マダムとポチの木曽路の旅

1999.9.22〜23

毎日新聞社の16名のツア−で、雨模様の木曽路を旅しました。

9月22日(水) 雨 26,000歩

 雨がぱらつく中を、小金井駅まで和子に送ってもらう。家を出たのが6時15分、6時28分小金井始発の電車で新宿着は6時55分。

 地下通路の出口から西口の安田生命ビルの前まで傘をさしてゆくと、小型のバスが既に来ていた。この時間、この辺りは色々なツア−のバスで混雑する場所であり、ツア−の人数が揃い次第バスは出発して行く。私たちのバスも、予定時間の7時30分より早く出発し、談合坂(8時20分)、諏訪(10時5分)でそれぞれ10分ずつ休憩して中山道を木曽路へと向かう。

 塩尻を過ぎると道の両側に山が迫ってくる。今回は往きも帰りも運転席のすぐ後の席なのでバスからの見晴らしは良い。

<贄川>

 木曽路十一宿の最北端、贄川(ニエカワ)の手前、道路の右側に

「是より南 木曽路」という石碑を見るとまもなく贄川の関である。

 雨が強くなってきたので、11時から10分間見学をし、楢川役場前から歩く予定のところをバスで奈良井宿に向かう。この辺り中山道にそって流れる川は奈良井川と呼び、千曲川を経て信濃川となり日本海に注ぐ。

<奈良井>

 奈良井宿の北端に11時35分に到着し、13時15分まで自由行動である。宿の北にある桝形跡を過ぎて左に折れ、JR線を横切り、奈良井川に架かっている木で出来た珍しい<木曾の大橋>を見学し、江戸時代初期の中山道の両側に立ち並ぶ竪繁格子の町並みや、街道に沿って五カ所にも及ぶ水場を見ながら歩く。町のほぼ中央の越後屋でざるそば、五平餅、ぜんざいそれにビ−ルの昼食をする。南はずれの高札場の脇にある南端の桝形跡の近くの駐車場が集合場所である。

<鳥居峠>

 ここから、ツア−の客二人を残してガイドの倉田さんと15名で、旧中山道を標高1,197mの鳥居峠に向かう。駐車場から右ヘ折れる旧道を少し行くと雨が降り出し、歩いているあいだ中強くなったり、弱まったりと降り続く。傘をさしてクリ、クルミや栃の実を拾いながら途中で休憩し、1時間30分程樹林帯を歩くと鳥居峠の見晴らし台、円山公園である。この辺りが木曾川と信濃川の分水嶺である。

 これからは薮原まで下りで、公園から5分程下ったところにある<子育ての栃>と呼ばれる栃の古木があり、同じような樹林帯を御嶽神社や木曽義仲、武田氏の古戦場跡を見ながら数カ所に置いてある熊除の鈴に守られて、1時間程歩くとバスの待つ薮原の郷土館に到着する。

<薮原-宮の越-福島>

 薮原から歩くと3時間半、バスで20分程行くと木曽福島である。薮原から木曾川沿いに中山道を南西に行くと宮の越宿跡で、そこを過ぎると間もなく「中山道江戸・京都中間点」の碑がある。この辺りでは大雨になったのでバスの中からの見学となる。バスは16時15分に木曾の行政の中心地、木曽福島町の民宿、むらちやの玄関前に到着する。

<福島>

 江戸から69里、京から68里、福島は江戸時代の四大関所の一つである福島の関を擁し、中山道の交通の要所であった。福島の関所跡は町の東端の木曾川を見下ろす高台に位置し、近くには島崎藤村の姉そのさんの嫁ぎ先、高瀬奇応丸で有名な高瀬家もある。

 むらちやの前の道を左に行くと、旧中山道が左に折れている。この道を指道標に従って、古い上ノ段の家並みや水呑場を見ながら10分程行くと高瀬家があり、その先が関所跡である。ここの見学時間は5時までで、10分程しか見学時間は無かったが、管理人のおばさんが木曽福島の見どころを丁寧に説明してくれ、パンフレットもどっさり頂く。関所跡から現在の中山道に下り、木曾川沿いにむらちやに戻る。現在ではこの通りが木曽福島の中心街で本陣跡に建つ町役場や銀行がある。宿の前の店で、ガイドの倉田さんお薦めのナイアガラというブドウを買ってむらちやに戻る。

 むらちやはご夫婦で経営する民宿で、玄関は障子張りの風情のある宿である。我々夫婦は3階の10畳の部屋である。風呂は木の風呂で今どき珍しい。

風呂から出ると、6時過ぎから1階の食堂で夕食となる。4人ずつのテ−ブルで一緒になったのは、郡山からおいでになった71才と68才のご夫婦である。ビ−ルとお酒を飲みながら、歓談していると満州、鹿児島、広島等の話で盛り上がり、気が付くと8時半を過ぎており、我々4人だけになっていた。

夕食の料理
馬刺、鯉のうま煮、酢のもの、こえびのフライ、シメジの和え物、茶わん蒸し、五平餅、夕顔のお吸い物、ナイアガラ、漬物、ビ−ル1本、七笑(熱かん)4本。

9月23日(木) 秋分の日 26,000歩 天候不順

 木曾川の音で5時過ぎに目が覚め、外を見ると雨は上がっている模様である。支度を調えて朝の散歩に出る。宿の前の道を道なりに坂を登って行くと、5分程で木曽福島驛である。この駅舎は風情のある建物だが、途中で見た公衆便所の建物も町並みに合っていた。再び木曾川に沿って町の中心まで戻り、役場の前の大手橋を渡ると木曾代官山村氏の代官屋敷跡があり、当時の下屋敷の面影を偲ばせている。

 宿に戻ると6時半過ぎで、皆さん朝食は済んでおり、ガイドさんのお茶のサ−ビスに感謝しながら美味しく朝御飯を頂く。

 むらちやのご主人とおかみさんに見送られて、バスは7時10分に駐車場を出発し、木曾川沿いに南木曽駅を目指す。木曾の木材の集積地であり宿場町であった上松(アゲマツ)の町を過ぎると、浦島太郎が玉手箱をあけたとの伝説で知られる寝覚の床に着く。

 今日は木曾川が先日来の雨で普段の3倍程も増水し、濁流となっているため寝覚の床の下の一段は木曾川に浸かり、清流との調和もなかった。

 再びバスに乗り南木曾駅前に7時30分到着。

<南木曾-妻籠>

 南木曽駅から旧中山道を妻籠まで1時間40分程歩く。

 南木曽駅から中山道にはいる道が分りにくいが、ガイドさんの案内でJRの線路沿いに細い道を歩き、線路にかかっている歩道橋を渡り、石置き屋根の民家の庭先を通って20分程行くとかぶと観音に着く。その昔木曽義仲が兜を置いたという石や、その兜に納めてあったという観音像を本尊とする観音堂があり、大きな観音様が立っている。

 これより30分程歩くと上久保一里塚跡、良寛の歌碑、蛇石等が転々とあり、民宿を過ぎるとまもなく妻籠宿の入口の高札所跡に着く。

<妻籠>

 妻籠の宿は町並みの保存地区で、出梁造や竪繁格子の家々が並び、江戸末期の面影をそのまま残した町並みが美しい。妻籠宿の案内板前で説明を聞き、入口近くの<やまぎり>で名物のソフトクリ−ムとラムネで喉を潤し、脇本陣奥谷を見学する。奥谷は屋号で、藤村の幼なじみのおふゆさんの嫁ぎ先であり、庄屋、問屋を兼ねていた林家の住居跡である。現在の建物は明治10年に建て直したもので、明治天皇もお泊まりになった豪壮な建物である。

 脇本陣に続いて歴史資料館がある。ここには木曽路の歴史的な資料のほかに島崎藤村の手紙や、林家の所蔵する資料などが展示されている。

 資料館と道を挟んで斜め前に、黒塀で囲まれた妻籠宿本陣跡がある。本陣は代々藤村の母の生家が庄屋を兼ねて勤めており、同家の所蔵品等が展示されている。常夜灯のある桝形跡あたりは風景画で有名な風景らしく、写真を撮る人で混雑していた。ゆっくり見物したわけではないが、気が付いたら10時20分の集合時間ぎりぎりで、バスの駐車場に急ぐ。

<妻籠-馬籠>

 先ずはバスで雄滝・雌滝に行き、15分程見物する。バス停から坂を下りて行くと右側に雌滝の細い水流が、左には雄滝の勇壮な姿が見える。雨で水量が多く、雄滝に近づくと曝流で寒くなってきた。再びバスで10分程行き、10時55分に馬籠峠(801m)に到着し、ここから馬籠の宿まで約40分歩く。

 馬籠峠から旧中山道が車道と交差しながら続いており、道すじには数カ所に民宿村が見られた。水車塚公園を過ぎ、「左中山道」の碑を見るとまもなく馬籠の宿である(11時35分)。

<馬籠>

 狭い坂道の両側に家々が並んでいる馬籠の宿は、島崎藤村の「夜明け前」の舞台として有名である。馬籠峠から来ると中山道の車道を渡り、すぐ左手の喫茶店<穣(ミノル)>で喉を潤す。観光案内所の手前のふる里の家では、おばあちゃんがプラスチックの珠を針で一つずつ糸に通して根気良く造っているブレスレットを買い求める。今日はお祭りらしく、広場では太鼓が披露されていた。道の両側にある土産物屋をのぞきながら、桝形の近くにある水車小屋まで来ると雨が降り出し、瞬く間に土砂降りとなる。落合宿よりの中山道の手前にある<白木屋>で雨宿りかたがた信州そば、五平餅、朴葉寿司、田舎漬物の街道定食、と生ビ−ルの食事をする。

 しばらく雨の様子を眺めていたが、止みそうにないのでバスから傘を持ってきて藤村の墓のある永昌寺を訪れる。この禅寺の山門脇の木立の中に藤村家代々の墓があり、ここに藤村が眠っている。再び坂道の宿場街にもどり、からすみという珍しい名前のお菓子、木曽路の暖簾を買い、バスに戻る。

 バスは馬籠の駐車場を13時30分に出発し、中山道を落合宿ヘ向かい、旧道に入る。5分程で信濃、美濃の国境に着き、ここに「是より北木曽路」の碑を見ることが出来た。

 これよりバスは雨が降ったり、止んだりする中を中央自動車道を通り、諏訪(15時20分)、石川(17時20分)でそれぞれ休憩し、18時15分新宿西口に到着する。小金井からは和子の車で19時の帰宅する。 


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