《会社・事業者概要》
会社名・事業者名 |
防犯技術指導協会 |
会社形態 |
個人事業 |
代表者・事業主 |
伊澤 浩一 |
所在地 |
〒321-0139 栃木県宇都宮市若松原1−23−11 |
電話番号 |
028−655−6082 |
ファクシミリ番号 |
028−655−6082 |
事業内容 |
鍵職人の養成講習の実施、鍵開け工具の販売 |
設立 |
1998年4月17日 |
《ごあいさつ》
2020年1月8日撮影の最新のご挨拶動画は、下の写真かここをクリックして下さい。
重要なお知らせもございます。なお、音量を大きくしてお聞き下さい。
専任講師兼協会代表:伊澤浩一
ご挨拶:1998年春に、それまで無かったマンツーマン短期間低料金の鍵の学校を開講して以来、
数百人の方々と出会うことが出来、微力ですが皆様のお役に立てていることがとても幸せです。
開業される方が全国に着実に増えていることにも幸せを感じております。
今後も初心を忘れずに更に努力してゆく所存です。
小さい頃は鍵と切手との収集が趣味でした。今にして思えばそれが今の自分の原点です。
小さい頃は錠前の不思議さに魅せられました。
新しい錠前が開発されるたびにその解錠を考えるのが楽しみです(錠前メーカーさん御免なさい)。
法律の仕事である行政書士の仕事(鍵の仕事が本業ですので開店休業状態ですが…)もしておりました(1998年から2023年8月までの25年間)ので、
ご安心してご相談・お申し込み下さい。
開講当時(1998年ごろ)の私
≪エッセイ≫
≪講習を始めた理由≫ 開講した1998年ごろには鍵のスクールの多くは50万円〜100万円ぐらいしました。数十名の生徒さんを集め、インストラクターが、開け方を説明して、自分でコツをつかむまで練習すると言うスタイルが多かったです。 自力でコツをつかむと言う方法ですので、努力の末コツをつかんだ時には自信につながると言う利点があります。 また、それまでは、鍵屋になるのにはどこかの鍵屋に勤めて10年以上働いて独立すると言った方がほとんどでしたから、短期間の勉強で開業できると言うことで、画期的なことでした。 フランチャイズですと講習費だけで400万円ぐらいし、その他もろもろで2000万円〜3000万円したりするところもありましたから、料金的にもそれらに比べるとずっと格安でした。 ただ、残念なのは、コツを自分でつかまなければなりませんから、練習のため、何十日も通ったり、遠方ですと延べ十日以上も宿泊したりしますから、交通費や宿泊費を考えますとかなりの費用が掛かってしまいます。 会場スペースの都合上、練習に行くのも歯医者のように予約制になったりしますから、6ヶ月以上も時間が掛ることも多かったようです。 従って、億劫になったり、生活費に困るようになったりして、挫折してしまう人も多いと聞きました。 小生の鍵職人としての知識と経験を生かし、何とか短期間で低料金に出来ないかと考えました。 そこで、短期間にするため、まずマンツーマンにすることを考えました。 すると、マンツーマンにしたため実際短期間で修了できましたから、低料金にすることが可能になりました。
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≪宣伝広告をしない理由≫ このホームページはなかなか見つからなかったと思います。見つけていただき、ここをお読みいただいているのは、本当にありがたいことですし、何かのご縁があるのかなと思います。 講習の案内は、このホームページと同様の内容のブログしかありません。 宣伝広告をすれば、沢山生徒さんが来るかもしれません。ただ、講習は代表兼専任講師の私伊澤が一人で行なっております。講師を雇ってもいいのですが、精度を落としたくないので、雇っていません。 沢山いらっしゃれば、収入も増えますが、月に20日以上講習がありますと(たまたま、講習が続いてそうなったことがありますが)、経験上、10日を過ぎる頃には、やはり、集中力がほんの少し劣ってしまいます。 遠方よりお越しいただき、少なくない講習費を払っていただいておりますので、当方も全力で講習を実施しますので、想像以上に疲れます。 月に5〜8日ぐらいの講習がパワーを充電して講習をするのに理想です。 かと言って、それより少ないと生活が成り立たず、廃業の危機に陥りますので、難しいのですが…。 そういった事で、宣伝広告はしておりません。沢山お越しいただくと、講習精度が下がるからです。 正直言いまして、月に全く講習がないことが続く時もあります。廃業の危機も何度もありました。サラリーマン時代の貯金を取り崩したりして、しのいだりしましたが、本当にもうだめかと思うと、マスターコースのご予約が入って救われたり、口コミでいらっしゃる方がいらっしゃったりして、何度も危機を乗り越えてきました。 お陰様で、20年以上生活させていただいております。 |
≪伊澤代表&専任講師って、どんな人?≫
略歴: 栃木県生まれ; 大学時代以外は、栃木に住んでいます。田舎生まれで田舎育ちです。田舎者なので、都会暮らしは、どうも性に合いません。 幼少時代; 小中学校時代は、とにかく毎日遊んでいました。日々の宿題は、帰りがけに、川に捨ててしまい、やっていかなかった記憶があります。夏休みなどの宿題も見かねた母親がやってくれていました。小さい頃から、人に理不尽に物事を強制されるのは嫌いだったようです。宿題をやる意味が分からなかったので、しませんでした。小学校の頃は、毎日、家に帰るまでは、買い食いは禁止だったので、一旦帰宅して、ランドセルを投げ捨てお小遣いを貰って、また、学校まで行き、学校の隣の駄菓子屋で物を買い、見つけた友人とメンコやかくれんぼなどをしました。休日は、近所でまた誰かを見つけて、人数に合わせて、山遊び川遊び探検ごっこに戦争ごっこ、夏は、虫取りやプール、冬は、スケートや雪合戦、日が暮れて家に帰ればテレビに漫画。父親はガテン系の仕事でしたし、母親も良い意味で放任主義でしたので、勉強しろなどとは一言も言われませんでした。もっとも、私に限らず、当時は多くの少年が、原作のサザエさんに出てくるカツオのような少年だったと思います(宿題をやらない生徒は少なかったかもしれませんが,,,)。 中学時代は,最初テニス部に入部しましたが、 理不尽なパワハラをする先輩が2人いたので、3ヶ月ぐらいでやめました。 その後は、帰宅部で、また、何かと遊び呆けていました。 受験が近づいた中3になっても。学校帰りに、自宅とは逆方向にある ボウリング場に、友人3人ぐらいで行き 毎日のようにピンボールゲームをやっていました。金はありませんでしたが、当時のゲーム機はいい加減でしたので、お金がなくても裏技で遊べました。そんなことを卒業間際までやっていました。 高校時代; あまり進学校ではない普通の県立高校に真ん中ぐらいの成績でなんとか入学できました。中学校時代の友人の多くが、中卒で就職していましたから、高校に入れただけでも、良かったのですが、普通科でしたので、このままでは良いところに就職できないと思い、一念発起して、勉強というものを初めて本格的にすることにしました。急にやりだしたので、父親に「そんなに勉強してどうするんだ!」と怒られたことを思い出しました。勉強は、中学校時代は定期テスト前の一夜漬けだけでしたので、最初は全くやり方が分かりませんでした。また、小中学校のサボりのつけで、暗記科目が全くだめでした。特に社会や英語、漢字の書き取りはひどかったです。 でも、色々試行錯誤したり、小学校の教科書を買って、1から勉強し直していくうちに、徐々に成績が上がりました。高2の3学期の学研や旺文社の模擬試験(当時はその2つがメジャーな全国模擬試験でした)では、冷やかしに書いた東京大学の理科1類や京都大学の理学部の合格可能性が50%にまでなりました。 でも、その後の油断と浪人はできないという経済的な理由と最後は社会の日本史・世界史の暗記部分の致命傷の結果、高校で初めて習い暗記の少ない倫理社会で受験できる北海道大学を受験しました。 北海道大学卒; 30年以上も前ですから、今の札幌とはかなり違います。札幌駅から徒歩5分ぐらいと立地条件は良いところだったのですが、窓は隙間だらけで、冬は家の中にあるインスタントラーメンの残り汁が凍るぐらいの寂しい6畳1間に住んでいました。 トイレ・水道は共同で汲み取りボットン式でした。風呂は無く、歩いて10分ぐらいの銭湯に行きました。冬はアパートに帰るまでの間に髪の毛がバリバリに凍ります。鼻毛も息を吸うと凍り、吐くときに溶けます。 でも、当時はそんな暮らしが当たり前と思っていましたから、辛くはありませんでした。むしろ、雄大な自然と開拓精神でたくましく、他人には優しい北海道の人々に触れて、良い意味で人生観が変わりました。北大に行って良かったと思いました。 当時の北大は、入学時には理類というところに500人以上が入学し、2年の中間地点で成績と希望で学科を選ぶスタイルでした。入学時には、物理学科志望でしたが、暮らすうちに自然の研究に興味が移り林学科を選びました。 元栃木県庁上級職員; 年功序列の世界ですから、傍から見るよりストレスの多い仕事です。特に北海道でのんびり暮らしていた自分にはストレスを強く感じました。当時、ストレスが原因で自殺する県職員が年間5〜10人ぐらいいたそうです。 実際、私の勤めていた職場でも、仲の良かった就職して2年目の上級職の後輩が自殺しています。他人事ではありませんでした。公務員を辞めた最大の原因です。理不尽な事を言う上司も多かったのも原因の一つです。相談なしに辞めたので、身内にはひんしゅくものでしたが、辞めてすっきりしました。 元進学塾講師; 30歳台はこの仕事をしていました。小学生から高校生までに主に算数・数学・理科を教えていました。私は、学歴偏重主義者ではありませんが、まるでロールプレイングゲームのように、最初は普通の子が、自発的に勉強するようになり、徐々にレベルアップして東大などに入るのを見ているのはこの仕事の醍醐味でした。 授業時間とその前後1時間のミーティング以外は基本的に仕事がありませんから、時間がたっぷりありましたので、この時期に解錠の研究と解錠のサイドビジネスをしていました。 人に教える仕事と鍵の仕事を合体させようと思いたち、塾を辞め、今の仕事を本格的に始めました。
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主な試験・資格: 国家公務員上級甲種(現T種)試験合格; 長男だったことなどから、県庁に就職しましたが、もし、こちらに就職していたら、今頃は、悠々自適の生活だったかも。 でも、理不尽なことを言う政治家への忖度などでストレスを貯め、
いやな性格になっていたかもです。 もし、勤めていたとしても、 辞めていた可能性も高いです。 最近の安倍政権下の官僚の姿勢を見ていますと、 あそこまでして、
地位にしがみつかなくてもいいのになと 思うのですが、辞められない理由が、人それぞれ色々あるのでしょうね。 金ではなく、好きな仕事を出来ていることが 幸せだと思う今日このごろです。 宅地建物取引主任者; 取ったけど、すっかり忘れました。 実用英語検定2級; 32歳の頃取りました。目指せ1級! 測量士補; 大学時代に取りましたが、今は全くできません。
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趣味: ゴルフ; 月に2〜3回コースに行きます。練習もたまに行くのですが、最近はなかなか上達しません。レジャーゴルフです。 ハイキング; たまにですが、四季折々に日光や那須などに行き、リフレッシュします。 日帰り入浴; これもたまにですが、休みの日に温泉でリフレッシュします。 |
ペット:犬;名前はエリー ロングコートでホワイト(耳だけ薄茶色)のチワワを、2007年4月1日から飼いました。とてもとてもかわいいです。無駄吠えもなく、とても人懐こいです。ご覧になりたい方は、講習のときに言ってください(*^_^*)。講習の合間にご対面させます。ただし、犬の毛が付くことを覚悟ねがいます(^J^)。 エリーの動画中心の下記のブログも時間のあるときに見て下さい。 |
【防犯技術指導協会】
御注意:当協会と良く似た解錠講習がございます。講習内容や料金体系、文面までが非常に良く似ております。
当協会で修得した内容を教えておりますのでよく似ているのですが、当協会の関連機関ではございません。
同業者の方へ:当協会のホームページの文面をまねしているところを見かけます。
上記の「御注意」に書いたスクールの方々がほとんどですが、講習内容だけでなく、文面までまねするのは残念です。
特に、「講座の特徴」や「良くある質問」の文面や内容のまねが多いです。
文章は、自らの経験や知識に基づき、知恵と労力を注ぎ込んでつくった著作権の存在するものです。
講習内容や文章は、ご自分の知識と経験を生かして作ってください。
鍵業界の健全な競争・発展のためにもよろしくお願い致します。