ラジオパラダイス
パーソナリティ&番組人気投票
1.投票結果 −志賀真理子−
2.投票結果グラフ −志賀真理子−
3.投票結果の考察
4.志賀真理子 −ラジオ放送データ −
5.雑誌のページにもどる/トップページにもどる
1.投票結果 −志賀真理子−
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'85
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10
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ラジパラ創刊号 | ||||||||
11
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12
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−
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0
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←人気投票開始
男女別のランキング |
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'86
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1
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−
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0
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|||||||
2
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−
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0
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2/25 志賀真理子デビュー | |||||||
3
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−
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0
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4
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−
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0
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5
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−
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0
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||||||||
6
|
−
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0
|
「ポニーテールに乾杯」スタート | |||||||
7
|
355
|
1
|
志賀真理子ランキング初登場 | |||||||
8
|
258
|
3
|
||||||||
9
|
161
|
8
|
||||||||
10
|
不明
|
14
|
95
|
26
|
'86総合結果発表 | |||||
11
|
84
|
14
|
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|
男女混合ランキングとなる | |||||
12
|
126
|
9
|
||||||||
'87
|
1
|
108
|
11
|
|||||||
2
|
104
|
8
|
←志賀真理子ラジパラ表紙飾る
「もしもしトーク」スタート |
|||||||
3
|
135
|
4
|
||||||||
4
|
31
|
184
|
←最高順位・最高得票数
「ポニーテールに乾杯」終了 |
|||||||
5
|
62
|
73
|
||||||||
6
|
39
|
112
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7
|
50
|
75
|
||||||||
8
|
79
|
21
|
||||||||
9
|
73
|
21
|
「もしもしトーク」終了 | |||||||
10
|
51
|
24
|
61
|
556
|
'87総合結果発表 | |||||
11
|
127
|
6
|
|
|
「もしもしトーク・パート2」スタート | |||||
12
|
76
|
14
|
||||||||
'88
|
1
|
-
|
0
|
|||||||
2
|
279
|
2
|
||||||||
3
|
110
|
16
|
48
|
7
|
|
|
番組人気投票始まる | |||
4
|
128
|
10
|
60
|
7
|
||||||
5
|
169
|
9
|
101
|
10
|
||||||
6
|
115
|
14
|
67
|
10
|
「もしもしトーク・パート2」終了 | |||||
7
|
188
|
6
|
124
|
4
|
||||||
8
|
101
|
13
|
75
|
5
|
||||||
9
|
147
|
8
|
89
|
6
|
||||||
10
|
355
|
1
|
157
|
99
|
-
|
0
|
107
|
49
|
'88総合結果発表(注釈2) | |
11
|
201
|
6
|
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|
-
|
0
|
|
|
||
12
|
213
|
4
|
-
|
0
|
||||||
'89
|
1
|
228
|
3
|
-
|
0
|
|||||
2
|
534
|
1
|
-
|
0
|
||||||
3
|
-
|
0
|
-
|
0
|
||||||
4
|
-
|
0
|
-
|
0
|
「ミッドナイトクルージング」終了 | |||||
5
|
194
|
7
|
-
|
0
|
志賀真理子、最後の得票 | |||||
6
|
-
|
0
|
-
|
0
|
||||||
7
|
-
|
0
|
-
|
0
|
ぴえろ10周年イベント | |||||
8
|
-
|
0
|
-
|
0
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||||||
9
|
-
|
0
|
-
|
0
|
||||||
10
|
-
|
0
|
485
|
21
|
-
|
0
|
-
|
0
|
'89総合結果発表(注釈3) | |
11
|
-
|
0
|
|
|
-
|
0
|
|
|
アメリカにて交通事故 | |
12
|
-
|
0
|
-
|
0
|
||||||
'90
|
1
|
-
|
0
|
-
|
0
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2
|
-
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0
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-
|
0
|
ラジパラ交通事故の記事 | |||||
3
|
-
|
0
|
-
|
0
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||||||
4
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-
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0
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-
|
0
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||||||
5
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-
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0
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-
|
0
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||||||
6
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-
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0
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-
|
0
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||||||
7
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-
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0
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-
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0
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||||||
8
|
-
|
0
|
-
|
0
|
-
|
0
|
-
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0
|
'90総合結果発表(ラジパラ廃刊) |
(注釈1)
・青字は、ラジパラ記事に関するコメント
・緑字は、放送に関するコメント
・赤字は、ラジオとは直接無関係のコメント
・実際の出来事がラジパラ記事に反映されるまでには、当然のことながらタイムラグが生じている。
(注釈2)
・’88年総合結果では、ラジオ日本「ミッドナイトクルージング」が、318位(合計8票)入っていた。
・何月に何票入っていたのかは、調査していない。
・多分これは、真理子ちゃんの放送ではないと思われる。
(注釈3)
・’89年総合結果では、ラジオ日本「ミッドナイトクルージング」が、437位(合計11票)入っていた。
・同じく’98年総合結果で、ラジオ日本「びっくりヤングステーション」が1175位(合計1票)入っていた。
・何月に何票入っていたのかは、調査していない。
・番組の構成は分からないが、真理子ちゃんの放送は、「びっくりヤングステーション」の方であると思われる。
2.投票結果グラフ −志賀真理子−
3.投票結果の考察
ラジパラ・パーソナリティ人気投票において、志賀真理子ちゃんは86年7月号にて初のランキング。得票数は1票。その直前の6月1日に「ポニーテールに乾杯!」がスタートしたためと思われる。
その後しばらくは、比較的コンスタントの得票が続く。しかし徐々に右肩下がり。
87年2月1日に「もしもしトーク」がスタート。その直前発行のラジパラ87年2月号では、表紙を飾るという快挙を成す。また投稿写真87年4月号では、タイアップ企画「一緒にBe
Afflicted!」もスタート。同時にラジパラ87年4月号では、最高得票数(184票)・最高順位(31位)を記録。ちなみに、この月のランキング1位は小堀勝啓氏(481票)、2位は小森まなみ嬢(453票)であった。
しかしその後、得票数・順位は右肩下がりで急激に下落。
「ポニーテールに乾杯!」は、「もしもしトーク」開始から約2カ月後に終了。
87年9月27日には、「もしもしトーク」もいったん終了。投稿写真87年12月号で、投稿写真「一緒にBe
Afflicted!」も連載終了。投稿写真での連載終了時には、大学受験の勉強に専念するためというのが理由として述べられている。しかし同時に、人気の低迷も原因の一つだったのかもしれない。
87年総合ランキングでは、得票合計数556票、順位は61位であった。ちなみに総合ランキング1位は小森まなみ嬢(6709票)、2位は小堀勝啓氏(5564票)。
「もしもしトーク」終了に伴い、一時的にラジパラ・ランキングから消える。
「もしもしトーク」放送終了日は、前記の通り87年9月27日である。しかし投稿写真では、87年12月号の「一緒にBe
Afflicted!(最終回)」においても、「もしもしトーク」が「ラジオ大阪にて絶賛放送中!」と記されている。雑誌出版のタイムラグを考えてもおかしい。理由は不明である。単なる「投稿写真」記述の間違いとしか考えられない(タイアップ企画なのに?)。どなたか事情をご存じの方はご連絡頂きたい。ちなみに放送開始日と終了日は信頼できる情報であり、まず間違いないはずである。
「もしもしトーク」終了から約2カ月後の11月29日、「もしもしトーク・パート2」がスタートする。しかし以前ほどの得票はなく、約半年で放送終了。
「もしもしトーク・パート2」の放送を聞くと、放送第20回頃より番組の構成が変わり、NTTの宣伝により多くの時間が割り当てられるようになった。そのため、真理子ちゃんのトークや、リスナーからのFAX紹介(もしもしキャンバス:略して「もしキャン」)・留守電の紹介(もしもし伝言板:略して「もし伝」)の時間も削られるようになった印象。そのような状況に、リスナーも離れていったのかもしれない。(←1998/8/31文章追加)
「もしもしトーク・パート2」放送中に、ラジパラにて番組人気投票がスタート。「志賀真理子」人気投票結果と「もしもしトーク・パート2」人気投票の結果は強い相関が見られる。得票数に関しては、ほぼグラフが重なっている。このことより、ある特定の人たち(即ち志賀真理子ファン)が、パーソナリティ人気投票で志賀真理子、番組人気投票で「もしもしトーク・パート2」両方に投票していたと考えられる。逆に言えば、固定ファンが聞く番組で、一般受けしなかったと言えるのかもしれない。現に、常連からの便りの紹介が非常に多かった。1人の常連リスナーからの便りが、1回の放送で、「もしキャン」「もし伝」合わせて2つも3つも紹介されることも珍しくなかった。FAX・留守電の絶対数も少なかったのかもしれない。最終回の告知も突然であった。「もしもしトーク・パート2」の最終回は、リスナーからの便りの紹介が全くなく、(個人的意見であるが)大部分のリスナーの怒りを買ったのではないかと思える内容であった。(←1998/08/31文章追加)
「もしもしトーク・パート2」終了後も、「ミッドナイトクルージング・びっくりヤングステーション」という番組でパーソナリティを勤めていたらしい。ただし、志賀真理子ちゃんがメインパーソナリティの番組ではないらしい。放送時間も20分と短い。「ミッドナイトクルージング」(24:00スタート、終了時間不明)という番組の中の、「びっくりヤングステーション」(24:30〜24:50)というコーナーを担当していたのかもしれないし、他の人のアシスタント的な存在だったのかもしれない。
いずれにしても、ラジパラ人気投票にはほとんど反映されていない。
「びっくりヤングステーション」も89年4月9日に放送終了。終了直後の89年5月号のラジパラでは、パーソナリティ人気投票で志賀真理子ちゃんに7票の得票があったが、これが最後の得票となった。それからは、ラジパラ・ランキングから姿を消す。
その後の数ヶ月間は、芸能活動は全く行っていないと思われる。
ファンの前に再び姿を現したのは、89年7月のスタジオぴえろ10周年記念イベント。これが、最後の芸能活動となった。この場で本人の口から、ジャズの勉強をするためにアメリカ留学に行くという話が告知される。「びっくりヤングステーション」を終えたのは、アメリカ留学の準備をするためだったとも考えられる。
その後、「びっくりヤングステーション」が終了したのは、放送局の方針変更が原因との情報あり(情報提供者:非公開)。アメリカ留学のために終了した訳ではないようです。(←2000/05/14文章追加)
一部では「留学終了後、再デビューするつもりだったのではないか」との噂もあったが、実際のところは不明である。僕の知る限り、その噂を裏付ける根拠は確認されていない。
いずれにしても、真理子ちゃんが再びファンに微笑みかけることはなかった。
ちなみに、僕は真理子ちゃんの放送を生で聞いたことは一度もない。
(録音テープなら聞いたことはあるが。)
追伸
何か情報をご存じの方は、連絡下さい。
4.志賀真理子 −ラジオ放送データ −
『ポニーテールに乾杯!』
放送局 :秋田放送・山形放送・茨城放送・福井放送・山口放送・西日本放送・青森放送・ラジオ福島
放送開始:1986年 6月 1日
放送終了:1987年 4月 5日
※ 放送開始・終了日は、青森放送のもの。
他の放送局は曜日が異なるので、当然日にちも異なる。
放送時間:秋田放送 (水曜日 21:10〜21:55)
山形放送 (水曜日 20:00〜21:00)
茨城放送 (日曜日 16:30〜17:00)
福井放送 (水曜日 22:30〜23:00)
山口放送 (水曜日 25:00〜26:00)
西日本放送(日曜日 24:00〜24:30)
青森放送 (日曜日 22:30〜23:00)
ラジオ福島(土曜日 21:30〜22:00)
※ 放送時間は、投稿写真の「一緒にBe
Afflicted!」より引用。
放送の長さが、局によっては、30分だったり、45分だったり、1時間だったり。
なぜかは分かりません。単なる間違いか?
※ 山口放送では”シンセンキラキラナイト”水曜日としてオンエアーされていた。他の局は不明。
放送枠の違いは、放送局によりコーナーの有る無しによるらしい。
プレゼントコーナーなどは、局により無いところもあったらしい。
後はリクエストの曲の長さなどの違いと思われる。(情報提供:泥酔
さん)(←1999/01/23追加)
放送回数:39回
※ 青森放送では、『ポニーテールに乾杯』は6回休みがあった。
休みの日と、その時の番組は、以下の通り。
・1986年 7月20日 : 高校野球ハイライト
・1986年 7月27日 : 〃
・1986年 8月 3日 : スポーツ列島
・1986年10月19日 : ホリデーイン
・1986年12月21日 : ファン・トゥデー
・1987年 2月 1日 : 三沢・五所川原新市長に聞く
これが青森放送のみなのか、全放送局休みだったのかは不明。
そのため、全放送回数はもう少し多い可能性あり。
『NTT・志賀真理子のもしもしトーク』
放送局 :ラジオ大阪
放送開始:1987年 2月 1日
放送終了:1987年 9月27日
放送時間:日曜日 23:25〜23:55
放送回数:全35回
『NTT・志賀真理子のもしもしトーク・パート2』
放送局 :ラジオ大阪
放送開始:1987年11月29日
放送終了:1988年 6月27日
放送時間:日曜日 20:30〜21:00
月曜日 21:00〜21:30(4/11:第20回より時間移動)
放送回数:全31回
『ミッドナイトクルージング・びっくりヤングステーション』
放送局 :ラジオ日本
放送開始:1988年 4月 3日
真理子ちゃん・鈴木末吉さん・比嘉ひとみさんの3人のパーソナリティでスタート(←2001/06/14修正)
※ 放送自体は、真理子ちゃんデビュー前の1983年10月9日から続いている。
放送終了:『びっくりヤングステーション』の最終回は、1989年 3月26日(←2000/05/14追加)
『ミッドナイトクルージング』 の最終回は、1989年 4月 9日
放送時間:日曜日 24:30〜24:50
ただし、毎月第1週は特番で1時間の放送(24:30〜25:30)
第2〜4(5)週は、20分の放送だった。(←1999/02/27修正)
※注釈 『ミッドナイトクルージング』という番組が、24:00開始。(終了時間は不明)
『びっくりヤングステーション』は、その番組の中の一部。
1989年4月9日で、『ミッドナイトクルージング』終了。
『びっくりヤングステーション』は、その2週間前に終了。
真理子ちゃんがアメリカ短期留学中で不在時に最終回を迎えた。(情報提供:としろ
さん)(←2000/05/14追加)
放送回数:51回(内、スペシャル12回)(←2001/10/14追加)
※注釈 1989年1月8日は、昭和天皇崩御翌日のため、放送中止。
特別番組:
『志賀真理子(ハートマーク)心はひこうき雲』
放送局 :FM山口・他
放送日 :1987年1月6日(火) [2月7日(水)?]
放送時間:21:00〜21:55
※ 放送日・時間は、放送局によって異なる。
※ 特番は、資料が見つかった分のみ記載。当然これ以外にもあった可能性はある。
詳しい情報をご存じの方は、連絡下さい。