1998/03/12 更新
 
永遠の片想い

  めぐり逢えた*** ********
  ******** ******
      (志賀真理子 : 「夢の中の輪舞−ロンド−」より)
 

 真理子ちゃんとは、スタジオぴえろ10周年記念イベント東京会場で1度だけ見たことがあります。その時は、まさかそのわずか4カ月後に彼女が逝去するとは思ってもみませんでした。イベントでは真理子ちゃんは歌を歌わなかったため、彼女が歌う姿を生で見たことは一度もありません。(ずっと後で入手したビデオでなら見たことはありますが)

 当時スタジオ・ぴえろ・ファンクラブ会員だった僕は、10周年記念イベントの少し後、真理子ちゃんをヨイショする4コマ漫画を書いてファンクラブに投稿しました。それが採用されて、ぴえろ・ファンクラブ会報に載ったのですが、奇しくも真理子ちゃんが交通事故に遭って亡くなった出来事を伝える記事と同じ号でした。忘れられない想い出です。
 たまたまテレビや新聞をあまり見ていなかったので、真理子ちゃんが亡くなったという事実を全く知らず、忘れもしない、12月10日に届いたその会報を見て初めて知りました。実をいうと、それまで真理子ちゃんの大ファンというわけではなかったのですが、彼女が亡くなったと聞いた時、自分でも不思議なくらい本当にショックで、なかなか立ち直れませんでした。

 真理子ちゃんが亡くなった後、ぴえろファンクラブ会報34号では追悼の記事が組まれました。見開き2ページで、主に上半分が彼女の写真(モノクロスナップ11枚)。下半分がファンからの手紙(13通)でした。ちなみに、その手紙13通の内、3通が僕の出したものです。別のページに掲載されたものも含めると、34号には真理子ちゃんに関する僕の投書が4通載っています。自分自身心の整理が全くつかず、真理子ちゃんに関する手紙をあちこちに出しまくっていました。そうでもしていないと、気が変になりそうでした。いや、もしかすると、実は気が変になっていたのかもしれません。少なくともまともな精神状態ではありませんでした。その時は、自分が地獄に落ちてもいいので、代わりに彼女を生き返らせて欲しい、と真剣に思ったことを覚えています。

 8年前、真理子ちゃんが逝去したと知ったときから、僕の心の時計は針が折れたまま止まっています。僕の心の中では、真理子ちゃんはずっと19歳と11カ月のままです。

 歴史を語るのに、「もしも〜だったら」は禁句かもしれません。でも、もしも彼女が生きていたら、もしも何事もなくフラッグスタッフの高速道路を通り過ぎていたら、もしもタイミングがあと数秒ずれていたら、もしも動物が飛び出さなかったら、どうなっていただろうかと考えることがあります。8年たった今、28歳の彼女は今何をしているでしょうか。それは分かりませんが、何となく想像は出来るような気がします。しかし、それをここで述べることはしません。自分はどんな生き方をしているでしょうか。少なくとも、真理子ちゃんのことはとっくに忘れて、思い出すこともまれで、これ程真理子ちゃんのことを想うことはなかったでしょう。価値観や生き方も、今とは相当異なっていただろうと思います。なぜなら、彼女を通して僕は人生が変わったからです。

 真理子ちゃんが逝去したという知らせは、自分でも信じられないくらいショックで、立ち直るのに非常に時間がかかりました。でも、そのあとのいろいろな出会いや、いろいろな出来事を通じて、徐々に悲しみが癒えていきました。そしてある頃から、彼女が19歳と11カ月いう若さでこの世を去ったことの悲しみよりも、彼女が確かに19年と11カ月の充実した人生を走り抜き、僕もそんな彼女にめぐり逢えたこと、彼女の人生をわずかではあるが知ることが出来たということを感謝できるようになりました。
 この地上では、一度も彼女と直接声を交わすことはありませんでしたし、手紙を書くこともなく、面識もありませんでした。真理子ちゃんは僕の顔も名前も全く知らないはずです。でもいつか天国で再び会えるでしょう! その時は自己紹介したいと思います。永遠の愛をもって愛する、姉であり妹である真理子ちゃんへ。
 

追伸
 志賀真理子ちゃんの歌っていた曲の歌詞の一部を引用していましたが、著作権上の観点より伏せ字に変えました。
 

もどる