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社会保険労務士法制定25周年記念式典式辞

星  功 ( ほし いさお )


        福島県社会保険労務士会  会 長   星  功    1994年1月12日記


 本日社会保険労務士法制定25周年記念式典を開催するに当り、会員の皆様を始め多数の方々のご参加をいただき、こころから感謝いたします。またここに来賓として福島労働基準局長さん、県生活福祉部保険課長さん等、行政の方々また県司法書士会会長さん等、友好士業の会長さん方のご臨席を賜ったことはこの記念式典に錦上花を添え、盛大に催すことの出来ますことは主催者として、この上ない慶びであります。

 さて、我が社会保険労務士法は、1968年(S43年)に制定されてから四半世紀(25年目)を迎えた訳ですが、これまでには多くの先人の努力と変遷があって、今日の姿があるのです。
 わけても法の制定には斉藤邦吉、石田博英、渋谷直蔵等の先達の方々の尽力を忘れてならないと思って居ります。勿論県内でも既に故人となられた先輩が多大な努力の結果の足跡があって現在かくあらしめた事は云うを待ちません。

 会そのものも、当初は任意団体として発足し、唯一の法定団体となったのは遅れること十年後の1878年(S53年)の事であります。従って本日、永年会員として表彰される方々は、まさにチャーターメンバーそのものの感が致します。その後、提出代行、事務代理権の法改正を経て、昨年遅ればせながら四次の改正で登録即入会が発足をし、やっと先輩士業と同じ様に組 織面での整備が図られることとなった訳であります。
 この件に関しましては、昨日福島民報、福島民友新聞に広告を載せ広く県民にもアピールした所です。その間、毎年の様に (1)資質の向上(2)社会への貢献と顧客へのサービス(3)関係官庁、関係団体との連携強化(4)会員相互扶助と親睦の緊密化等、 出来得る限りの努力を積み重ねて来たところですが、力量不足から、その道や未だしの感があることは否めない事実であります。

 記録を見ますと、S53年当時103名の開業者が本年1月現在186名、非開業者54名の合計240名となって居ります。これが多いと見るか、少ないと見るかは見解の相違でしょうが、 社会保険や労働保険の適用数に対するシェアから云うと一体どの辺りになるのだろうか、と思うと多分40%に満たない数値を示すのではなかろうかと存じます。先輩士業の税理士会が法人の90%に関与しているとの事から考えれば、まだ道や遠しであります。

 然し、問題はシェアがどうであるかより、そのクオリティが如何に確保されてあるかが、より問題とされるべきです。この件に対しては、今後共多くの力を結集させて行かねばならないと考えて居り ます。また、具体的施策を見ますと、社会的要請でもある「労働時間の短縮」や「労働安全衛生」面での意識の高揚や設備の安全化等、ハード・ソフト両面の推進は今後益々その取組みの複雑さを想定しながら進めて行かねばならないものと認識して居ります。

 然して「過労死」などと云う国際語が早く死語となる様、努めたいと願わずには居れません。これらに対する基準行政の指導方について層一層の助力を念願するものです。
 他方、社会保険、労働保険の適用の促進につきましては、これもまた重要な事業として取組み、国民の福祉の向上にいささかなりとも寄与して参りたいと願って居ります。幸いなことに、本日ご臨席いただいた県生活福祉部保険課長さんは、本省に於いて、その道のエキスパートとして具体的立案に当ったと聞いて居りますので、今後共協力なバックアップを心から期待するものです。
 何れにしても、これらに対応するには健全な魂と身体が要請されることは論を待たないところです。高齢化の波は社会全般、いや我が士業とて例外ではなく、今後何にも増して業務の継承や病気等の障害に対しての相互扶助の問題を真剣に模索して行かねばなりますまい。

 さて本日25周年を記念して行なわれる被表彰者への最大の賛辞は 只一枚の表彰状の言語では無く、背後にあってそれを支え励まして下さった妻や夫等家族の方々、また事務処理を担当した職員の方々への感謝こそ、それを受くるに値すると思われてなりません。

 最後に25周年に当り、一つのエピソードを話して結びとしたいと存じます。
 その人の名は大川かし子、またの名を若松賎子と云います。
 彼女は会津藩士、嶋田勝次郎の長女で、横浜のミス・キダーの女学校に明治四年に通い、後フェリス女学校に転じ、只一人第一回高等科卒業生となった女性で、皆様も既にご承知の"小公女''の翻訳者でもあります。
 当時横浜は没落した士族の子弟が敗戦から井深梶之助と同じ様に有為の才能を抱いて、他日に備えるべく西洋文化の摂取に努めていた時代であったのです。
 当時人間は人格として尊重されてはいなかった。常に上下関係、支配従属の関係、しかも血縁、地縁等の自然的関係を媒介として成立していた社会であった。
 そこでは従属的地位にある者の権利は認められず、支配的地位にある者の恩情の中で生きて行かざるを得ず、社会的地位は劣悪で支配者達の倫理は低劣であったのであ ります。
 そんな時代にミス・キダーはそのピューリタン的資質によって彼女を訓育し、広く社会に有用な婦人として育て上げたのであります。

 私の申したいのは、その彼女が、後のフェリス女学校の講堂の増築が完成 したときに行なわれた、スピーチ 「Yesterday and Tomorrow」についてであります。
 その中で彼女はイギリスの外交家であり、詩人でもあるジェームス・ ラッセル・ローウェルの「最後の葉」を引証しながら、学校での環境の素晴らしさと恵みに感謝するのです。殊に学校が頭を悩ます試験や訓戒や規則で縛られる事の多い時代に、それらから解放された穏やかな数年間の幸福への回顧を述べるのでありました。彼女はそんな希望や慶びの賛歌に酔いしれ、自らのあるべき姿に無知であったことを告白するのであります。

 そして、この無事太平の時代は長くは続かないと警告する。
 すなわち、祝福の中に居る現在(今日)は喜びである。然しこれは 「昨日」の賜物であって、=つまり今日は昨日の果実である=経験によって利益を得るのは良いとしても私達の「明日」を光栄あるものとする為に現在において活動せねばならない。と云う。
 そして、過去の英雄は現在の戦いを戦うわけには行かない。一方未来の働き人は、今日の私達の仕事に役に立たないと云う事も真実である。つまり、未来は現在の子孫、丁度今日が昨日の子供である様に、現実を直視して将来に備えることなしに本当の栄光は無いと結論付けるのであります。

 そして彼女の最後の言葉は、私のモットーとして残って居ります。
 私達に与えられたあらゆる機会に学習することを忘れるな、そうすれば知識に対して、ふさわしい呼出しがやって来る。その時私達に与え られた様に、人に与える為に出て行こうではありませんか。
 この"人に与える為に出て行く"が私の歴史の出発点ともなって居るのであります。
 今後50年100年と続くであろう士業の発展は懸かって一人一人の自助のスピリットに負うこと大であると存じます。どうか苦難を恐れず、明日に向かって進んで行こうではありませんか。
 本日お越し下さった、行政官庁や諸先輩士業の皆様方のご支援とご指導を今後とも賜りますよう、会員ご一同と共に心からお願いして式 辞と致します。

                星 功  Email : gospel@violet.plala.or.jp 
 

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