北朝鮮訪問記

北朝鮮編Part-1 平成7年4月30日至平成7年5月4日

遊歩通信 Vol.3

 今回は95年に北朝鮮ヘ行った時の事を書きます。 〔近くて遠い国〕、〔未知なる国〕と呼ばれ、また〔行くことができるの〕と聞かれる国へ行ってきました。

  外国人観光客へ門戸開放を行ってから10年が経過しましたが、その間に幾度か観光客受け入れを中断した時期もありましたが、私が訪れたのは、観光客受け入れを再開して何年も経っていない1995年4月30日午後4時に平壌市郊外に位置する平壌空港 に降り立つことができました。歓迎団の出迎えは無かったが、高麗航空のロシア製TUツポレフ154の機内出口扉前には朝鮮女性スチュワーデス達の見送りがあり、声を掛けて写真を撮る者も見られたが、私はスチュワーデスの送る言葉をうつむきながら聞き、機内を出てタラップを降りてくると、なんと、私の眼に空港施設に掲げられている巨大な《偉大なる領袖 金日成主席》の壁画が飛び込んで来た。壁画に迎えられた私達観光団は、その場で《彼》とのツーショットを撮るためにカメラのフラッシュが炊かれ、また、ビデオカメラに向かって構える者が見られた。

 私は写真撮影等が禁止されている場所では無いとは分かっていたが、おもわず回りを見渡し、1枚しか写真を撮ることしかできず、撮影後は素早くカメラを上着のジャンパーポケットに仕舞い込み、迎えに来ているエアポートバスに飛び込み最後列に着席したが、多数の同行者は悠然とエアポートバスを囲むようにしながら撮影に余念がないのを私は窓越しに見て〔遂に来てしまった、未知なる朝鮮〕への興奮で心臓の高鳴り感じ、緊張し身を固くし肩をすぼめている私の姿があった。

 そんな私が北朝鮮滞在2日目にして緊張から開放されて、フィルムの追加購入を行うは、 朝鮮女性嬢に声まで掛けるとは、緊張し肩をすぼめている、その時の私には思いもよらない ことであった。

 季節は遡ること3年前の92年(平成4年)。ふとしたことから北朝鮮が観光客を受け入れていることを知った時期と、日本での北朝鮮という国が話題になっている時期が重なったことで、私の中で北朝鮮という国が良い意味でも悪い意味でも心に占める割合が多くなり、 その時期に関連書籍を読むことで何とか知ろうとし、私の眼でその国を実際に見てみたいとの思いがつのりました。その為に当時の赤いパスポートの中の項目にある〔北朝鮮を除く〕 という記載を抹消する手続を行い、訪れる準備が整い、後はツアーに申込みすればよいまでになりましたが、彼の国が突然、また外国人受入中止を表明し門戸を閉じてしまったので あった。そういう訳で彼の国に振られた私は、ますます想いが募り待ちに待って今回95年に、平壌〔順安〕空港に向かって新潟空港を飛び立ったのであった。
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北朝鮮編Part-1 写真館
平壌(順安)空港
見えますか、日野エアポートバス
高麗航空機
パイロットの腕は超一流で、次は

4月15日(祝日)・
万景台は生誕地で聖地
市内看板
男女同権で働く夫婦は

市内風景
地下道を歩いてみたいな非常口
柳京ホテル特集へ当画像を提供
2003.05.06 テレビ朝日ニュースステーション

2011.06.23レイアウト変更

 
  • 兌換紙幣2010.08.28

  • 95年の冬に取材で訪問したサンケイ新聞記者のレポ2012.09.29

    北朝鮮編Part-1写真館2(板門店)1999.09.27 北朝鮮編Part-1写真館3(アリラン祭)1999.10.10

    北朝鮮編Part-1写真館4(地下鉄)1999.10.15

  • 北朝鮮編エピソード(その後)2007.04.03

    ◆平壌ビール◆95年製2003.11.30

    平壌ビール



    遊歩通信とは私とO.Tさんとの旅行関係情報を書面でのやり取りを通じて、私発の場合はタイトル名を冠して おり、また私の雑記を綴っております。


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