しまなみ海道の旅

2002.6.9

しまなみ海道は、本州と四国をを結ぶ3本目の橋として昭和50年(1975)に着工し、平成11年(1999)に完成した。
広島県尾道市と愛媛県今治市を10の橋で結び、総延長は60km、総事業費は約6千900億円である。今回はこのうち北半分、尾道〜大三島を旅しました。

 10時5分尾道駅前発のしまなみ定期観光バスは、13名の観光客を乗せて、定時に出発した。このバスは福山駅始発で、今日は日曜日とあって、乗客は多いほうだそうである。バスにはガイドが乗っておらず、テープと運転手の軽妙な説明が面白い。ちなみに、運転手は定年で現役を一度リタイアした話好きのおじさんである。
 駅前を出発すると、JR山陽本線を左に見て、千光寺公園へのロープウェイ乗り場の下を通り、尾道大橋に向かう。尾道と向島の間の尾道水道に架かる橋はこの尾道大橋と新尾道大橋の2本がある。尾道駅からしまなみ海道に向かう場合は、尾道大橋を通るほうが便利である。橋の上から左右の尾道水道の造船所や漁船が係留してある漁港を眺めていると、右手に村上水軍の見張り所が置かれていたという、高見山(283m)が見えてきた。
 向島は面積 6.33平方キロメートル、人口1万人余りの島で、島の半分は尾道市であるが、温暖で風光明美な環境のため、洋ランセンターがあり、一年中ランが楽しめる。バスは島の中央を南北に縦断するしまなみ海道を南下し、向島ICを過ぎると、因島大橋が見えて来る。
因島大橋は昭和58年(1983)に開通し、向島と因島を結ぶ全長1,270mの吊橋で、日本の吊橋としては初めて鋼床版を採用している。
 因島は中世期に村上水軍が拠点として瀬戸内海を支配したことで良く知られている。島の中央には因島水軍城があり、毎年8月の最終土、日曜日に水軍祭が行われる。島の北部にある標高227mの白滝山には観音堂があり、大小700体の石仏が並んでおり、別名を観音山とも呼ばれている。因島南ICを過ぎると生口橋で、橋を渡ると生口島である。
 生口島は面積33.74平方キロメートル、人口1万人余りで、「西の日光」で知られる耕三寺で有名である。最近では地元出身の平山郁夫画家の作品を中心に展示してある平山郁夫美術館も人気があるとのことである。しまなみ海道はこの島ではまだ完成しておらず、生口橋を渡ると生口島北ICから北回りで観光スポットが集まる瀬戸田の町に向かう。バスは耕三寺に程近いラガールせとだの駐車場に10時50分に到着し、昼食の時間を含んで2時間、自由行動となる。耕三寺は前回訪れたので、今回は平山郁夫美術館でシルクロードのスケッチを楽しむ。カラコルム・ハイウェイやフンザなどパキスタンの旅で訪れた風景が描かれており、懐かしく思いながら観賞した。昼食はラガールせとだで名物の蛸飯や蛸の天ぷらなどの蛸料理に舌鼓を打つ。

しまなみ海道の島と橋



 瀬戸田の町を出ると、バスは生口島南ICに向かい、そこから再びしまなみ海道の自動車道を多々羅大橋に向かう。この橋を渡ると愛媛県の大三島である。多々羅大橋は平成11年(1999)に開通し、全長1,480mの世界一の斜張橋である。
 大三島は別名「国宝の島」とも呼ばれ、国宝や重要文化財級の武具・甲冑類が8割も保存されているといわれる大山祗神社や書家の村上三島記念館などがある。バスは大三島ICから10分程で大山祗神社に到着する。バスの駐車場から土産物屋の威勢のいいお姉さんが神社を案内してくれる。
 大山祗神社は水軍信仰の社として古くから海の神、武人の神として歴代の朝廷や武将からの信仰を集めた神社で、天照大神の兄神である大山積大神が祀られている(積の文字が違う)。本殿は南北朝期に再建され、神門のそばには樹齢2,600年の大クスの木がそびえ立っている。宝物館には源頼朝や義経の大鎧など数多くの武将たちから奉納された武具類が展示されている。
 大山祗神社を後にしてバスは多々羅大橋の架橋下の「上浦町多々羅しまなみ公園」に向かう。この公園からは多々羅大橋の美しい姿が堪能できた。公園のすぐ近くに路線バスのバス停があり、観光バスはここで福山に引き返す為、今治に行く人はここで路線バスに乗り換える。
 我々の乗った定期観光バスは来た道を引き返し、尾道駅で殆どの人が降り、福山駅まで行くのは二人だけになり、4時半に到着した。
 ところでこのしまなみ海道は出来た時は観光客で賑わったらしいが、最近では観光客も少なく、ひまなみ海道と陰口を聞かれるようになり、定期観光バスも近い内になくなるらしい。たいへんな投資をして完成した道路や橋も料金が高く、不便で、地元の人には人気がないらしく、観光客の減少と共に寂しくなるのは残念である。


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