2004.6.21〜30
8年前カナダを一緒に旅したご夫婦と、ボルネオ島 のコタキナバルを訪れました。 人類の祖先、オランウータンや鼻の大きい天狗猿、大ヒトデなど珍しい動物達やブーゲンビリア、ハイビスカス、ラン等の南国特有の花を楽しみました。 プールサイドでビールやココナツを飲みながらデッキチェアー で昼寝をしたり麻雀をして、のんびり過ごしました。 豊富な果物の種類に驚き、クリスマスツリーのように輝く蛍の木に感動しました。 |
6月21日(月) 東京ム曇 コタキナバルー晴 6,100歩
7:40発の京王バスで武蔵小金井に向かう。武蔵小金井始発8:18の中央線、東京行に乗り、神田乗換で上野着9:15。山手線内回りのホームで同行のKさんご夫婦と落ち合う。
京成上野発9:34の特急成田空港行きで、空港第二ビルに10:49到着する。NPSに託送しておいたスーツケースを北端のカウンターで受け取り、Hカウンターで搭乗券を受け取る。
マレーシア航空のF-カウンターで搭乗手続きをし、スーツケースを預ける。 例によって4階のレストランそじ坊の生ビールで乾杯し、昼食をする。ポチは枝豆、マダムは白玉栗ぜんざい。
手荷物検査を受け、出国手続きをし、免税店で滞在中の寝酒用に500mlのプラスチックボトルに入ったJ&B Goldを買い、シャトルでサテライトに向かう。
マレーシア航空MH-81便、ボーイング777−200型機はC-86Gateを定刻の13:30より少し遅れて飛び立ち、途中で気流の悪いところがあったため、こぼれないようにワインのグラスを左手に持って食事をしたこともあったが、定刻より30分程早い17:50にKota
Kinabalu空港に到着した。日本との時差はー1時間、5時間5分のフライトであった。到着直前に機窓の左手にキナバル山、4,095mの荒々しい岩壁が見え、幸運であった。
入国審査を待っている間に、スーツケースは既に出てきており、銀行のカウンターで1万円を341.0 RMに交換する。到着待合室を出て、右手にあるタクシー・カウンターでホテルまでのチケット13RMを買い、待っていたタクシーでホテルに向かい、18:30に到着する。
Shangri-La’s Tanjung Aru Reaort は空港から10分ほどで、コタキナバルの南西、タンジュン・アルの岬にある。10万・の敷地の中にはプライベート・ビーチ、芝生の中にヤシの木や南国の花々を配し、桟橋まである立地条件に恵まれたリゾートホテルである。ちなみに、Tanjungはマレー語で岬のことで、Aruは葉が松に似た木で、この辺りにたくさん生えているので、地名になったそうである。
キナバル・ウイングの3階の部屋のベランダからは、ヤシの木越しにプールや海、その向こうの島々を見渡すことが出来る。早速、ルームサービスでフルーツの盛り合わせを取り、持参のウイスキーやコーヒー、それに2家族が持ってきたつまみ等で先ずは乾杯。
6月22日(火) 晴 シャワー 暴風雨 14,500歩
6時頃からホテルの敷地内を散歩する。上空は晴れているので日の出が見られるのを期待したが、東の空は雲が厚く、太陽は上空で初めて顔を出した。プライベートビーチの岩場では、小さなカニが波打ち際に見えた。芝生には雀やかわいい鳥達が群れていたが、朝食をするオープン・ダイニングの屋外のテーブルでは食べ残しの食料やテーブルに置かれたミルク等を狙って、これらの鳥達が集まっていた。
バイキング形式の朝食が済むと、ホテル内にあるツアーデスクがオープンする9時まで部屋で休憩し、ベランダからの景色をぼんやりと眺めて過ごす。
ホテルの玄関でベルボーイと記念撮影をし、ツアーデスクを訪れて、サルマさんと滞在中のスケジュールの打ち合わせをし、サルマさんの案内で、桟橋にあるボートの予約所でサンセット・クルーズの予約をする。
タクシーでコタキナバル市街のガヤ通り(Jalan GAYA)に面したサバ州観光局(STPC)に向かい12RM、15分程で到着する。この建物は1916年に郵便局として建てられ、周囲の建物とは違った独特の雰囲気と威厳がある。JICAから派遣されて、この建物で働いている高島美江さんに取り次いでもらうと、運良く在室されており、突然の訪問にも関わらず、気持ちよく会っていただいた。1時間程サバ州やコタキナバルのことについて基礎的な事柄から観光スポットなどをお聞きする。
今回の旅の目的の一つは、Haruanという雷魚の種類らしい魚の油を探すことであったが、文献等をお渡しして説明したところ、大変興味を示されて、調べて下さることになった。その後街の薬屋で家庭薬としてHaruan油を販売しているところを見つけることができ、Haruanそのものも、サンデー・マーケットでお目にかかれて、ラッキーであった。
残念だったのは、今回の旅のもう一つの目的である世界一大きい花、ラフレシアが時期的に咲いていないということで、次回に期待することになりそうである。
高島さんとサバ州観光局の建物の前で記念の写真を撮り、ガヤ通りをはさんで道の向こうの角にある日本料理のレストラン、錦を訪れる。丁度お昼時で、店内はほぼ満員の様子で、運良く空いていた座敷に落ち着いて、テンプラ蕎麦、鍋焼きうどん、鉄火巻き等を注文し、冷えたタイガー・ビールで頂く。味は日本で食べるのと全く変わらず、寿司に付いてきたガリの味も大変良かった。店のオーナーの岩瀬さんは不在で、兼業の本屋さんにもいらっしゃらないとのことで、カダザン族の店員に名刺を託す。
錦を出ると外は30℃を超す暑さであったが、空気が乾燥しているせいか、それほど暑さを感じない。ガヤ通りを歩いて、珍しい物を見つけては店の中に入り、買い物をする。街には信号が少なく、大通りを横断するときも、車の流れを見極めなければならず、慣れるまで大変である。はじめは現地の人が横断するのを待って、くっついて横断する。
1時間程歩いて、市街のほぼ中央にあるセントラル・ポイントモールにたどり着く。ここはスーパーマーケットや専門店、レストランも入っている巨大なショッピング・センターで、地元の人達で混雑している。セントラル・ポイントの向かい側にはミニバスの乗り場があり、その中に迷い込んでしまい、道を聞きながら海岸沿いのセントラル・マーケットまで歩く。この街では10人前後乗れる乗り合いのミニバスが地元の人の足となっているようで、街の中や田舎等でも度々見かけた。
商店街の角でサツマイモやバナナを大きな鍋で揚げているのを見つけ、今夜の夜食用に10枚1RMで買う。
セントラル・マーケットは2階建ての大きな建物の中に場所ごとに売り場が分かれている。1階は食料品、2階は服、靴などの雑貨品と食堂である。私たちは1階の果物屋さんを見物して、パイナップル2RM、スイカ2RM、バナナ2RMなど美味しそうな果物をみつくろって買う。
マーケットの前の道を渡って、K.Kプラザの駐車場に停まっているタクシーでホテルに帰る12RM。
ホテルの部屋でおしゃべりをしたり、お茶を飲んでいるうちに大雨と風の暴風雨になったようで、廊下は吹き込んだ雨や天井からの雨漏りでびしょびしょである。6時半になっても雨風はおさまらず、夕日も期待できないので、外に食事に行くのはあきらめて、ホテル内の広東料理レストラン、香宮で夕食をする。ホテルの1階にあるこのレストランは立派な構えの入り口で高級なイメージである。中に入ってみると全くそのとおりである。
料理と飲み物が出てくるのに時間がかかり、冷房で体が冷えたころ料理がどさっと出てきた。焼き魚(たら)、牛肉と野菜、豆苗、八宝菜、ビーフンをビール、紹興酒、ウーロン茶でゆっくり頂き、9時半までおしゃべりをする。料理の味はよかったが、ビーフンは麺が太く固まっており、豆苗はそれらしき別の野菜のようであった。
10時まで開いている売店を覘いて、飲み物やつまみを買い、Kさんご夫婦の部屋でしばらくお茶や水割りを飲みながら、街で買ってきたバナナとサツマイモのてんぷらを味見し、今日一日を振り返っておしゃべりをする。10:30われらが部屋に帰る。
6月23日(水) 晴 スコール 12,100歩
5時半に起きてシャワーを浴び、6:15から昨日と同じ屋外のテーブルで食事をする。朝食は8日間同じレストランでバイキングスタイルであるが、少しずつメニューが違うので毎日新鮮な気分である。今日は目玉焼きの焼きたてを注文し、中華饅頭、シューマイとハム、ジャガイモ、フルーツなどの洋・中折衷である。
今日はキナバル公園やつり橋歩き、ポーリン温泉などを見物するツアーに出かけるので、7:45ホテルの玄関に集合する。迎えの車は途中で渋滞に会ったようで10分ほど遅れる。このホテルから我々4人を乗せて、コタキナバル市街を通り抜け、同じ系列のShangri-Laユs
Rasa Ria Resort で日本人2人、オーストラリア人1人を乗せ、合計7人のツアーである。運転手のワルタさんは我々以外の3人のガイドも務め、日本語ガイドのサッキーナさんは我々4人のガイドである。ワルタさんは20年前北海道を訪れたことがあり、サッキーナさんは新宿に住んだことがあるとのことで、親しみがある。
ラサ・リアリゾートで15分ほどトイレ休憩をし、8:45に出発すると30分ほどでキナバル山が大きく見えるようになり、更に15分ほどでビューポイントに到着し、キナバル山やキナバル山を背景に記念撮影をする。
しばらく行くと、道端で土産物や果物を売っている店が並んでいるところにさしかかり、9:55から20分ほどトイレ休憩をする。沢山の種類のフルーツや揚げ饅頭などのお菓子、木彫りの土産物が並んでいて、見ているだけで楽しくなる。銅色をしたクッパー・バナナ8本を1RMで、蛇のような皮をしたスネイク・フルーツ10個を2RMで買い、皆で食べる。バナナは木で熟したものだけあって、甘くて香りが良い。スネイク・フルーツ(マレーシアではSalakと言う)は蛇のような皮に覆われており、店のおばさんに食べ方を習って、中の白い実を食べる。
ミニバスは勾配のきつくなってきた道路でもスピードを出し、前の車を追い越したりしながら、ポーリン温泉に11:25到着する。ポーリンとはカダザン族の言葉で「竹」という意味で、この辺りは昔から竹が多く茂り、今もその名残を残している。この温泉は先の大戦で日本軍が掘り当てた天然硫黄泉で、露天の温泉である。
露天風呂の脇を通って、奥のジャングルに向かい、熱帯雨林の中の山道を30分ほど登ると、キャノピー・ウオ−クの出発点である。雨林の中はハイキングコースが縦横に作られ、竹やぶや熱帯特有の大木が生い茂っている。その中で珍しいイチジクの木を見つけた。大木に絡まるようにして、巻きついた何本もの枝がまるで1本の大木を締め殺しているように見えるため、この辺りでは「締め殺しの木(Strangle
Tree)」と呼ばれている。ランやラフレシアと同じように他の植物に寄生して生き延びる知恵を持っている。
キャノピーの入り口で、カメラの持ち込み料を1台当り5RM(ビデオは30RM)払い、キャノピー・ウオークに挑戦する。地上41m、谷底からは300mほどの樹幹に、人がやっと一人通れる細いつり橋が3本あり、その総延長は158mである。一本のつり橋には最大6人までという制限があり、係員が誘導している。最初の橋に乗ったところで、記念の写真を撮ってもらい、20分ほどで3本の橋を渡る。途中で立ち止まって、あたりの景色や足下の熱帯雨林を上から見下ろすと、下から仰ぎ見ていた景色と違った新鮮さである。橋が揺れて、とても歩きながら見れるものではない。鳥の鳴き声や木々をわたる風の音を聞き、時々動くものがあると、鳥や動物ではないかと想像するのみである。
熱帯雨林の中を歩いて温泉に帰ってくる。雨林の中を歩いているときは涼しく、心地よかったが、戻ってくると熱帯の暑さを実感する。温泉の近くで珍しいピンク色をしたショウガの花を見つけ、デジカメに収める。
我々4人はミニバスで5分のところにあるラン園を見物する。残りの3人は温泉に残る。
ラン保護センター(Orchid Conservation Centre)は野性のランの保護、維持やその生態を研究している施設で、入場料10RMを払って入園する。色々な野性のランが樹木に寄生して、かわいい花を咲かせ、草むらでは雑草と見間違うような可憐なランの花が見られた。この季節は花の種類が少ない時期らしい。
ツアー客7人を乗せたミニバスはポーリング温泉を14時に出発し、25分ほど走って道端の野菜や果物を売っている店に5分ほど立ち寄り、14:35仙園レストランに到着し、中華料理の遅い昼食をする。野菜のスープ、チャーハン、酢豚、鳥のカリカリ焼き、チンゲン菜、厚揚げと野菜の煮物、パインとマンゴーのフルーツ。タイガーの缶ビールは1缶20RM、ここのビールは最高に高かった。
このレストランでは我々4人と他の3人は別々のテーブルであった。ガイドのサッキーナさんは私どものテーブルに厚揚げと野菜の煮物をサービスしてくれたが、他のテーブルの日本のおばさん方がこれを目ざとく見つけ、私たちには来ないと、クレームをつけてちょっとしたトラブルになった。結局店主が出血サービスをして収まったが、その後別のおばさんは私たちのテーブルの皿に残っていた鳥のカリカリ揚げを、もったいないと言ってもらいに来たのには驚いて4人で顔を見合わせた次第である。
キナバル公園の本部、管理事務所前に15:35到着する。にわかに空模様が怪しくなってきて、今にも雨が降り出しそうである。合羽を着込んで、事務所の脇にある山岳植物園を見物する。この植物園にはキナバル山の主な植物が集められている。歩き始めると雨が落ちてきて段々ひどくなってきた。世界一小さいランの花やこれも世界一小さいピッチャープラントなど、ガイドが説明してくれたが、大粒の雨のため早々に事務所内の3階にある展示室に引き上げる。展示室にはキナバル山の自然について説明したパネルや模型、写真などが展示されていた。
16:15キナバル公園を出発したミニバスは飛ぶようなスピードで来た道を引き返し、Rasa Ria Resort に17:30到着し、3人のツアー客を降ろし、18:15
Tanjung Aruの我々が宿泊しているホテルに到着した。
19:30からプールサイドのレストラン、Coco-Joeユs の屋外のテーブルで念願のスチームボートの夕食をする。スチームボートとは肉、魚、練り製品、野菜、麺などを沸騰したスープの中で煮込んで食べる、日本の寄せ鍋のような物である。四角いテーブルの中央にガスコンロを置いて、真ん中に煙突のある鍋にチキンスープを入れ、沸騰してきたら材料を入れて、熱々のうちにビールや水割りで頂く。4人で3人分のスチームボートとロブスターのバーベキューを1匹ずつ食べたら、お腹が一杯になり、最高に幸せな気分である。
食後のフルーツはKさんの部屋で、ウイスキーの水割りを飲みながら、冷蔵庫で冷やしておいたスイカ、ランブータン、スネイク・フルーツやバナナを頂き、10時半就寝。
6月24日(木)晴、曇、風雨 10,800歩
7:30にホテルの玄関から出発するシャトルバス、Shangri-La Expressに乗って、Rasa Ria Resortに向かい、オランウータンを見物する往復で22RM。バスはコタキナバルの市街2ヵ所で乗客を乗せ、8:25
Rasa Ria Resort Hotelに到着する。
10時からの予約を確認し、集合場所を教えてもらって、広いホテルの敷地内を見物する。Tuaranの海岸線に広がる広大な敷地に建つこのホテルはリゾートの機能を総て備えており、滞在客が不自由なく過ごせるように出来ている。海岸に出てみると白い砂浜が見渡す限り続いており、乗馬を楽しんでいる姿も見受けられた。
9時半からNature Information Centreでオランウータンのビデオを見る。10時になるとゲイトが開いて、今日の餌付けを行うB−プラットホームへの道を登ってゆく。飼育係の女性がバケツにバナナを入れてプラットホームにやって来ると、1頭のオランウータンが近づいてきた。今日のオランウータンは生後2年ほどで、体毛は生えそろっていないようである。しばらくバナナを食べると、食後の運動で木の上に縛ってあるロープを上手につかんで、すばやく木から木へ移って行く。その間にプラットホームに残ったバナナを狙っていつの間にか数匹の猿が現れ、すばやく両手と口でバナナを攫ってゆく。オランウータンと猿の駆け引きはしばらく続き、ついには喧嘩になってしまった。多勢に無勢でオランウータンの残りのバナナは全部猿のご馳走になったようだ。餌付けの最後は牛乳で、瓶から直接口の中に垂らしてもらって飲んでいた。
ビーチ・カフェで一休みし、ビールやアイスクリームで喉を潤した後、ホテル内の施設や売店などを見物し、ビーチサイドのオープンレストランで海を眺めながら、マカロニのトマト炒めとツナサンドをココナッツジュース、マイタイ、ビールで頂く。お腹が一杯になると眠くなり、うとうとしながらしばらく休憩する。
2時半に出発予定のシャトルバスは、このホテルの宿泊客を大勢乗せて、ほぼ満員の状態で15分ほど遅れて出発したが、我々のホテルには定刻の15:45に到着した。Rasa Ria Resortの宿泊客はコタキナバルの市街で降りたが、ショッピングや街の散策に来たのだろうか。
夕方になると雲が出てきて風も吹き出したので、5時からのサンセット・クルーズはキャンセルする。雲が多く、夕日の沈む瞬間は見えなかったが18:25頃から10分程西の空が赤くなり、雲や海が夕焼けに染まった。まるでオーロラのように空が次々と染まってゆき、やがて辺りが暗くなり、水平線に太陽が沈んだようだ。美しい夕日で有名なこのホテルだが、今回の滞在中に今日1日だけきれいな夕日を見ることが出来た。
今日の夕食は毎朝食事をしているGarden Terraceの屋外テーブルで、バーベキューとフイッシュ&チップスをビールや水割りで頂く。このレストランのバーベキューは肉、野菜、イカ、エビ、トウモロコシ、スパゲティーなど好みの物を選んで、コックさんに大きな鍋で炒めてもらう、という形式である。点心やケーキ、フルーツも食べ放題で1人分58RMである。
今夜は我々の部屋で、例によって水割りやコーヒーを飲みながら、パイナップルなどを食べながらおしゃべりをする。
6月25日(金)晴 12,500歩
6時からホテルの桟橋に出て、日の出を待つ。上空は晴れていて、キナバル山も日の出前の姿を見せてくれた。6:18キナバル山の左手の山から美しい朝日が登り始め、見る見るうちに辺りを赤く染め、その光が海に輝いてこれまた美しい。しばらくすると辺りが暖かくなり、太陽は上空になっていた。夕日と同じように朝日も滞在中毎日待っていたが、今日1日だけ見ることが出来た。
今日の午前中はスケジュールもなく、のんびり過ごす予定で朝食を8:30から1時間程、ゆっくり食べる。レストランの入口で警備員の恰好をした男が立っていて、マダムの手提げ鞄からホテル備え付けのシャンプーと石けんを取り出して、驚かせる。どうやら呼び止めたときにこっそり入れたらしい。従業員のサービス・ギャグであるが、一瞬びっくりする。食後、フロントで日本への絵葉書を出す0.5MR。
9:20から12時までプールサイドでプールに浸かったり新聞や本を読んだり、スケッチをしたり思い思いにのんびりして過ごす。
昼食は我々の部屋で、売店で買ってきたサンドゥィッチや果物などをビールやコーヒーで軽くする。
午後はクリアス川のリバーサファリに出かける。14:30迎えにきた4輪駆動の車で2時間弱、途中で道端の果物売りの露天に寄り、幹線道路から田舎道を走って、Klias川沿いの船宿に到着する。果物屋にはスイカやパイナップル、バナナの他にポンカンのようなサンメロン1RM、ジャンブ・エアーと呼ばれるWater
Apple、ドリアンを小ぶりにしたようなジャック・フルーツなど珍しい果物が並んでいた。船宿ではコーヒーとサトイモを練ったような甘いお菓子と「アリの家」と呼ばれるとても軽い米のお菓子を頂く。ガイドのボーリンさんが船宿の周りを案内してくれ、レモン、ランブータン、バナナ、里?芋、マンゴー、グアバ、ジャックフルーツなど、その辺りの植物を教えてくれる。
4:55船宿の桟橋から船に乗る。13人の日本人観光客とガイド2人との相乗りである。どうやらガイドの会社が同じで、同じ船になったらしい。船はクリアス川を下り、天狗サルの群集を見つけては岸辺に寄せて、見せてくれる。最初は見つけられなかったが、目が慣れてくると鼻や体の大きいオスと体は小さいが沢山いるメスの区別も出来るようになる。天狗サルは木の上のほうにある柔らかい木の葉を好んで食べ、大きくて高い木の間を移動しているので、船からでは双眼鏡が無いと肉眼では良く見えない。
あたりが暗くなる18:30ごろ、岸辺の木に蛍がいるのが見えてきた。まるでクリスマスツリーのように「ホタルの木」が現れ、幻想的な美を見せてくれた。川辺に茂る木で、葉の茂り具合や葉の大きさなどによってホタルが集まってくると、それにつられて他のホタルも集まってきて光を点滅して情報交換しているらしい。天空には星が輝き、ホタルの木に見とれていると帰りの時間になったらしい。船は大急ぎで川を遡って船宿に向かうが、途中でエンジントラブルや油欠の手当てをしたり、橋の下のコウモリの巣を見物して見せてくれたりして、7時半船宿に帰着する。
夕食は船宿のテーブルで、バイキングスタイルのローカルマレー料理。ライスにチキンカレーを混ぜ、野菜の煮物とスイカ、マンゴーのフルーツを頂く。宗教上の理由でアルコール類は無い。
8時半に船宿を出た車は、暗い田舎道から幹線道路に出ると、スピードを上げてTanjung Aruのホテルに向かう。ガイドのボーリンさんは2年前日本の高松で米作の勉強をした、とのことである。今でもPapar近郊の家では米作りをしているとのことで、途中のパッパルの町で車を降りる。ボーリンさんが車を降りると、運転手のダーリンさんが英語でしゃべりだし、窓外に見える景色や店の案内を丁寧にしてくれた。ついにはホテルのビールは高いので、スーパーに寄って買って行かないかといってくれ、なかなか気の付く運転手ぶりだった。
ホテルに着いたのは10時で、このまま部屋へ行くのはもったいないと、ロビーのボルネオ・ラウンジでショーを見ながら、ビール、水割り、カフェタレ、サンドゥィッチで1時間ほど寛ぐ。
6月26日(土) 晴 曇 13,200歩
6時に海岸に出て、朝日を待っていたが、雲が厚く見えない。ホテルのプライベート・ビーチの外の海岸を散歩する。砂浜にはゴミが落ちていて奇麗ではない。汚水も流れ込んでいるらしく、臭いが強い。それでも砂浜にはカニの住処らしい穴が無数にあり、その穴の周りには放射状に小さな砂の団子が並んでいるのを見つけた。どうやらカニが穴の中から運んできた物らしい。
8:20から1時間程朝食をする。レストランの入口に、今朝は花嫁の恰好をした従業員のオジサンが立っており、記念撮影をする。今日はみそ汁にお粥、目玉焼きに焼きトマト&ジャガイモ、ベーコン、ソーセージ、フルーツで、和洋折衷である。
10時頃からプールサイドのデッキチェアーに寝転んで新聞や本を読み、マダムは綾取りなどをしていると、Kさんご夫妻がおいでになり、プールサイドで麻雀の卓を囲む。
昼食は売店でハンバーグを買い、サンメロンやバナナなどのフルーツを水割り、コーヒーなどで頂く。
5時半に迎えにきた車で、コタキナバルのナイト・ツアーに出かける。我々4人の他に夕方キナバル山の登山から帰ってきたばかりの日本人女性2人の6人とガイドと運転手で、計8人のツアーである。
バスはコタキナバルの市街から東側の丘陵地帯を登り、Signal Hillと呼ばれる丘の展望台に到着する。この展望台は道端の歩道が広くなった程度で、うっかりすると見過ごしてしまいそうである。しかし、コタキナバルの市街が眼下に一望でき、市街の地理を確認するのに役立った。
海岸通の一角ではサタデイ・マーケットが開かれており、商店街に出来た露天に雑多な商品を並べてあったが、時間が早いせいかお客は少なく、これから賑やかになるのだろう。
セントラル・マーケットの南に広がるフィリピノ・マーケットでは魚、肉、野菜、果物、お菓子、雑貨など市民の必需品が狭い道の両脇に並べられ、大へんな人混みである。現地の人の案内が無いと、とても歩けない。
センターポイントの地下1階にあるスーパーマーケットでは日用品や食料品が棚に並んでいた。
今日の夕食はレストラン、カンポン・ネラヤンで、7時半からバンブー・ダンスなどのショーを見ながら中華料理を頂く。このレストランはコラム通りに面したトゥン・フアド公園の中の人工池に浮かぶ船のようで、駐車場から橋を渡って入る。冷房のある部屋とそうでないところは料理の料金が違い、客は水槽の魚やエビなど好みの食材を選び、好みの調理法で料理してもらえる。我々はツアーで、あらかじめ予約してあった中華料理の卓を4人で囲む。
卵とじスープ、青梗菜炒め、チャーハン、エビのから揚げ、イカのてんぷら、ハマグリの煮物、茹エビ、スイカ、パパイヤのフルーツとビールで満腹になる。民族舞踊のショーが終わったところで、出演したスタッフとそばにいた子供たちと賑やかに記念撮影をし、21:15ホテルに向かう。
ホテルのプールサイドでは土曜日の夜とあって、12時すぎまで賑やかな話し声や音楽などが聞こえていた。
6月27日(日) 雨 晴 大雨 9,900歩
曇っていたが、朝日が見えるかと散歩していたら雨になった。8時から食事をしているうちに、レストランの中にも吹き込んできた。長い間マレーシアをあちこちロングステイしているというワタナベさんに話しかけられ、しばらくコタキナバルのアパート事情や生活環境について話を聞く。
雨が小降りになったところで、10時にタクシーでサンデー・マーケットに出かける15RM。Gaya通りの両側に並んだ露天の店には生鮮食料品は少ないが、お菓子などの食べ物、植木、衣服、装飾品など雑多な品物が並んでいた。歩いているうちに雨も上がり、人通りも多くなってきた。
Haruanの生きた魚も篭の中にあった15RM/1kg。木で出来たブレスレット15RM、ネックレス12RM、T−シャツ4.5
RM、貝殻の石鹸入れ1RMなどを買う。
タクシーでワワサン・プラザに行き6RM、3階のセルフサービス形式の食堂で昼食をする。ここでは周りの店から食べ物を買ってきて中央にあるテーブルで食べる。シンガポールのホーカーズのようで、現地の人のファミリーレストラン、という雰囲気である。中華、ベトナム、インド、タイ、マレーシアなどの料理の中からカレー味の野菜煮2RM、焼きそば1RM、ドーナツ、肉入りパイ、餅とアップルのパイ各1RMなどをカプチーノ1.5RM、セブンアップ2RMで頂く。ビールは置いてない。
食事の前後にプラザ内をショッピングして歩き、タクシーでホテルに帰る10RM、(14:25)。
18:50夕食をしようとホテル内のイタリア・レストラン、Peppinoに向かったが、服装が不適で断られ、このレストランの前にあるボルネオ・ラウンジのソファーに料理を運んでもらうことになった。それにしても店の入り口には「気軽にどうぞ」と日本語で書いてあったのは理解できない。ピザ、マカロニ・スパゲッティー、サラダ、パン&オリーブ油、アイスクリームをビール、ワイン、ウイスキー、サバティーで頂き、10時に部屋に向かう頃はいささか酩酊気味である。サバティー(Sabah
Tea)はこの州の特産で、癖の無いさっぱりした味の紅茶である。
6月28日(月) 晴 シャワー&風 14,800歩
今朝はベトナム風のスープ麺や中華の飲茶で、7時頃から1時間程ゆっくり食べる。プールサイドでタオルを借りて、桟橋のザ・マリーナからアイランド・ホッピングに出かける。8:45集合で9:10ライフジャケットを着けて、モーター付きのボートで出発する。 我々4人と香港からのカップル2人の計6人の客に、フレンドリーなガイドのジムさんを乗せてトゥンク・アブドゥル・ラーマン公園に向かう。この国立公園はホテルの目の前の東シナ海に浮かぶガヤ島、サビ島、マヌカン島、マムティック島、スルグ島からなる自然公園で、ホテルからも良く見える。
ガヤ島 Pulau Gaya 9:45
5島の中で最も大きく、島の南側には水上集落が広がっているが、フィリッピンなどからの不法滞在者の住宅である。治安も良くないとのことで、遠くから見物する。驚いたことに集落の中にモスクがあり、水上のモスクを見るのは初めてである。
マムティック島 Pulau Mamutik 9:55〜10:45
5島の中で最も小さい。豊かな珊瑚礁に囲まれた海岸の美しい島で、海の色が4色になって見え、すばらしい。島内にはプライベートの宿泊施設があり、売店もある。海岸を散歩して珍しい花やアル、アカシア、パパイアなどの植物を観察する。
スルグ島 Pulau Suglu 10:55
岩場が多いため開発が遅れ、そのため美しい自然がそのまま残されている。桟橋がないので上陸は出来ない。沖合からの波が岩壁や砂浜で砕け散る音と景色は見事である。沖合には珊瑚礁があり、その辺りは海の色が白っぽく見える。
マヌカン島 Pulau Manukan 11:00~12:15
公園内で2番目の面積を持つ、ブーメランのような長い島である。長い砂浜があり、シュノーケリングや海水浴を楽しんでいる大勢の観光客が居た。桟橋から海を見ると、透き通った海に色とりどりの熱帯魚が群れをなして優雅に泳いでいた。島内には水道、電気などの設備があり、別荘型の宿泊施設、レストラン、テニスコート、プール、土産物屋などもあるので滞在することも出来る1泊230RM。海岸沿いの道を時計と反対回りに歩いて、東シナ海側のベンチに座り、レストランから買ってきたカールスバーグを飲みながらしばらく景色に見とれる。しばらくすると、何処からともなくトカゲが現れて、人間に驚くこともなく首をあげて獲物を狙っていた。
サピ島 Pulau Sapi 12:32〜3:00
この島の桟橋からも熱帯魚の群れやウミヘビのような大きな魚など、色々な魚を見ることが出来た。海岸のアルの木の木陰で、海を眺めながらBBQランチ。焼きそば、焼き鳥、焼き肉、野菜炒め、カレー入り揚げ餃子、中華饅頭、フルーツなど、水とコーラ付き。
食後は浜辺のベンチでお昼寝とスケッチをする。この島には野生のサルも住んでいるとのことであったが、お目にかかれなかった。しかし、ワニのような大トカゲが放し飼いにされており、薮の間から現れたのには驚いた。人間を見ても逃げようとせず、餌を探しているのか、しばらく辺りを伺っていたが、また薮の中に消えた。観光客は中国系が多く、日本人はツアー客2〜3組位だろうか。それぞれ泳いだりシュノーケリングをしたり、BBQで楽しんでいた。
帰り際になると、突然雲行きが怪しくなり、店の道具やテーブル、椅子を片付け始め、売店をたたんで船に積み込み、帰っていった。
我々の船はガヤ島の近くで海中の大ヒトデを観察する。ポイントに来ると、船頭のサイさんが海に飛び込んで大ヒトデを手掴みで採り、頭に乗せて見せてくれた。オレンジ色と黄色の珍しい人の手より大きいヒトデは殻が固く石のようである。
船は波を船腹にドスン、ドスンと受けながら、猛スピードで桟橋に向かい、15:35到着する。奇麗な海と自然、フレンドリーなジムさんとサイさん、楽しい思い出のホッピングだった。
いろいろな会社のアイランドホッピング・ツアーがあるが、このマリーナからのBBQランチ付きのツアーがお薦めとの評判である。
ホテルに帰ると大雨になる。フロントで、明日出発の時間まで1部屋50RMで部屋を延長使用することを申し入れ、承諾を得る。
ツアーデスクで明日の午前中のツアーの予約をしようとしたが、今晩、成田から176名の団体客が来島し、ツアー用の車、運転手、ガイドがそちらに取られて無いとのことである。ツアーデスクのお兄さんの友人に御願いして、個人の車と運転手を手配してもらう。
18:20雨も上がり、夕焼けの雲もかすかに赤みを帯びていたが、前回程ではない。プールサイドのCoco-Joeユsは雨のため屋内だけの営業だったが、雨も上がったので周りの雨除け用の柵を取り外しつつあった。雨上がりの爽やかな雰囲気の中で、夕食はマダム達のご希望により、スチームボートである。サラダとシーフードBBQも注文してビール、ウィスキーとサバティーで8時半まで最後の夜を楽しむ。9時半まで我々の部屋でおしゃべりをする。
6月29日(火)晴 曇 13,300歩
6:20海岸に出てみたが、厚い雲がわずかに赤みを帯びてきたのみで、朝日は見えない。6:40から7時半まで朝食をする。今朝は大好物の大根餅があったので中華風になり、スープ、シュウマイ、オムレツとゆで卵、ちんげん菜の煮物、焼きトマト、スイカ、マンゴー、パイナップル。
半日ツアーの運転手兼ガイドのハディーさんは8:45の約束のところ9時にやってきた。どうやら車を洗っていて遅くなったらしい。
先ずは水上生活をしているパジャウ族の集落に向かう。コタキナバルの市街を通り抜けて、北に向かい、1時間程でパジャウ族が水上生活をしているメンカボン,Mengkabongの村に到着する。
Water Village Mengkabong としてサバ州の地図にも記載されているこの村には、観光のための駐車場や土産物屋などの設備は何にも無い。空き地に車を止めて、水上に板を張り渡した通路を通って周りの水上住宅を見物する。ハディーさんはパジャウ族だそうで、平気で板張りを歩いてガイドをしてくれたが、足下が気になって彼に付いて行くのが大変だ。この村には今でも1,000人程のパジャウ族が鶏、犬等と生活しており、海上で魚やカニ、エビなどを捕って生計を立てている。子供達もたくましく、カニやエビを捕る篭に餌を付けて走り回っていた。この村はマレーシア国籍を持つ住民で、この地域の水上家屋は古い物では50年を経た物もあるらしい。
10:20車はタンパルリ村のローカルマーケットに到着する。この辺りはドゥスン族の居住地で、彼らの日用品や食料を売買する店や露天の店が並んでいる。値段を見て回ると、卵10個2.5RM、米5Kg2.2〜11.0RM、キュウリ1本0.5RMで、キュウリを一本買って帰って、塩を付けて食べたら、甘くて香りがあり大変美味しかった。
このマーケットの隣には観光の名所として、吊り橋があるTamparuli Suspension Bridge。ガイドブックには挑戦しょう、と書かれているが、コンクリート製の頑丈な吊り橋で、幅1m程もあり、金網も付いているのでそのような気分ではない。
我々4人は橋を渡り、車道を通って対岸で待っていた車に乗り、10分程で焼き物工場に到着する。この工場は中国人の経営で、焼き物の絵柄も何となく中国風である。手廻しのろくろで形を作った後、削ったり付けたりして整形し、絵付けをして1000℃で4日間焼くとの説明であった。この店では焼き物ではなく、お土産にサバティーのティーパック20袋入りを1箱7RMで買う。
約3時間のツアーであったが、地元の人達の生活を目の当たりにして、大変有意義なツアーであった。
12:20部屋に帰ってシャワーで汗を流し、帰国の準備をする。買ってきたキュウリ、フルーツ、お菓子等の残り物をビール、ウイスキー、コーヒーで軽く食事をする。
3時にチェックアウトしてタクシーで空港に向かい、Dカウンターで搭乗手続きをして荷物を預ける。出国手続きをして、出発ロビーでテータレとビールでのどを潤し、のんびりとする。
マレーシア航空MH2617便は15分程遅れて17:50にGate-3を出発し、20時ジャストにKLIAのB−4ゲートに到着した。機内食はチキン、ヌードル、ババロアで、ビール、コーヒーで頂く。
KLIAの国内線ビルにある乗り継ぎ口で出国手続きをし、エアロトレインで国際線ビルに移動する。この空港は何時来ても活気があり、24時間営業で店が開いているので飛行機の待ち合い時間も退屈しない。一通り売店を見物した後、中央のソファーに座ってビールとカプチーノで寛ぐ。
マレーシア航空MH88便、ボーイング777−200型はC−25ゲートより11:40分に出発した。夜食はサンドウィッチ、フルーツ、パン、コーヒーで、朝食はオムレツ、フルーツ、パン、コーヒーであったが、ワインを飲んでよく眠った。
6月30日(水) 6,100歩
成田到着は7:35、第二空港ビルのD−69ゲートに到着した。スーツケースをスカイポーターのカウンターに預け、京成電車のモーニングライナー券を400円で買う。8:35発のモーニングライナーで日暮里へ、次いで山手線・中央線を乗り継いで、武蔵小金井からバスに乗り、11:30に帰宅する。