旅の雑記帳


オアフ島(ツアー)
waikiki
関西空港出発のUA832・UA833便のB777-200
平成16年1月21日から4泊6日の日程でした。

一時は冬のバーデン・バーデンもと計画しましたが
外での日光浴が出来ないのと寒い季節には暖かい所と
心変わりして料金もオフシーズンとなった
ハワイ・オアフ島に避寒することにしました。

当地は雨季の季節で到着日の先週は連日の
雨模様だったと聞き少しラッキーかなと思いましたね。
滞在中は1日のみ曇り空。
次回、行けたらKailuaビーチにて滞在してみたいとの
思いを抱き荷物検査が厳しくなった
ホノルル空港を飛立ちました。2004.02.09

ペナン島(ツアー)画像
pool
関西空港出発のJAL721・722便
MD11は2004年には退役予定で往路JA8581復路JA8588
平成14年5月22日から3泊5日の日程でした。

『預けたバックが出てこない!』
バゲージクレームのターンテーブルに乗った
スーツケースやバックが次々に目の前を通過していく。

手に取った旅行客は次々に出口へ足早に向っていく。
ついに到着便の荷物は出てこなくなった。

ともかく近くに居る係りの者にバックが無いことを告げる。
遺失物受付カウンターでバックの形、色、材質を写真入り一覧表を見て
手で指して行く。係りの者はタグの控から番号と当方の氏名を
パソコンに入力していく。
『バックはホテルに届けるよ!』と係りの者は告げ受付書を
手渡してくれる。

到着口に出ると現地旅行社のガイドにもバックが無くなったことを告げる。
受付書を見ながら次の便で着きますから大丈夫ですよと言ってくれるが
結局、次の日の夕方にバックが届く。

バックは此処から東のボルネオ島はクチン迄で運ばれていたのです。
『俺が行っていないクチン迄で行って!』まぁ、不幸中の幸いとして
バックが少し羨ましかったですね。(苦笑)

オアフ島(ツアー)画像
Zoo
名古屋空港出発のJALways(JO)084・083便B747
平成13年5月23日から3泊5日の日程でした。

「憧れのハワイ航路」と歌にも歌われたハワイ。「トリスを飲んでハワイへ」。
日本人が一番行く海外の常連先ハワイ・ワイキキビーチにも行ってしまいました。

ホノルル・動物園と水族館。子供騙しとの声も聞こえますが童心に帰ったつもりで
見学すれば楽しさも発見できる所かも知れません。

動物園前の公園ベンチにはジョギング途中の市内に住むと言う日本人中年男性が
今日は仕事が休みのため2、3時間なら観光案内を車で行ってくれるとの言葉も

出てきましたが申出を断ることにしました。米国人の妻と子供は米国本土に留学
しているとのことです。

そして、目に付いたのは雑誌と旅行パンフの影響か結婚式を行うカップルと家族。
さらに、乳児を連れたカップル。思い出の地に帰ってきたカップルかもしれませんね。

グアム島(ツアー)

 初めての地方空港出発のコンチネンタル・ミクロネシア航空(CS)チャーター機
B727-200、880・881便を利用して平成12年8月14日から3泊4日の日程でした。

 観光と基地の街、グアムの観光の定番として日本人が訪れる恋人岬。
DFSギャラリアから赤い車体に日本語で恋人岬シャトル便と塗装されているので
直ぐに分かることでしょう。車内も熱々ムードで、更に暑く感じてしまいます。

 ショッピング館には食堂も充実しているので、日本・中華・韓国・ファーストフード食には
困ることはないでしょう。米、味は期待しないほうが無難かも。
 それだけアジア系の観光客も多いということでしょう。

 ビーチは、ここぞとばかりにリゾート感覚でカラフル、大胆な水着を着用し満喫しています。
過去に当地が激戦地となって尊い方々が犠牲となったことは、遠い昔の事になってしまったのですね。横井さんの話も・・・。

バリ島(ツアー)

 初めての海外旅行で行った所です。 名古屋空港からGAです。平日の冬季に行ったので、日本に 帰った時は日焼けを自慢したくレギャンビーチで、ごろ寝 三昧。結果、北京ダックの皮が剥がれる様にパリパリと。 火照った体に悪寒が走る。皮膚癌が心配だー。  名古屋空港税関職員に「マリファナの奨めありましたか」 と尋ねられ、また「バック拝見します、ズボンポケットも」 と追討ち。 【平日の、土産は無で、バックのみ】何しに行ったのかと 怪しまれたのか。

プーケット島(ツアー)

 ホテル前のビーチは遊泳禁止でした。ボートに乗せられ オプションにて無人島で遊泳しました。干・満潮の差が激し く珊瑚が現れ、踏むと痛く、監視員にも叱られた。表情は、 万国共通でニュアンスが伝わる。  帰国後、暫らくして名古屋空港にて中華航空機事故発生。 今回の利用航空会社は、名古屋空港から中華航空だったので 驚いてしまう。事故に遭遇したクルーメンバーがいたかも。 乗客・乗員の、ご冥福お祈りいたします。

シンガポール(ツアー)

 名古屋空港からキャセイです。香港経由にて。 新年を何日も過ぎていない頃、出国しました。 真冬の日本から常夏の国へ。この温度差が、たまりません。 汗をふきふきラッフルズホテルを見に行く。  世界三大ガッカリと日本で言われるマーライオンを見学。 子(小)ライオンも建っているのを始めて知りました。 ジョホール水道をバスで越えマレーシアへ。 初めての国境越えでした。

ベトナム・ホーチミン(ツアー)

ベトナムバイク通勤  関西空港からVNです。 機内でピンクのアオザイを生で拝見しました。 チャイナドレスに似ているとも思いましたが、生地の 厚さは違っているようです。初めての社会主義国で興味は 尽きないがドイモイ政策で市民生活にも活気が感じられた。  クチンの地下壕は狭く、しかし地下で生活ができる様に なっており、地下から神出鬼没に現れて攻撃を繰り返した、 かつての解放軍兵士が軍服姿でガイド役を行っていて、 平和な跡地利用に変っていた。

韓国・プサン(手配)

 初めての個人旅行です。大阪南港からフェリー(ドラゴン、 オリンピア88)で往復しました。 フェリーとホテルを旅行社で予約を行い、旅程等の企画 作りの楽しさを知る。  チャガルチ市場で刺し身を食べる。醤油の変わりに辛し 味噌(コチュジャン)で食べるが、顔は似ていても食文化は 違っていた。魚の刺し身を食べる習慣は日本が持ち込んだ そうです。八月十五日は光復節で植民地から解放された日で 、日本人としては肩身が狭い気がして私は地下街を小走りに フェリー乗り場を目差していた。神戸港に着くと日本の関心 は高校野球で松井選手への連続四球の是非で盛上っていた。

台湾・台北(ツアー)

 大阪伊丹国際空港廃止さようならツアーの企画で出国。 EG利用で始めて日本人客室乗員のサービスを受ける。 かつては男性天国と言われた時代があったそうで、経済成長 著しい現代にあってはショピング、中華料理を目当てに、 家族連れ、女性連れの観光客で市内は賑わっていた。  ここにもカラオケの進出は目覚しく、市内は夜ともなると カラオケのネオンサインが輝いて映り、自動車の波に光が 反射し、いっそう華やいで目に飛び込んで来た。ホテルに近 い屋台街で夜食として麺を食する。今夜の冒険は此処で終わ りです。

韓国・プサン・ソウル(手配)

 二度目の韓国です。ソウルのホテルと関釜フェリー、 ソウル駅を目差すセマウル号を旅行社で予約した。 関釜フェリーでは、ポッタリジャンセのおばさんから 声がかかる。  ソウル市内を地下鉄と地下街を見て回る。元朝鮮総督府 は光化門を通ると博物館として利用されている。新年を ソウルで向かえた。

韓国・プサン・ソウル(手配)

 三度目の韓国です。日本国内は寝台特急さくらで博多まで。 ビートルU世で玄界灘を越えプサン港に上陸です。ビートルU 号の乗船券を旅行社で予約した。ソウル駅を目差すセマウル号 はプサン駅近くの旅行社で、日本語を話す男性社員から購入。  ソウル市内を地下鉄と地下街を見て回る。南山頂上へ歩い て登りソウルタワーに上ってみる。新村のヨンセ大学校内を 歩いてみた。語学堂で入学案内パンフレットをいただく。

韓国・プサン・ソウル・金村(個人)

釜山  四度目の韓国は下関港からプサン港に上陸です。 下関港で直接、フェリー乗船券を購入した。関釜フェリー では、また、ポッタリジャンセのおばさんから声がかかる。  プサン駅の窓口で寝台列車の乗車券を購入。ソウル駅を 目差す。プサン駅前では民族芸能らしい踊りを見て夜まで 時間を過ごす。テキサス通りはロシア人が目に付いた。 国交が成立しているためか。以前は米国人が闊歩してい たそうです。  まだ日が昇らなく薄暗い頃、ソウル駅に到着。駅の外に は地面に横になって寝ている人々を発見。夏だから涼しくて 良かったものを。ソウル駅の窓口で金村駅迄の切符購入す るが発音が悪いのか通じず、ハングル文字を書き、駅員は 見て頷き、正しい発音で答えて切符をくれる。  金村駅からオドサン山頂にある統一展望台へ向かうバス ターミナルまでは離れているが歩いて行く。統一展望台 のすぐ近くにバスは止まり、歩いて登るが老人には、きつい 道程だと思う。イムジンガンを目にし対岸の北朝鮮には靄が かかっていた。

  韓国・プサン・ソウル・文山・金村(個人)

金村  五度目の韓国は下関港からプサン港に上陸です。 下関港で直接、フェリー乗船券を購入した。  プサン駅の窓口で寝台列車の乗車券を購入。ソウル駅を 目差す。プサン駅前では民族芸能らしい踊りを見て夜まで 時間を過ごす。前回と同じ時期だったので催しも同じです。  まだ日が昇らなく薄暗い頃、ソウル駅に到着。ソウル駅の 窓口で文山駅迄の切符購入する。京義線の終着駅です。 早速、到着するとバスターミナル目差し街の中に向かって 行く。すれ違った現地の人にバスターミナルは近いか、 また、臨津閣は近いか聞いてみる。臨津閣は遠い所らしい 旨が伝わってくる。イムジンカクを経由するバスが発車 する時間まで充分余裕があったので、結局、歩いて行く事に した。道路は舗装され、両側を木々に囲まれた中を歩いて 行く。人通りは途絶えて心細くなるが、時々、迷彩色の 軍用トラックが追い抜いて行く。



イムジンガン  軍隊の検問を素通りで抜け、また駐屯地正門を横に見て、 さらに進んで行く。二時間程歩いていると汗も出てきて、 背中に汗が流れるのを感じる頃、臨津閣に到着する。前のバス ロータリーから臨津江方面へ下りて行くバスを追うように歩き 始めた途端、背中に声を聞き振向くと、これ以上進んでは いけないと伝わる仕種をする人がいて、此処も検問になって いるらしい。帰りはバスで15分ぐらいで戻って来る。  文山駅から金村駅まで列車で戻り、統一展望台へ向かう バスに乗る。今回は統一展望台までバスが乗付けていて、 老人にも配慮される改善が施されていた。イムジンガンの 対岸から音楽と声が風に乗って聞こえてくる。

翌年の1995年(平成7年)4月は北朝鮮へ行きました





遊歩通信 Vol.1

 by Air Mailを生まれて初めていただきありがとうございます。 早速ですが、旅行人刊「天下太平洋物語」おがわかずよし著を読むと南の楽園を徘徊したく なってしまいましたが、それは取り敢えず我慢し、先輩(よろしいですかネ?)が行かれた ドイツへ行くことを計画中です。JALマイルレージ会員になりました。  フランクフルト迄29万円関西空港8/10発ですが? JAL悟空で。 「ICE特急に乗車するぞ! バーデンバーデンの混浴へ突入するぞ」 と掛け声だけは勇ましいですが、はてさてどうなる事やら。

上海港  4/29〜5/3で上海へ。 神戸港から新鑑真号で48時間です。船内では寝ては、 食べてはでしたが、中には16歳で1年間の予定で初旅行の♂もいたし、日本留学中のスイス人女性はカシュガルヘ行くとの話しが聞こえてきましたが日本語の会話もできず。 結局、同室の横浜出身40歳代の男に上海近郊を案内してもらい、蘇州とムシャクの太湖 ヘ行く事が出来ました。それと悪名高き硬座の列車に乗るために中国人パワーに負けないように体をはって並んでキップを購入してもらいました。私も列に並んだだけですが。

2日間の中国でしたが、疲れた...。ガイドブックどおりだったかも。 上海?ダックは美味しかったです。帰りはJALで関西空港まで。上海空港は見学者スポットがないのでチェックインするまでの4時間ひまでした。中国東方航空、上海航空が常駐機する空港ですが、中国8社の飛行機が乗り入れする空港でもありました。 それと、宿泊した上海大厦(旧名ブロードウェイマンション)で5/2に社長とすごく似ている 社長と呼ばれた人をちらっと朝、フロントで見ました。上海事業所があることですから、 もしかしてと思いました。

追伸 横浜出身男とは5/2晩に明日から西安に行ってから2ケ月間ほど中国を回ってく る言われました。何をしているのか。まあ、何もしていないでしょうが。  冬は暖かいラオスへバンコク経由のツアーで行きたいなと想像中ですが。
以上、最近迄の話しでした。再見(サイツェン?)。

遊歩通信 Vol.9

 先輩、by Air Mailを早速いただきありがとうございます。 3回目を期待しております。

  >「ICE特急に乗車するぞ! バーデンバーデンの混浴へ突入するぞ」 >と掛け声だけは勇ましいですが、はてさてどうなる事やら。

結果的には、混浴のはしごをする事ができました。97年8月10日から6日間でフランクフルト、バーデン・バ ーデン、ライン川を電車で越えてお隣のストラスブール へ行くことができました。  ストラスブールではカフェの軒先でイチゴのタルト、コーラを飲食しながら前を通る観光客を 眺めながら時間をつぶしていました。(私も観光客ですが。)

 バーデン・バーデンでは保養地らしく若い?お年寄りのカップルが通りを散策し、温泉(カラカラ浴場・ フリードリヒス浴場)に浸かり、サウナ・プールで汗を流していました。混浴では私もアジア人代表の つもりで、粗末な物でありますが自然に振る舞うことができました。慣れてしまいますね。

第69次特快  冬は年末から年始にかけて、中国へ行ってきました。 北京西駅21時発ウルムチ駅4日後の9時30分着、第69次特快の軟臥車で過ごしてい ました。食堂車での食事は炒め物が多く、満足しました。 西安を過ぎると同室の3人の中国人は下車してしまい、2泊は一人でした。

   新彊ウイグル自治区に入ると、辺り一面が不毛の赤茶けた大地のみとなり緑を見ること が出来なくなり、丸2日、車窓から変わり映えのしない光景が飛び込んできていました。  ウルムチは砂漠のオアシス都市のイメージを描いていましたが、見事裏切られました。 高層ビルが市内いたる所で林立し、自動車はスノータイヤも付けずに飛ばし、交通量も多 いので道路横断もままならず、ヒヤヒヤしながらタイミングを計りながら横断していまし た。さすが地元の人は慣れていてスムーズに横断している様に見えました。

ウルムチ駅  気温はマイナス10度もあって、市内を歩いているだけでも全身に震えがきて、指先の 感覚は麻痺してしまい、市場の中にある餃子店では箸もしばらく持てませんでした。 また、ウイグル人も多く見掛け、さすが自治区だと実感できました。  帰りのウルムチ空港から北京空港までの飛行時間は約3時間で機内食もあり、日本の国 内線では該当路線が見あたらない距離を飛び、中国の国土の広さが体験できました。

以上、最近迄の話しでした。再見。




遊歩通信とは私とO.Tさんとの旅行関係情報を書面でのやり取りを通じて、私発の場合はタイトル名を冠して おり、また私の雑記を綴っております。


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