南紀白浜便でゆとりの旅
南紀二大名湯と紀州路めぐり

2002.10.18〜10.20

カナダ会のメンバー11人で南紀の
二大名湯、白浜・勝浦温泉に泊まり、
紀州路の名所をめぐる旅をしました。

10月18日(金)雨ム曇 6,300歩
朝からの雨がなんとか止んだのを見計らって、10時前に家を出る。京王バスで武蔵小金井に行き、JR中央線、山手線を乗り継いで、品川から京急で羽田へ。羽田着11時40分、集合の時間より30分程早い。集合場所のJASカウンターの前に着いたが、誰も居ないので一番乗りかと思っていたが、どうやら皆さんは食事をしたり、見物などをしていたらしい。
今回の旅は総勢45名で、夫々搭乗券を受け取ると、1階の90番ゲートからバスでJAS383便、南紀白浜行きに搭乗する。
JAS383便は定刻より20分遅れて、13時20分に出発し、途中で揺れることも無く、珍しく雪をいただいていない富士山を右に見て伊豆半島上空から大平洋の海岸線にそって西下し、到着も20分遅れで、14時30分に南紀白浜空港に到着した。
今にも雨が落ちてきそうな空模様である。空港に待っていた明光バスで白浜温泉郷めぐりに出発する。空港からバスで5分程走ると、三段壁と呼ばれる所に到着する。大自然の荒々しい景観と太古の神秘を秘めたこの名勝は、高さ50〜60mの断崖絶壁が屹立し、真っ青な海の色と赤茶けた断崖の風景はみごとである。崖の突端に展望台があり、眼下に洞窟が口をあけている。洞窟の中に入ると、ひんやりした湿った空気に混じって、磯の匂いが漂ってくる。海からの波が狭い洞窟の中に入って来ると、洞窟の壁に当たった海水が噴水のように吹き上げる。この洞窟は熊野水軍の船隠しの場所でもあり、その時代のなごりをとどめた品々が展示されていた。
三段壁から北ヘ五分、距離にして2km程行くと、海岸に張り出した広大な岩畳、千畳敷に到着する。柔らかい石英砂岩が長年の間に侵食されたものである。西側に海が広がり、その向こうに大島と呼ばれる美しい島が見えており、落日の様は見事だそうである。
バスの車窓から、白良浜と呼ばれる美しい海岸や海に浮かぶ円月島と呼ばれるメガネの形をした島を眺めながら、海岸沿いの道路を白浜温泉街に向かい、途中で第一真珠資料館に立ち寄る。
田辺湾に面するチサンホテル白浜は田辺湾に面した全室が海向きのホテルであるが、今日は曇で7階の部屋からも景色は遠望出来ない。
カナダ会のグループ11名は7階の3室に別れることなり、ロビーのソファーに座ってジャンケンで部屋割りをする。通りがかりの人々やホテルの従業員が珍しそうに御夫人方のジャンケンを眺めながら通り過ぎて行く。
7階の709号室に落ち着いて、着替えをすると、先ずは隣の部屋でビールを飲みながら今日の感想会である。5時頃から大浴場や露天風呂に浸かり、先ずは南紀の名湯を楽しむ。
夕食は1階のレストランで6時から7時半まで、生ビールの樽を横に置いて14品のご馳走をいただく。夕食の後は部屋に戻り、11人で10時過ぎまで2次会のおしゃべりを楽しむ。

10月19日(土)曇所々雨 11,400歩
6時前に目が覚めたので、大浴場に行く。雨が降りそうだが、まだ降り出していないので、ホテルの付近を遊覧船の桟橋まで30分程散歩する。チサンホテルの隣の立派な建物は、白浜御苑という立派なホテルだったらしいが、今では休業しているらしく、玄関は閉まっていた。
7時から朝食、さすがに海辺の温泉だけあって温泉卵や海の幸が多い。
8時にホテルを出発したバスは富田川にかかる〒マークのついた郵便橋、鮎の里鮎川温泉、熊野古道の入り口に見える44本の竹でできている風鈴などを車窓から見ながら、熊野本宮大社に向かう。
熊野本宮大社は日本中の各地に散在する熊野神社の総本宮で、熊野三山の中心である。紀元前33年の創建で、歴代の上皇、法皇の参詣が相次いだと伝えられている。日本一を誇る大鳥居をくぐり、杉木立に囲まれた山道の階段を142段登ると、正面に神門、左手に拝殿があり、その奥に社殿が並ぶ。檜皮ぶきの社殿は重厚な雰囲気を漂わせていた。
熊野本宮を後にしてバスは瀞峡探訪のウォータージェット船が発着する志古乗船場に向かい、10時15分に駐車場に到着する。
瀞峡は熊野川の支流にあたる北山川の峡谷のことをいう。志古の乗船場桟橋を10時30分に出発したウォータージェット船68号は、和歌山県、奈良県、三重県の県境を流れる北山川のゆったりとした川幅のところを、上流に向かって水しぶきをあげながら時速40kmのスピードで進んで行く。川の所々にある鮎漁の為の柵を乗り越える時はかなりの衝撃が船体から伝わってくる。40分程すると、瀞八丁と呼ばれる下瀞に到着し、両岸の峡谷美や様々な形をした奇岩が次々とあらわれてくる。深い淵は濃い緑色の水を見せてくれる。洞天門、夫婦岩、亀岩、屏風岩、天柱岩、大黒岩など、それぞれ特徴をとらえて名付けられた岩が続く。仙遊洞を過ぎると間もなく左手が田戸の船着場で、これより上流約2kmが上瀞である。
船は北山川にかかるやまびこ橋をくぐり、さらに上流に進むと、天狗岩、コマ犬岩、松茸岩さらには望月岩、獅子岩と続く岩々があらわれる。そして後洞門まで来ると上瀞も幕を閉じ、船はこれより引き返す。帰りは田戸の船着場で船を降りて一休みし、ゆっくり景色を眺めながら、美味しい空気を吸ったり、それぞれ記念撮影をする。田戸の船着場を後にし、船上で豪華な昼食の弁当をいただき、12時30分志古乗船場に到着した。
志古の駐車場を出発したバスは熊野川に沿って新宮市に向けて走る。途中の車窓から鼻白の滝、布引の滝、三段の滝、葵の滝など、那智の裏滝を見ながら、ガイドさんの軽妙でうんちくのある説明を聞いていると、いつのまにか雨になり、1時10分に新宮市の熊野速玉大社に到着する。
熊野速玉大社は熊野三山の一つで、新宮大社とも呼ばれ、昭和27年に建立された現在の社殿はあざやかな丹塗りである。雨が降り出した中を、傘をさしてお参りし、神木で特別天然記念物に指定されている幹まわり6mもあるナギの木や当地出身の佐藤春夫の詩碑などを見物する。
那智の滝に向かう途中で、2時から15分程那智かまぼこセンターに立ち寄り、今夜のつまみと名産のミカンを仕入れる。
那智の滝は幅13m、高さは日本一の133mで、原生林の切れ目から流れ落ちる様は雄大な景観である。ここでも雨が降っており、なんとなくしっとりとした空気を感じながら、傘をさして観滝所まで下って行く。今日は雨のせいか、前回見た時より水量が豊富で、毎秒1トンの水が絶壁を落下する日本一の景観を堪能した。
熊野三山の一つで、熊野信仰の聖地として知られる熊野那智大社は、滝よりバスで5分程の所にある駐車場から表参道の石段を473段登る。朱色の大鳥居をくぐると、正面に拝殿があり、熊野権現造りの五つの社殿が整然と並んでいる。拝殿に参拝し線香をあげて無病息災を願う。
青岸渡寺は那智大社拝殿の右側に、土塀一つで接している。推古天皇の頃の創建であるが、織田信長の兵火で焼け、豊臣秀吉の願いで再建され、如意輪観音を祀っている。もともと那智大社と一体であったが、明治の神仏分離令で独立して寺となったものである。寺の境内から遠望する那智の滝とその左手に見える朱塗りの三重塔の景観もすばらしかった。
参道の両脇に軒を連ねる土産物屋の一軒で、名産の那智黒石とはまぐりの碁石や線香を買い求め、ビール&コーヒーで一服する。
バスで勝浦港に向かい、勝浦港の沖合いに建つホテル浦島まで専用の船に乗り、4時20分ホテルの桟橋に到着する。
ホテル浦島は客室544室、収容人員2,600名、大洞窟温泉「忘帰洞」など7カ所の浴場を有するマンモスホテルである。今日は観光バスが40台程の客を乗せて訪れているそうであるが、土曜日にしては少ないそうである。
玄関のロビーで例によってジャンケンで部屋割りをし、6階の605号室に落ち着く。部屋のベランダから専用の連絡船が勝浦港からひっきりなしに客を運んでくるのが見える。中には亀の形をした連絡船もあり、竜宮殿にいる浦島太郎になった気分になる。
温泉めぐりの手始めは、エレベーターと長い渡り廊下を通って名物忘帰洞にたどり着く。忘帰洞は広さ約1,000F、高さ22mの洞窟に十余の湯舟がある洞窟の温泉で、その向こうに大平洋の大海原や島々を望む景観はすばらしい。紀州藩主徳川頼倫公が、その景観にみとれ、帰ることを忘れたといわれている。
夕食はバイキング形式で、5時半から7時半まで、それからボトルで買い求めた飲み物の残りを持って帰り、部屋でおしゃべりをする。今日の話題は、次回の予定とカナダ会のT−シャツ造りで、10時過ぎまで話に花が咲く。
私は玄武洞を見物に行くが、有志の方々は忘帰洞以外の6カ所の温泉、玄武洞、遥峰の湯、ハマユウの湯、磯の湯、ごんど湯、山上露天風呂天女の湯・狼煙の湯を今夜と明朝で制覇したそうである。

10月20日(日)曇−晴−小雨 9,600歩
5時半過ぎに起きて忘帰洞に行く。今朝は男子風呂と女子風呂が入れ代わっていた。風呂帰りに那智の名水で喉を潤す。7時からバイキング形式の朝食をし、ホテルの周りを散歩する。
8時半にフロントに集合して、連絡船で勝浦港へ向かう。8時45分に勝浦港を出発したバスは国道42号線を串本に向かい、蜂の巣岩などを車窓に見ながら9時20分に橋杭岩に到着する。海岸から大島に向かって大小40ほどの岩が一列に並んで立ち、橋の杭のように約850mほど続いている。岩にはそれぞれ名前が付けられており、最大のものを弁天岩と呼んでいる。幸い引き潮で、波の打ち寄せる岩の所まで歩いて行き、その大きさと様々な形を実感する。
橋杭岩から15分程で潮岬に到着する。北緯33度26分のこの地は本州最南端に位置する。岬全体が海抜60mほどの隆起海蝕台地で、周囲にある入江は断崖が急傾斜で海に落ち込んでいる。海に望んだ10万Fにも及ぶ広大な台地に広がる芝生を「眺望の芝」と呼んでいる。この芝生の根元付近に建つ円筒形の8階建ての建物が潮岬観光タワーで、この7階の展望台から沖合いの島々や沖行く船、大島、潮岬灯台、那智山など270度の展望が楽しめた。ここから見える潮岬灯台は高さ19m、切り立った断崖に立ち、明治11年の建築である。入場料に含まれている本州最南端訪問証明書に日付けを押印する。眺望の芝を横切って、本州最南端碑のある突端まで歩いて最南端の空気と陽光を堪能する。
串本の町から潮岬のある半島を一周して串本に戻り、串本海中公園に11時に到着する。
串本海中公園は国内第一号の海中公園で、潮岬を望む国道42号線沿いにあり、マリンパビリオンや海中展望筒、グラスボートが楽しめる。マリンパビリオンでは串本の海中を再現する近代的な水族館で熱帯魚や巨大なイシダイ、ウツボ、オトヒメエビなど約130種類の魚類を集めている。ナマコ、ヒトデ、ウニなどの珍奇な海の生物や発光サンゴ、発光魚なども集めてある。140mの沖合いには、水深3.6mの海底から円筒形をした海中展望筒があり、展望筒の小窓からカラフルな熱帯魚やメジナなどの磯魚が、自然のままに眺められた。
今日の昼食は海中公園レストランで思い思いのものを注文して食べる。私とマダムは名物の目はリ寿司とさんま寿司のセットとビール、無料のお茶にする。
海中公園を出発したバスは南紀白浜空港に向かい、1時50分に到着する。
南紀白浜空港発羽田行きDJ384便は定刻より10分遅れて3時に出発し、3時半を過ぎた頃左手に黒い頂を見せる富士山が見えたかと思う間も無く定刻の3時55分に羽田空港に到着した。
京急と山手線、中央線、京王バスを乗り継いで、6時に帰宅した。


BACK