更新日記&徒然草。→トップページはこちら
■7/31(月)
 近所で髪を切ってから渋谷へ出る。初シブヤ・シネマ・ソサエティにて強烈なるインド映画「アシュラ」を観る。ストーリーは大体知っていたのだが、いやー、あの超・美人マードゥリー・ディークシトがあんな暴力っぷりを見せるとは……シャールク・カーンのマジなんだかギャグなんだかよくわからないストーカーっぷりも併せて、なかなかの見物である。キモとなるバイオレンス・シーンがラストになるにつれてショボくなっちゃうのが惜しい(笑)。
 もはや渋谷で映画観る時の通過点になりつつあるセガフレードでアイス・ラテとフォカッチャ・サンドを食べる。2Fは空き空きで実に良し。フォカッチャの味も非常にイイ。400円はちょっと出すのに勇気がいるが、意外とお腹もふくれるし、なにより美味しいので高い食い物という気はしないのであった。
 で、ル・シネマでチャン・イーモウ監督のヴェネツィア金獅子賞作「あの子を探して」を観る。実際の生徒さんがそのまんま出ている学校モノという意味では中学生日記と同じか!?でも、このストーリーのキモは、先生がまだほっぺたの赤い13歳の少女だという点である。この、自分の立場に対する理解もまともにないままに教壇に立つことになった小さな先生が、それでも自分なりにがんばりながら生徒との関係を作り上げていく過程がなかなかイイ。
 が後半、街で行方不明になったワンパクな坊やを探すために先生が単身街に出ることになる話となると、彼女のはじめてみる都会の風景がまた新鮮に映りはするものの、そこからラストに到る展開がいかにもよくある「イイ話」で、求めるものが間違っているのかもとは思いつつももう少し一ひねりほしかったかなぁ、なんて思ってしまうのだった。
■7/30(日)
 夜勤あけの眼をこすりながらも昼勤のバイト先へ休日出勤。ホームページを更新してから、午後からはグリー時代の友人とドライブ。横須賀をめざすも途中で道を間違え、休日で混み混みの横浜に降りてしまう。夕食は池袋の食べ放題飲茶料理店で食べたい放題食べる。ベルトの穴を二つゆるめるほどの満腹度であった。
■7/29(土)
 3年もの間やっていたMac出力オペレーターの夜勤バイトを、この日づけで辞める。最後の一夜である。別にトラブルもなく終わった。最後に出力した出力物は、声優のファン雑誌のレイアウト見本であった。うーむ。
■7/28(金)
 ポータルサイトのライコスさんからメールがきた。映画>映画監督ディレクトリに、ここの「フリッツランガー」をラングのサイトとして登録したとのこと。こんな、マジにフリッツランガーな人なら怒るような内容のトコでいいんでしょうか?かなり心配ですが‥‥。ラングを扱ったサイトの絶対数があまり多くないんだろうなあ。多分。
 新宿のシネマ・カリテでポール・シュレーダー監督「白い刻印」を見る。ラッセル・バンクスの「狩猟期」の映画化である。ジェームス・コバーンのイヤな親父っぷりが「そこまでイヤにしなくていいよ!」と言いたくなるほどにハマりまくっており、破滅へとひた走るニック・ノルティもいい演技。しかし、こうして俳優や演出がいい仕事すればするほど、観る方にはツラい映画を、いい映画って言っていいのだろうか(笑)とにかく、いい仕事してます。
■7/27(木)
 昨日、100円ショップで買ってきたソバツユではどうも味がよくない、と思い、西友でにんべんの高級っぽいビンに入ったつゆを買ってきたのだが、はたせるかな、たどん発信州ソバ、爆発的にウマくなった。
 さて、味がよくなると今度はそれなりに整った形で食べたくなるもので、今日は中野ブロードウェイ北出口の脇にあるダイソーのでっかい店に行き、ソバを盛りつけるべきザルを購入。100円で手頃なザルまで手に入るのだから便利なモンである。小サイズの中華鍋も売っていたのでついでに購入。このサイズならカセットコンロで炒飯もイケるのではなかろうか。
 で、それなりの作法でザルソバを食した後、「クリクリのいた夏」が素晴らしかったジャン・ベッケル監督の旧作「殺意の夏」をビデオで見る。イザベル・アジャーニがこの映画でセザール賞を取ってるそうだが、なるほどと思う部分はあるものの、映画の9割がたの部分でアジャーニが演じているキャラクターがどうにもオレの趣味にまったく合わないキャラで、まるで感心しないまま終わってしまった。
■7/25(火)
 今日はジョン・ブアマン監督「ポイント・ブランク 殺しの分け前」をビデオで見た。こちらは、リー・マーヴィンの魅力を最大限に引き出した傑作。「ペイバック」のリメーク元映画でもあるが、こちらの方が数段イイ。堪能しました。
■7/24(月)
 ラッセル・バンクス「大陸漂流」をやっと読破。自分の今ある姿にガマンならなくなった北部アメリカの白人労働者が、築いてきた生活を夢と交換し、南部へ引っ越すが、幻滅と生活の崩壊の中で死んでいく。今の自分の立場を考えると、あまりにもツラく、胸に迫る小説であった。
 で、ビデオでジャン・ジャック=ベネックス監督「IP5」を見る。イヴ・モンタンの遺作ということで、とにかく見ておこうと思ったのだが、撮影以外の映画そのものが、ヒドい。こんな映画じゃあさすがのモンタンも魅力半減である。つまんないものを見てしまった。
■7/23(日)
 ひさびさにちょっと用事あって秋葉原へ行く。マック関連はG4Cubeの話題でいっぱいだ。そろそろこのマシンもせめてメモリとHDくらいアップしないとなぁと思うこの頃。IE5とOutlookたちあげてるだけでメモリの残量さびしいもんなぁ。とは思いつつも目先の愉しみに弱いオレ、石丸に入ってターフェルの歌うウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」、ハイフェッツのコルンゴルト/ローザVn協奏曲、小澤の振るプーランク"La Mamelles de Tiresias"といった値引き盤を気づくと手にしているのだった。
 帰宅してジャン・ピエール・メルヴィル監督「リスボン特急」を見る。イマイチひたれなかったが、この作品がだめなのか、あるいはメルヴィル調に食傷してきたのかも知れぬ。ラストシーンは感服しながら見つつもどっかで「またかよー」と思ったり。
■7/22(土)
 前からお世話になっていた夜勤のバイトを、来週でやめますと社員さんに告げる。今後はケーブルTV局の昼勤に絞るわけだけど、3年も働いてきただけに、さすがにシンミリしちゃうのであった。
■7/21(金)
 お昼、バイト先の主任さんにおごっていただいたので、晩はランチ代分をフンパツしようかと、中野サンモール内にあるカフェ・プロントのイタリアン版カフェ・ソラーレに行き、カルボナーラとアイス・ラテというイキな晩飯。しかしこのソラーレ、今のところ中野サンモールにしか出店してない(らしい)のがイキなのかどうなのかキビしいところだが‥‥。古谷実「グリーンヒル」の3巻を買ったのでここで読破し、またヴェローチェにしょうこりもなく動いて「大陸漂流」の続きを読む。半分超えてやっとノれるようになってきた感じ。それにしても、このハイチから来た少年少女のストーリーは、クレオール文学への目配りなのか?
 帰宅してからクロード・ソーテ監督「とまどい」をビデオ鑑賞。豊かな時間。こういう映画のために時間を使うということは実に嬉しいことだと思わせてくれる心理劇。エマニュエル・ベアールとアラン・コルノーの二人の構図だけでイイ。ソーテの語り口にハマりつつある最近なのであった。
■7/20(木)
 飲みの明けで、1時過ぎころ起きてしまう。
 今日はまたマイカル板橋レイトでケヴィン・スミス監督「ドグマ」を見ようと思っていたのだが、せっかくだからケヴィン・スミスDAYにしようかと、ビデオで借りた「チェイシング・エイミー」を見る。タラタラとおしゃべりの続く恋愛映画は基本的に好きなオレ。けっこう笑いながら見たので楽しかったが、お話には中途半端な印象が残る。ベン・アフレックの中途半端な色男っぷりがその印象に拍車をかける(笑)。
 で、板橋へとチャリンコを走らせ、レイトショーにて「ドグマ」を見る。これまた主演はベン・アフレック、ならびにマット・デイモン。一日に二度も見たい顔ではない。キリスト教ネタのパロディが満載のバカ映画で、日本人にはキツいのではないかとも思うが、それを補足するように満載されている映画ネタがまた楽しい。そんなにジョン・ヒューズがイヤなのか?オレもガキが泥棒をやっつける映画は(正確には、あの映画がヒットしたという事実は)好きじゃないけど‥‥(笑)。アラン・リックマン、サルマ・ハエックといった脇役陣もキイていて、こちらの方が楽しく見ることができた。
 帰り道で中野北郵便局に寄り、掲示板の常連(・・・と言っていいよね?)のたどんさんが送ってくれた蕎麦を夜間窓口で受け取る。たどん様、ありがたく頂きます。
 せっかく野方まで来たしハラも減ったので、野方ホープに寄ってラーメンを食う。そういえば店でラーメンを食うのは久しぶりである。帰宅するともう1時半。うーむ。
■7/18(火)
 ここに記すような事は格別なにもなかった日。ラッセル・バンクスの「大陸漂流」、全然読みすすまねえなあ。
■7/17(月)
 マイカル板橋まで行く元気があるわけだから、渋谷まで行ったっていいだろう、ってな感じで、今日は沼袋から渋谷までチャリンコを飛ばす。目標は「ハピネス」とあと一本なにかを。
 中野通りを南下して青梅街道へ曲がり、山手通りをグーッと南下する大通りコースで渋谷へ。やはり一時間近くはかかってしまうが、天候快晴、快走快走である。
 シネフロント下で前売りを買い、シネ・アミューズでトッド・ソロンズ監督「ハピネス」を観る。マイケル・スタイプ他の歌う「ハッピネ〜ス」っつー歌が一番良かった、あまりにもセキララすぎて泣けない不幸物語。このテの「郊外生活実は崩壊してました」話にも最近食傷してきたなぁとは思うが、連続少年レイプをやらかしちゃったエリート精神科医の父親とその子供の会話シーンはさすがに鬼気迫る。「何か」は確実に感じる映画。フィリップ・シーモア・ホフマンは「ブギーナイツ」に続いての‥‥いや、輪をかけてツラい役柄である。毎度、見事なハラとアゴの出っぱり方だなぁと思いながら見入ってしまうのは、ホフマンの罠にハマってしまっているのか?
 6時すぎに終了後、セガフレード・ザネッティでパニーニとカフェ・マキアートをいただく。イタリア発祥のスターバックス系カフェで、シアトル方面のお店よりも本場イタリアンカフェっぽい味がする。コーヒーもいいが、ここのパニーニは美味しいしお腹もそこそこ満足でき、こういう際にとっても重宝。ちょっと前はもっと空いてたと思うのだが、段々混むようになってきたなぁ。
 食後、初ル・シネマでジャン・ベッケル監督「クリクリのいた夏」を観る。フランス映画の神様ジャック・ベッケルの息子ジャンの映画を観るのはこれが初めてだが、確かな画作りと語り口で実に堪能させてくれる。フランスの田舎、静かに生命の息づく沼地に住む、ビンボーながら輝かしい生活を送る自由人たちの物語。児童映画かと思っているとそんなことはなく、誇り高きビンボーと自由を胸に、美しい野山を駆け回る二人の男の友情が話の柱となっている。イイ意味でのノスタルジーが全編を静かに包む、オレの最も好みのタイプの映画であった。
 帰りは明治通りを北上、久々に早稲田駅上のビデオ名画座に寄り、クロード・ソーテ監督「とまどい」、J・P・メルヴィル監督「リスボン特急」、ケヴィン・スミス監督「チェイシング・エイミー」など借りて家路。いつのまにか一週間一本250円になっており、ますますお得な店になっていた。
  ■7/16(日)
 レンタル返却期限なので、返す前にいま一度「ブギーナイツ」観る。やはり素晴らしい。劇中に登場するジャックの代表作(笑)のローテンションっぷり!
 「クズめ!ぶちのめす価値もねえ!」とか言ってしっかり殴るブロック・ランダース(でかい・かたまり)。イイ感じです。
 最近マイカル板橋レイトの常連と化しているオレ。今日は「ドグマ」を観ようかと思いながら40分チャリンコを漕いで東武練馬へ。で、券買う直前になって、ラッセ・ハルストレム監督「サイダーハウス・ルール」に変えてしまった。というのはオレの前にチケット売場に並んでいたオヤジが「レインディア・ゲーム!」と注文してから、「あ、サイダーハウス・ルールってのはどういう話なの」と聞き、するとチケット売り場のねーちゃん、「孤児院育ちの青年の成長物語です」とヘタレ気味な回答。オヤジ即断で「じゃレインディア・ゲーム」と言ったものだが、その後「孤児院育ちの少年かよ〜」と「そんなもん見せられたくねえなあ」と言わんばかりの独白一本。まぁ、オレも普段なら共感するところなのだが、これで「サイダーハウス・ルール」が面白かったら話のネタになるかと思って、観ることにしてしまったのだった。
 で、どうだったかというと、なるほど原作はこういうストーリーで、こんなかんじのテーマがあるんだろうなぁ、でも、そんなことを上映中のまさにこの最中にたらたら考えてしまうこの映画のタルさは、何?なーんて思ってしまう、ちょっとローテンションな映画である。レイチェル・ポートマンのスコアで結局最後は泣いてしまったが‥‥。65点ってとこか。
■7/15(土)
 「12:19地球発」のオフ会。オフ会続きだ。どういうわけか二次会からカラオケとなり、そのままオール。カラオケボックスで何が入ってるかわからんヘンな酒飲んでバリバリ歌うっていうノリは、オレとしてはなかなかツラいのだが‥‥。だいたい、普段歌のついてる音楽聞いてねえし(笑)。それでもELTなど歌ったさ。
■7/14(金)
 新宿で某所(笑)のオフ会。いつのまにか場所のセッティングがオレの担当ということになっていたので、タイしゃぶのお店「エラワン新宿店」を予約。2800円のコースでこれだけタンノーできるのは嬉しい。でも、やたら飲み物の注文を店員がとりにくるのは、この店は辛さに耐えかねてガブガブ酒を飲むというパターンで儲けているっちゅーことなのではないか、等と思ったりしたのであった。
 タイしゃぶ後は脅威のオヤジ休息所、喫茶ルノアールで、オフメンバーのインド旅行の話とか、ネット上での作品公開に関することなど、色々話しこむ。なかなか得難いノリのオフでありました。
■7/13(木)
 レンタルビデオで一本だけ残った作品、ポール・トーマス・アンダーソン監督「ブギーナイツ」を観る。翌日仕事がフツーにある状況で夜半過ぎから見始めたので、ちょっと5分ばかし寝かさせてもらってしまった(面目ない)のだが、実際のところ、2時間半以上という長さを飽きさせない、実に素晴らしい傑作。ポルノ映画の内幕もの、よくあるボンクラ青春ものとナメてかかって観なかったりすると、惜しい。オレの場合は、ナメてかかって劇場で見逃したのが実に悔やまれるのだった(泣)。
 これは青春映画であるが、同時に、何度も観れば観るほどに味わいを増す、正しい意味でのアート作品なのである。時代と青春と映画のかげりをキレ味するどい演出でとらえきり、後半の悲惨ながらもエネルギー溢れる展開へと注ぎ込むこの力量!目からウロコの落ちる一本。必見。
■7/12(水)
 昨日、板橋の古本屋でゲットした「スタートレック・カーンの逆襲」のサントラ(作曲はジェームス・ホーナー)を聞きまくろうとMDに落とすが、プレーヤーがますます壊れてきて、ほぼ10分に一回はミスリードの末止まる。ストレスたまるなオイ。
 バイトからあがって、テアトル新宿に文字通り駆けつけ、沖浦啓之監督「人狼(JIN-ROH)」を見る。なにしろ押井守原作、藤原カムイ作画の原作漫画は熟読したので、話の7割方は漫画の再説であり、どうも新鮮さを感じなかったりと、色々ハンデのある楽しみ方になってしまったが、圧倒的な作画力と美しい溝口肇のスコアで、期待値程度には楽しめる。まあ、どうしても押井の噛んでる作品ってことでどこか期待を上回るものを潜在的に待っていたのか、今ひとつ完全に満足ってわけにはいかなかったのだが‥‥。にしても、路面電車が走っているなにげない情景だけで胸にグッと迫るものがあるというのは、アニメ映画とは思えない事態であり、驚くべきことであると言える。一見の価値は勿論あり。
 どうも満足感が足りず、帰宅してからビデオでウディ・アレン監督「世界中がアイ・ラブ・ユー」を見る。アレンはかれこれ7本めくらいになると思うが、ようやくアレンのノリに馴れてきて、十二分に楽しめることができたと言えそうだ。ギャグも好調で、逆さにして振られるドリュー・バリモアが個人的にはすごくイイ(笑)
■7/11(火)
 今日こそはマイカル板橋レイトで「M;i2」を見ようと、チャリを飛ばして帰宅、腹ごしらえに魚肉ソーセージを一本食ってまた板橋へチャリを走らせる。
 ところで魚肉ソーセージって久々に食ったのだが、どういう味だったのか食べてみるまで思い出せなかった。皮を剥くときに注意書きに目を走らせると「とめ金は歯でかみ切ると危険です」とある。そう、この行為、ガキの時よくやっちゃったのである。魚肉ソーセージの味がよく思い出せないのも、半分くらいはその前座として味わわせられる留め金の味を強烈に覚えてしまっているのが原因ではなかろうか。今時のガキは金具に歯を立ててまで魚肉ソーセージなんか食おうとしないだろうと思うが、自分たちだってそんな食糧難の時代でもあるまいし、なんで好んで鉄食ってまで魚肉ソーセージ食ってたんだろう?
 と、ふと思い出したが、そういやテレビの戦隊ものや宇宙刑事もののCMって、ソーセージが常連だったではないか!「高速戦隊ターボレンジャー・ソーセージ」「宇宙刑事シャイダー・ソーセージ」‥‥魚肉ソーセージなんて、およそ高速とか宇宙とは関連性ないだろ!って食い物だと思うが、よく結びつけたものである。今思えば超合金ロボや変身セットのCMとほぼ同格の存在感をもって魚肉ソーセージのCMが子供たちの胸をときめかせたというのは驚嘆に値するが、あの頃はそういうモンだと思って疑わなかった。そんなふうにして、我々は超合金(友達の持ってたやつだけど)で遊びながら、むさぼるよーに魚肉(戦隊)ソーセージを食ったのだった。微量の鉄分(アルミかな?)とともに。
 それにしても缶ジュースやツナ缶がプルトップになって久しいのに、どうして魚肉ソーセージのとめ金は簡単に外れるものにしないのだろう?歯でかみ切っても安全なとめ方にすりゃいいのに、とも思うが、ひょっとしたら全国には「魚肉ソーセージのとめ金の味マニア」みたいなのがいて、ガンコにとめ金の近代化に反対してるのかも知れん。そんな人が周りにもしいたら、ぜひ紹介していただきたい(誰に言ってるんだ)。
 なんてどうしようもない事を考えながらマイカルに着き、レイトでジョン・ウー監督「M;i2(ミッション・インポッシブル2)」を見る。いやあ、タイクツな映画だった‥‥。そもそも前作で主役に居座った、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントなるキャラクター、こいつがただの色男ってだけで全然面白くない野郎なのがいけない。これでジェームス・ボンドみたいに笑わせて楽しませてくれればマシな映画だったと思うが‥‥。しかも、あくまでトム中心の映画とあって、他に注目してやりたくなるようなキャラは皆無である。話もショボショボで、おもしろくないヤツがおもしろくない話を演っても楽しくないなー、などと当たり前の事を思ってしまった。
■7/10(月)
 マイカル板橋のレイトに行こうとするが、時間が危ぶまれたので止し、ビデオでハル・アシュビー監督「チャンス」を見る。しらけたスクリューボール・コメディ。ただの庭師が国家の重要人物と誤解されていくのだが、その庭師を演じるピーター・セラーズがとんちんかんなコトを言ってそれを周囲がどんどん誤解していってしまうのは滑稽なのに、笑えない。むしろすれ違いの哀しみすらが全編に漂う不思議な映画である。そんなに感心はしなかったが‥‥。
■7/9(日)
 台風通過後で、日中はギンギンに晴れる。何をやったかって?チャリのパンクを直した、フトンを干した、テーブルを拭いた、Gパンを洗った、せいぜいそんなとこだろう。後に残るようなものはなにもない。
 せめて何か観ておこうと思い、なおしたばかりの自転車でビデオ屋に走る。で、ドニー・イェン監督、主演「ドラゴン危機一髪'97」を観る。いやあ、あいかわらずスゴいアクションだが、スゴすぎて笑える以外は「COOL」の方がよかった。イヤ、音楽はこっちの方が全然いいか‥‥ちょっとマンシーナの「スピード」に似てるが、それもまたネタになったりしていて良(笑)。
■7/8(土)
 下北沢駅前劇場で拙者ムニエル公演「新しいペンギンの世界」を観る。何か段々とパワーダウンしつつあるような気がしてきたムニエル。今回の今イチ感は、あるいは滑り出したばかりでアドリヴ・ネタのノリが悪いせいなのかもしれないが‥‥。あいかわらず濃い味を全身でブチまける小手伸也、作・演出の舞台が来年頭に中野で行われるようで、こりゃ要チェックです。澤田育子が出演の映画も中野武蔵野ホールで今夏封切りと言う。楽しみ。
■7/7(金)
 朝方、カーク・ウォン監督「ビッグ・ヒット」見る。これって、「直撃!地獄拳」じゃねえのか!?いや、ストーリーは全く違うのだが、通じ合っているようで実は全然かみ合ってないバカ三人という構図に、何か非常に「直撃!」的なモノを感じる。爆笑の連続。アクションも良。
 京都の友人に借りていた本やビデオを小包に入れて返送、オマケにこちらからも色々おつけする。とりあえずクラシック音楽とスコア・サントラのベスト集を。クラシックはドイツ・オーストリア系作曲家をまったく入れないという原則に則り、あまり有名すぎないがキャッチーなところをおさえてみたつもり。グラスからシベリウスまで10曲。うちプーランクが二曲も入ってしまったが、やっぱりプーランクってこういうコンピ作る時につい入れたくなっちゃうポップさを持っていると思うのだった。
 台風が来てしまった‥‥雨の中、借りていた「COOL」と「愛を弾く女」、「ビッグ・ヒット」を返却に行く。そういえばドニー・イェン監督・主演の「COOL」については何も書いてなかったが、プロットと音楽、田口トモロヲみたいなドニー・イェンの顔(笑)以外はすべてCOOLな傑作。「ロミオ・マスト・ダイ」がもしイイ映画だったら、こんな風であっただろう。ドニーの映画、もっと見たいなぁ。
■7/6(木)
 中央図書館で、またもラッセル・バンクスを借りる。「大陸漂流」は「この世を離れて」の三倍くらい分厚げだ。中野南口の大盛り食堂「タブチ」でタンメン待ちの間に冒頭を、さらにヴェローチェ中野店にて、最初の章を読みかじる。渡辺一夫の「曲説フランス文学」との併読。
 いきなりだが、男女の危機は三日め、三ヶ月め、三年めに来るというが、そろそろ三度目の給料を貰った今のバイト先でも、ツラさを感じるようになった。たぶん恋愛も仕事も似たものなのだろうけど、三日めに感じるツラさは仕事そのもののツラさ(相手そのもののツラさ)なのに対して、三ヶ月めに感じるツラさは、仕事との関係(相手との関係)におけるツラさである。
 三ヶ月もいればそれなりに自分の無能さと、仕事から要求される有能さのアンバランスさが目立つようになる。まだ面と向かって「使えない」と言われたのは二度だが、眼は口ほどにものを言うで、「なんで、こんなことがいつまでも出来ないわけ?」と語る眼に見つめられる事は最近とみに増えてきた。
 これは純粋に自分の責任から起因しているものだから、「こんなこともできない」自分への至らなさへの嫌悪につながりやすい。しかし、そういう方向にいったん発想が転がりだしてしまうと、その道の行き着く先にあるのは関係そのもののリセットか、自己否定でしかない。三ヶ月めで別れる、三ヶ月めで辞めるという現象の一般的なパターンは、そういう感じなんではないかと思う。
 結局、そこで止まって踏ん張るためには、自分で出し切っていない能力がないかどうか、使える筋肉をほんとうにフルに使っているかどうか、に発想が及ぶかどうかなのだろう。それで使えるものを出し切っていると確信して、なおダメならば、ムリなところに踏み止まるのはやめるしかないし、そのことに悔いも残るまい。使えるものを出し切っている実感がないうちに切り上げてしまったなら、そこでは悔いがどうしても残る。この悔いがまた、次の現場での根本的な自信喪失につながる。強さを獲得するチャンスだったものが、簡単に負け犬根性への転落へと変貌してしまうわけだ。
 だから、自分としては今のツラさは(近年とみに喪失気味の)自信へのステップアップの好機ととらえる他ないわけで、乗り越えたいというよりも乗り越えずにおくわけにいかないものなのだった。
 ‥‥ここまで書いて昨日の番組がまた思い出されてきた(またかよ!)のだが、じゃあ「いじめは乗り越えるべきもの」で、「いじめているのは彼らに強さを獲得するチャンスを与えているだけだ」といういじめる側の論理には正当性があったのだろうか?
 これはやはり、否である。純粋に自分の責任から発したツラさならば、それに対して踏ん張るという行動に意義を見出すことはできる。しかし、いじめられる事のツラさは、いじめる側の純粋に「弱い奴からいじめられない権利を剥奪したい」という欲望によって出てきたものだからである。このどうにも承服しかねる理不尽さが、いじめられる事への暗い怨念につながって、事態を複雑に、悪循環に陥らせる。
 理不尽の克服はもちろん、弱かった人間に強さを与えるだろう。しかし、理不尽の存在を受け入れる必要はどこにもないのだ。理不尽を受け入れてしまった強者が弱者を虐げて何の痛みも感じない、これがいじめの全貌だ。「いじめること」と「強さ」に純粋な因果関係はない。間には常に、理不尽を黙って受け入れる人間の「弱さ」が介在する。この弱さは「腐食」であると言い換えてもいいものだが‥‥。
 なんて事を考えつつ用事があってコンビニに行くと「東京人」の今月号。「小特集|中央線系」だと〜!?これは今の自分にとってアツすぎる特集なので、早速買う。中野を語るクリエーターは浅草キッドかぁ‥‥。芸名と矛盾してんじゃねえか。高円寺を語るのはHIROMIX。昔、ビョークと区別つきませんでした(笑)
■7/5(水)
 いやー、よくやったもんだ。「ここがヘンだよ日本人」の「いじめっ子vsいじめられっ子」。いじめをテーマにした回に対して、番組に寄せられた「いじめられるヤツに原因がある」という投書。これ自体はよくある話だが、その投書を書いたいじめっ子が番組に登場し、いじめる側の主張をいじめられっ子に直接ぶつけるという企画。
 もともとオレもいじめられっ子の国から来た男なので、やはりいじめる側の「言い分」を聞いていると、「死ね!帰れ!アホ!」と画面に向かってアツくならずにはいられない。しかし番組が終わってみると、いじめる側の人間ばかりが元気良かった印象。結局、いじめる側の人間の方が自分の言い分に自信を持てているからだろう。
 もちろん、その自信の根拠はというと、「自分の方が集団の中では多数派で、うまく立ち回れる能力を持っている」という事でしかなく、そんな事で自信つけてるおのれの情けなさに気づいていない点で、いじめっ子どもは爆発的に恥ずかしい人間である事は論をまたない。でも彼らは、その能力をいじめられっ子が身につけていない事が問題で、逆に、そんなこともできない彼らが自分たちを見下した目で見ることがガマンならないのだ、と語るのであった。
 集団から疎外された人間は、よほどの能力を持っていてそれを根拠にできない限り、多数派に依存する人間の愚かさをあげつらって自分を慰める他ない。いじめをやる人間たちのタワケっぷりを見下す他に、自分を保つ方法がないのである。で、結局その事が原因になってますますいじめられる事になる。いじめられる事でため込まれた怨念が他人への見下しにつながり、そのことでまたいじめられて怨念が蓄積される。いじめる側はいじめる事で人間性をねじまげていくし、いじめられる側もやはりいじめられることで人間性をねじまげていく。いじめのある教室とは現世の修羅道なのだ。
 結局、いじめられっ子の救いは学校以外のどこかに自分を受け入れてくれる場所を見つけられるかどうか、という事になってしまうようだ。アニメファンのせいで学校でいじめられ、人間性をおさえこまれるなら、休みの日はコミケに燃えるもいいだろう。キレたり自殺するよりは、全然マシである。日本はファンジンや同人誌活動が活発だが、結構そういう原因もあるんじゃないかと思う。ああいった場での「おたく」たちの異様な熱気や常軌を逸した行動は、日常でためこまれたものを発散する「祭り」の働きなるがゆえであろう。
 いじめられっ子には結局自力で克服するか、その集団を身分的あるいは精神的に離脱する道しかない。ではいじめっ子はどうなのか。彼らはただ集団のノリ、システムの要求するがまま、集団のストレスを注ぎ込む生け贄としていじめられっ子を選び、いじめているだけの話であり、彼らに罪悪感がないのは確かである。だからと言って、彼らに罪はないのか?番組の中で、本当に嬉しそうに唇の端をゆがめながら、クラスメートの「葬式ごっこ」の準備をする楽しさを語るいじめっ子には、いじめられっ子の平穏に生きる権利を奪い去った罪はないのか?自分がいじめにいかに長けた人間であるかを語るコイツの愉悦に満ちた眼の方に、道理があるというのか?
 とんでもない。当然、彼らからは人権を剥奪するべきだろう。他人の持つ「いじめられない権利」をヘラヘラ笑いながら剥奪し、「そういうもんでしょ」と語り、教室を修羅道と化すことに罪悪感がないならば、彼らは自分の人権を剥奪される事にも無神経であるべきだ。不当逮捕され、拷問され、死刑にされても文句は言うな。そんなに、「俺らにいじめられて成長することもあるでしょ」なんて思うんだったら、いっぺん国家にでもいじめられてみることをおすすめする。勿論、これはいじめっ子諸君の主張を敷延した意見でしかないことはご承知の通り。
 と、いうような事を色々考えてしまい、益になる番組でありました。
■7/3(月)
 月曜は本来バイト休日なのだが、出勤する。
 帰路、朝日販売所に寄って6月分を支払う。てっきりここでつかまって契約更新を迫られるものかと思ったが、いつもの集金兄ちゃんは金だけ受け取って「ありがとうございましたぁ〜」と愛想笑い、こっちの毒が抜ける。が、あいかわらずドアベルは一晩3度くらい鳴る。どうやら、拡張員は別働隊らしい。
 まったく、なんで新聞宅配制度なんてモンがあるのか?週3契約とか、今日はA紙、明日はB紙といった組み合わせ販売ができれば(イギリスでは普通に行われているようだ)、こんな前近代的遺制は絶滅するだろうが、この遺制のおかげで世界一二の発行部数なんてものが誇れるんだろうから、当分なくなりゃあすまい。
 夜(朝方)、クロード・ソーテ監督「愛を弾く女」をビデオで見る。ばかみたいな邦題とは裏腹に、含蓄あるまなざしと控えめなセンチメンタリズムに満ちた佳作。ハナシとしては「ギャルソン」にくらべて遙かに好みでないが、ダニエル・オートゥイユ/エマニュエル・ベアールの主演二人組が実に良い、良い。ロメール映画でもよく見かけるアンドレ・デュソリエが脇を固めて、いい味を出している。ジャンルとしては恋愛映画ってゼンゼン好きではないのだが、こういう静観型の恋愛映画は何本見てもうんざりすることがなく、油断するとクセになりそう。ソーテとロメールを並べて好きなファンというのは結構いるみたいだが、両者の映画は非なるものでありながら(ロメールの方がやっぱり変態だ)、なんとなく両方好きという人がいるという話はナットクできる。なんなんだろうなあ。この感じ。
■7/2(日)
 夜勤明けで10時ころ中野に着く。南口ヴェローチェでラッセル・バンクス著「この世を離れて」の続きを読む。アトム・エゴヤン監督映画「スウィートヒアアフター」の原作だが、映画を見て明確に像を結ばなかった部分が染み入るように読みとれ、一ページ一ページが感動的。それにしても、ヴェローチェには禁煙コーナーが一応あるが、何の対策設備もないので喫煙者から発せられる煙幕がガンガン漂ってきて、おかげでコーヒー一杯での長居がツラい。これもまた、店にとっちゃ好都合なのか?中断してブロードウェイへ。AVICでマイケル・ケイメン作曲の「アイアン・ジャイアント」のサントラを見つけてしまう。買う。他はランディ・エデルマンによる「ドラゴンハート」とヘンリー・マンシーニの名盤「黒い罠」。帰宅して豚汁の残りをおかずにメシ。ギンギン照りまくる太陽光を当てにして洗濯機のスイッチを入れたが、干すころには雨が降り始めるのであった。トホホ。
 今日で読了すべく、沼袋駅北口の喫茶店「猫丸」へ。ここ、雰囲気もいいし、かかっているジャズも趣味がいい店なのだが、どういうわけか客足が少なく、しばしば読書するオレとマスターの二人きりになってしまうのがツラい(笑)。オレとしては快適な読書環境を求めて行くわけだから、もとより本から目を離すつもりもないのだが、なんとなくこちらから声をかけた方がいいのではないかとか、余計な気をまわしたり、相手の行動が気になってしまう。店のイメージが猫だけに、マスターも猫っぽく注意深く、こちらの様子を伺っているように思えるんだが‥‥自意識過剰か(笑)。
 で、1時間半ばかりで「この世を離れて」を読了。もう一度映画を見直そうと思う。映画はイアン・ホルムがキャラ立ちしすぎていたのも混乱の原因ではないかと思うのだが、小説ではスッキリ整理されている語りの時間と主体が映画ではシャッフルされているため、一貫したストーリーを見つけだしづらかったように思う。映画単体で見れば、あの語り方そのものがなかなか面白かったのだが‥‥。映画が分かりにくかったという方には、ぜひ原作を併読することをおすすめしたい。
 ところでいつもの如く朝日新聞の集金人らしき者がベルだけ鳴らすのだが、今回は異様にクドくて、一晩に2度か3度は繰り返して来る。昨日から新聞が入らなくなったため、先月が契約切れ月ゆえ集金ついでに契約更新とかこつけたいのだろうと推察されるが、こっちは相手が名乗らないうちは返答すらしない。今夜はあきらめて帰りしな、アパートの玄関口で「あのクソガキャ‥‥」と毒づいたのが網戸を通してシッカリ聞こえた。そんな事言われてもスカンピン(その時はね)だから仕方ないのだった。いつも金をおろした足で販売店に直接払い込みに行っているのだが、上記の理由ゆえ今度を最後に二度と朝日新聞は当地ではとらない、と支払いついでに言ってやろうかと思う。あまり印象のよくないやり方だと思うが、本日の日記でご存知のとおりオレは犠牲者ヅラして愛煙家を喫茶店から追い出したいと考えている偽善的嫌煙者である(笑)。お互いにもうイヤな思いをしなくて済むように、そうした方がいいと思いますくらいの言い方でいこうか等と考えたりして、ああ確かにクソガキだなぁと自嘲したりしてみるのだった。べつに罪悪感はないが。
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