バンコックの旅

2006.1.171.22

    

 厳寒の東京を逃れて、常夏の街Bangkok出かけました。Bangkokでは1年が夏と真夏ですが、この時期は夏で、比較的涼しい季節だそうです。Bangkokの街は交通渋滞が日常的で、街中自動車、三輪車、オートバイ、バイクなどで溢れていました。

 街の至る所にある寺院はいずれも立派で、競い合うように施された華美な装飾に眼を奪われました。


117日(火)晴 5,100

 1230に家を出て、45分の京王バスで武蔵小金井駅に向かい、小金井駅から1306発のJR中央線で神田へ、そこで山手線内回りで上野に向かう。京成上野から1420発の特急電車で、1530成田空港第二ターミナルビルに到着する。

 カウンターIで搭乗券を受け取り、カウンターMで搭乗手続きをする。1615からレストラン街の謝門殿で、初めて食べる<黒豆ココナッツ汁粉>を食べ、ニラ饅頭や温野菜で生ビールを頂く。

 出国手続きをして、A64ゲートに向かう。日本航空JL-707便はジャルウエイズJO-707便とアメリカン航空AA-5834の共同運行便で、定刻1845より1時間程遅れ、1945に離陸した。

 21時頃夕食で、カレー味のソース&白身魚のフライをマダムが、牛肉の肉じゃが風をポチが選び、中華春雨&シーフードサラダ、生野菜、アップルミルクゼリーは大変美味しく、赤ワインで残さず頂いた。着陸前にジュースとアイスが配られ、定刻より15分遅れて18日の0時丁度にバンコックのドンムアン国際空港に到着した。日本との時差は−2時間で、6時間程のフライトであった。この空港は乗り継ぎ便の客が多く、夜中でも混雑している。

 入国手続きをして、税関を通り出迎えの人の中にJTBの旗を持ったチャイ(Wan Chai)さんを見付け、ツアーの18人が揃うのを待って110バスでホテルに向けて出発する。JTBはバンコックの支店に200名程の従業員を抱えて営業しているとのことで、今夜も日本の各地から何組かのツアーが到着したようだ。

 バンコックの繁華街、サイアム地区の北側に位置するタイで最も高いビル、バイヨーク・スカイホテルに150到着する。18階のロビーで部屋の鍵をもらい、46階のスイートに着いたら2時半過ぎ。おやすみなさい。

 

118日(水)晴 最高気温33℃ 12,700

 630に起きてシャワーを浴び、76階のレストランに朝食に行く。18階のロビ階まで下り、そこで別のエレベーターに乗り換えてやっとレストランに着く。このレストランはすごい。エレベーターで降りた階の上と下にレストランがあり、そのどちらでも食べられるようになっている。バイキング形式の料理も種類が豊富である。

 朝食後は再び46階に上がり、準備をして18階へ、そこから1階に下りる。830バスでホテルを出発して、渋滞している市街を通って910涅槃寺に着く。

 涅槃寺Wat Phoはタイ最大で、バンコックでも最古のお寺であり、黄金の横たわる涅槃仏を祀る王立寺院である。あまりの大きさと黄金のまばゆさに圧倒されそうだ。境内は広く、4基の仏塔が眼を引く。

 950船でチャオプラヤー川を渡り、対岸の暁の寺に着く。朝日に照らされるときれいなことから通称暁の寺といわれるWat Arunはタイ最大のクメール様式の仏塔が眼を引く。 大仏塔の高さは73m、周囲は243m、ヒンドゥー教の神々が祀られ、ラーマ4世が寄進した何千枚もの中国の彩色陶磁器片で装飾されている。大仏塔の4角に小仏塔が配置され、ヤック(夜叉)が大仏塔を持ち上げているような恰好が面白い。

 1035から10分程チャオプラヤー川を遡上し、船上から両岸の風景を楽しむ。国立博物館の裏手の船着き場で下船し、待っていたバスでラーマ4世通りのサムヤーン駅近くのレストランに1120到着する。

 国立蛇毒研究所と道を隔てて向かい側にある中華レストラン、嘉楽斯Galaxy)はナイトクラブもあり、タイシルクも販売する巨大な華僑資本の店である。バイキング形式の飲茶をタイビール、シンガー(Singha)・ビールで頂きながら、舞台上の演奏や民族舞踊を見物する。

 午後は1225から1435までタイ式マッサージで気分爽快となる。15051550宝石店、16001630タイシルク店でショッピング。続いてバンコックの最も賑やかなサイアム地区にあるセントラル・ワールドプラザの7階、キングパワー・デューティーフリーで1710から1820まで自由時間となる。

 免税店には興味が無いので、7階からエスカレーターで降りながら、ビルの中にある屋台風の店を見物し、CDやバッグ、シャツなどを買う。ビルの前を通っているラーチャダムリ通りの道端に出ている屋台風の出店を覗き、孫のお土産などを買い求める。

 バンコックの街には至る所に仏像があり、皆花や紙の飾り付けがされており、ローソクや線香が上げてあるところもある。また、道の中央帯などの目立つところには国旗や国王など国の象徴が飾られている。自分の国を愛する表現として日本も見習うべきだろう。

 そのような道端を歩いて、同じビルにある伊勢丹の前にある仏像の前で集合し、バスで海鮮中華料理の店に向かう。

 夕食のメニューはつけ揚げ、エビ、イカ、焼き魚、カニ、チャーハン、青菜炒め、トムヤム・クン、フルーツ。

 夕食後、疲れた人はタクシーでホテルに帰り、残った8人はバスで、日本大使館の近く、市街の東南にあるスアンルン・ナイトバザールSuan-Lum Night Bazaarに行き、850まで見物する。このバザールは2002年にオープンし、MRTのルンビニー駅に直結していることもあって、昼も夜も大変な賑わいだそうである。市の出ている通りをバッポン通りといい、小さな店が3700軒余も軒を連ね、日用雑貨、土産、各地の名品、ブランド品等を売る店、レストラン、フードセンター、コンサートホールなども備えたテーマパークのようだ。モンブランの偽ボールペンを200BHTで買う。

 ホテル到着は2115であった。

 

119日(木)晴 9,900

 4時半に起きてシャワーを浴びる。540から食事をして645バスで出発のところ、エンジントラブルで705に出発し、カンチャナブリーへ向かう。カンチャナブリーは映画、戦場に架ける橋で知られる名所である。

 バンコックから北西に130km、バスは途中でトイレ休憩を10分して955カンチャナブリーに到着する。連合軍の共同墓地には多くの英国兵士や民間の人が眠り、泰緬鉄道の犠牲者を祀る旧日本軍の建てた慰霊塔のある墓地では、今でもこの慰霊塔を守る人が居り、線香に火をつけて渡してくれた。慰霊塔には日本語の他に英語、ベトナム語、タイ語、などの碑文が刻まれ、毎年3月には慰霊祭が行われるそうである。

 クエー川鉄橋駅でバスを降り、列車に乗るまでの間鉄橋の上を歩いてクエー川の対岸まで往復し、リバークワイサイド・レストランでシンガー・ビールを飲みながら鉄橋を眺める。

 泰緬鉄道、ナムトック線の列車は20分程遅れてカンチャナブリー駅に到着し、待っていた観光客を乗せて11:10に出発する。

 泰緬鉄道はバンコックのバーンコークノーイ駅からミャンマーのヤンゴンまで敷設されたが、タイ(泰)、ミャンマー(緬)両国の国境付近の鉄道は取り払われ、現在ではタイ側ではバーンコークノーイ駅からサイヨークノーイ駅まで、12回列車が通っている。

 カンチャナブリー駅を出発すると列車は時々身体を震わせて田園地帯を走り、途中でワンジーン(Wangine)駅1135、バンカオ(Bankao)駅1150、ターキレーン(Thakilen)駅1200などの駅に停車し、リバー・クエー・キャンピング場を1210に通過する。サイヨークのアルヒル橋をギシギシ音を立てて通り過ぎるとすぐタムクラッセ(Thm Kra Sae)駅に1223到着し、ここで下車する。この駅はカンチャナブリーから西へ約30kmの距離にあり、従って列車の時速は25km程になる。

 列車の中ではおしぼりと水、缶コーヒー、蒸しパン(これは美味しかった)のサービスがあり、帽子やT-シャツなどお土産品、ビールなどの車内販売もあった。アルヒル桟道橋は木製で、泰緬鉄道最大の難所といわれ、橋の左側はクウェー・ノイ川で、右側の崖との隙間は10cm位のところもあるとのこと、後で聞いて驚いた。列車はギシギシと音を立てながらこの桟道橋をノロノロと通り過ぎた。

 列車を降りて、アルヒル橋を歩いて通り、洞窟の中の仏像を見物し、改めて桟道橋からの眺めを楽しむ。駅の名前、Thm Kra SaeThmはタイ語で洞窟を意味し、Kra Saeは渓谷のことで、この辺りの風景を表しているそうである。

  昼食はバスで5分程のところ、Big Sheep’s1250から1時間バイキング形式である。このレストランのオーナーは長崎大学の水産学部の出身で、今は息子がレストランを取り仕切っており、そのおじいちゃんにバナナの花のスープやバナナを揚げてヨーグルトをかけて食べると美味しいことなど、珍しいことを教わる。

 1350バスでバンコックに向けて出発し、途中で116時から15分程トイレ休憩をし、バンコックの市街に入って、1715から1810まで手工芸品店でショッピングをする。

 1855からタイ式カレーなどの夕食を頂きながら古典舞踊ショーを観賞する。

 ホテル着は213083階の展望レストランで夜景を見ながらビールとカプチーノを頂き、84階の回転展望台から強風に煽られながらバンコックの夜景を楽しむ。

120日(金)晴 7,400

 5時に起きてシャワーを浴び、6時から朝食をする。725バスでバンコックの南西部に向かい、ココナッツ・パーク845到着する。この農園ではヤシの花から竹の筒に汁を貯めて、砂糖を造っており、その実演があった。この砂糖は飴色をしており、一口大に切って食べられるようにして販売していた。ヤシの実からはミルクや油が取れるそうで、ヤシの木に登るはしごを使って器用に登っていた。しかしチュニジア辺りでははしごを使わずに、ヤシの木に登っていたような気がする。

 915にファームを出発して、塩田の多いところを走る。東南アジアで海水から塩を造っているとは知らなかった。925ダムヌン・サドアク水上マーケットに行く、小舟の乗り場に到着する。

 9人乗りのエンジン付き小舟は迷路のようなダムヌン・サドアク運河を40分程しぶきを上げてクルージングをする。濁った運河の両岸には水上で生活している人たちの家々が点在し、東西南北に網の目のように張り巡らされている。この運河を使ってこの地域の人達は農作物など物資の輸送をしているとのことである。

 1000小舟の周りに大型の船や艀のようなボートが多数ひしめき合いだした。そのうち前方の両岸に家並みが混んで来て、これらの家では食べ物や土産物を軒先に並べて運河を通る船の客を誘っている。なかには、高い家の陳列台から竿で船の客に品物を下ろして見せたり、商売をしたりしている風景もあった。小舟(サンバン)で麺類やスナック、飲物を売っている船などもあり、混み合ってなかなか前に進まない。

 1005なんとか予定していた船着き場に到着し、陸上のマーケットや桟橋の屋台などを見物する。桟橋で箸を使って絵を描いている若者から水上マーケット風景を描いた絵を買う。

 バスで15分程の所にあるRoyal Thai-Handicraft Center1055到着し、1120まで仏像の彫刻をしているところや紙を漉いているところなどを見物する。

 1225外国人観光客向けのアミューズメントパーク、ローズガーデンに到着し、昼食をして象のショーやカルチャーショーを見物する。昼食は12時半から1時間程、バイキング形式で、フルーツ、デザートまでしっかり頂く。

 1415から巨象のショーがあり、象のダンスや逆立ち、地面に寝転んだ人間を跨いで歩いたり、鼻でコインを拾ったり巨体を器用に動かして妙技の数々を15分程披露してくれた。

 1445からタイヴィレッジ・カルチャーショーが始まり、民族舞踊、タイ式格闘技、刀剣の舞、伝統的な結婚式の様子などが50分程披露される。

 夕食は1730からシーロム・プラザにあるレストラン、中心酒楼Jong Sin Chinese Restaurant 1845まで丸テーブルを囲んでタイ式中華料理を頂く。酢豚、八宝菜、マーボー豆腐、牛肉&ナッツ、野菜炒め、青菜炒め、チャーハン、煮魚のあんかけ、スープ、フルーツなど、総て良い味であった。

 1945 Calypso Cabaret に到着し、ニューハーフ・ショーを観賞する。アジアホテルの地下にあるステージで2015から繰り広げられる、女性以上に女性らしい男性の歌ありダンスありのショーをワイン付きの席で1時間半ほど楽しむ。このショーはドリンク付きで800BHTとのこと、私の隣の席は毎年見ているというインドの医者であった。見渡すと席はほぼ満員の賑わいである。

 

121日(土)晴 16,900

 755 JTBの名古屋から来たツアー客14名とバスで王宮に向かい、820到着する。王宮の開門は830で、開門まで他のツアー客と共に待つ。

  チャオプラヤー川の東岸に21の敷地にラーマ一世によって建立された王宮1782年に、その菩提寺、ワット・プラケオはエメラルド寺院とも呼ばれており、1780年代の建立である。守護神、エメラルドの仏像は実はヒスイで出来ており、年3回季節に応じて衣替えをするとのことである。1時間の自由時間では王宮は見物出来ず、エメラルド寺院だけを駆け足で見物する。

 チャイナタウンにあるワット・トラミットは黄金仏寺院とも呼ばれ、高さ3 m、重さ5.5 tの巨大な純金製の仏像が安置されている。仏像は700年以上前に造られ、1955年この仏像にあわせて造られた礼拝堂に安置されている。仏像が放つ黄金の輝きは素晴らしい。

 11時にホテルをチェックアウトし、18階のラウンジの窓からバンコックの町並みを眺めながら甘いジュースで喉を潤し、11:30バスでアユタヤに向かう。

 バンコックの北、バスでおよそ1時間のところに位置するアユタヤはタイの古都として知られ、1350年にアユタヤ王朝の都として築かれた。当時は水運を利用し、近隣諸国だけではなく、遠くヨーロッパとも交易していたといわれる。17世紀には日本と御朱印船貿易により、3000人が住む日本人町も形成され、山田長政が名を馳せたところでもある。

 アユタヤチャオプラヤー川とその支流で囲まれた島のような町であり、その川の一つパーサック川に面したホテル、Krungsri River Hotel 1245からバイキング形式の昼食をする。

 13451415 山田長政が村長を務めた日本人村を見物する。

 14251445 象の背中に乗ってアユタヤ遺跡を見物するミニトレッキング。乗ったのは子象で、象使いは10才の少年。20BHT でキュウリを買い、象に差し出すと、鼻の先で器用に受け取って食べ、ざるに残っているキュウリを見付けて追っかけてくる。

 14551530 ワット・マハータートWat Mahathat)菩提樹の木の根っこに石の仏様が鎮座しており、縁結びの仏様として人気があるといわれる。トーモロコシ型の仏塔、プラーンはアユタヤ最古のものといわれるが、ビルマ軍によって破壊された首の無い仏像や、斜めになった仏塔など、破壊が激しい。

 15401645 ワット・プラ・スィー・サンペットWat Phra Si Sanphet1491年の創建で、王室の守護寺院である。3人の王の遺骨を納めた3基の仏塔があり、セイロン様式の3基のチェディは遠くからでも眼を引く。境内の奥には屋台が建ち並んでおり、菓子、果物、干し魚など雑多な食べ物や日用品、土産物がひしめいている。揚げたピーナッツ煎餅、餅米粉で焼いたクレープに春雨風のものを巻いたものなど、道端で造っているところを通りかかり、味見する。

 今夜の夕食は1730からU-Thong Inn ホテルでタイスキであるが、ホテルに早く着きすぎて、ロビーでしばらく休憩する。タイスキはマレーシアのスチームボートのようなもので、9人で丸テーブルを囲み、沸騰しただし汁の中に先ず豚肉、魚、肉団子、イカを入れ、次いで白菜、空芯菜などの野菜、最後は春雨、トーフ、キクラゲを入れて煮込む。具が無くなったら、ご飯を入れて雑炊を頂く。

 食後は暗くなった1850からライトアップされたワット・マハータートとワット・プラ・スィー・サンペットの仏塔を車窓から見物する。

 1910バスはアユタヤを出発し、1時間程でドンムアン国際空港に到着する。搭乗手続きをして、荷物を預けガイドのチャイさんと別れる。

 JAL704便は成田空港の降雪により到着が遅れ、定刻2255出発のところ、22日の440に離陸するはめになった。約6時間の遅れである。成田空港ではまだ雪の影響があり、上空で1時間待機し、着陸してゲートまで1時間かかり、結局8時間遅れの到着となった。

 空港で待つ間、喫茶店でお茶を飲んだり、カップヌードルを食べたりし、眠いこともあって二階席の最後尾に座るや、すぐ寝込んでしまい、機内では飲まず食わずで、成田空港に第二ターミナルに1257到着する。

 

122日(日) 4,800

 空港から船橋に住む息子夫婦に電話して、空港発1505、船橋着1600の快速電車に乗る。JR 船橋駅で待ち合わせ、駅ビルで昼食兼夕食をする。帰宅は2020、東京は寒い。


BACK