2004.2.9〜2.12
友人のEさんご夫婦とアモイに旅をしました。共通の友人で、アモイ大学に奉職しているTさんにお会いするのが主な目的でしたが、豪華な海鮮料理を堪能し、中国の誇る古い文化遺産、土楼やコロンス島、アモイ大学を見物しました。胡里山砲台から、厦門東側水道越しに今は台湾の領土になっている4Km隔てた金門群島も、運良く遠望できました。 |
2月9日(月)東京:晴、厦門:晴 12,300歩
まだ暗い5時半に家を出て、JR国分寺駅まで歩き、国分寺発6:10の成田エクスプレス3号の1号車に乗る。Eさんご夫婦も立川から同じ列車の6号車に乗られるとのことだったので、6号車で朝のご挨拶をする。今日の列車は満席とのことで、通路に立っている人も見られた。東京駅で大船から来た6両を連結すると、成田空港第二ターミナルビルまでノンストップで、7:54に到着した。成田空港での集合時間は8時で、D-カウンターで搭乗券と帰りの航空券を受け取る。預ける荷物も無いのでセキュリティ検査を受け、出国審査を受けてB-71ゲートの待合い室で缶ビールを飲みながら搭乗を待つ。
全日空NH-935便、厦門行きボーイング767−300はほぼ定刻の10:10に離陸し、厦門に向けて飛び立った。機内食のメニューには鶏料理と和食があったが、鳥ウイルスの影響か、鳥料理は無く、和食のみで、選択の余地はない。白ワインでアナゴ飯の和食を頂く。
厦門到着は13:30、時差が1時間あるので4時間半のフライトであった。気温は12℃、天候は予報に反して晴である。空港では健康カードを提出して、体温を測定され、それにパスすると入国審査である。到着ロビーでは今回の現地ガイド、王継友さんが出迎えてくれた。今回のツアーの申し込みは30人余だったが、鳥インフルエンザの影響か、参加者は8名で、大型バスは余裕である。
今年の厦門は例年になく旧正月以来寒く、Tさんからのメールでも寒さ対策をしてくるよう注意されていたが、今日から天候も良くなり、暖かくなったそうで、汗ばむぐらいの暑さである。厦門は福建省の東南部に位置し、台湾の東側になり、年間を通して温暖な気候である。古くから中国有数の港湾があり、経済特別区として発展した港湾都市である。現在の人口は120万人であるが、数年後には200万人を超える見込みだそうである。
厦門高崎国際空港を14:15に出発したバスは、厦門の市街地を縦断し、30分程で南側の胡里山砲台に到着する。この砲台は清の時代に造営されたが、1984年までは軍事禁区であった。1818年にドイツで製造された大砲が砲口を青い海に向けて飾られており、この大砲は海岸大砲の王様としてギネスブックに載せられたものである。付属の博物館にはヨーロッパやアジア各国から収集してきた珍しい品々が3,800点余り展示されている。砲台からは運良く4Km離れた台湾領の金門島群を見ることが出来た。
バスで数分程走ると、厦門大学と道を挟んで向かい側に立派なお寺が見えてきた。唐代に創建された福建省最大の古刹、南普陀寺である。正面の門には東西南北夫々の方位を司る神の立像が並び、五老峰と呼ばれる峰々に抱かれるようにして、数多くの色鮮やかな建築物が建っており、屋根には龍、麒麟、鳳凰などの飾りが目を楽しませてくれる。境内には1925年に創立した仏教界で名高い学校があり、修行する学生の姿や、参拝客、観光客で賑わっている。
今日から3泊するホリデイイン・クラウンプラザホテルは、鎮海路と明南路が交差する便利の良いところにあり、厦門大学にも近い。お寺から5分程で、16:30に到着する。
今日の夕食は、午後訪れた南普陀寺の中にある南普陀寺菜館で、ホテルのロビーに17:30に集合して、バスで5分後には到着する。このレストランは湯葉を使った精進料理が名物で、12種類程の料理は全て野菜や豆腐、湯葉で、巧妙に焼き鳥や肉、魚貝類の形をしている。
精進料理で大満足するとバスでホテルを通り越して、和平埠頭で降ろしてもらい、向こうに見えるコロンス島のライトアップした夜景にしばし見とれる。中山道を歩いてホテルに向かいながら、途中の店で竜眼や乾燥したライチなど珍しい食品を見つけては味見して買い求める。1時間ほどブラ々と散歩して21:20ホテルに帰り着く。
2月10日(火) 晴 18,900歩 気温8〜18℃
6:40から30分程、昨夜行った近くの海岸を散歩する。多くの市民が散歩しているのに混じって早くも勤めに出かける人や、海軍の朝練をしている風景が何となくのんびりしている感じである。7:10からホテルの1階レストランでバイキング形式の食事をする。味、種類、量とも申し分ない。
8:30 バスでホテルを出発して、南靖県の土楼見物に出かける。ホテルから北に向かって、厦門市街を縦断し、厦門大橋を渡って内陸部に入り、高速道路から一般道を走り、途中でトイレ休憩を一回して11:10
目的の土楼に到着する。道路の両側はバナナ畑で、青いバナナを切り取って、自転車やリヤカーで運んでいたり、美味しそうな黄色のバナナを道端で売っていたりしており、トイレ休憩で立ち寄ったスタンドでもバナナを売っていたので、10本4元で買い求め、食べてみたら大変美味しかった。
土楼とは客家の先住民が山賊と野獣から身を守るため土、砂利、竹と木材で造りあげた城塞のような建築物である。見学したのは10家族程が住む円形の土楼と四角形の土楼であったが、壁の厚さは1m位で、高さは3〜4階建て位、直径は数十mにも達する大きさのものから、小規模のもの、形は円形から八角形、四角形と様々であるが、どんなに大きくても入り口は一か所しかない。生活上の安全性、便利性、快適性、生産性が上手に考えられており、庭には養豚、養鶏や井戸、洗濯の機能がそろい、一階は台所、二階は農機具の倉庫、三、四階は応接間や寝室である。1960年代、アメリカの人工衛星が見つけ、中国のミサイル基地と断定したことは有名である。このような歴史ある建築物を保存するため、ユネスコの世界遺産への申請が準備されているそうである。土楼で暮らしているおばあちゃんに誘われて、お茶をご馳走になる。
昼食は南靖県の首都にあたる南靖のレストラン、南靖大酒店で12:50から客家料理10品を頂く。ナマズの煮物や赤キノコのスープ、茸の炒め物、ゼンマイや芭葉(グアバ)など珍しい食べ物である。食事の後は街のメイン通りや市場を歩いて、珍しい物を見付けては足を止め、名称や使い方を尋ね、干し筍などを買い求める。青い色をした青ナツメという果物を天秤棒で担いで売りにきた娘さんに薦められて買った人がいて、お裾分けを頂いたが、大変美味しかった。
16時、来た道を引き返して厦門市街に戻り、ウーロン茶の製造販売所、金音香茶厂で工場と茶藝の見学とウーロン茶の試飲をする。お茶も美味しかったが、お茶菓子の緑豆(きな粉)のお菓子は美味しかった。
ホテルに帰って、夕食の時間まで近くのスーパーマーケットに出かけ、早速緑豆のお菓子を探して歩いたが、見つからず、それらしきお菓子の詰め合せを買い、帰ろうとしたところ、Eさんご夫婦にぱったり出会う。
今日の夕食は湖浜南路にある香港城海鮮大酒楼で18時から20時まで、伊勢エビ、カニ、アワビ、ウナギ等の新鮮な魚介類とはまぐりのスープ、干しナマコの煮物、青菜、餃子、焼そば、きれいに飾ったフルーツなど12品で、ビール、紹興酒と共に話も弾み、大変美味しく頂いた。
ホテルに帰って、Tさんに電話してホテルに来てもらい、Eさんご夫婦と共に部屋でアモイでの再会を喜ぶ。Eさん持参の赤ワインを飲みながら積もる話に花が咲き、10時半頃までおしゃべりをし、明日の再会を約束して、バス停までTさんを送る。
2月11日(水)晴 19,900歩
6時に起床してシャワーを浴びる。7:10から昨日と同じバイキング形式の朝食であるが、品数が多いので昨日食べなかった料理を選んでたべる。マダムはパンが美味しかったとのことである。
昨日のスーパーマーケットが8時に開くのを待って、昨日買い損なった山査子のお菓子の量り売りを買う。
9時にロビーでEさんご夫婦と待ち合わせ、思明南路を厦門大学までぶらぶら歩きながら、途中の店に立ち寄って珍しい食品などを品定めし、40分程でTさんと約束した待ち合わせの場所、ケンタッキーの前に到着する。
Tさんの案内で10時から3時間程、厦門大学の構内を見学する。構内は広くて、近代的な建物が点在し、緑が多く、清潔で奇麗であった。海外からの留学生や地方からの学生さんが多いのか、洗濯物を干してある学生寮があちこちにあり、入り口が開いているところを覗いてみると、殆ど全員が個人のPCを持っているらしく、その普及ぶりに驚いた。
構内には先生達の宿舎もあり、Tさんもその一軒に住んでいるとのことで、お邪魔して昼食をご馳走になる。たまたまTさんのお母さんが故郷からおいでになっていたので、お母さんの手料理や構内のレストランで見つけた美味しそうな食材を頂きながら、13時から2時間程歓談する。お母さんの手料理はどれも大変美味しかったが、中でも肉餅という肉やネギを薄くのばした小麦粉に挟んで四層にして焼いた物や、旧暦の1月15日の元宵祭に食べる点心で、胡麻餡の入った餅米の団子のデザート、元宵は珍しく美味しかったので、つい食べ過ぎてしまった。
Tさんに案内してもらって、大学の門前のバス停からバスに乗ってアモイの観光に出かける。先ずは白鷺の像の立つ白鷺洲公園を散策し、厦禾路沿いにある生鮮食品の市場とスーパーマーケット、厦門酒類批友市場を見物し、海産物の干物やチョコレートの量り売りを買い求める。干した食材の種類が豊富で、新鮮な野菜や魚の種類も多い。そこから公園東路のバス停で四ヵ所の間を、30分程歩いて17:30ホテルに帰り着く。
夕食はホテルのベルボーイに紹介してもらい、予約してもらったフェリー埠頭の北側にある南海漁村にでかける。タクシーで5分程の所にあるこのレストランに着いてみると、人垣でいっぱいで、人をかき分けるようにしてレストランの入り口を入ると、その中も満員の盛況である。ここでは表の生け簀の中にいる魚介類やその横に並べてある野菜類を客が選んで、その料理法を指示すると暫くして料理が運ばれてくる仕組みで、メニューは飲み物しか無い。
女性軍3名は生け簀に品定めに行き、男性2名はビールと紹興酒を注文して、つまみを選んでビールを飲みながら料理を待つ。そのうち女性軍の選んだ料理が次々と出てきて、Tさんの説明を聞きながら紹興酒で美味しく頂き、大満足である。
今日の料理:茹エビ、茹シャコ、春雨の炒め物のホタテ添え、ちんげん菜の炒め物、空心菜の炒め物、ニラの焼売、ほうれん草の蒸し餃子、厦門めん(ビーフンに似ている)の炒め物。
タクシーでホテルに帰ってくると20時半で、Tさんはバスで大学に帰る。Eさん夫妻とマダムとポチはレストランで買ってきた紹興酒を部屋で一本空けておしゃべりし、2時間程厦門談義に花が咲く。
2月12日(木)晴 9,700歩
6時起床。7:30からEさんご夫婦と同じテーブルでバイキング形式の朝食。8:45チェックアウト。
9時にロビーに集合し、バスでフェリー桟橋に向かい、9:10発の渡船の二階のベンチに座って5分程するとコロンス(鼓浪)島の桟橋に到着する。
鼓浪島はアモイ市の南西に位置する、アモイ最大の観光スポットで、周りを海に囲まれた面積1.9 k・の風光明媚な島で、島内は歩行者天国であり、自動車は禁止されており、観光用の乗り物は電動カートのみである。
先ずは二両連結のカートに乗って島内を巡りながら、この島名の由来である鼓浪石を見物する。島の南西部にあるこの石は、長年の間海水の浸食を受けて真中に大きな穴ができ、満潮時には浪が叩き付けられて、太鼓の響きのような音が聞こえることから鼓浪石と命名され、この名前に因んでコロンスという島名になったそうである。
カートを日光巌寺の境内で降り、ぶらぶらと緩やかな坂を登って日光岩やお寺を見物する。途中で厦門鄭成功記念館に立ち寄り、十七世紀の中国で有数の政治家であり、軍人でもあった鄭成功の業績や遺品などを見物する。
岩の間にできた急な階段を登り詰めると、標高92mの日光山の展望台に到着した。ここからは東に厦門市街、西に中国本土、南には厦門港、北には厦門西港を360度のパノラマで見渡すことができ、すばらしい眺望であった。
渡し船でフェリー桟橋に帰ってきてバスを待つ間、土産物を売る大勢の売り子がどこからともなく集まってきて、しつこく付きまとうのには往生した。
バスで新華路にある免税店、僑興商場に立ち寄り、ウーロン茶をご馳走になって、最後の買い物をし、時間調整をして12:30予定時刻丁度に厦門高崎国際空港に到着した。
空港では先ず体温検査があり、搭乗手続、手荷物検査を経て10ムGateの搭乗待合所で搭乗を待つ。
成田行き全日空NH-936便は定刻より45分遅れて、15:20に離陸した。機内食は魚料理のみで選択の余地はない。それでも赤ワインでライス以外は残らず頂く。成田到着は定刻より20分遅れて19:20、第二ターミナルのDム99Gateに到着する。
成田空港第二ターミナルを20:45に出発した成田エクスプレス44号高尾行きは京浜東北線の事故の影響で、東京駅の手前からノロノロ運転で、国分寺駅には定刻より30分程遅れて、23時過ぎに到着する。立川まで行かれるEさんご夫婦と国分寺で別れ、タクシーで23:20に帰宅する。