭い階段を昇ってシアターへ向かう。4階位まで昇った。前を歩いていた子連れのお母さんが、「どこまでも階段・・・」とぼやいていた。場内は、客席が40席程度の狭いもの。こじんまりとしていているが、これでいろいろな映画が上映できるので、いいのかもしれない。そういえば日本でもこういう形式の映画館が増えているようだ。場内が暗くなり、まずはコマーシャル。結構長い。最後はホームレス関係の奴。最近テレビでも同じ様な広告を見たことがある。次がTitanicの予告。この映画もかなりの迫力だ。そして本編が始まった。
 この映画の日本での公開は来年ということなので、あまり詳しくは書かないが、私の感想は、「確かにおもしろいのだが、いわゆる今までのBEANの笑いとはまた違ったところでの笑いもあり、昔の笑いにこだわる人には、間延びしておもしろくないかも知れない。けど、やっぱり笑えた。」といったとこだろうか。確かにおもしろい。笑った。でもその笑いはアメリカ映画を見た時の笑いが半分混じっている。そりゃこの映画はアメリカ映画なので当然なのだろうが、ただ、今まで培っていたBEANのキャラが完全に活かされていないような気もした。やっぱりMr. BEANはイギリスで作ってもらいたい。
 あと、この映画は、今までのMr. BEANシリーズとは違い、セリフが多いので、それなりに英語を理解できた方がよりおもしろいと思う。ただ、1箇所日本語が飛び出すシーンが登場。まぁ偶然なのか意図的なのか・・・。


アイドリング時の振動22/December/1997

 久々に同僚と飲みに出かけた。まぁ忘年会みたいなもの。数ヶ月ぶりに焼酎を飲み、日本式の食べ物を肴にわいわいとやった。そして帰り、Tower Recordsに寄った後、バスへと乗り込む。1階の階段すぐ後ろの席に腰を下ろし、買ったCDを聴いていた。そうしていると、頭にたまに不快感が襲う。何か?、バスが停まった際のアイドリングの振動である。
 シートの背もたれに寄っかかっていると、その振動をもろに受ける。そうなると頭にガンガンと響く(決して酔い過ぎではない)。とにかくこの振動は半端ではない。どうも新型の前乗りワンマンバスにこの傾向が強いようで、飲んだ後はのみならず、ちょっと体調が優れないときなど、いつもこれで苦労する。
 こんなこと簡単に直るような気がする。それなのに直さない。これは「ものを大切にする」というより「顧客のサービスを考えない」としか思えない。第一古いバスの方が、この点については乗り心地がいい。今までの経験からいって、車齢1015年位のバスに、この傾向が強く見られるようだ。サービス向上を目指して、いろいろと施策を進めるロンドンバス。ソフトの面だけではなく、ハードの面でも少し考えて欲しい。

おまけ 今日の収穫(買ったCD)
 判ったからにはすぐに買わねば・・・。

Shakatak "Let The Piano Play"
 出てるならすぐに買わねば!。昨日のLiveの際に、発売されていることが判ったので、買いに行った次第。昨日も聴いたアルバムタイトル曲"Let The Piano Play"は、今までの曲とは違ったアレンジが入っており、昔とはひと味違うのだが、それでもやはりShakatakShakatakである。基本的な感覚には、同じ芯が通っている。Jillの声だけではなく、他のBack Vocalの声が全面に出てくる曲が多いことも今までにない特徴。ただ、個人的にはJillの声が好きだ(昨日思いっきり、それも目の前で聴いてはいるのだが・・・)。Keith Winterが抜けたことは残念だが、基本となるBillのピアノは健在。これからもいいアルバムをたくさん作っていってもらいたい。


Shakatak Live at ronnie scott's21/December/1997

 今、余韻に浸りながら、このページを打っている。それだけ感激した今夜のライヴであった。
 18時半に家を出る。開演は19時半なので十分だろう・・・そう思っていたのだが、バスを選んだのが大失敗。大渋滞である。おかげでPicadilly Circusに着いたときは既に1920分。少々急ぎ足で、ronnie scott'sへと向かう。ronnie scott'sは、Jazz Clubとして有名な店。本来は日曜は休みであるのだが、今日は特別に開店するらしい。店の前に着くと、長蛇・・・とまではいかないのだが、まぁそれなりの列ができていた。しかしながら時既に19時半。どういうことだろうか。まぁとりあえず列に並び(この程度の列で驚かなくなったのは、イギリスに慣れた証拠かも知れない)、順番を待つ。係員は、6人位ずつ店内に入れている。中の状況がよくわからない。20分ほど待って自分の番。さぞかし店内は混み合っているか・・・と思いきや、がらがらである。まだ店に人を入れ始めたばかりと見える。
 店内は、ステージ前とステージに向かって左側が丸テーブルの席、右側が階段席になっていた。私は何となく右側の階段席に座る。ステージまでの距離、約2.5mといったところ。そこにはパーカッションが置いてあった。中は暗め。東京で一緒に働いていたN氏好みの暗さである。テーブルの上にはメニューがあった。今日は日曜の特別メニュー。基本的に飲み物だけである。予想はしていたので、食事はしてあった。とりあえずビールを注文し、待つことにした。そこで困ったこと、今日は「一人」なのだ。さすがに「Shakatak行こうぜ!」と言って、一緒に行く人もいない。しかし行きたい!結局行きたい欲求の方が強く、チケットを買ったのだが、ここは普通のコンサート会場じゃないので、一人というのも少々気まずい。しかしながら、私と同じように単独で来ていた人もちらほら。心強い。
 客がだんだんと入ってくる。とはいえ、入口で制限をしているので、少しずつである。場内の混乱を避けるためだろう。しかし前置きが長い長い長い・・・。結局1時間位待ったことだろうか。場内の席も埋まり、立ち席の方も一杯になった頃、BGMが大きくなり、客席の間から、Shakatakが登場!
 目の前のパーカッションのところには、VocalJill Sawardが立った。そしてフルートを用意(ところでJillって結構「太った」のかなぁ?でもすました顔は、やっぱりJillだ)。Openingは、懐かしの名曲"Invitations"3m先では、Jillがフルートを吹き、歌い、パーカッションを操っている。その横では、George Anderson Jrがベースを奏でる。奥では、Roger Odellがドラムを叩く。そして何と言っても、私の7m先では、Bill Sharpeがピアノとキーボードを巧みに操り、メロディーを奏でている。私の大好きだったギター奏者、Keith Winterがいないのは残念だが、それにしても本物のShakatakが目の前にいるのだから大満足。Clubという狭い空間ならではの一体感が実に嬉しい。
 今日のステージでは、結構懐かしいナンバーが多く、"Day By Day""Dark Is The Night"など、80年代前半の曲や、"Blue Note"のような90年代近くの曲、そして私のお気に入りの曲、"Mr Manic & Sister Cool"なども飛び出た。そして締めは何と言っても"Night Birds"!!!。この曲であそこまで盛り上がれるとはびっくり。拍手喝采で終わり、アンコールの声!アンコールでは、New Album "Let The Piano Play"からタイトル曲"Let The Piano Play"(だったと思う)、そして最後は"down on the street"。全てが終わったとき、満足感で固まってしまった。
 今日の曲のほとんどは、作られてから10年以上も経過している曲がほとんど。でもそういう曲でも、陳腐化していない。時代と共に変わりつつも、基本線はしっかりと守っている、Shakatakの職人堅気な一面が、今だけじゃない、完成された音楽を生み出しているのではないか。
 それはそうと、これだけ気楽にShakatakLiveを楽しめるのも、ロンドンに住んでいる特権。考えてみれば、イギリス系の有名ミュージシャンはごろごろしていると思う。思えば、Phil CollinsLouiseのコンサートに行けなかったことに悔しさがつのっていたのだが、今日のShakatakで全てが吹っ飛んだ。昔から大好きだったこのグループを、あんな間近で見れたこと、それがEarl's CourtPhil Collinsを見たり、Wembly ArenaLouiseを見るのとは違った、Clubの魅力であると思う。ronnie scott's自体も、ロンドンではかなりな有名どころのJazz Club。コンサートとは違った魅力があると思う。もし日本に帰ってから、Shakatakの来日公演に行ったとしても、今日得た感動は得られないと思う。


縁石20/December/1997

 路上駐車(合法です)をしようとしていつも頭に来るのが、歩道の縁石の角の面取りがされていないことだ。縦列駐車をする際に、タイヤを傷めてしまう危険性があり、いつも困っている。
 この国の歩道の縁石は、コンクリートを固めた一定の形のものではなく、石を切り取ったようなものを使っている。そのうえ、角が残っているため、縦列駐車をする際、歩道ぎりぎりに寄せようとするときに、タイヤが縁石にぶつかると、傷を付けるなど、消耗を早めてしまうようなことをしてしまう。狭い場所での縦列駐車の際に、縁石にぶつけないようにするのは至難の業。こういうことの繰り返しで、タイヤ業界が儲かっているのではないかと、疑心暗鬼になってしまう。
 他のヨーロッパの国を見ても、こういう感じに角張った縁石を使っているところはあまり見ない。確かに今の縁石は趣があっていいのだが、とはいえ現状に合わないものは、変えていくのが本当の文化じゃないのだろうか。


Night Bus19/December/1997

 今日は結構遅くなった。職場を出たのが23時。同僚と飯を食いに出かけ、結局店を出たのが010分であった。この時間のBalerloo Lineは結構雰囲気が悪い。そこで、Picadilly Circusまで出て、Night Busを使うことにした。
 ロンドン市内では、昼間の一般バスの他、深夜の時間帯に30分〜1時間おきに走るNight Bus(Nバス)のサービスがある。昼間のバスは、1桁から3桁のバス系統番号が着いているのだが、Nバスはその系統番号の前にNが付いている。例えば今日使ったのはN36というバス。当然36というバスもある。この2つは、基本的に同じようなルートを通るのだが、少々違いがある。

  1. Nバスは必ずTrafalger Squareを通るように経路が決められているため、Trafalger Squareを経路としていない昼間のバスと同じ番号を持つNバスについては、市内中心部のルートが少々変わる。
  2. 昼間のバスより、経路が長くなることが多い。(深夜は走らない、Undergroundの代わりという意味合いもある)
  3. バス料金が、昼間のバスより少々高く、One Day TravelcardOne Day Bus Passは使えない。しかし普通のTravelcardは使える。
  4. 昼間のバスは、白地に赤で示される"Fare Stage"と書かれたバス停には必ず停まるのだが、Nバスは、全てのバス停がRequest Stopとなり、手を挙げなければバスが停まらない。

そういえば昼間の36番はPicadilly Circusは通らず、VictoriaからPark Laneを通ってPaddingtonへと向かう。しかしN36Victoriaから一旦Trafalger Squareを通ってPaddingtonへと向かう。お陰で使えたわけだ。
 今日街を歩いて思ったが、結構酔っぱらいが多い。それもたちの悪いのが。日本のような寝込むとか、吐くとか、そういった感じではなく、「騒ぐ」奴が多い。バスの中でもたちの悪い奴がいるときもある。だから私は夜はやはり1階に乗る。2階はあまり乗りたいと思わない。こういう自衛手段をきちんととれば(これが大前提)、Nバスはそれなりに安全で便利な乗り物であると思う。夜更かししたときは、Taxiもそれほど高くなくていいのだが、何せつかまりにくい。そういうときこそNバスである。ルートを確認してしっかり利用しよう。


チケットを取る18/December/1997

 この前Time Outを見ていたら、21日に、Ronnie Scott'sというJazz Clubで、SHAKATAKのライヴがあるという情報を得た。未だSHAKATAKファンの私としては、お膝元ロンドンでライヴを見るというのは、最高の経験。ただ、Ronnie Scott'sJazz Clubであり、普通のコンサートのようにチケットを販売しているとは思えない。日本なら、「ぴあ」が情報誌を発行している上に、チケットオフィスも持っているので、チケットの手配がしやすいのだが、ここだとTime Outの情報欄を見ると、前売り情報については日にちとアーティスト、会場の情報が羅列してあり、その後にチケットオフィスの情報が羅列してあるという感じ。どこに電話をして訊いてみればいいかさっぱり見当がつかない。そこで店に電話をして訊いてみることにした。

「あのぉ、21日のSHAKATAKのライヴのチケットどうやって買えばいいのですか?」
「今からだと、現金か小切手での支払いになると思いますが、ここに電話して下さい」

店の人から、チケット販売店の電話番号を教えてもらった。まだチケットがありそうな気配。時既に19時を回ってはいたのだが、とりあえず電話をしてみた。

「あのぉ、21日にRonnie Scott'sであるSHAKATAKのライヴチケット欲しいんですが・・・」
「ええとぉ(とキーボードを叩く音)、何枚?」
1枚ですけど・・・」
「今からだと郵送できないから、取りに来てもらうことになるんだけど。うちはシャフツベリーにあるんだけどねぇ。」
「それはちょうどいいですねぇ。職場から近いから、明日の昼にでも取りに行きます。」
「じゃぁ名前を教えて下さい」
n·a·g·o·y·a·n(という感じに、綴りを言う)」
「じゃぁ、明日取りに来て下さいね」

おもしろいくらいに簡単に取れた。いやっ、「取れていると思う」というのが、正直な感想。何か本当に取れているのかどうかちょっと不安である。まぁ、明日事務所に行けば、手に入るとは思うのだが・・・。
 前に競馬の入場券の予約をしたときは、電話口でクレジットカードの番号と住所を教え、数日後にチケットが郵送されてくるという方式であった。多分、時間に余裕があれば、そういう方式となるのであろう。これは危険性を伴うような気もするが、実に簡単で便利な方法であると思う。現金を扱わないし、問題のある取引であれば、支払いのストップもかけられる。さすがカード社会である。Time Outを見て、気軽にチケットを取って出かけるというのも、おもしろいと思う。


雪だっ!17/December/1997

 今朝は雪が降っていた。まともに雪が降るのを見るのは、ロンドンに来て初めてだ。風が吹いていたため、朝起きて窓の外を見ると、横殴りの雪。しかしながら、雪質は最悪と言った感じ、雪に近い霙といったところだ。
 ところでこの街は雪対策はできているのだろうか?。確かに郊外の家の屋根は結構急なところもあるし、問題はないようにも思えるのだが、除雪車とか、そういった類のもの・・・まぁ必要な程雪が降るかあるかどうかと言う考察も必要ではあるのだが・・・があるのか?。道路の融雪(氷?)はやっているようだが、お陰で車が汚れてしょうがない(まぁこれは仕方ないが)。
 これだけ緯度の高い都市である。東京のように、たかだか5cmの雪が降ったくらいで、都市機能が麻痺してしまうようなもろい一面は持ち得ないと信じてはいるのだが、どうも確信はできないと言うのが、正直な感想である。

おまけ 今日の収穫(買ったCD)
 同僚と一緒に帰ったため、
Jubilee LineBond Streetまで行き、Central Lineに乗り換えようとしたら、なんと列車は故障か何かで来ない!。仕方ないので、降りてバスに乗り換えようとすると、バス停の前には・・・HMVがデンと構えていたのであった・・・。

"DIANA, PRINCESS OF WALES · TRIBUTE"
 DIANAへの贈り物と名付けられたこのアルバム、売上金は、The Diana, Princess of Wales Memorial Fundへと入るという性格のもの。内容は、有名アーティストの曲が入っており、これがDiに対する「贈り物」となっているのだろう。参加アーティストは、Queen, George Michael, Paul McCartney, Eric Clapton, Rod Stewart, Enya, Céline Dion, Michael Jackson, Whitney Houston, Mariah Carey, Bee Gees, Tina Turner, Spice Girlsなど多種多彩。アルバムの性格から言って、派手な曲はないのだが、私の好きな"Because You Loved Me"が入っていたのが心にしみた。

LOUISE "woman in me the video"
 先に発売されたalbum"woman in me"と、debut album"Naked"のビデオクリップを中心に構成されたVideo。一昨日のWemblyでのコンサートに行けなかったことが悔やまれていたのだが、このVideoを発見して、るんるん気分(死語)で家に帰ってきた。LOUISEVideoが欲しくて欲しくてたまらなかった私にとっては、最高の宝物。曲の面でもビジュアルの面でも合格点です。。


寒波到来16/December/1997

 突然寒くなった。昨日とは違う本格的な寒さだ。考えてみればここは北緯51度。寒いのが当たり前。メキシコ湾流の影響で、緯度の割には寒くはないのだが、海流の影響を受けないドイツ南部などの寒さを考えれば、ここでの寒さも納得できるような気がする。
 私にとってみれば懐かしい寒さだ。底冷えする冬、空気がきれいになるから好きだ。ただ、これは暖房がしっかりと効いた室内があるという前提での話。うちの職場は建物が古いせいか、暖房の効きはいまいち。冷たい空気の中で仕事をしなくてはいけない始末であった。
 昨年も結構寒かったが、「仙台ほどでは・・・」と感じていた。さて今年はどうなることやら。生火を使わない、ロンドン中心部での暖房システムで越せるかどうか、天井の若干高めの部屋に住む者として、少々心配になる今日この頃であった。


だいく15/December/1997

 「だいく」と入っても大工ではない。第九・・・ベートーベンの交響曲第九番のことである。日本では年末になるといろいろなところで演奏されるこの曲、歌う立場からすると、私がこの世で一番嫌いな曲である。今日は、来年日本で催される英国祭'98(Japan-UK Festival)の前夜祭ということで、日英合唱団の演奏で第九が催された。
 ところでなぜ第九なのだろうか?ベートーベンはオーストリアの作曲家である。折角だからイギリス人か日本人の作曲家の曲をやって欲しかったのは私の願い。宗教曲なら、Thomas TallisとかWilliam Byrdとか(ってこれってかなりマニアックではあるが)だっているではないか!お国の曲と言えば、日本の君が代(これも私の大嫌いな曲)と、イギリスの国歌だけであった。双方の国の曲は無かったのか?まぁ確かに日本で第九は有名だし、時期的にもいい時だし、曲が曲だけに、急作りの合唱団でも何とかこなせるところがあるし、何と言っても曲が派手なので、こういう前夜祭には向いた曲であるのかも知れない。
 合唱団は日英混成。ソリストは、女性は日本人、男性はイギリス人。オケはロンドンの団体であった。指揮者なのだが・・・打点がわかりにくいおもしろい指揮をしていた。演奏自体だが、週1回の練習であそこまで仕上げたのはなかなかだと思うが、如何せん暗譜はできていなかったようで、歌自体に余裕が無く、特に入りのところが弱かったのが気になった。しかしながらプロじゃぁないので、そこまで求めることもないだろう。団員がステージを楽しむことが一番なのだろうから。ただ、「暗譜した方が、歌うことに余裕ができて、もっとステージを楽しめる」というのが歌ったことのある私の意見。
 日本人、イギリス人の混在の演奏、こういう活動が、日英の交流を活発にしているのだなぁと感じた今日の演奏会であった。


真っ暗な道14/December/1997

 泊まり込みのクリスマスパーティーが終わり、帰宅の途へ。会場がCotswordsであったため、途中、同僚と近くのBiecesterにあるOutletに寄ったりしていたので、高速に乗った時は既に17時。真っ暗である。M409番入口からロンドン方面に入る、すると、そこには全く街灯がないのだ。真っ暗である。
 交通量はそれなりに多い。だから後尾灯の赤をたよりにすればいいし、車線には反射板が埋め込まれているため、一般道に比べ、街灯が無くても走りやすい。でも、車の流れは7080マイルである。その上車間距離を取らない。バックミラーにはライトの明かりしか映らないため、距離感もつかみにくい。街灯のない区間での走行は結構怖かった。
 ロンドンに帰り着くまで、いくつかの区間でこういうところがあった。自分が走りにくい・・・その理由としてもう一つあった。それは、街灯がないため、上目ライトで走る車が多く、そのため対向車のライトが目に入るということだ。まぁ街灯は環境破壊に繋がる可能性もあるので、無理に設置しろとは言わないが、せめて中央分離帯に、日本の高速道路のように、対向車のライトが目に入らないような工夫をきちんと施してもらいたいものだ。


クリスマスプディング13/December/1997

 プディングといえば、いわゆる「プリン」というよりは、「固めたもの」という意味で、日本のプリンとは似ても似つかぬものが出てくることが多い。今日のクリスマスパーティーの最後に出てきたのもそういう感じ・・・デザートではあったが、日本で言う「プリン」とは似ても似つかぬクリスマスプディングである。
 大体にして色が真っ黒。味は変に甘い乾燥果実入りケーキといった感じ。こっちの人にとって見れば、雰囲気はあるのかも知れないが、味としては「これぞイギリス」といったところがある。実際食べている状況を見ると、イギリス人スタッフはどんどん食べていたが、日本人はほとんど手を付けていなかった。
 そう考えると、日本でも「縁起物」と言われる食べ物でも、それほど美味しくないものがあると思う。まぁ、こういうものはそんなものなのかも知れない。


驚きの往復運賃12/December/1997

 仕事の関係で、BRの運賃を簡単に書いた本を見る機会があった。この本は、ロンドンからの各種運賃と、そこに行く列車の時刻がまとめてあるという、ロンドンに住む者から見ると、実に便利なもの。まぁそれだけ運賃体系が複雑であるということだ。それを読んでいて気付いたのだが、普通運賃の片道より、一番安いSuper Saver Return(SSR)の往復運賃の方が安いということ。近距離であれば、Cheap Day Return(CDR)というものもあり、これも安い。これもひとえに、混雑時間帯と閑散期の運賃をはっきりと分けている、航空機的な発想をしているからなのだが、日本的運賃体系を考えると、はっきり言って信じられない現象だ。
 けど、よく考えると自分もそういう風に買ったことがある。昨年の冬、水曜の朝8時に、ロンドンからヨークへ行ったときに、正規運賃で片道の切符を買ったところ、£51であったのだが、今年の秋に往復したときは、SSR£50もしなかった。みんなが使う時間帯を外せば、結構安く旅行できるのだ。但し、これはStandard Class(いわゆる2)を利用した場合であり、First Classを使う場合は、往復割引はあるものの、片道より安くなることはない。
 他のヨーロッパの国でも言えると思うのだが、鉄道の切符は往復で買った方が安い。ただ、イギリスではカードサイズの切符で、行き、帰りと2枚発券されるが、他の国だと、飛行機のBoarding Pass位の大きさの券で、往復が1枚になっていることが多い感じがする。国毎の発券方法に気を付けよう。なぜなら、切符は現地語で書いてあるので、言葉がわからない国の切符の表示内容など解読不能であるからだ。

 ところで明日、明後日は職場のクリスマスパーティー。泊まりなので、次の更新は日曜日になります。

おまけ 今日の収穫(買ったCD)
 どうも金曜の夜に
Picadilly Circus辺りを歩くと、誘惑に負けてしまう・・・。

Robert Miles "23am"
 前作も渋くて良かったのだが、今回もその期待を裏切らずに、良く作ってあった。こういう「インスト+ヴォーカル」って感じは、古くはShakatakにも通じる、実に心地よい音。この人のジャンルは一体何になるのか、はっきりはしないのだが、こういう感じの音は大好きだ。

Natalie Imbruglia "LEFT OF THE MIDDLE"
 やっと見つけた!MTV"TORN"のビデオクリップを見たときから、「買いたい!」と思っていた。ちなみにジャケットの写真は、ビデオクリップのそれとは似てもにつかない。髪型の感じが違うからだろうか。声質は結構好み。まだ完全には聴いていないが、今のところ"TORN"が光りすぎているという感じでしょうかね。


Mince Pie11/December/1997

 こっちの人がクリスマスになると食べる代表的なお菓子といえば、Mince Pie。この名前を始めてみたときは、肉のミンチでも入っているミートパイかと思ったのだが、そうではなかった。よくわからないのだが、果実のようなものが入っているもの。よくわからないのは、私がこの味が嫌いで、思い出したくないからである。
 今日、職場でこのMince Pieが出てきた。日本人スタッフはほとんど手を付けていなかった。私も今回は遠慮させてもらった。日本で言えば、桜餅とか、柏餅とか、そんな意味合いがあるのだろうが、ちょっとこれだけはいただけない。おまけに今日のはTESCOのオリジナルブランド・・・TESCOは好きだが、ちょっと手は付けたくなかった。
 今週末の土日は、職場で泊まりのクリスマスパーティー。イギリス人スタッフがイギリス流のクリスマス料理を作ってくれるそうなのだが・・・これこそかなり心配である。


怖いものは何?10/December/1997

 日本で働いたことのあるイギリス人と飲んだ。話の中で、「日本で怖かったものって何?」という質問をしたところ、地震(その人は兵庫県内に住んでいた)とか、サリンとか出た後で、意外な回答が返ってきた。それは「アメリカ人」。
 一応同じ様な言葉を話す両国民なのだが、やはり国民性は違うのだろう。私のような日本人から見ても、「アメリカ人は怖い」というのも、何となくうなずけるような気もした。日本からアメリカに行ったときは、その完全なる言語の違いもあって、「うわぁ、外国」という気がしてならなかったのだが、今年の夏にロンドンからニューヨークに行ったときは、多少の発音や単語の違いはあったものの、言葉の面での違和感はさほどなかった。しかしながら、国民性というか、性格というか、最初にUAの機内に乗ったときから、「何か違うな」とは思っていたのだが、お店での対応や、ホテルのフロント係の雰囲気など、イギリスとは違う。こういう違いなどもあって、「怖い」という発言が出たのかも知れない(まぁ半分はおちゃらけでしょうが・・・)。
 そういう私も、クリスマス休暇はアメリカへ。「怖いアメリカ人」のなかで明るく生活することになるのかも知れない。


お持ち帰り9/December/1997

 仕事で日本から来た人の夕食につきあった。私が薦められるのは中華だけ・・・ということで、定番ではあるが、SOHOにあるCHINA CITY(中国城)というレストランで食事をした。ちょっと量が多く、さすがに食べきれずにいると、店員が寄ってきて一言「持って帰りますか?」。
 いわゆる「ドギーバッグ」によるお持ち帰り。それほと多く浸透しているとは思えないのだが、この店ではやってくれる。アメリカなどでは結構見られるこの方法、「無駄にしない」という心が私は好きである。
 一緒に行った客は、「ホテルに持ち帰っても食べませんから」ということだったので、私が持ち帰ることになった。今日はとりあえず明日まで持ちそうなものを選ぶことにした。それにしても明日は朝から中華ということになるのか・・・そして昼も中華・・・。けどまだ朝昼晩フランス料理とか、イタリア料理とか、ましてやイギリス料理などというのに比べれば、私にとっては数段上である(イギリス料理は論外)。


健康診断8/December/1997

 日本の会社に雇用されている者として、必ず受けなければいけないもの、それは年に一回の健康診断である。今日は健康診断に行ってきた。
 とはいえ、健康保険制度の崩壊している(と私は思う)イギリスの医療機関で、こちらが満足する健康診断を受けることができるとは思わない。そこで使われるのが日系の診療所である。私は同僚と2人で、ロンドン北部のHendonにあるロンドン医療センターへと車で向かった。ここは昨年も健康診断を受け、また大晦日に尿管結石で苦痛に苦しむ私が駆け込んだ場所。苦々しい思い出もあるが、信頼のおける医療機関である。
 入口を入ると、すぐにあるのが薬局。最初の窓口は日本人。ここで健康診断であることと名前を言い、電話をして確認してもらう。程なく日本人の看護婦さんがやってきた。我々が最初のようだ。更衣室でガウンに着替え、診断開始である。心電図検査の後採血、そして聴力検査、身長・体重・血圧測定、レントゲン撮影、そして内科検診である。これらの検査全て、担当は日本人の医者・技師・看護婦であった。前回はイギリス人のレントゲン技師が入っていたが、今回は混み合っていなかったからか、完全に日本人であった。確かに、こういう医療関係のことを、日本語だけで行えるというのは、我々にとって心強いことだ。
 まるで日本での健康診断のようであった。ただ待合室にあった少年ジャンプは夏の号。ここで「あぁ、ここはロンドンなんだ」と思いながら、こち亀を読んでいた私であった。


移動遊園地7/December/1997

 クリスマス気分もだんだん盛り上がってきた。私が出張しているうちに、Trafalger Squareにはクリスマスツリーが立ち、そしてLeicester Squareには恒例の移動遊園地が出ていた。
 ただでさえシアターがあり夜は人出が多いこの地区、移動遊園地のきらきらと光る電飾が、クリスマス気分を盛り上げる(ところでクリスマス気分って・・・何でしょう?。まぁ楽しければいいか・・・)。昨年と同様に、Swiss Centre前にはメリーゴーランドが出ていた。なかなかの大仕掛け。また、いくつかの遊具や、出店も登場。なかなか華やかな雰囲気があっていいものだ。
 街角の通りにも、電飾飾りが施されているところが多い。これから年末まで、このようなお祭り騒ぎ的な雰囲気が続く。日本とはまた違った「師走」の賑わいである。


空港連絡・・・ウィーン編6/December/1997

 ウィーン市内と空港を結ぶ交通機関には、リムジンバスとSバーンが挙げられる。リムジンバスは、空港と市内にHilton HotelにあるCity Air Terminal(とはいえ、待合所があるだけの所ではあるが)を結ぶ系統を中心に、市内各所に頻発しており、一番便利な交通機関。所要時間も20分と大変便利だ。お値段は70ATS(700)
 Sバーンは、空港地下にある駅と、Wien Mitte(ウィーン中央)駅を結ぶ、S7という系統。所要時間は30分と、バスに比べて遅いし、30分おきと、バスよりも本数が少ない。しかしながら、市内まで34ATS(340)と安く、かつ24時間券50ATS(500)を買っておけば、17ATS(170)と、リムジンバスより安い値段で、ウィーン市内での足も確保できる計算になる。今回は行きは鉄道、帰りはバスを使ったのだが、快適性ではバスが結構上ではあったが、安さの面で鉄道も捨てがたいものがあった。
 ロンドンに帰ってきて、Picadilly Lineで家路についた。大きな荷物を持ってこの路線に乗るのは結構辛いものだ。確かにHeathrowは便利なのだが、あの快適性がゼロに等しい地下鉄車両だけはいただけない。


ウィーンの公共交通5/December/1997

 今日はウィーンで仕事があった。使うのは公共交通機関。何度か乗り降りする必要があったので、昨日ウィーンに着いた時点で24時間券を購入していた。これは、ウィーン市内のUバーン(地下鉄)、Sバーン(国鉄近郊線)、バス、路面電車などが24時間乗り放題になるもの。深夜のN系統の乗り物(バスと路面電車)には使えないようだが、それ以外は何度乗っても1枚で50ATS(500)1回券が1時間以内同一方向なら乗り換え可とは言え、20ATS(200)するので、この券はかなりのお買い得となる。
 ところでこの交通機関、改札はない。自分で乗るときに切符にパンチを入れるやり方。ヨーロッパ大陸では標準となっている。日本人ならキセルとか無賃乗車をやりそうだが、もし見つかれば罰金をとられることもあるのか、きちんと切符を買っているようであった。これだと人件費や機械投資が少なくて済みいいのだが、日本の土壌では馴染まないのであろう。またイギリスでは車掌から買う方式が一般的なので、また馴染まないようだ。
 地下鉄系統は至って簡単。案内所で地図がもらえる。ちなみにU6は路面電車の車両を使って地下鉄として運行していた。またU4はかなり浅い所を走っているのだが、都心を縦貫するU1U3は深いところを走っている区間もあるようだ。しかしながらロンドンとは比較にならないほど浅く、かつエレベータなどの施設も充実しており、駅構内も明るいので、非常にいい印象を得た。やっぱり新しいからなのだろうか。それにしたってロンドンの地下鉄は汚いと思う。
 路面電車は系統が入り組んでいるので、停留所で路線図を確認する必要がある。ただ、慣れると使いやすい交通機関であることは確か。各電停でアナウンスも入り(とはいえドイツ語ではあるが)、親切である。
 まぁこういう感じで見てきて、ウィーンの公共交通は、外から来たものに優しいなぁという印象を感じた。


ブラチスラヴァとウィーン4/December/1997

 昼過ぎに何とか仕事が片づいた。現地でいろいろ世話をしてくれたDamasek氏にお礼を言い、この地での業務を終了。今日はこの地を離れてウィーンへ行くことになる。ウィーンへの列車が14本しかないので、選択の余地が少ない。あまり夜遅くなるのも怖いので、14:36の列車で帰ることにした。通訳のMaltaは駅まで見送りに来てくれた。何となく別れるのは寂しかった。
 列車は20分ほど遅れて、暗くなったウィーンの街へ着いた。ブラチスラヴァからウィーンについて最初に思った印象「明るい」。雰囲気ではない。電気の明かりのことだ。本当にブラチスラヴァは暗かった。確かにスロヴァキアでは電力不足の問題も起きているようで、無駄な電気もつけていなかった。ビルの中で営業している店舗があっても、1階の入口の電気が閉まっていたり、店の電気が全部ついていなかったり、暗い印象を受ける要因もいろいろあったろう。しかしながら、電光の看板が少ないこと、電気のついたショーウィンドゥが少ないことも、街中の暗さを増幅していた(しかし治安はかなりよかったのだが・・・)。ウィーンは本当に明るかった。
 たかだか50kmしか離れていないこの街、今では同じ資本主義のこの国々、過去の産物はなかなか変えることができないのだろうか。


スロヴァキアのディスコ3/December/1997

 仕事が終わった後、ホテルに戻り、20:30に遅い夕食に出かけた。市内をよく知らない我々に、通訳のMaltaがつきあってくれた。さほど腹の空いていなかった我々は、Communistの集ったと言われるパブに行った後、MacDonardでセットを食べ、1階の入口の電気が消えているが、開いていたそこの2階にあるカフェに行き、話をしていた。そうして「ディスコに行こう」という話になった。郊外にある大学の近くに"Disco 39"というところがあるそうだ。この名前は、ちょうどそこを39番のバスが通っているということで名付けられたそうで、ブラチスラヴァの若者が集う場所、私も興味津々であった。
 タクシーで約15分、市内西部の大学近くにその店はあった。周りには何もない。店に近づいていくと、大音量の音楽が聞こえる。店内に入り入場料20Sk(80)を払う。店の造りは、木造のしゃれたカフェという感じ。しかしそこでかかっている音楽は、Hard Rock Cafeも真っ青の新旧入り乱れた音楽。2階部は吹き抜けになっており、下が見える。我々は2階の奥に陣取り、とりあえず飲み物を飲み、下を見ながらとりあえずいろいろ話していた。
 結局、深夜1時半まで踊ったり飲んだりといろいろとしながらいたのだが、ここで思うこともあった。ここは大学近く、学生寮があり、彼らは他に出かけることも結構大変だ。ましてや街中にそれほどレジャー施設があるわけでもない。自分が学生時代の頃を思い出してみると、いろいろと遊べることがあったような気がする。今のスロヴァキアの学生には、遊びの選択の幅があまりないのかも知れない。とにかく踊るしかないのかもしれない。踊っている若者は生き生きとしていた。しかしながら着ているものの種類が、多彩ではない。この辺に、この国の現状が見えてきているような気もした。
 ところでこのディスコ、選曲のセンスはまぁよしとして、店の雰囲気はまぁまぁ。酒代も安いし、非常にいいのだが一つ最大の問題がある。それは「DJの腕」。DJMCが曲を完全に中断して、雰囲気がぶち壊れてしまっていた。もう少しDJも技量を上げて欲しい物だ。


通訳を使って英語を使う難しさ2/December/1997

 今回の出張では、基本的に英語を話せない人と会っている。そのため、現地の対応をしたスロヴァキア人(英語が話せる)と、通訳のスロヴァキア人(スロヴァキア語と英語)、イギリス人スタッフ、そして私で回っている。そのため、スロヴァキア語と英語が常に飛び交う状態だ。私以外の3人にとっては、どちらかが母国語であるが、私にとってはどっちも外国語である。そのため理解をするのに時間がかかるし、なおかつ相手に対し質問をするのに、通訳を介さなくてはいけないので、時間のロスが多い。通訳がこっちの英語を理解し難いときは、英語で追加説明してやらなければ行けない。普通、相手と英語だけで議論するときと勝手がかなり違う。また、日本語の通訳を介する時ともまた違う。
 今回通訳してくれたMaltaは、まだ学生なのだが、プロ並みとは言わないものの、かなりの英語力があり、かつスロヴァキア人が英語を話す時の独特の訛り(電話で現地と話したときは、結構苦労した)がなく、実に聞き取りやすかった。おかげで何とか助かったのだが、それにしてもうちのイギリス人スタッフは、英語が使える環境なので、自分のペースでバンバン走る。そこで苦言

英語が世界中で使えると思うな!もっと外国語も勉強しろ!
英語が多くの国で使えるのは、イギリスのお陰じゃぁなくて、アメリカのお陰じゃぁないのか?

しかし日本人も・・・反省反省。


スロヴァキアでの車の運転1/December/1997

 スロヴァキア国内の移動は、公共交通機関では無理なところが多かったので、車を借りることにしていた。朝8時、車を取りに、市内のForum HotelにあるHertzの支店に行った。そこで絶句。

「金曜日に配車できないと言っているはずだ」

どういうことなのだろうか。係員はキャンセルしていると言っていた。しかし我々は予約確認のFAXをもらっていた。どういう管理の甘さか。まぁしょうがない。とにかく車を借りなければいけないので、市中にある他のレンタカー会社に、Hertzからあたってもらうことにした。そこで何とかEuropecarの車を確保、事なきを得、何とか仕事に行くことができた。
 所で今回の車、チェコ製のSKODAという会社のもの。外観はFORD Fiestaにも似た観がある。この会社の車は、この国では結構多く走っているのだが、その中には、見た観30年以上前のデザインのものもある。そういう車ではなく、まぁいい車を借りることができてホッとはした。
 ところで私は、左ハンドルの車の運転、右側通行の国での運転、全てが初めてあった。そのうえこの車はマニュアル。確かに私の車はマニュアルではあるのだが、さすがに普段は左手で動かしているものを、右手にしろというのは、すぐには慣れない。街中走行時のギアチェンジの時には、思わずハンドルから左手を離してしまい、結構戸惑ってしまった。おまけに「雨」である。参ったもんだ。暗くなると街が暗く運転しにくい。そういう中でも何とか運転をこなし、同行したイギリス人スタッフ(彼は免許を持っていない)からも賛辞の言葉をもらった。それにしても車の通行の違い、確かに思っていたよりは早く慣れたのだが、やはり普段からの習慣はなかなか抜けないものだ。


Return to TOP PAGE

このページに対する御意見、御要望、苦情等は、nagoyanz@remus.dti.ne.jpまでどうぞ。