1999.1.8〜1.17
近畿日本ツ−リストの<チュニジアゆったり10日間>のツア−に参加して、マグレブの国チュニジアのラマダン明け寸前の所を旅しました。参加者は20名、添乗員の町野美香さんを加えて21名の楽しい旅でした。帰りには、モスクワ市内を観光しました。 |
1月8日(金)
小金井発8時20分の始発電車に乗るため、7時45分に和子の車で家を出る。電車は5分ほど遅れて発車し、京成上野駅に9時15分に着く。スカイライナ−13号は9時30分、定刻に出発し、空港第2ビルに10時27分に到着する。Hカウンタ−で手続き中の添乗員の町野さんに受託荷物を1個預け、集合の時間までレストランで時間をつぶしたが、搭乗機が遅れているため更に待つこととなる。旅行会社より頂いたミ−ルク−ポンでビ−ルを飲み、免税店で時間をつぶしてC-84番ゲ−トで更に待つこととなる。
定刻13.00時発のモスクワ経由パリ行きのSU576便は、定刻より3時間30分遅れて16時30分の出発となる。ロシア国際航空アエロフロ−トは初めてだったが思ったほどサ−ビスは悪くなかった。
モスクワ着は21時05分、定刻より3時間40分の遅れで到着する。
モスクワからは、同じアエロフロ−トのSU-409便チュニス行きで、定刻20時10分の所を1時間35分遅れて、21時45分に出発しチュニスに現地時間の0時05分着となる。入国手続き、税関チェック等簡単で、待っていたバスに乗りハビブ ブルギバ通りのカ−ルトンホテルに1時05分に到着する。
1月9日(土)晴 20,000歩
6時に起きてブルギバ通りを散歩する。ブルギバ通りの東はチュニス・マリン駅であり、西に向かって時計塔、劇場、大聖堂、フランス大使館等が道の両側にあり、フランス門、メディナえと続く。通りの遊歩道には花屋や新聞売の店が既に開店しており、靴磨きも開店準備をしていた。売店でチュニスの地図を4.85TDで買い求める。朝食はホテル2階のレストランでバイキング形式の食事で、ゆで卵、パン、コ−ヒ−。
8時30分、昨日のバスで観光に出かける。運転手はモエスさん、現地ガイドはシュクリンさんで、ガイドの日本語がたどたどしく面白い。
バスは先ずチュニスの北に向かい、世界遺産カルタゴの遺跡群と地中海を見下ろすシディ・ブ・サイドを観光する。チュニジアではどこでも1日又は半日のカメラ撮影料としてカメラチップ1TDを払わなければならない。
カルタゴに残る遺跡の多くはロ−マ時代のもので、古代カルタゴ(フェニキア)時代のものは少ないといわれている。しかし、トフェットの遺跡にあるカルタゴの子供たちが眠る聖域にはフェニキア人の幼児犠牲信仰が伺える幼児の墓が残っている。またその近くにはポエニ(古代カルタゴ)時代の軍港と商港の跡があった。ロ−マ時代のアントニヌスの巨大な遺跡では浴場や劇場跡を、ポエニ時代のカルタゴの街があったビュルサの丘からはカルタゴ人の住居跡やカルタゴの街、チュニス湾の向こうにチュニスの街を眺めることが出来た。また、カルタゴ国立博物館ではフェニキア、ロ−マ時代のカルタゴの歴史を伝える品々が展示されている。
カルタゴからブルギバ通りを北東に行くと、アンダルシアからの移民の町シディ・ブ・サイドである。ここは真っ白の壁にチュニジアンブル−の窓枠やドアの家並みが並び、チュニス湾のヨットハ−バ−やその先の地中海等の眺めが美しい。高台にある世界最古のカフェのひとつといわれるカフェ・デ・ナットのテラスで一杯0.9TDのトルココ−ヒ−を飲みながらしばし眺望を楽しむ。バスへの帰り道、土産物屋に立ち寄り60TDのナイフを10TDで買い求める。
昼食はホテルに帰り、朝食をしたレストランでサラダ・チュニジアン等。
このホテルにはアルコ−ル類は無く、ビ−ルを注文するとウエイタ−が外に買いに行く始末で、ワインなどは勿論無い。ビ−ルを注文すると2.5TDで180mlの缶ビ−ルが出た。
午後は、バルド−国立博物館とメディナの見学である。
バルド−国立博物館はオスマントルコ時代の地方長官、ベイの元宮殿である。ここはチュニジアが誇る世界一のロ−マ時代のモザイクタイルコレクションで有名であり、ロ−マ時代の彫刻や同時代の風物を描いた絵画が至る所に置かれている。又前期旧石器時代、古代カルタゴ時代、紀元前7世紀~紀元2世紀ごろの骨や象牙、サンゴで作ったさまざまな歴史的に貴重な品々が展示されていた。今はラマダン中で閉館が早く、3時には追い出されそうになってバスに引き上げる。
バスをメディナの北側にある官庁街で降り、世界遺産のメディナの中を見物しながらホテルまで歩いて帰る。メディナとは旧市街のことで、細い迷路の様な道の両側に様々な物を作る職人の店、売る店が並び、モスクやス−ク(市場)が点在している。メディナの中の絨毯店の屋上に登ると、メディナを一望することが出来た。メディナを出ると、そこはフランス門でホテルまで歩いて5分程であった。
夕食前、5時半頃ホテルの周りを散歩すると、街は人影がまばらで静かであり、レストランをのぞくと、テ−ブルの前で人々が日の入りの合図の鳴るのを祈りながら待っている姿が見受けられた。ラマダン中は日の出から日が沈むまで飲食を禁じる宗教の戒律を目のあたりにして何とも言えない思いであった。
夕食はホテルのレストランで、スパイスの効いたス−プと鳥肉料理、ワインは無いのでビ−ル、それも缶ビ−ルの180mlを1本飲んで引き上る。
1月10日(日) 晴 17,000歩
昨夜のお酒が少なかったせいか、良く眠れて朝早く目が覚めたのでカルタゴの絵葉書で年賀状の残りを9通書く。今日はチュニスから160km南の地中海を望むリゾ−ト地、ス−スに移動する。朝食後、8時40分にホテルを出発し、G.P.1号線を南下し、途中トイレ休憩を1回とり、11時10分チュニジアを代表する観光のメッカ、ス−スのメディナの入口に到着する。ス−スはチュニス、スファックスに次ぐチュニジア第3の都市で、フェニキア人によって紀元前9世紀頃開かれた。その後アラブ人によって破壊され、アラブ色の強い街の景観となった。ス−スのメディナも世界遺産に指定されている。メディナの北東の角にあるリバトは8世紀末に建てられた高い塔を持つ砦である。海からの敵の進入を監視するだけあって、73段のらせん階段を登って塔の見晴らし台に登ると、ス−スの街が一望でき、素晴らしい眺望である。メディナを約1時間半かけて見物し、ポンカンに似た蜜柑1kgを1TDで買い求め、海を見ながら食べる。
昼食は、レストラン La MaMaでビ−ルを飲みながら、ベルベル人のテンポの速い踊りを楽しんだ。
食後は、ス−スの南東約15kmにあるモナスティ−ルを見物する。この街の旧市街の東側はリゾ−トエリアになっており、ヨ−ロッパ風のマリ−ナやリゾ−トホテルが林立している。この街は、前大統領ハビブ・ブルギバの生誕の地であり、生存中の同大統領の霊廟があり、その横にある墓地と共に観光ポイントとなっている。
これより北に引き返し、ス−スの街を通り過ぎてポ−ルエルカンタウイにある今日のホテル、エルハナに4時20分到着。夕食まで時間があるので、ホテルの周りを散策し、コンビニでお菓子を買い求める。
夕食は豪華なバイキングで、宇都宮の新保さん、平出さん、練馬の山口さん等とビ−ル、ワインを飲みながら歓談していたら料理もろくに食べないまま時間となる。
1月11日(月)晴 19,000歩
この辺りの日の出は7時頃かと思い、6時45分ごろホテルを出て浜辺に日の出を見に行く。浜辺の東側の岬から、7時30分頃地中海の美しい日の出を見ることが出来た。
今日はスファクスまで約130kmのバス旅である。例によってバイキングの朝食後、8時45分ホテルを出発しオリ−ブ畑の中のG.T.1号線で世界遺産の円形闘技場のあるエルジェムに向かう。この闘技場は紀元3世紀に造られ、3万人の観客を収容する事が出来る3階建の観客席を有する。今でも3階の観客席まで登ることが出来、そこからはこの構造物の巨大さが実感出来る。
途中でオリ−ブの収穫を見物しながらスファクス郊外の今夜宿泊するドニアホテルに到着する。昼食は、ドニアホテルで淡泊な白身の魚の揚げ物であった。 午後はスファクスのメディナと新市街の観光である。スファクスは人口70万人のチュニスに次ぐチュニジア第2の都市である。メディナはグレイとモスクを中心に建てられ、今でも残っているメディナの外壁は美しい。メディナに隣接した新市街では沢山のバイクが見かけられ、靴を売る店が軒を連ねている商店街でマダムの靴を買う。
今夜もワイン組で赤ワインとビ−ルで宴会となる。
1月12日(火)晴 12,000歩
今日は、穴蔵式住居に住むベルベル人の町マトマタまでガベスを経て約180km、そこからサハラ砂漠のオアシス、ドウ-ズまで約120kmの旅程である。早めにホテルを出て、オリ−ブ畑の中をマトマタに向かう。
マトマタの集落は小高い丘の中腹に穴蔵式の住居が点在している。高い丘に登るとこの集落が一望出来、遠くには地中海を見ることが出来た。この穴蔵では現在も人々が生活しており、観光用のレストランがあり、そこで昼食となる。昼食は、ツナや卵を春巻の皮のようなもので包んで揚げ、レモンをかけて食べるチュニジア独特の料理<ブリック>を食べた。パリッとした外側の皮と中の半熟卵が美味しかった。
午後は砂漠の中の道をドウ−ズに向かう。ドウ−ズでは露店の市場が開かれていたので見物する。ホテルに荷物を置いて、ドウ−ズの町から15分程の所までバスで行き、そこからラクダに乗って砂漠の観光に出かける。我々二人はアラブ人のタ−バンと衣装を一人2TDで借りてラクダに乗る。運良く砂漠の砂山の向に夕日の沈むのを見ることが出来、ラクダでの帰路もしばらくは夕日に焼ける空の美しい夕焼けが眺められ、大変感動した。
夕食の前菜は<ブリック>で、昨夜と同じ銘柄の赤ワインとビ−ルを飲む。
夕食後、夜空の星がきれいで沢山見えたのでホテルの近くを散歩していたら、星に詳しい山口さんとぱったり会ってオリオン座や北斗七星等を教えてもらう。
1月13日(水)晴 15,000歩
朝日を見るため、朝食を早めに済まし、ホテルの前の道を東に向かって歩いて行くと、15分程で砂漠が見える競技場のスタンドがあり、そこから朝日が見えそうであったが時間が気になって見ることが出来なかった。しかし、途中には温泉が湧き出ている所やオアシスに水を流していたり、大きなタンクで水を運んでいるところを見たりする事が出来た。
8時にバスはドズ−ルに向けて出発し、しばらく砂漠の中を走ると、一面塩で真っ白なショットエルジェリド(塩水湖)が見えてきた。バスはこの塩の中の道を真っすぐ55kmの間走る。この辺りは海抜0mで、かっては地中海につながっていたと言われている。途中の土産物屋と塩を採取しているところで休憩し、流れている水をなめてみるとかなりしょっぱい。ドズ−ルの近くではミラ−ジュ(蜃気楼)が見られた。
ドズ−ルの町は独特な幾何学模様の組み合わせで出来た日干しレンガの家並みがきれいで、オアシスには見上げるようなヤシの木が林立していた。
オアシスのヤシから採れるナツメヤシは安くて美味であり、干し柿のような味がする。オアシスの一つを馬車で散策し、植物園で珍しい草花を、パラディソ動物園では砂漠の動物達を観賞する。
ドズ−ルの町のレストラン、レスアンダロスでチュニジアサラダとク−シャの食事をし、そこからトヨタの4WDに乗り換えて、塩水湖、ショットエルガルサの縁を通って、アルジェリア国境のすぐ近くにある山のオアシスの町に向かう。小川やチュニジア一の滝のあるシェビカ、大洪水で廃虚となった旧村が対岸に見えるタルメザ、険しい断崖の上に残る旧村ミデスはいずれも1969年の大雨で廃虚となった遺跡のような佇まいである。
今日の宿、フェドラホテルのプ−ルからは西の空に沈む夕日をきれいに見ることが出来た。夕食はバイキングで、例によって赤ワインとビ−ルを飲む。食後、マダムは希望者だけで近くのダルシュライト博物館に行く。我々ワイングル−プは残りのワインを飲みながら歓談し、プ−ル脇のデッキチェア−に寝転がって、照明を消してもらい、星を仰ぎ見る。今夜はオリオン座、北極星は勿論、スバルも見ることが出来た。部屋に帰る途中で、バッグのカギが開かないで困っている人に出会い、開けてあげる。
1月14日(木) 12,000歩
ドズ−ルからG.P.3号線を約93km北上すると古代ロ−マの都市、ガフサに着く。ここでは今でも35度位のお湯が湧き出ている二つのロ−マ風呂を見学する。上からのぞくと緑色をした巨大なプ−ルのような風呂に子供が飛び込んでみせ、チップをもらっていた。
市場でナツメヤシの実を1キロ400ミリ-ム、枝についた高級品1本200ミリ−ムで買い求め、土産にする。
ここから更に120kmほど北上すると、ロ−マ・ビサンチン時代の遺跡が残るスベイトラの町に到着する。レストラン、バキニで食事をし、バスで5分程の所にあるスベイトラの遺跡を見学する。ここには要塞化された50ヘクタ−ルにも及ぶ当時の都市がそのまま遺跡として残っている。入口には凱旋門がそびえたち、ジュピタ−の神殿の両脇にユノとミネルバが祭られた神殿が並び、それを取り巻くようにして浴場、教会、貯水池、劇場、円形競技場などの跡が見られた。中でも神殿の保存状態が良いのには驚いた。
スベイトラからケロアンまでは約120km、郊外にあるアミナホテルがチュニジアの旅最後のホテルである。夕食は7時半から9時過ぎまでワインとビ−ルで歓談しながら頂き、添乗員2人とシュクリンさんとコ−ラを飲みながら歓談する。
1月15日(金)雨 22,000歩
チュニジアで初めての雨である。朝食後、ケロアンの市内観光をする。
郊外にあるアグラブ朝の貯水池は14個だったが、現在ではそのうち2個が残っており、1969年に修復され今でも使われている。
シディサハブ霊廟では、色鮮やかなエナメル焼きタイルの壁、植物や動物をあしらった模様、出入り口の馬蹄形のア−チや半円形の天井などは他の遺跡とは違った趣があった。たまたま、男の子の割礼の儀式に遭遇した。
アラニ家の館では、絨毯織りの実演を見、お茶を飲みながら絨毯の説明を聞く。熱心に説明してくれたので仕方なくWall Fieldに敷くものを280ドルで買い求める。
ケロアンの中心には城壁で囲まれたメディナがあり、その北東の角にグレ−トモスクと呼ばれるシディオクルモスクの砦のような高い城壁と頑丈な門を見ることが出来る。なかには入ると礼拝堂の入口から中がのぞくことが出来、正面の壁にメッカの方向を示すくぼみがあった。中庭には日時計と地下に大きな貯水槽があり、そこに雨水が流れるように緩い傾斜がついている。水をろ過する工夫もされているらしい。
メディナの中心にはバロウの井戸と呼ばれる場所があり、建物の二階に上がるとラクダが主人の指示に従って井戸の周りを回り、井戸の水を汲み上げる仕組みになっている。その横のCDを売っている店でシュクリンさんの推薦するチュニジアの歌のCDを1TDで買う。
アラニ家の横のレストランエテシットで昼食を食べ、チュニスに向かう。
チュニスの市街に入る手前で、紀元100年頃ザグアンからカルタゴまで132kmにわたって造られた水道橋の遺跡を目の当たりにする事が出来、バスを下りたところでちょうど貨物列車が通るところも見る事が出来た。
チュニスのカ−ルトンホテルに4時半頃着き、荷物の詰め替えを済ませてメディナに出かける。メディナも商店街も夕食直前で、店は閉まっている所が多く、閑散としていた。メディナでマダムはお土産の皮靴のキ−ホ−ルダ−を3個5TDで買い、同行した人たちも皮のスリッパ等を買う。クッキ−に似たお菓子なども少しずつ買い、チュニジア駅等を見物してホテルに帰る。
8時からメディアの中のレストランでボリュウム万点のチュニジアンダンサ−のショウを見ながらワインとビ−ルで夕食となる。その後、今日誕生日の人を祝って添乗員さんが用意したバ−スデイケ−キの御相伴に預かった。
レストランからバスで空港に向かい10時40分チュニジア空港につき、シュクリンさんやもエスさんと別れを惜しんで出国手続きをする。これからは、荷物は預けず全て機内持ち込みとする。
1月16日(土)モスクワは曇 12,300歩
アエロフロ−ト航空SU410便は定刻0時10分、チュニス空港を飛び立ち、
モスクワのシェレメ−チェヴォ第2空港に7時20分到着、入国審査を済ませてバスで空港のすぐ前のノヴォテルホテルに9時到着となる。ホテルの部屋でシャワ−を浴びてさっぱりし、休憩した後、11時からブランチとなる。
12時から市内観光である。先ずクレムリンの赤の広場、モスクワ川を渡って対岸からクレムリンを囲むようにして建っている由緒ある建物や橋を見物した後、寺院や教会、モスクワ大学、大学の裏門前のヴァラビヨ−ヴィ丘の展望台からの市内の眺望ならびにノヴォデヴィチ修道院の見学、白鳥のいない白鳥の湖等を見物し、土産物屋でキャビヤ、チョコレ−ト等の土産を買いバスで空港に向かう。
アエロフロ−ト航空SU575便は定刻の19時05分にモスクワを出発し予定より早い10時20分に成田空港に到着した。
1月17日(日)晴
成田には、思いがけず和子が迎えに来てくれていた。
スカイライナ−6号、10時48分発に滑り込むようにして乗り、1時頃帰宅する。