大連・錦州の旅

2007.5.245.29

    

 アカシア祭りの大連と錦州を旅しました。

大連は高層のビルが建ち並び、近代的な街でしたが、アカシアの花は街中では時期を過ぎて殆ど見られません。郊外では盛りでした。白い花だけではなく、紫色をしたアカシアの花も初めて見ました。

 錦州はマダムの家族が戦前住んでいた街で、渤海の遼東湾にあり、大連からバスで5時間程です。戦前から「ラマ塔」と呼ばれる8角13層の仏教の塔があり、日本からも錦州ゆかりの人達の募金などで改修されたそうです。昔は市内のどこからでもこの塔が見えたそうですが、高層の建物が増えて来た現在ではそうはいきません。

 今回はマダムのお姉さんと3人旅で、大連海事大学で教鞭をとっている張さんに案内してもらいました。

 

5月24日(木)東京−晴 大連−晴 9,200歩

 4:55タクシーで国分寺に向かい、国分寺発5:07の中央線普通電車に乗る。新宿到着は5:40、4番線から6:07発の成田エクスプレス1号に乗車し、成田空港第二ターミナルビルに7:25到着する。

 Hカウンターで航空券を受け取り、Mカウンターで搭乗手続きをする。4階北口にあるJCBラウンジでしばらく休憩する。このラウンジでは1人に1缶の缶ビールがサービスされるので、ポチはアサヒの缶ビールを、マダム達はコーヒーや紅茶で寛ぐ。北口のセキュリティーチェックを経て、出国審査を受け、北端の76ゲートまで延々と続く動く歩道を歩く。

 日本航空JL797便は10:05に離陸し、現地時間の11:28に大連の周水子国際空港に到着した。日本と中国の時差は−1時間、2時間20分余のフライトであった。大連地方は気象状況が不安定とのことで、食事は急いで出された。機内食は日本的で、みそ汁のサービスもあった。大連上空にさしかかる頃には、シートベルト着用やトイレ禁止のアナウンスがあり、かなり揺れた。

 到着待合室にはガイドの荘さんが迎えに来てくれていて、大連駅前のラマダホテル(大連九州華美達大酒店)に案内して下さった。荘さんは31才、美人で、ガイドを始めて間もないとのことである。

 大連火車站(駅)周辺は交通の要衝で、鉄道の大連駅、路面電車の大連駅、市内バスターミナル、遠距離バスの発着所などがあり、賑やかである。火車站の周辺では船票と呼ばれる大連港から出航する船便の切符も販売されており、文字通り交通の中心である。

駅前の地下街は迷路のように四方八方に発達しており、一旦入ると出口を見付けるのに苦労する。

 ホテルから大連火車站を目指して車の行き交う道路を命がけで渡る。大連の道路は何所でも同じで、横断するタイミングが難しい。先ずは地元の人に付いて渡る。駅前の雑貨屋でサクランボなど果物を買い求める。サクランボは1kgが15元、240円程であり、味、色艶なども日本産と変わらない。

 4時に約束していた張さんとロビーで会い、大連の街を案内してもらう。先ずはホテルの前の道を中山路まで歩き、友好広場を経て中山広場に向かう。中山広場の辺りには旧大和館など、懐かしい日本の建物がそのままの姿で残されており、建物ごとに日本時代の名残をとどめる名称や謂れが記されている。

 中山広場からタクシーで夕食のレストラン、現代時尚に向かう。この店では料理の見本が店内に並べられ、水槽には魚介類がある。客はこれらの食材を見ながら料理を注文する。私達が食事をした大半の店は同じシステムであった。

 今回の旅では大連の新鮮な魚介類を味わうことも目的の一つなので、先ずはアワビの姿煮を注文する。当地では姿煮の横に白いご飯があるセットが定番のようである。この店では無料の暖かい豆乳がお代わり自由である。上着を椅子の背に掛けると、直ぐウエイトレスがカバーをかけてくれた。埃除けかと思ったが、そうではなく盗難防止の為だそうである。アワビの他に茹でたシャコ、海老フライ、キノコの唐揚げ、野菜サラダなどを大連製の黒獅ビール、豆乳で頂き、満足である。

 

5月25日(金)晴 8,200歩

 7時からホテルのレストランでバイキング形式の朝食をする。料理の種類も多いが、ウエイター/ウエイトレスの人数も多く、コーヒーを注いでくれるのも食べ終わった皿を片付けるのも待ち構えていたように早い。見渡すと日本の団体客も何組か居たようだ。

 今日はチャーターしておいた車で大連市内と旅順を見物する予定である。昨日空港に迎えに来てくれたガイドの荘さんが、9時丁度にロビーに迎えに来てくれた。車と運転手も昨日と同じである。

 ホテルから東の海岸公園、東海公園に20分程で到着する。この公園は朝日が美しいことで有名である。450haの敷地の中に1.2kmにも及ぶ海岸線や遊戯施設があり、園内を車で見物する。園内には至る所に海に住む生き物が置かれたり、岩壁に張られたりしている。旧い帆船があったり、アカシアの花が咲いていたりで、見物するのに事欠かないようにできている。車で自然に下っているのに上っている感覚になる不思議な道路もある。

 老虎灘から解放路を通って大連市の西南に位置する星海公園に向かい、10:15に到着する。この公園は約1世紀前に日本人が渤海湾を望む海浜公園として建設したもので、美しい海岸線や遊園地があり、人力車で見物出来る。開園100周年の記念として造った1,000人の足跡やコンクリートでできた宏大なスロープがあり、このスロープを上ったが、初めは楽ちんだったけれど上に行くにつれてきつくなり、その場所に座り込んで留まるのに必死で、頂上を後数歩残して断念する。

 大連市の中心部に戻って、労働公園に10:50到着する。この公園も星海公園と同様に広い。大連には至る所にこのような広い公園や広場があり、市民の憩いの場となっている。公園に入ると四阿があり、そこでお年寄り達が二胡に合わせて歌を歌っていた。歌い手はかなりのお年寄りの婦人と見受けられたが、背筋を伸ばして張りのある声は若々しい。園内には花壇や噴水、アトラクション、サッカーボールのモニュメントがあり、老若男女が楽しめるようになっている。公園内のテレビ塔を見上げる道の両脇に干支の動物のモニュメントがあり、夫々自分の干支と記念撮影をする。

 昼食は飲茶をと、ガイドさんの案内してくれたレストラン、凱菜大酒店で11:25から1時間程食事をする。大連では飲茶の習慣が無いのか飲茶と思いきや、コース料理であった。私の発音がまずかったのか、ガイドの聞き違えか。レストランは高級で、ナプキンも皿に立ててあり、珍しいので写真に撮る。青梗菜、苦菊菜とニンニクのたれ、キクラゲ・キュウリ・人参のサラダ、チャーハン、豚あばら肉の柔らか煮、肉と野菜のライスペーパー包み、お粥、肉まん/餡饅、スイカ・ミニトマトのフルーツをビール、烏龍茶で頂く。

 午後は旅順観光をする。大連海事大学の前を通ってアカシアの美しい景観を楽しみながら、1時間程すると、13:40 東鶏冠景区に到着する。入場料1人20元を払って、1900年代のロシアの砲台、トーチカ、記念碑など、日露戦争の激戦地を見物する。

 水師営会見所跡は茅葺きの平屋で、1905年1月5日に日本とロシアの司令官が会見を行った時の写真や遺留品が展示されており、建物は文化財として保護されているとのことである(入場料40元)。

 日露戦争の激戦地で知られる203高地は標高203mであることから名付けられたが、駐車場から15分程緩やかな登り坂を上る。大砲や銃で造られた慰霊碑のある展望所からの景観は奇麗だ。この地区は公園になっており辺りを散策出来るようになっている(入場料30元)。

 旅順では一般の観光が制限されているとのことで、ガイド付きで、上記3カ所が観光スポットとして解放されている。

 16:25旅順から大連市内に戻り、夕食まで時間があるので黒石礁湾にある大連自然博物館を見物する。見物料は無料で、恐竜の模型や化石、大連郊外で発掘されるメノウ、水晶などを館員が説明してくれる。親切だなあ、と思ったら、展示販売品のある部屋で家具や陶器等高級品を薦められた。同じような経験を上海でもしていたし、ガイドと運転手は私達から遠ざけられていて、変だなと思ったので、お茶を薦められたが、早々に引き上げる。

 夕食は鍋料理をと、ガイド、運転手を誘ってオリンピック広場の前にある北京東順来で17:30から19:40まで。この店は操業100年以上の歴史を誇る、健康をテーマにした北京料理のレストランである。火鍋用の鍋は九谷焼のような焼物の陶器で、漢方を使った独特の香りのするスープに羊肉、豚肉、イカ等の海の幸、野菜をしゃぶしゃぶで頂く。北京ダックの店ということで、北京ダックも注文する。フルーツはスイカ、サクランボ、ブドウ、ドラゴンフルーツで、勿論大連ビールも頂く。

 食後、ガイドの荘さんが大連一の高さを誇る世界貿易大厦の展望台に案内してくれた。57階、地上250mの展望台から大連市街の夜景や中山広場ライトアップ、アカシアの花をイメージした街路灯など美しい景観にしばらく見とれる。

 ホテル到着は20:30、今日の走行距離は170Kmとのこと、お土産として荘さんに頼んでおいた大連名物のリンゴチョコを受け取り、一日のツアーが終了する。

 

5月26日(土)晴 7,900歩

 8:30張さんとロビーで待ち合わせ、錦州行きの打ち合わせをする。9:30発のバスは満席で10:30のバスになり、時間の余裕があるので、部屋でおしゃべりをする。

 ホテルから眼下に見える駅前の長距離バス乗り場で10:15からバスを待つ。大連から錦州に行く直行バスは虎快客と車体に書かれた大型バスで、トイレ付き。途中でトイレ休憩10分し、大連錦州を5時間弱で結ぶ。席は切符を買ったとき決まっており、私達は一番前の席で、景色がよく見えた。ペットボトルに入った飲料用の水のサービスがあり、何故か往きは一人98.50元で、帰りは99.50元である。

 10:30に出発したバスは大連市街を抜けるまでのろのろ運転であったが、郊外の金州隧道辺りの工事で渋滞した後、トンネルを抜けると高速道路を順調に走り出した。窓外の景色はアカシアの花、紫色のアカシアの花(これは初めて見る)、柳、ポプラとバスが進むに連れて代わり、やがて田植え真っ盛りの田圃となる。見渡す限りの田圃の風景から世界遺産といわれる湿地帯の緑が一面に広がる。菜の花に似た黄色い花や野菜畑が集落ごとに点在し、うとうとしているとトイレ休憩である。

 13:15から10分間河(ドライブイン)でトイレ休憩をする。休憩所は食堂、土産物、飲物、菓子等の食べ物を売っている売店、給油所とトイレ。緑豆のアイスで喉を潤す。

 金州市内で2カ所程停車して数名の客を降ろし、15:00に終点のバスターミナルに到着する。前売り券売り場で明日の帰りの切符を買い求める。最も早い便で16時発があった。これで帰ると大連着は10時頃になるので、明朝当日売りの切符に買い替えるつもりである。

  バスターミナルに停まっていたタクシーの運転手にホテルを紹介してもらい、15:35金城館に到着する。驚いたことに当地の習慣らしく、部屋を見せてもらい、料金を交渉する。私達の2部屋はいずれも2階である。私達の部屋は普通のツインルームだったが、部屋の入口に麻雀卓のある部屋もあり、バスタブのある部屋は無かった。

 ホテルの前が解放路で東に3ブロック程行くと、中央大街の通りである。そこから5ブロック程で錦州火車站(駅)である。

  今回錦州を訪れた目的は、マダムと義姉が戦前住んでいた家の辺りと学校がどうなっているか、確かめることである。錦州火車站の南側にあった家は跡形も無く、工事中で、塀ができており、その中を窺うこともできない。上海路にあった小学校や女学校、寮のあった辺りは、新しい中学校や公園になっていた。60年以上経っているので、二人の記憶も定かでないそうだが、以上のような結論になったらしい。

 今日の夕食は云飛街二段、加油站の向かい側にある渤海湾漁港で、17:20から19時まで海の幸の中華風味をHARUBINビールの超爽味で頂く。

メニュー:前菜(ピーナッツ、シシトウ炒め、切り干し大根煮、ハム)、トウモロコシのパンケーキ風、ニラの包み焼き、カキの卵とじ、菜の花菜のゴマ油炒め、棒貝と春雨の蒸し物、蛤のトーフスープ、包公魚の蒸し煮。隣のテーブルで食べていたキュウリ1本丸かじり。

 19時から1時間程、解放路の南側商店街の夜市を見物する。雑多な日用品や装飾品、果物、飲物、などの屋台が並ぶ中、屋台の店先に並ぶ肉や魚等好みの物を選んで、焼いたり炒めたり好みの調理法で調理してもらって食べていた。錦州では何でも焼いて食べるのが一般的だそうで、店先のガス台の上の中華鍋から火を噴き上げながら料理のパフォーマンスを見せていた。マダムはビーズ細工の小物やストラップを買い求め、ポチはホテルの前の果物屋でアンズ、スモモ、梅のように青いアンズ等を買う。

 20時半から1時間程部屋でお茶を飲みながら、買って来た果物や持って来たお菓子を食べながらおしゃべりをする。

 

5月27日(日)錦州−晴(27〜17℃)大連−曇(23〜16℃)10,200歩

 6:50からホテルの付近を散歩する。日曜日のせいか人通りは疎らで、自転車や車も少ない。解放路の花屋さんの前では結婚式用の車に花やリボンの飾りをしていた。午前中街を見物しているとあちこちで爆竹が鳴らされ、ホテルの前で新郎、新婦を見かけた。今日はお日柄がいいのだろう。

 7:30からホテルの2階の食堂でバイキング形式の朝食をする。暖かい豆乳や冷たい飲物はあるが、コーヒー、紅茶は無く、ウエイトレスに頼んでお茶を入れてもらう。

 8:30一部屋当たり200元払ってホテルをチェックアウトする。ホテルの前で客待ちをしているタクシーでバスターミナルに向かい、払い戻し料一人当たり10元を払ってバスの乗車券を払い戻し、11時発の乗車券を購入する。

 タクシーで二人のマダムが是非見たいと言う旧市街のシンボルと言うべきラマ塔、現在では古塔に向かい、見物する。戦前は高い建物が無かったので錦州の何所からでも見えたと言うこの塔は当時住んでいた日本人等の寄付により修復された8角13層の仏教の塔である。

 現在では古塔歴史文化公園と呼ばれているこの地区にはラマ塔の他、歴史博物館が併設され、土塀に囲まれた仏教寺院、広済寺の歴史的建物や記念館と共に文化遺産になっている。

 9:30から10:10まで、タクシーで市内観光をする。古塔から南京路、小凌河南大橋、酒工場群、市政府、渤海大学、中央南街、中央大街、人民街、旧市街の城壁跡等を車窓から見物し、中央大街二段の上島珈琲店の前で下車する。

 上島珈琲店でコーヒーや紅茶、アイスクリーム等で喉を潤し、トイレを済ませてバスに乗る準備をし、道路が混んでいたせいもあって11時ぎりぎりにバスターミナルに到着する。

 11時発の大連行き直行バスは満員の乗客である。往路と同じドライブインで10分間トイレ休憩をしたのみで、大連站前のバスターミナルに15:40到着した。ドライブインでは8種類の豆のお粥アイスを1元で買い、初めての味であった。

 ホテルに荷物を置いて、タクシーで大連港に近い、港湾街にある満州料理の専門店、大清花餃子に向かい、16時から1時間半程昼食兼夕食の食事をする。この店は餃子の種類が多く、選ぶのに苦労する。

 アワビの姿煮、蛤のトーフスープ、カボチャの唐揚げ、水餃子3種類(豚肉とニラ、人参と野菜、干しエビとキクラゲ)、ビールは青島ビール。餃子は1皿15個あって、8元前後であった。

 タクシーで労働公園の近くにあるデパート、太平洋百貨に行き、1階の化粧品売り場等を見物し、地下のスーパーマーケットでおこしや山査子、ナツメなどのお菓子を買い求める。デパートの前は広場になっていて、舞台上では若者が演奏しており、雑多な屋台が建ち並ぶ。労働公園の前のスイスホテルから太平洋百貨を経て大連站まで、地下の商店街がつながっており、地上に出たらラマダホテルの前だった。ホテル到着は18:30、しばらく部屋で休憩する。

 暗くなった20時頃、2Fのラウンジでワイン、カプチーノ、レモンティーを飲みながら夜景を楽しむ。21:30になっても街が賑やかなので、ホテルの横、天津街の屋台や夜店を見物する。

 

5月28日(月)曇 大連23〜16℃ 9,900歩

 7:30から朝食をする。朝食では毎日欠かさず、スイカと卵料理を食べる。卵料理の種類はオムレツ、目玉焼き、ゆで卵、烏龍茶で煮た卵で、前の二つは目の前で調理してくれる。

 今日は大連海事大学の学生さんが大連市内を案内してくれる。10時にロビーで案内してくれる常さんと待ち合わせる。常さんは24才、背が高くなかなかの美人である。

 ホテルの前に駐車していたタクシーでロシア風情街に向かい、10:10から30分程見物する。500m程の通りの両側にロシア語の看板を掛けた建物が点在し、その前で土産物を売っている。殆ど韓国系らしく、ハングル文字も見える。

 旧満鉄本社跡は建物やマンホールもそのまま残っているとのことで、見るからに頑丈で、貫禄がある。

 林街と呼ばれる新しく造られた日本風の家が建ち並ぶ500m程の街路には日本風な置物や飾り付けがしてあった。日本語のポスター等もあったが、いずれも取って付けたような感じである。

 11:20義姉のスーツケース用の鍵を探してデパートやスーパーマーケットを探し歩き、数軒目でやっと見付ける。この国では鍵を使う習慣が無いのかと思っていたら、次の朝ホテル横の天津街の1元ショップに1個1元で売っていた。ちなみにデパートで買ったのは50元である。

 12時から20分程大連港を見物する。貨物船や小型船、警備艇等沢山の舟が繋がれていたが、広い桟橋や待合室には人影が少なく、閑散としている。大連港を見渡せる展望台は無いかと聞いてみたら階段の踊り場を教えてくれた。軍事上あるいは警備上の理由でそうなっているのか、希望する観光客が居ないのか。

 昼食は昨日の店、大清花餃子が大連港のすぐ近くにあるとのことで、昨日食べてない種類の餃子等を食べることにする。12:20から2種類の水餃子(エビとニラ、シメジの炒め物)、3種類の焼き餃子セット(エビとピーマン、ニラと卵、冬瓜とエビ、キクラゲ)、イカの煮付け、もやしとエビ、イカの炒め物、サービスのトーフのあんかけ、今日は大連ビール。

 タクシーで老虎灘海洋公園に向かい、13:50到着する。遊覧船に25分程乗り、海上から大連の東側海岸線を見物する。

 丘の上にそびえ立つテレビタワーには労働公園からリフトがあるが、タクシーが拾えないとのことで、タクシーに待ってもらい、280mの展望ラウンジから大連市内を一望する。

 日本人の住んでいた日本人街が残っている街並を見物する。今にも崩れそうな家や、人が住んでいられるかと思われる木造の家が残っていた。戦後何回も修理しながら住んでいたらしいが、オリンピックを機に取り壊されるとのことである。そのせいで、午前中に見物した林街と呼ばれる新しい日本風の街を造ったのだろうか。

 16:10大連海事大学に到着する。我々乗客は誰何されなかったが、タクシーの運転手は身分証を門衛に預けて構内に入る。構内は広く,きれいで現代的な校舎や研究棟、学生寮が建ち並ぶ。ここで常さんと別れ、張さんの案内で構内の入口当たりを見物する。

 夕食は学校の近くのモールにある原味斎で、ここは張さんが知っている北京料理の店である。ビッグな肉団子のあんかけ、小白菜の牛乳煮込みスープ、アヒル・椎茸・ピーマン・筍の炒め物、キクラゲ・青菜・小麦粉団子のスープ、里芋とナツメの大学芋風、餡入りマシュマロの揚げ饅頭を、大連ビールや烏龍茶で頂く(17:00〜19:45)。

 食後、タクシーの中から星海公園の夜景を見物し、張さんを自宅まで送る。自宅の前で待っていた張さんのお母さんと3年振りに再会し、以前より元気な姿を拝見する。ホテル着21時。

 

5月29日(火)大連−晴 23〜16℃ 10,100歩

 6:15起床、7時から1時間程労働公園を散歩する。公園では沢山のグループが思い思いに朝の体操や太極拳等をしており、昼間より賑やかである。道路の横断が大変なので、地下街を通ってホテルまで帰って来たが、一旦地下に入るとそこは迷路のようで,出口が分からず地上に出るのに苦労する。

 8時から最後の朝食をし、9時からホテル横の天津街の露天店を覗いて歩く。この時間でも殆どの店が営業しており、総ての商品が1元のいわゆる「一元店」で鍵やストラップ等の買物をする。靴屋では白いサンダルを見付け、指が割れて後の紐が付いている、かねてから探していたタイプだったので、50元で買い求める。

 11時ロビーで迎えに来たガイドの荘さんと会い、周水子国際空港に向かう。空港着は11:35、間もなく始まった手荷物検査を受けて搭乗手続きをし、出国審査を経て出国ロビーに入る。

 大連発、定刻13:00 JL-798便は13:10に離陸し、成田空港に16:35到着した。1時間の時差を差し引くと、2時間25分のフライトであった。13:40頃には日本風の機内食があり、アナゴ飯、煮しめ,エビの佃煮、サラダ、フルーツ等の定番の他、今日もみそ汁付きである。

 空港第二ビル発17:17の成田エクスプレス34号で、新宿に18:41到着。中央線と京王バスを乗り継いで19:40帰宅する。


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