二人のマダムとぽちの

モロッコ周遊の旅

2008.1.302.8

 マグレブの国といわれ、神、国王、国を大切にする

モロッコの風を感じ、文化や生活習慣が知りたくて

周遊を思いたちました。砂漠で見た朝日、真っ青な空、

砂漠に沈む夕日、天空の星は期待を裏切らず美しい。

メディナ(城塞)、スーク(市場)、モスクなど、古い

ものでは紀元前に建てられたものもあるとのことで

ある。日干しレンガの家やメディナの赤茶けた色が

空の青と絶妙のコンビを組んで美しい。

130日(水)晴 

 6:38発のバスで武蔵小金井に向かい、中央線で吉祥寺に7:05到着する。吉祥寺駅北口の10番バス停から7:30に出発する成田空港行き小田急のリムジンバスで成田空港第一ターミナルビルに9:15、定刻より15分早く到着する。このバスは予約制で、人気の路線らしく38人の乗客で、ほぼ満員であった。

 先ずは10:10まで4階のグルメントでトーストやサンドのモーニングセットの朝食をする。宅急便で送っておいたスーツケースは、スーツケースに付けていたバンドが壊れていたので、新しいバンドを頂く。北ウイングのG−カウンターで搭乗券を受け取り、エールフランス航空のカウンターでカサブランカまでスーツケースを預ける。

 11:10 今回のツアー参加者35名が集合し、添乗の安藤さんから説明を聞く。セキュリティーチェックを受け、出国手続きをして11-A ゲートに向かう。

 エールフランス航空 パリ行きAF-275 便、B-777-200ER12:20にゲートを離れ、12:40に離陸した。上空に達すると飲み物が配られ、赤ワインやジュースを頂く。1時間半後には昼食で、ロシア風サラダや豚肉のクリームパスタなどを赤ワインで頂く。マダムは紅茶を注文したが、はじめは食後に、と言っていたスチュワーデスが素早く持ってきた。よくよく眺めていると、別の列では希望者には暖かい飲み物もサービスさ   れていた。

 途中でアイスクリームが配られ、後部のカウンターでカップヌードルのサービスがあり、到着前に夕食となる。日本とフランスの時差はー8時間で、現地時間の16:00頃、ローストビーフ、スモークターキー、サラダなどの夕食を赤ワインやジュース、コーヒーで頂く。食べ物はさほど美味しいとは思わないが、パンは美味しく、おかわりして赤ワインを頂く。

 パリのシャルル・ド・ゴール空港到着は17:15、気温4℃。F-33ゲートに定刻より15分ほど早い到着である。カサブランカ行きの搭乗ゲート,Eに向かう間でセキュリティーチェックがあり、男性はバンドを外して検査を受ける。乗り継ぎ便まで3時間以上の時間があり、ゲート内の売店を隅々まで見物して歩いて塩キャラメルなどを買い、Café でビールやカフェラテを飲みながら休憩する。

 CasablancaAir France 1696便、A-320型機はE-64ゲートからの出発で、21:05に離陸する。途中、ピレネー山脈とおぼしきあたりで、ワインのコップと瓶を両手に持っていないとこぼれそうな揺れがあったが、大事に至らず、配られた食事には食欲がわかず、おつまみの豆とパンで赤ワインを頂く。

 Casablanca空港到着は現地時間の23:05。パリとの間にー1時間時差があるので、約3時間のフライトであった。入国審査を受け、スーツケースを受け取り、トイレに行く人を待つ間に¥10,000706DH(ディルハム)に両替をする。

 31日の0:20迎えのバスに乗り、1:00 D’Anfa通りの Hotel Rivoli に到着する。今日は長がーい一日でした。

 

 モロッコは北アフリカの西部にあり、アルジェリア、チュニジアと

 共にマグレブ、「日の沈む国」と呼ばれています。日本の1.2倍の国土

 を持ち、人口3,300万人、首都はラバトで、最大の都市はカサブラ

 ンカ、人口367万人、次いでラバト120万人、マラケシュ、66万人、

 フェズ、50万人。ムハンマド6世による王国で、アラブ人65%

 先住民ベルベル人35%のイスラム教国である。

 

131日(木)晴 11,900

 6時に起きてスーツケースをドアの外に出し、バイキング形式の朝食をする。バスが出発するまでホテルの付近を散歩する。昨日から27日にカサブランカを出発するまでガイドのブシャイブさん、ドライバーのアブドウさん、ドライバー助手のイドレスさんが私たちの世話をしてくれる。

 9時にホテルを出発したバスは、この国に3本しか無い高速道路を首都ラバトに向かう。ラバトまで約100km1時間半で10:30 にラバトの市街に入る。

RABAT (ラバト)

王宮 10:4511:15

ラバトはモロッコの首都で、現国王ムハンマド6世が住む王宮がある。12世紀の城門をくぐると、ひろびろとした敷地に、ファズ・モスク、王立高校、首相府、王宮が、ゆったりと配されている。王宮の入口に、さまざまな服装の警備の男たちがいて、ときどき鋭い視線をこちらにむけてきた。グリーン・ベレーは空軍、グレーの上下は軍警察、ほかにも民俗衣装の儀仗兵がいて、ものものしい。

ムハンマド5世廟とハッサンの塔 11:25〜12:00

 現王朝の初代国王、ムハンマド5世は独立運動の先頭に立ち、1956年、フランスからの独立をはたした。しかし、独立5年後に死去、息子のハッサン2世が跡を継いだ。ハッサン2世は在位38年、1999年に没して、現国王にかわった。したがって、現国王は独立後3代目の王ということになる。廟の前面の広いスペースには、354本の石柱が立っている。1755年のリスボン大地震のとき崩壊したモスク跡で、端の方に高さ44mの「ハッサンの塔」が建っている。ムハンマド5世廟は、モロッコの歴史を語る建造物のなかに建てられ、モロッコ独立後の国家安定の役割を果たしている。

ウダイアのカスバとアンダルシア庭園 12:1012:40

メディナの中のグランドモスクを観て、分厚い城壁に囲まれたウダイアのカスバに入る。アンダルシア風の庭園には噴水、あずまや、遊歩道が宮殿の庭を思わせる。カスバ街の一角には青と白に塗り分けた一角がしばらく続く。カサブランカは「白い家」という意味だが、この白はアンダルシア風なんだろうか。そういえば、チュニジアでも似たような風景を見たことを思い出した。

 

ルワー門

ムワッヒド朝時代の城壁のなかでも、ほとんど昔のままの姿を残している門で、ルワートは「風」という意味である。この門の前を歩いてバスに乗り、ブーレグレグ川口のレストランに向かう。

 

Restaurant BORJEDDAR 12:4013:50

シーフード料理:魚のスープ、メルルーサのフライ、ドライカレー、プリン、ビール2本、コーヒー、水。ビールは地元の銘柄でFlag1225ml入りで、1回に2本飲む。

 ラバトから138km、途中で20分ほどトイレ休憩をし、16:20 メクネスの街に着く。

MEKNES (メクネス)16:2017:20

この街は1996年ユネスコの世界遺産に指定された古都で、17世紀から18世紀にかけてアラウィー朝の首都が置かれていた。美味しい水とぶどう、といえばワインの名産地でもある。

 

マンスール門とエディム広場 

北アフリカで最も美しく有名な門の一つで、55年かけてムーレイイスマイルとその息子によって1732年に完成した。道路を隔てたエディム広場には大きな噴水が3つあり、その周りに雑貨屋、ピーナツ売り、果物屋などがあり、水売りのおじさんがせわしなく動いている。広場の西側にある陶器屋ではタジン用の鍋や水タバコ用のパイプなどが店頭に並び、その裏には食料品のスークがあり、元気な鶏やあばら骨のついた豚肉、野菜、果物が売られていた。

 

ムーレイイスマイルの壮大な王都

マンスール門から王都のなかに入ると、噴水のある広場の周りにムーレイイスマイルの廟やモスクなどがあり、この廟はムスリム以外の人が入れる唯一の廟だそうである。

 

 メネスクからフェズ迄は60km、バスで1時間ほど走り、18:30フェズのRoyal Mirage Hotelに到着する。このホテルには今夜から2泊する。

 夕食は19:30からホテルのダイニングで1時間ほど、バイキング形式。メクネス産の赤ワインを1本。食後ホテルの前のマンスール広場にある噴水のライトアップを観に行く、大変きれいだ。マダムはホテルの売店で素敵なカフタン、Kaftanを見つけ、バブーシュ(革のサンダル)を添付してもらい、¥11,000で買う。

 

 モロッコでは王様の名前のついた道路、広場、モスク、などが多い。

 ダムや橋などにも王様の名前がついている。ハッサン、ムハンマド、

 イスマイル、イドリスなど。この国は神=アッラー、国王、国を愛

 するということで3の文字を大切にするのだそうです。

 

 

21日(金)晴 14,000歩 大雅/万里菜に絵はがきを出す(16DH

 今日は1日フェズ、Fez の観光である。今日のガイド、アラーミさんの案内で、先ずは小高い丘の上からフェズの街を一望する(8:408:55)、メディナや広大な墓地、新市街と旧市街、緑色の屋根はカラウィン・モスクである。フェズの旧市街、エル・バリは東西2.2km、南北1.2km1981年、世界遺産に指定されている。

 

王宮 9:109:35

立派な正門と広い道路、広場には美しい樹木や草花、数十本の街灯が立つ。その昔イスラムの君主、スルタンやその兵士が居住していたが、現在では国王がフェズに滞在するときに使用され、面積は342haとのことであるが、観光客は内部に入れない。ブロンズの門はオレンジで磨かれている最中だった。

 

ユダヤ人街

王宮からすぐのところにメラーと呼ばれるユダヤ人居住区がある。1階は店、2階は道路に面してテラスがあるのが特徴で、シナゴーグ(ユダヤ教会)もある。

 

ブー・ジュルード門

メディナの入り口にあるフェズ最大の門。1913に建造され、幾何学模様に彫刻され、青や緑のタイルで彩られている。よく見ると門のアーチの間からシディー・ルッザース・モスクとブー・イナニア・マドラサの2つのミナレットが見える。

 

メディナ

ブー・ジュルード門。界遺産であるあるおうちょう    、広場、モスク。。界遺産であるあるおうちょう    、広場、モスク。からメディナに入るとそこは1000年以上も前モロッコ最初のイスラム王朝、イドリス朝の都となった世界最大のメディナである。このメディナは世界遺産であり、今でも60万人の人たちが生活している。細い迷路のような道が縦横にあり、その数は2000ともいわれる。途中には水汲み場が至る所に見られた。ブロンズを加工している店で(10:001020)「悪魔の手」という5本指のネックレスなどを見せてもらう。今朝、丘の上から見た緑色の屋根のカラウィン・モスク(11:15)の前を通ったが、中には入れない。

 

タンネリ(スーク・ダッバーギーン)11:1511:35

フェズ川のほとりにあるなめし皮染色職人の働く街で、店の入り口でミントの葉をもらい、それを鼻に当てて匂いを防ぎながら店の屋上から円い染色桶の並ぶ作業場で職人たちが皮を染め付ける様子や染め付けた皮を干しているところを見物した。この屋上からはフェズ川の東にあるアンダルース・モスクが見えた。

 

 織物工場の実演や織物を見ながらレストランに向かう(11:451155)。

昼食はメディナの中のレストラン、Palais M’Nebhi12:3014:15、ビーフタジンと小皿5種、デザートとフルーツ(バナナ、オレンジ、リンゴ)。

 

ブー・イナニア・マドラサ

マドラサは学校の意味で、フェズには至る所にある。この学校は14世紀にブー・イナニア王によって建てられた神学校で、大理石を敷き詰めた中庭の周りに教室やお祈りを捧げる部屋があり、2階は宿舎として使われていた。

 

 さァリンさァリンIァリンさァリンサファリーン広場辺りの家庭でミントティーをご馳走になる。ご主人がミントティーを入れてくれ、山のような形をした砂糖を見せてくれる。台所や屋内も見物する(14:5015:30)。

 バスでホテルに向かい、途中でスーパーマーケット、ACiMAに立ち寄り、落花生と干しぶどうを買ったが、落花生は生で帰国して食べた。

 16:25 ホテルに帰り、シャワーを浴びる。夕食は19時からイタリア料理で、コーン・マッシュルームのポタージュ、豚肉、ポテトフライ、ヅッキーニ・インゲン・人参の炒め物、デザートのショートケーキを赤ワイン、コーヒーなどで頂く。

 食後、安藤さん、ブシャイブさんとマダムの4人で1階のバーでミントティーやワインを飲みながら歓談する。

 

22日(土)晴 

 出発前にマダム・ケイコは売店でバブーシュ2足を220DH で買う。

 今日はフェズから435 km、アトラス山脈のMOYEN ATLASを超えて南下し、モロッコのスイスといわれるエルフード、Erfoudに向かう。

 8:30 にホテルを出発し、周りの風景が田園風から山道になり、9:30 標高1,500m 地点のホテル・シャモニーで20分間トイレ休憩をする。トイレチップ1DH の他に飲み物を注文し、コーヒー(10DH)を飲む。トイレチップだけではトイレを使わせてもらえないらしい。周りはスキー場のようだが雪は疎らである。

 しばらくバスで行くと、アトラス杉の茂った森にだんだん雪が多くなり、外気温も2℃ほどに下がって、周りでは雪ぞりを楽しんでいた。

 11:05 ザード峠の最高地点に着く。ここは標高2,178m である。峠を下ると前方に大アトラス山脈が霞んで見える。

 昼食は12:20 から、ミデルトの町のOUR King Saidという日干しレンガで造ったカスバを思わせるレストランである。ポタージュスープ、鱒のホイル焼き、サフランライス、野菜炒め、アップルタルトを頂く。ビールは225mlFlag 2本、鱒は大変美味しかった。

 13:40 にレストランを出発したバスは左右に赤茶けた色をした土や石ころとも言えない大きな石を乗せた丘などを見ながら走り、15時にはモロッコのグランドキャニオンと呼ばれている景勝地に着く。ここで10分ほどカメラタイムをとる。

 15:45 にんは45 うでゆでとり、カスバの跡にんは45 うでゆでとり、カスバの跡にんは45 うでゆでとり、カスバの跡にんは45 うでゆでとり、カスバの跡にはエル・ラシディアの街に入り、カフェでトイレ休憩をする。ここでもトイレチップの他にミントティーなどの飲み物を飲む。バスが出発すると間もなくズイズ峡谷になり、車窓からナツメヤシのオアシスが見えた。

 17:30 エルフードのホテル・リヤド・サラム、HotelRiadSalamに到着する。間もなくサンセットの時間だと思い、ホテルの前の広場に出てみたが、太陽は既に沈み、残照がきれいだった。ホテルの横の店でターバンを買い、店のお兄ちゃんに巻き方を教えてもらう。

 夕食はホテルのレストランでバイキング形式、19:15 20:30、赤ワインとビールで頂く。長い時間山越えをして疲れていたが、お湯がぬるく、シャワーなしで寝る。

 

 

23日(日)晴 

 4時に起きてメルズーガ砂丘にサハラ砂漠の日の出を見に行く。56人ずつ4WD 車に分譲して5:30ホテルを出発し、道なき土漠を1時間ほど走る。車を降りたところが土漠の終わりで、これから25分ほど砂漠の砂を歩いて朝日の見える砂丘に到着する。半月の月と星、青い空が絵本のようだ。希望者はラクダで砂丘まで往復する。マダムは砂漠を案内するガイドに手を引いてもらい、往復20DHのチップを要求され、払う。

 日の出は7:15雲一つない澄み切った東の空に大きな太陽が出てきた。絵に描いたような美しさで、感動する。スンバラシイー。近くに居た砂漠のガイドがネズミの穴や、日の出のカメラアングルを教えてくれ、自分のカフタンを貸して記念の写真を撮ってくれた。こちらのガイドはチップを要求しなかったが、20DHあげると喜んでくれた。マダムたちは砂漠の砂を持参のビニール袋に入れて持ち帰り、お土産にするそうである。

 7:40 車のところまで降りてくる。靴の中は砂漠の砂だらけで、靴を脱いで砂を砂漠に返す。我々の車、No 2の運転手は若くてやんちゃなところがあり、リーダーにたしなめられていたが、土漠の丘に登ったり、石ころ道を曲芸のように運転したりで、自分で楽しんでいるのか、私たちを楽しませているのか、同じ風景が続いていたが、おかげで退屈しなかった。途中のベルベル人のテントでミントティー頂く。ホテル着は9:10、運転手にチップをあげ、記念の写真を撮る。

 エルフードからトドロ峡谷までは146km、そこからワルザザードまでは169km、今日の行程である。

 ホテルを出発したバスは10:50赤い土漠の広がるPlace of Relaxationの看板がある道端に止まる。道端にはテントやヤシで出来た小屋があり、道に沿ってあちこちに穴がある。その穴の上に水汲み井戸のようなものが立っている。ここは11世紀の頃造られたカナートと呼ぶ水路で地下3mほどのところに水路が出来ており、アトラス山脈の雪解け水を引いてきていたという。フダーラと呼ぶ縦穴と縦穴の間が水路になっていたことを証明するかのように若者が穴から入り、地下を通って別の穴から登ってきた。

 11:55 Café AL Mountazah でトイレ休憩。トイレチップはなし、ミントティーを飲む。バスはカスバ街道のティネリールという町からからトドラ峡谷への道を登って行き、景観の良いGuesthouse PALMERAE の辺りで眼下に見えるトドラ川のオアシスや日干しレンガの街を眺める。

 トドラ川に沿って進んで行くと道の両側に険しい断崖、絶壁が迫ってくる。

 13:10 トドラ峡谷に到着し、バス停からトドラ川を渡ってRestaurant YASUMINAで昼食(13:30 14:45)。カレー味のスープ、鶏肉とオリーブのタジン、バターライス、オレンジ。アルコール類は無し。食後、川沿いの道を歩き、そそり立つ岩盤や険しい断崖、岩山を仰ぎ見て大峡谷を堪能する。バスの運転助手のイドレス君が友人だと言って紹介した男性が、私が首から下げている万歩計を売ってくれ、という。阪急のバッジや阪神タイガースのストラップが付いていたが、買値の¥3,000で譲ったが、3,000円の現金を持っていたのには驚いた。

 レストランの先にも川沿いに峡谷が続いているようだったが、バスはここから引き返してカスバ街道に向かう。途中で岸壁をロッククライミングしている人を見かけたが、石や岩が落ちてこないのかと心配する。

 15:30 15:45 アーモンドの花が満開の農園に立ち寄る。バスはドデス川沿いのカスバ街道をドデス谷を左手に見て西に向かい、左右に今でも住居として使っているカスバやカスバの跡の残る風景を見せてくれる。

 16:40 バラの栽培とバラの香水で有名なエル・ケラア・ムグナ、El-Kelaa M’Gouna の町にさしかかり、バラの香水やアルガンオイルの店、Café des Roses で買い物タイムとなる。

 バスがワルザザートの町に入る直前、17:59 頃バスの前面に夕日が沈む光景が見え、バスがカーブを切るたびに右や左の窓越しに美しい夕景が見られた。

 今日のホテルにはアルコール類が置いてないということで、Menara Drink Store に立ち寄り(18:25 18:42)、夫々好みのビールやワインなど今夜のアルコール飲料を買う。

 丘の上に建つオテル・ファラー・アル・ジャヌブに19:00 到着し、19:15 からバイキング形式の夕食で、20:30 頃まで、買ってきた赤ワインを飲みながら歓談し、野菜をたっぷり頂く。砂漠の気候は日が落ちると、途端に寒くなり、夜中には相当冷えたようだ。しかし窓から見える星空はきれいで、空気が乾燥しているせいか、星が輝き、近くに感じられる。

 

 ムスリムには大切なものが5つあるそうで、それは水、モスク、教育、

 パン、風呂だそうである。この国でも教育は熱心で、45歳はモスク

 で2年間、小学校6年間、中学・高校3年ずつ、大学4年間という

 教育システムである。モスクには教室が必ずあり、村々には小規模な

 学校が点在している。学校の遠い子供たちには先生が移動して巡回教

 室を実施している。スポーツは陸上とサッカーが盛んだ。

 

24日(月)晴 

 ワルザザード(Ouarzazate )の市街や近郊には映画のスタジオが点在し、モロッコのハリウッドとも言われている。中にはカスバが映画のスタジオになったところもある。

 バスはホテルを8:20 に出発して、タウリルトのカスバ8:25 8:35 、ティフルトゥートのカスバ8:50 9:05 、ユダヤ人が建てたと言われるメディナ9:25 ~9:35 を見物する。どちらのカスバも有名な映画のロケに使われた所とのことである。

 土漠の中のCafé Riad Maktoub でチップ1DH 払ってトイレ休憩する。

 ワルザザードの西、33kmにある世界遺産、アイト・ベン・ハッドゥは日干しレンガ造りの要塞化された一つの村で、クサルと呼ばれている。10時から11時半まで見物する。小川に置いてある土嚢の上を落ちないようにバランスをとって渡ると、丘の斜面を利用して建てられた日干しレンガの要塞があり、大きな門と高い城壁が巡らされている。銃眼の跡が見える塔が何本も等間隔で聳え、中に入ると迷路が縦横に走っている。丘の頂上に登ると360度の眺めで、土漠やオアシス、カスバ、山脈などモロッコが凝縮した風景だ。この世界遺産には今でも56家族が生活しているそうで、そんな中の一軒で家の中を見せてもらい、ミントティーをご馳走になる。厚さが1mはあるといわれる日干しレンガのせいか、家の中は涼しい。

 驚いたことに1987年に世界遺産になって以来、現在まで入場料は無料とのことである。ここも「アラビアのロレンス」などの映画のロケに使われたそうである。

 11:30 12:45 アグーイム(Agouim)の町のレストラン・マクトウブ、Riad Maktoubで昼食。タマネギ・ポテト・人参・ピーマン・コーンのサラダ、ベルベル風オムレツ、牛肉の串焼き、パン、プリンなど。ビールは無し。

  これからアトラス越えとなる。バスは曲がりくねった山道を登って行く。左右の車窓から雪を冠った遠くの山や眼下の畑などと共に岩塩が流れて出来た塩湖のような白いところが見える。山が緑に見えるところはマンガンを含んだ土壌のせいだそうだ。そういえばモロッコは世界一の埋蔵量を誇る燐鉱石の産地で、日本にも輸出されているそうである。日本への輸出品のトップは蛸で、2番目が燐鉱石、日本からの輸入品は自動車、機械の順だそうである。残念ながら「モロッコインゲン」はお目にかからなかった。

 1,760m付近の土産物屋で13:50 から15分ほどトイレ休憩をする。こんな山の中で、人家も見えないのにどこからともなく人が集まってきて土産物を売りつける。アメジストの鉱石や陶器、飾り物、革製品など、驚いたことに化石だ、といって持っていた物もあった。

 オートアトラス越えの最高地点はティジン・ティシュカで、標高2,260m地点である。14:25 からしばらくカメラタイムでバスから降り、高山の雄大な景色や思わず訪れたくなるような麓の小さな村々、オアシスなどほっとするような田園風景を堪能する。

 タデルトの村まで下りてくると日干しレンガの家並みやベルベル人の村が山肌に張り付くように現れる。段々畑の一角に赤い実をつけたサボテンが垣根代わりや畑の区画となっている。15:35 から20分ほどトイレ休憩をする。

 道が広くなったせいかバスの速度が増し、周りの田園風景が後ろの方に飛んで行く。塀の中の果樹や並木道の樹木がだんだん多くなって、マラケシュの町に入り、ムハンマド6世通りとメナラ通りの角にあるロイヤル・ミラージュ・マラケシュホテルに17:15 到着する。このホテルには今夜から2連泊する。

 夕食は郊外のレストランで、食後ファンタジーショー見物する。ホテルからバスで30分ほど、暗闇の中に突然チェズアリ・レストランの標識が見えてくる。20時から1時間ほど、テント張りのレストラン・ドゥ・フルクローレでいろいろな地域の民族踊りを見ながら夕食をする。カレー味のスープ、卵と肉団子のタジン、クスクス、クッキー、ミントティーと赤ワイン。

 食事の後、9時半から1時間ほど、屋外の広場で優雅にラクダが闊歩したり、馬に乗った戦士の戦争ごっこやベリーダンスの踊り、最後はキャラバンに扮した男たちが銃をぶっ放して終わりとなる。

 12時ホテルに帰る。

 

 モロッコでの両替は日本円、米ドル、ユーロなどディルハムDH

両替できる。トラベラーズチェック(T / C はホテルでは使えない

ところが多い。使えてもT / Cチテのような麓の小さな村々、オアシスやチテのような麓の小さな村々、オアシスやチェック、パスポートとの照合など交換に時間がかかる。

 アルコールはホテル、レストランでは高い。ビール225ml瓶入りが3040DH(450~600)350ml缶換算で670900円。

 ワインはフルボトルが120150 DH 18002200円)。ワインはスーパーで買うと40DH600円)ほど。

 

25日(火)晴 

 出発までの間、ホテルの前を通っているムハンマド6世通りを見物する。数km先まで延々と広い直線道路が続いている。

 マラケシュはフェズに次いでモロッコで2番目に古い街である。赤茶けた日干しレンガの旧市街は1985年にユネスコの世界遺産に指定された。ホテルを9時に出発する。今日のガイドはマジールさん、日本語でガイドをする。

 

メナラ庭園 9:059:30

 12世紀のムワッヒド朝時代に造られた。地の果てまで続くと思われるオリーブの木が100haにわたって植えられている。中央には貯水池があり、アトラス山脈を背景にした池が美しい。

 

クトゥビア 9:3510:00

メディナの西に聳えるクトゥビアは高さ77mで、マラケシュのシンボルと言われ、4面がそれぞれ異なる装飾を持つムーア様式の建築である。セルビアのヒラルダの塔97m、ラバトのハッサンの塔44mなどと共に世界で最も美しいミナレットと言われている。

 

サアード朝の墳墓群 10:0510:25

 アル・マンスール・モスク(カスバ寺院)から細い道を入ると1617世紀サアード朝時代の王がまつられている大噴墓廟があり、最も荘厳な雰囲気を持ち、モザイクタイルの壁面と12本のイタリア産大理石でできた「12円柱の間」にはサアード朝の黄金王アフメド・アル・マンスールの墓がある。

 

バイア宮殿 10:5011:35

 大邸宅の周囲に広大な庭園を巡らし、その周りに4人の妃とその側女たちの部屋、息子たちの勉強部屋とお祈りの部屋がある。宮殿内は細かく美しい装飾で彩られている。

 

 シルバーの民芸品店Les Perles du Sudを見物してホテルに帰り、12:3013:20バイキング形式の昼食をする。

 

ジャマ・エル・フナ広場 Place Djemaa Fna  15:0016:50 

  メディナのヘソともマラケシュのヘソともいわれ、何でも揃っている感じで、屋台や大道芸人、観光客でごった返している。広場から南西の方角にマラケシュのシンボル、クトゥビアKoutoubiaが見える。広場の東から南にかけて細い迷路のような道が縦横にあり、その両側に食べ物屋、土産物屋、雑貨屋、鍛冶屋、修理屋などの店が軒を連ねている。

一度迷ったら出口を見つけるのが難しそうだ。広場の屋台でお土産にナツメヤシ(1kg 45DH)とイチジク(1kg 60DH)を買う。 

 

 フナ広場の駐車場から4人乗りの観光馬車に乗り、揺られながら1時間ほど市内観光をしてホテルに帰る。 

 夕食はホテルのレストランで19:30からバイキング形式。今日古希の誕生日を迎える人がいたのでツアー会社でケーキを用意し皆で祝福する。これでこのツアーの期間中、誕生祝いを2回することとなる。

 食後希望者12名がバーで、ワインやミントティーを飲みながら安藤さん、ブシャイブさんを囲んで感謝&お別れの会をした。ブシャイブさんは35歳の独身。日本語が堪能で、日本語で冗談やだじゃれを言えるほどである。日本の文化や地理にも詳しく日本通である。得意な言葉は「スンバラシー」。

 50代とおぼしき若い人たちは、その後フナ広場に繰り出したらしい。

 

 モロッコの街ではメディナやカスバの塀や高い木の上でコウノトリ

 をよく見かけた。群れをなして空を飛んでいるのも何回か目にした。

 南の砂漠では見なかったが、カサブランカ、ラバト、フェズ、マラ

 ケシュなど、どの街でも見かけ、マラケシュでは観光馬車をミラレ

 ットの上から見下ろしていた。

 

26日(水)晴

 今日は列車でカサブランカに移動することになり、スーツケースや手荷物はバスで運んでもらい、身の回りのものだけを持ってミニバスに乗り、10分ほどでマラケシュ駅に着く。

 私たちの乗る列車は9時発のカサブランカ・エキスプレス、フェズ行きの1等車。この列車には1等車が最後尾に2両接続されており、コンパートメントタイプで、座席はソフトなふかふかなシートで、13人ずつが向かい合って座る。2等車は片側4人掛けで、レザー製の硬いシートで、1等車との間は出発すると間もなく鍵がかかり、通行できなくなった。2等車に行っていたケイコマダムは取り残されて、車掌さんに鍵を開けてもらって戻ってきた。

 マラケシュの駅の案内板には9時発の列車が4本表示されていたが、この駅から出発するのはこのエキスプレスのみで、残りの3本は途中の駅やフェズからの乗り継ぎ列車のものであった。ちなみにこの駅から次の発車は11時発のフェズ行である。

 列車が出発すると車窓からは赤茶けた土が目立ちましたが、そのうち緑の畑や黄色い花、オレンジ、サボテン畑などに代わり、羊や牛などがのんびりと草を食べている。遠くには雪を冠った山並みが見える。車内販売があり、2人のマダムはコーヒーを安藤さんにご馳走になる。

 途中の駅で7回ほど停車したが、1等車では乗降客も無く、隣の線路や空き地のようなプラットホームでは人々が座り込んで食べたり、飲んだり、しゃべったりとのんびりとした空間である。

 カサブランカに近づくと家々が見え始め、それがだんだん密になり、高層になってきた。カサブランカ・オアシス駅到着は12:23、駅前で待っていたバスでレストランに向かう。

 昼食は13時から14時半まで、レストラン・ビラ・ローマ Villa Roma で、スープ、シーフードフライ(エビ、イカ、カレイ、)、フルーツポンチを赤ワイン、ミルクティーで頂く。

 

カサブランカ市内観光(ガイドはカメルさん)

 

ハッサン2世モスク 14:4015:15

大西洋に面した9ha の敷地に1986年から8年がかりで19938月に完成した。モロッコ最大のモスクで、高さは200mで世界最大級の高さを誇る。ベージュにグリーンの緻密な彫り模様が施され、ミナレットの上の3つの玉は現世、来世、神の世を表していると言われる。ガイドのカメルさんは「だんご3兄弟」と言って笑わせる。

夜はライトアップされて煌々と輝き、私たちのホテルからもよく見えた。

 

旧メディナ 3:25〜 国連広場 〜16:15

古い城壁で囲まれており、メディナの北側は住宅地になっているので、南のスークは地元の商店街と言った感じである。

  時計台のところからメディナを出て、車の往来の激しい4辻を渡ると国連広場で、独特のモニュメントがあり、周りは高層ビル街である。

広場の向かい側にある土産物屋で魔除けの「悪魔の手」を買う。

 

ムハンマド5世広場 16:15 ~16:30

 国連広場からハッサン2世通りを南に500m。市庁舎、裁判所、郵便局、シティーホールなどが周りを取り囲むように建っており、形を変えながら噴出する噴水に見とれる。

 

 今夜はカサブランカの中心街にあるホテルに宿泊する予定だったが、オーバーブッキングにより大西洋に面したリゾートホテル メリア・リヤド・サラムに変更になる。この変更によりツアー会社は違約金を支払うことになり、帰国後ツアー代金の5+αが返金された。

 16:45ホテルに到着する。6時頃部屋の前の広場から見えた、ビルに沈む夕日がきれいだった。夕食は7時半から920分まで、ホテルのレストランでナツメヤシ、スープ、タジン(鶏、イモ、人参、オリーブ)、タースキーナというミルクケーキ。生バンドとベルベルダンスを楽しみながら頂く。9名で卓を囲み、話が弾む。千葉の上条さんからワインをご馳走になる。

 食後部屋の前の広場から昼間見たハッサン2世モスクのミナレットがライトアップされてきれいに見えた。

 

27日(木)晴

 4時に起きて準備をし、リンゴ、みかん、オレンジなどの残り物を食べる。ロビーで朝食の弁当を頂き、2個はドライバーと助手さんに差し上げる。

 ホテル出発は5:15、カサブランカ空港着は5:55。搭乗手続きをし、ガイドのブシャイブさんとここでお別れする。

 カサブランカ発パリ行き AF-1697便、A-320型機はT-2ポートの

22 Gateから8:10に飛び立ち、パリのシャルル・ド・ゴール空港のE-29Gateに現地時間の11:40に到着した。朝食はパスして良く眠った。

 日本への出国便の出るFポートまでの間でセキュリティー検査を受ける。パリ発成田行きAF-276便はF-45Gateから13:10に出発した。離陸して2時間半ほどして食事が配られたが、チキンは品切れで、嫌いな甘酢あん掛けのみだったのでパスし、赤ワインとパンの食事となる。

 北極圏あたりで遠くの下方にオーロラが見えたそうであるが、眠っていて気がつかなかった。到着の1時間半ほど前にカステラ、チーズ/ハム、フルーツポンチ、オレンジジュース、ヨーグルトの朝食が出された。成田空港第一ターミナル北ウイング到着は9時。スーツケースをQLライナーで

イナーa

イナーa託送する。

 所沢行西武バスは10:50の出発で、偶然にも所沢に帰る安藤さんも同じバスだった。所沢到着は13:15、西武電車とバスを乗り継いで210分に帰宅する。


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