イタリアではクリスマスのことをナターレと呼ぶ。 そして、12月に入ると街ではイルミネーションや プレゼーピオと呼ばれるイタリア独特の人形の飾 り付けがはじまる。そうした雰囲気のイタリアの 街をローマ、ピサ、フィレンツェ、べローナ、 ミラノと訪ねて歩いた。 |
12月6日(金)東京:晴 ローマ:雨 8,800歩
6時40分、まだ暗いうちに家を出る。京王バス、JR中央線、山手線を乗り継いで、京成上野駅でコーヒーを飲む。京成の特急電車は8時25分に京成上野駅を出発して、9時40分成田空港第一ターミナルビルに到着した。成田空港での集合時間は10時40分、スーツケースを英国航空のカウンターで預け、航空券を受け取る。今回は全て代理店の添乗員が手続きをしてくれるので、ただ説明を聞くだけである。
出国手続きをすると、ラウンジでビールとケーキセットの軽い昼食をする。ケーキセットのモンブランにアルコールが入っていたらしく、殆どはビールのつまみになる。
英国航空BA0008便Boeing747-400は17番ゲートよりほぼ定刻の13時丁度に出発し、ロンドンに向けて飛び立った。夕食のすき焼きと赤ワインで満腹になり、良く眠った。昼食はシーフードで、寝起きのためアルコールは控える。
ロンドン到着は現地時間の15時30分、日本との時差9時間を計算すると11時間30分のフライトであった。ヒースロー空港のターミナル4からターミナル1への移動はバスである。この間セキュリティー検査が2回あり、バスの待ち時間等もあり、約1時間かかってターミナル1のラウンジに16時45分にたどり着く。
ローマ行きのBA558便の出発ゲートがアナウンスされたのは出発予定時刻の20分前、18時10分である。
ターミナル1の48番ゲートを定刻より10分遅れ、18時40分に出発したBA558便Boeing 757は定刻より30分早く、現地時間の21時20分にローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に到着した。ロンドンとの時差は1時間で、1時間40分のフライトである。
入国審査を受け、スーツケースを受け取ってバスに乗る。ローマでのホテル、Fleming Rome まではバスで約40分、23時35分にホテルに到着し、6階の631号室に入ったのは、7日になって間もない時間であった。ヨーロッパは遠いと痛感した一日であった。
12月7日(土) ローマ:曇 16,500歩
5時30分に起きてシャワーを浴びる。朝食はコンチネンタルタイプのバイキングスタイルで、パン、コーヒー、生ハム、牛乳。7時を過ぎてもまだ夜が明けない。朝食後ホテルの前の朝市をのぞいて散歩し、みかん、りんご、水を買う。みかんを食べてみると、香りは大変良いが、味はいまいちであった。
8時30分フランコさんの運転するバスでローマ法王の住むサン・ピエトロ大聖堂に向かい、その駐車場に25分ほどで到着する。ここから昼食までの半日間、現地の日本人ガイドと現地人の二人のガイドが案内してくれる。10時までの1時間ほど見物したが、明日またゆっくりと見物に来る予定なので、説明は明日の日記に譲ることにする。
ヴァチカンからテレヴェ川を渡り、旧ローマ市内に入る。15分ほどでスペイン広場に到着する。ローマの休日で知られるこの広場はトリニタ・デイ・モンテ教会から137段の階段を下る。広場にはバルカッチャの噴水があり、これはバロックの巨匠、ベルニーニの父ピエトロの作品である。広場で焼栗屋を見つけ、新聞紙で作ったとんがり帽子に入れた焼栗と同じようなをセロテープでとめたとんがり帽子の殻入れを5ユーロで買い求め、噴水を眺めながら美味しく頂く。ちなみにローマの観光地では、どこにでも焼栗売りがいる。
スペイン広場からガイドに連れられて、ローマの古い街並みを眺めながらぶらぶら歩いて30分ほどでトレヴィの泉に着く。トレヴィとは三叉路の意味で、この前から三本の道が延びているのがネーミングの由来である。1762年に完成したこの泉はポーリ宮の壁を利用したバロック様式のダイナミックな噴水で、背景にはさまざまな意味を持つ彫像や彫刻が見られる。水の豊富なローマでも際立ってダイナミックな眺めである。泉を背にしてコインを投げ入れると、その個数によって1個だとローマの再訪問が、2個だと恋が、3個だと恋人と別れられる、といった願いがかなえられると言う。観光客が大勢つめかけても泉の水がきれいなのは、毎週月曜日に掃除をしているとのことである。この辺りは道幅が狭く、観光客をねらったジプシーやスリが多いところらしい。バスの駐車場まで歩き、そこからローマ三越に向かう。
地下鉄A線のレプッブリカ駅の近く、共和国広場の前に立つローマ三越は、ビルの1階と地下の2フロアの日本人向けみやげ物専門店である。ここで12時10分から1時間ほどショッピングをする。
昼食は三越の隣のレストラン、Ristorante Zevsで、初のイタリア料理、トマトスパゲティー、舌平目のムニエルを赤ワインで頂き、デザートのケーキはなぜか2切れもサービスしてくれた。
午後はみやげ物店、Ken Scott社のマイクロバスで市内観光をする。紀元80年頃に完成したコロッセオ、円形競技場は外壁が壊れかかっており、今にも崩れそうであるが、4層からなる連続したアーチの威容に圧倒されそうである。
ローマは丘の多い町であるが、アベンチーノの丘は規模は小さく、観光名所ではないが、旧ローマ市街やバチカンの大聖堂が見渡され、すばらしい眺めである。
真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会はビサンチン様式のモザイクで飾られており、6世紀の建立である。柱廊の左端の壁に海神トリモントンの顔をモチーフにして、丸い石に彫刻された真実の口の持ち主が居る。嘘つきは手を入れると抜けなくなる、という言い伝えがあるが、手を入れずには居られない雰囲気である。
車窓からヴェネツィア宮殿・広場、ミケランジェロが絶賛したパンテオン、クィリナーレ宮殿(大統領官邸)などを見物して、サヴォイホテルの前の土産物屋、Ken
Scott社に15時15分に到着する。
16時まで土産のショッピングをして、店員にセリエAのユニホームの専門店まで車で送ってもらう。その店は以外にもローマ三越と2、3軒離れたところにあり、ACミランのユニホームに背番号11を印刷してもらう。
暮れかかった三越前の道を歩いてクリスマスカードを売っている店やオペラ座を探して歩いたが、方向が違っていたらしくどちらも見つからず、露天のおじさんから革のバンドを買い求める。
タクシー乗り場からタクシーでホテルに帰ると、17時20分であった。19時過ぎまでしばらく休憩し、19時30分迎えにきたバスでカンツォーネのディナーショーに出かける。
ローマ郊外のRistorante La Torreで、20時から2時間カンツォーネの歌声を楽しみながら、イタリアの名物料理を頂く。生ハム、卵焼き、ナスのシギ焼きの前菜、ピザ、ペン先マカロニのトマト味、仔牛のステーキ、野菜サラダ、デザートは甘いケーキを初めは白ワイン、肉料理は赤ワインで美味しく頂き、満足である。カンツォーネの終わりの頃は、歌い手が客席をまわって歩き、サービスをしながらさりげなくチップを催促する。
22時20分、バスでホテルに帰り着くと、長い一日も終わりとなる。
12月8日(日)ローマ:晴 5〜15℃ 20,300歩
6時30分に起きて、シャワーを浴びる。朝食はコンチネンタルのバイキングを8時過ぎからゆっくりと食べる。食後は30分ほどホテルの周りを散歩する。
ホテルの前のタクシー乗り場に停まっていたタクシーでポポロ広場に向かう。タクシーで10分ほどの所にあるポポロ広場は、かってローマの北の門であったポポロ門の南側に広がる広場で、中央には高さ36mのオベリスクが立つ。コルソ通りをはさんで立つ二つの教会、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会(向かって右)とサンタ・マリア・デイ・モンテサント教会(向かって左)はバロック様式の建築で、そっくりなので双子教会と呼ばれている。双子教会は、右の本堂のク−ポラは正円、左は楕円になっている。形と大きさを微妙にかえることで、敷地の面積の違いを解消し、そっくり同じに見えるように工夫されている。
ポポロ門から旧ローマ市街の外に出て、地下鉄A線のフラミニオ駅に向かう。駅前のフラミニオ広場では衣服、革製品、食品などの日曜の市が開かれており、大変賑やかである。フラミニオ駅のタバッキで切符を買い、地下鉄A線に乗り、テヴェレ川の鉄橋を渡って三駅先のヴァチカン博物館駅で下車する。途中で道を聞きながら、ヴァチカン博物館に向かったが、今日は日曜日で休館であった。
カトリックの総本山であり、世界で最も小さい独立国でもあるヴァチカン市国は1929年に独立した国家である。周りはイタリアで、その国境は城壁と石柱や道路であるが、出入りは自由である。
ヴァチカンのシンボル、サン・ピエトロ大聖堂は4世紀にコンスタンチヌス帝の命により、初代ローマ教皇である聖ペテロの殉教場所に建てられたが、その後ルネッサンスを代表するミケランジェロ、ラッファエッロ、そしてバロックの巨匠ベルニーニなどが120年の歳月をかけて改築したものである。聖堂内部にはいたるところに巨匠たちの傑作が並び、礼拝堂や宗教画などがいたるところに見られる。今日は日曜日で、法王のミサに訪れた人が大聖堂を埋め尽くさんばかりに溢れている中、聖歌やヨハネ・パウロ二世のミサの声が人垣の間から聞こえてきた。聖堂に入る教職者の入り口は、聖堂に向かって左手にあり、そこには華麗な衣装のスイスの衛兵が立っていた。
聖堂の前のサン・ピエトロ広場は大柱廊の回廊で包まれており、エジプトから運んできた高さ25.5mのオベリスクを中心にして、左右に噴水を配した楕円形の広場である。大柱廊の上には140もの聖人像が広場を見下ろすように並んでいる。大聖堂に向かって右の奥には法王の執務室があり、日曜日の12時から法王の姿を拝見することが出来るそうである。
広場からテヴェレ川に向かってコンチリアツィオーネ通の店先をのぞきながら歩いて、Tauola Caldaのオープンカフェでカプチーノとパイを食べながら一休みする。後ろを見るとすぐ目の前に大聖堂が聳え立っていた。
サンタンジェロ城は大聖堂から10分程のところ、テヴェレ川の西岸沿いにある円形の城で、139年にハドリアヌス帝の廟として建てられた。円形の城の周りを四角い城壁が囲み、その外側をヴァチカンの城壁が5角形に取り囲んでいる。城の中の展示物などを見物しながら見晴台に出ると、城の頂上には剣を鞘に収めようとする瞬間の聖天子像が立っていた。また東の方にはサン・ピエトロ広場と大聖堂が、南にはベルニーニの設計によるテヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋やローマの街並が美しい眺望を見せてくれた。
城から最寄の地下鉄オッタヴィアーノ駅まで、古い街並みを楽しみながら20分ほど歩き、地下鉄でテルミニ駅に向かう。
テルミニ駅はローマの交通の要所で、迷いながら鉄道の駅のホームに出てみると、1番線から24番線までのホームが一列に並んでおり、その南にはサンタ・マリア・マッジョ−レ教会とその広場のナタ−レのプレゼーピオと共に美しい眺めである。
テルミニ駅前のBar re Artuで今回の旅行の目的の一つであるサルティンボッカというメニューに無いイタリアの田舎料理にありつく。
サルティンボッカは豚のヒレ肉をセージと共に生ハムで包んでオリーブオイルと白ワインで焼いたもので、トマトソースのスパゲティーと共に大ジョッキの生ビールと特製のカプチーノで頂き、大満足である。
テルミニ駅の地下街を見物しながらシャツなどを買い求め、スーパーで食品の品定めをする。テルミニ駅前のタクシー乗り場からタクシーでホテルに帰ると、16時30分であった。
夕食は19時過ぎからホテルの前のカフェで、クッキーをつまみに、赤ワインとカプチーノで軽く済ませ、夜食にミカンとリンゴを食べながら、クリスマスカードを書く。
12月9日(月) ローマ:雨 ピサ、ベローナ、フィレンツェ:晴 11,500歩
今朝は出発が早いので4時半に起き、シャワーを浴びてスーツケースを廊下に出し、コーヒー、クッキー、リンゴの朝食をする。6時前にホテルで用意した朝食の弁当をフロントでもらい、ハムだけ食べる。
バスは6時15分にホテルを出発し、高速道路を北上してトスカーナ州のピサに向かう。途中トイレ休憩をかねてArezzoのItaly
Marketに立ち寄り、8時10分から30分ほどイタリアの土産物をショッピングする。
ピサには11時20分に到着し、観光バスの駐車場から市の巡回バスに乗り換え、アルノ川に架かる橋を渡って斜塔など歴史建造物のあるドゥオモ広場に到着する。
洗礼堂とドゥオモの奥にある斜塔は1,174年の建設当時から地盤沈下のため毎年1,2mmづつ傾斜しつづけており、このままでは200~1,000
年で倒れるだろうと言われている。この斜塔はドゥオモの付属鐘塔として建てられたものだが、今や南側に70cmほど傾いた白大理石の美しい柱列207本で囲まれたこの斜塔がピサの主役になっている。斜塔の近くのRistorante
TRATTORIA del TURISTAで12時50分から昼食、パスタラザニア、生野菜サラダ、タラのトマト煮とデザートの洋ナシ入りパンケーキを赤ワインで頂く。
ピサからフィレンツェに向かう途中で、トイレ休憩で立ち寄ったアウトレット・ショップでこの地方を故郷とするピノキオの玩具を買う。ピサからフィレンツェまではおよそ70km、休憩を入れて2時間ほどかかり、16時前にフィレンツェの街を一望できるミケランジェロ広場に到着する。
広場にはミケランジェロのダヴィデ像とフィレンツェの盟主メヂチ家のレプリカを組み合わせた記念碑が立ち、アルノ川の向こうに広がるフィレンツェの美しい街並の中ほどにひときわ大きなドゥオモ、サンタ・マリア・デル・フィオ−レ大聖堂が夕日に輝いていた。
広場からバスでドゥオモに向かう。ここでフィレンチェの街を案内してくれる現地のガイド、フランチェストさんと日本人ガイド小森さんが待っており、先ずはドゥオモの中を案内してくれる。
花の聖母マリアを意味するドゥオモは花の都フィレンツェの象徴で、巨大なクーポラが特徴である。このクーポラのなかの壁画は見事で、16世紀後半の物といわれるヴァザ−リらによる「最後の審判」やカスターニョなどのフレスコ画など、すばらしい作品が歓迎してくれた。時間があれば、地下の遺跡や高さ107mのクーポラからフィレンツェの街並を眺めてみたいものである。
薄暮のフィレンツェの古い街並みを歩いて、シニョーリア広場、ヴェッキオ宮殿、アルノ川に架かるフィレンツェ最古の橋で、洪水で流され1345年に再建されて以来今なお中世の形態を残し、橋の回廊が商店として残るヴェッキオ橋などを足早に見物する。ウッフィツィ美術館はメヂィチ家の膨大な美術コレクションを展示してあり、ルネッサンスを代表する傑作が結集していることで、是非見たかったが休館日であった。
Fleming Florence HOTELに19時10分に到着し、2階の204号室に落ち着く。ちょうど玄関の真上に当たるらしく、玄関の上に立ててある旗が風ではためいており、窓は二重になっているが音がうるさい。夕食は19時半からホテルのレストランで、チキンや生ハム、ポテト、インゲン、生野菜サラダを赤ワインで頂き、マダムは勿論カプチーノ、デザートのアイスケーキは美味しかった。
12月10日(火)Firenze(曇)3〜5℃ Mirano(晴)−1〜3℃ 10,500歩
4時半に起きてシャワーを浴び、コーヒーを飲んでスーツケースを部屋の外に出し、7時からヨーロピアン風の簡単な朝食をする。
バスは7時半にホテルを出発し、ヴェローナVeronaに向かう。バスは国道を北上し、ボローニャ、モデナなどイタリアの穀倉地帯を通って、イタリアで一番長い川、ボー川を渡り、マントヴァの近くのイタリア・マーケットに10時過ぎに到着し、30分ほどトイレ休憩をする。
ロミオとジュリエットのイメージが街のあちこちに残るヴェローナはバラ色の落ち着いた街で、アルプスに源を発したアディジェ川が街の中央をS字形に流れる北イタリアの要衝である。
ヴェローナのシンボル、アレーナ(円形劇場)の近くでバスを降り、地元のガイド、マリーナさんの案内で街の中を見物する。このアレーナはローマに次ぐ大きさを誇り、1世紀の建築で、3層のアーチから出来ているが、外側のアーチは4箇所のみが残っている。今でも野外音楽会が催され、夏に行われる野外オペラ祭には大勢の人々が見物に訪れ、有名である。
アレーナの前はブラ広場で、その一角には市庁舎が風格のある姿を見せ、広場では12日のこの地方のクリスマスの祭のために10日から3日間開かれる食料品、衣料、玩具、プレゼントなどの市場が賑わっていた。
市場の中を歩いて古い家並みが残る石畳の道を歩く。幸運を招く鯨の骨をアーチに飾ってあるエルベ広場は楕円形をしており、宝石店や高級ブティックが立ち並び、中央にはヴェローナのマドンナと呼ばれる噴水があり、市民の憩いの場となっている。ダンテの像が中央で物思いにふけっているシニョーリ広場の前にはスカラ家の廟があり、12〜14世紀頃建てられた建物が広場を囲むようにして、そのまま保存されている。すぐ近くには、二階にジュリエッタの部屋がある、ツタのからまるジュリエッタの生家がある。家の前は、広場になっており、ジュリエッタの像が立っている。そのオッパイを触ると右は愛が実り、左は富を得られるとかで、乳房は光り輝いている。
昼食は12時から1時間、ブラ広場の近くのレストラン、Scaligeroでスープ、豚の薄焼き、ポテト、フルーツを赤ワインで頂く。食後はブラ広場のクリスマス市を散策し、地元の珍しいお菓子などを買い求める。
ヴェローナからミラノまでは150km、13時に出発してベルガモの近くでトイレ休憩を1回とり、15時45分にミラノの市内に到着した。
ミラノは14世紀末ヴィスコンティ−家によるドウオモ建設から本格的な街づくりが始まり、文化・芸術の町として栄え、その後繊維産業をはじめ、皮革、兵器などの産業が発展し、その影響で現在ではファッション産業などでイタリア経済をリードする都市として栄えている。ミラノの街の案内は現地のマリーナさんとコーレさん。
ドウオモとスフォルツェスコ城を見物した後、最も賑やかなガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のアーケードを散策する。ドウオモとスフォルツェスコ城は明日ゆっくり見物するので、明日の日記に譲ることにする。
ドウオモを後にしてアーケードを歩くと、天井の絵画、歩道のモザイク模様がみごとで、両側にはカフェ、レストラン、宝石店、洋品店などが立ち並ぶ。通を抜けたところがスカラ広場でレオナルド・ダ・ヴィンチの像が立っており、その先にオペラの殿堂、スカラ座がある。あいにく今は修理中で、中を覗くことも出来ない。
夕食はConte Rosso Comでミラノの代表的な料理、ミラノ風カツレツとミラノ風リゾットを赤ワイン、カプチーノで頂く。21時30分Fieramilano
Hotelに到着する。
12月11日(水)Milano:曇 15,500歩
今日はイタリアに来て初めて朝食に卵を食べる。
9時30分にホテルからタクシーでサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会に向かう。ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作、最後の晩餐の壁画があり、鑑賞時間の予約をする。幸い11時15分からの入場を6.5×2EUで予約をし、それまでの間スフォルツェスコ城の見物に出かける。
教会の前の通り、マジェンタ通りを2ブロック歩き、左折してミラノ北駅前の広場、ガドルナ広場を通って20分ほどでスフォルツェスコ城に到着する。途中で郵便局を見つけ、クリスマスカードを出す。
スフォルツェスコ城はミラノで最大のルネッサンス期の歴史的建造物でる。14世紀にヴィスコンティー家が建造した居城を15世紀の半ばにスフォルツァ家が改築し、城砦としたもので、四隅の円形櫓を1辺200mの城壁で繋いでいる。城壁には無数の四角い穴があり、城壁建造時の足場の後を残している。城内の庭には市立博物館、美術館があり、ミケランジェロが死の数日前まで製作したといわれるロンダニーニのピエタが保存されているそうであるが、今は残念ながら工事中のため見ることが出来なかった。その他絵画ギャラリー、楽器コレクション、民族品・工芸品などの歴史的コレクションが展示してあった。
サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会に11時前に帰りつき、パスポートを預けて2.5EU×2で、日本語の説明用の器械を借りる。11時15分丁度に教会の左手にあるドメニコ会の旧修道院の食堂の入り口が開き、予約した25人が入場を許される。入り口を入って右側の壁のほぼ一面にレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の壁画があった。しばらく説明を聞きながらこの世界遺産に引き込まれる。この絵と向い合せの壁には、これもほぼ一面にキリストが十字架に張り付けられ、処刑される姿が生々しく描かれている。この2枚の絵を見ているうちに、あっという間に15分が経ち、追われるようにして外に出た。ミラノでなければ見られないすばらしい芸術に会って、旅の満足感が倍増した。
ミラノ北駅の地下鉄カドルナ駅から地下鉄M1線に乗り、三つ目のドウオモ駅で下車する。
ミラノの街の中心に位置するドウオモとその前の広場はイタリアのゴシック建築の中でも最高傑作といわれ、ミラノのシンボル的存在である。着工は1386年だが、それから500年もの歳月をかけ、教会建築としてはローマのサン・ピエトロ大聖堂につぐ規模である。圧倒的な存在感を誇る外装は、2,245体の聖職者像と135本の小尖塔で飾られている。最も高い中央の尖塔には4mの黄金のマリヤ像が輝いている。ドウオモの内部は5つの身廊に分かれ、天井高く仰ぎ見るステンドグラスはすばらしく、彫刻、彫像、宗教絵画など数えきれない程の芸術品は人類の宝物である。
正面の入り口の左手奥にエレベーターがあり、5EUでドウオモの屋上に出る。そこからは、尖塔が近くに見え、ミラノの街並を一望することが出来た。しかし黄金のマリア像ははるか上にそびえ、ここからでも小さく見える。屋根の上を歩いて、色々な角度から尖塔や聖職者の像を見物している間に、マダム画伯はスケッチをする。
アーケード街から右に入ったビルにレストラン、Liardiを見つけ、その2階で食事をする。日本語のメニューを見ながら、ミラノ風カツレツ Cotoletta
alla Milaneseと牛スネ肉を柔らかく煮たオッソブーコ Ossobucoを注文し、赤ワインとカプチーノで美味しく頂く。オッソブーコのスープを付け合わせのミラノ風リゾッとにかけて食べると、これがまた良く合い、格別の味であった。デザートにイチゴとアイスを頂き、ミラノの味を満喫した。
腹ごなしにアーケード街を歩いて、ヴェネチアンガラスの置物や中国人の若い女性が屋台で売っていた帽子などをショッピングし、食事前に出しておいたPhoto.をフジフィルムの1Hour
Photo.で受け取る。
タクシーでホテルに帰って来ると、荷物を部屋に置いて近くのスーパーマーケットで物価の調査を兼ねて土産のチーズやクッキーなどを買い求める。
外が暗くなって、日本ではそろそろ夕食時と思い、ホテルの周りのレストランを覗いてみたが、殆ど閉まっており、まだ営業時間ではないらしい。仕方なくホテルのレストランを訪れてみると、ここも19時から開店で、メニューを渡されて品定めをしながらロビーで待たされるはめとなった。
今日の夕食はウエイトレスのお勧めの品で、牛肉と特産きのこのソティーとミートスパゲティ−、それにポテト、インゲンなどを赤ワインと紅茶で頂いた。大変美味しい味付けで、特に初めて食べたきのこは香り、味とも申し分なかった。最後にアイスとフルーツを注文したが、これはサービスだ、ということでご馳走になった。
12月12日(木)Mirano:夜半雨−曇所により雨
今朝は早い出発便なので、3時半に起き、入念にシャワーを浴びる。コーヒーを沸かし、ミカンやクッキーなどで簡単に食事をする。5時には部屋の外にスーツケースを出し、5時40分、バスでマルペンサ空港に向かい、6時10分に到着する。夜半に雨が降ったらしいが、今朝も降ったり、止んだりである。
スーツケースを預け、航空券を受け取り、出国手続きををしてB-28ゲートでロンドン行きのフライトを待つ。英国航空ロンドン行きBA561便は定刻を40分遅れ、8:40に離陸し、現地時間で9:40にヒースロー空港に到着した。
バスでターミナルを移動し、2回セキュリティー検査を受けて、10:30にターミナル4のラウンジにたどり着く。日本ヘの出発時間までラウンジの中の店を見て歩いたが、買物もないのでスコーンやクッキーでイギリスビールを味わう。
成田行き英国航空BA005便は定刻より35分遅れて、Gate−8から13:00に離陸した。機内は満席で、蒸し暑かったが、2回の食事以外は良く眠った。成田到着は日付けがかわって13日(金)の9時30分、11時間30分のフライトであった。
京成電車、JR山手線・中央線を乗り継いで、国分寺から立川バスに乗り、13時丁度に帰宅する。