5月5日(金) 晴 7,200歩
阪急交通社主催のツア−、<フンザ桃源郷紀行>の集合は12時で、成田新国際空港 第2旅客タ−ミナル三階のHカウンタ−である。9時15分に自宅を出て、京王バス、中央線、山手線を乗り継いで上野着が10時20分。スカイライナ−の時間までコ−ヒ−スタンドでコ−ヒ−を飲んで過ごす。スカイライナ−15号は京成上野駅を10時50分に出発し、空港第二タ−ミナル駅に11時47分の到着で、いずれも定刻どおりである。
集合場所でパスポ−トと航空券を受け取り、荷物検査を受け、Eカウンタ−のパキスタン航空で搭乗手続きをし、ス−ツケ−スを預けると身軽になる。
12時半より、ツア−・コンダクタ−の清水さんからツア−の説明や注意があり、出国審査を受けると外国である。今回は飛行機でアルコ−ル類が出ないし、パキスタン国内でもアルコ−ル類を手に入れることは難しいとのことで、A-62
の待合室でしばらくは口にすることができない生ビ−ルを味わう。ここのビ−ルは免税の割りには高く、なぜか一杯600円と国内並であった。
パキスタン航空、PK-853便 カラチ行は定刻を30分遅れて14時30分、北京経由でイスラマバ−ドに向けて出発した。成田から北京までは3時間半、北京からイスラマバ−ドまでは6時間半のフライトの予定である。しかし、北京には30分遅れの17時に到着したが、機体整備や飛行ル−トの変更手続きの遅れで、20時15分の出発となった。イスラマバ−ド国際空港到着は23時30分、2時間30分の遅れであった。東京−イスラマバ−ドの時差は4時間である。
機内はほぼ満席で、出発する際には必ずコ−ランが機内に流れ、食事二回の際にアルコ−ル類無しのソフトドリンクが出る程度で、食事の種類も選べず、必要最小限のサ−ビスであった。
イスラマバ−ド国際空港は暗くて定かではないが、こじんまりした空港で、到着ゲ−トも一カ所だけである。入国審査は簡単だが手荷物検査は厳重である。
我々のツア−(男12名、女8名、計20名)の中でも、4~5名の人が別室に連れて行かれ、荷物の中を検査されていた。
手荷物の検査が済んだところに、今回のガイドであるShahzad Shah(シャ−さん)が迎えてくれ、バスまで案内してくれた。彼は25才位のスリムな青年で、伯父さんが社長をしているIndus
World (PVT) LTD. のツア−ガイドである。因みにその伯父さんは東京に住んでいるとのことである。
バスが走りだすと、ツア−ガイドのシャ−さん、運転手のアッシュラムさんと運転助手を務めるオルザ−ルさんの紹介があり、ラワルピンディのMall
Rd. 沿いにある今日の宿、シャリマ−ル・ホテルに0時40分到着となる。運転助手は運転手の雑用や、車の整備などをしていたが、トラックなどには運転手一人で走っている車は一台も見受けられず、必ず運転手の横に人が乗っているのが見受けられた。
パキスタンの飾り立てた車は有名であるが、トラックでは車代の2倍ものお金をかけて飾り立てるそうで、前から見ると日本の祭で見られる山車のようである。また、トラックだけでなく、バスやライトバン、軽トラックなど小さな車でもそれなりに飾り立てており、道路が派手やかである。

5月6日(土)晴 25,400歩
今日はチラス(Chilas) まで約450kmのバス旅である。
4時に起きて荷物を整え、朝食をして5時半に出発する。この頃にはすっかり夜が明けて、明るくなっており、日本のカラスより小ぶりで痩せた、かわいいカラスをホテルの周りで見つけた。
ホテルを出ると、モ−ル・ロ−ド、G.Tロ−ド(グランド・トランク・ロ−ド)を通り、ハッサン・アブダ−ルでペシャワ−ルに向かうG.Tロ−ドと分れて、右折する。しばらく狭い並木道を、レンガを焼く煙突などを眺めながら田園風景を楽しんでいると、タキシラから来た道と合流し、ハリプ−ルに着く。
しばらくインダスの支流、ド−ル川に沿って進むときれいな橋を渡り、川と離れる。この橋がカラコルム・ハイウェイ(KKH)の基点であリ、終点のカトマンズまで1,300kmである。KKHはハベリア−ンの町を通り、ラワルビンディ−から116km、標高1,250mのアボッタ−バ−ドの町に着く。
アボッタ−バ−ドは避暑地であり、医科大学2校や病院などがある文教の町である。この町のロイヤル・ホテルでトイレ休憩をし、さらにKKHを北上する。
マ−ンセ−ラ−村の道沿いの店でオレンジ(12個/24Rs), メロン(26Rs), キュウリ(1Rs) を買う。ガイドのシャ−さんはバナナとオレンジを買い、皆にサ−ビスしてくれた。果物は何でも大変美味しい。
車窓から高原状の地形や山の斜面に松林が見えたかと思うと、段々畑の水田やたばこ、ジャガ芋などの畑が現れる。10時頃、標高1,600mのチャタ−ル村に到着し、グリ−ン・ホテルでトイレ休憩をする。この辺りはチャタ−ル高原と総称され、これからバトグラムまで下りになる。バトグラム村の手前、シャルク−ル峠がView
Point で、JAICAの建設したつり橋や見事な段々畑の水田を見渡しながらカメラ休憩をする。
バトグラム村から約20km、40分程するとインダス川が見えてくる。インダス川を左に見ながら川幅の狭い地点に架かるつり橋、タ−コット橋で対岸に渡る。この橋は中国側の協力で出来たそうで、橋の欄干に獅子などの中国のモチ−フが残されている。この辺りは標高760m、12時現在の気温は33シCであった。
タ−コットから15km程行くと、道の右側にKKHの距離程があったが、これは帰りに見学する予定である。ベシャ−ムの町に入る手前の右側、インダス川の川沿いにPTDC
Motel Beshamが見えてくる。ここで今日の昼食をし、6日目の宿泊をする予定である。PTDCとはPakistan Tourism
Development Corporationのことである。昼食は12時40分から50分間、インダス川の流れを見ながら、non-アルコ−ルビ−ルとバイキング料理である。
なお、これから食べる食事は全てバイキングスタイルで、昼食と夕食の材料は殆ど同じ鳥及び牛肉、じゃがいも、キュウリ、トマト、豆等で、味付けも殆ど同じコンチネンタルタイプである。飲物は紅茶(ミルクテ−)、グリ−ンティと呼ばれる現地のお茶で、コ−ヒ−はインスタントのみで、頼まないと出てこない。
ベシャ−ムからインダス川を右に見ながら、道は徐々に高度を上げ、川よりも数百メ−トルも高いところを通過して行く。15km程でドベ−ルのバザ−ルに入る。この辺りの家は典型的なコヒスタニ−(山の人)型と言われ、土と石でできており、屋根が平である。
これからまたインダス川のV字谷の中ほどを走って、パッタ−ンに着く。インダス川に向かう斜面がなだらかになり、パッタ−ン橋が見えてくる。ちなみに、Pattanとは<渡し場>と言う意味だそうである。パッタ−ンまでラワルピンディ−から約320kmであり、ギルギットとの中間点がパッタ−ンの手前にある。
パッタ−ンを出るとインダス川の対岸に、人家と畑や草地が見え、インダスのV字谷の上に雪を冠った山々が見えてくる。1時間程すると茶店や食堂もあるカミラのバザ−ルである。大きなア−チ橋でインダス川を渡ると、ダス−である。
道の左側にあるキ−バ−・ロッジ(Khyber Lodge)で4時10分から25分間のお茶とトイレ休憩をする。
ここから深くえぐられた谷をときには4kmも迂回しながら、山腹を縫うようにしてKKHは作られている。中ほどが山型に盛り上がったハルシ−ヌのつり橋を過ぎ、約1時間程行くと澄んだ水がインダスに合流してくる。ここがカンディア(Kandia)の谷である。この辺りは右側の崖が迫っており、山羊が落としたらしい落石でバスのフロントガラスに大きなひびが入る。
サティア−ルのガソリンスタンドで最後のトイレ休憩をすると、ノンストップでチラ−スに向かう。チラ−ス付近には仏教時代に岩壁や岩に刻まれた文字や仏像などの線刻画が残っているが、帰りに見学する予定である。
チラ−ス(Chilas)のチェック・ポイント(検問所)の近くにあるシャングリラ・ミッドウェイ・ホテルに8時に到着すると、すぐ夕食となる。non-アルコ−ルビ−ルとバイキング料理でお腹を満たすと、インダス川に面した平屋建ての部屋No20が待っていた。ホテルの売店で現地の衣装等を買い求め、シャワ−を浴びて寝ることにする。ちなみに、最初のホテル以外はバスタブはなく、シャワ−のみである。
5月7日(日)晴 12,800歩
5時半に起床し、朝食後、7時半の出発までホテルの付近やインダス川の川原を散歩する。
ホテルからバスで5分程のところにインダス川にかかる最初のつり橋がある。この橋の手前、KKHの右側に仏像や仏塔などが描かれた岩壁を見ることが出来る。チラ−スから約50km、バスで1時間半程のところにライコット橋と小さなレストハウスがある。そこからわずか進んだ所で、道の右手に温泉が湧いている。この辺りはタッタ−・バニ−(暖かい谷)と呼ばれ、温泉の湧きだすところでは90シC位だそうである。
さらにバスで30分程で標高1,600mのタ−リチ−(Talechi)村である。ここからバスの背後、南方にパキスタンで一番高い山(世界第九位)、ナンガ・パルバット(Nanga・Parbat)、8,125mの雄姿が青空と対照的に展望できた。

しばらくすると、ジャグロ−(Jaglot)村である。この辺りがヒマラヤ、カラコルム及びヒンドウ−クシュ山脈の開始点と言われている。南にナンガ・パルバット、北にドバニ−(Dobani)
6,134m、ディラン(Diran) 7,251mなどのカラコルムの山々が展望できるView Pointである。
この辺りで左手から濁ったギルギット川が合流する。インダス川は東へ蛇行し、KKHはしばらくギルギット川に沿って北上し、ギルギットの手前でフンザ川が合流してくる。
11時半、ギルギットの町に到着する。 KKHは殆どの場合、通過する町や村の中を通っているが、この町はKKHから西へ入ったところにある。この町は古くからシルクロ−ドの旅人達の安らぎの場所であり、近代になって中央アジアを探検する人々やカラコルムを目指す登山家達の拠点となっている。現在では人口3万人を越えるパキスタン北部の観光の拠点である。
ナンガ・パルバット、ラカポシ(Rakaposhi) 7,788m、それに数えきれない程の6,000m級の山々に囲まれた町、それがギルギットである。ちなみに、パキスタンには7,500m以上の山が30座、7000m級の山は100座程もあり、それらの中に名前の付いていない山も多いとのことである。
ルパ−ル・インホテル(Rupal・Inn) に11時40分から10分休憩し、町のメイン通りを通ってカシュミ−ル・バザ−ルを見学し、ギルギット川にかかったつり橋を往復して再びルパ−ル・インホテルに戻り、ここで昼食となる。バザ−ルで250gのお菓子を20Rs買い求める。
ホテルを1時35分に出発すると、バスはフンザ川を左に見ながらKKHを北上する。この辺りの川の対岸の岩壁に昔のシルクロ−ドの跡が点々と残っていた。
この辺りから、谷が深くなり、道が大きく迂回することが多くなる。川の対岸には所々に集落が見られ、畑や草木の緑が鮮やかである。谷をぬうごとにラカポシの雄姿が迫ってくる。ラカポシの北面を一望できる所に休憩所があり、ベンチに座って雄姿を眺めながらサ−ビスのラベンダ−茶とアンズの干した物を頂く。この地点は標高2,000m
で、ラカポシに登る最初のベ−スキャンプ地である。
しばらくすると、ラカポシとディランの見えるヒンディ村を過ぎ、モルトバザ−ル村でガ−ネット石を拾い、フンザ川を渡るとフンザのダウンタウン、アリ−ア−バ−ド(Aliabad)
である。PTDC ホテルを右に見て、フンザの乗合バスの終点、ガニシュ(Ganish) でKKH と分れて左へ200m 程の標高差を登ると、標高2,200m
の現在のフンザの中心地、カリ−マ−バ−ド(Karimabad) である。ちなみに、バ−ド(BAD)は<人の集まるところ>を意味している。
今日から3泊するフンザ・ビュ−ホテルは丘の中腹に建つ創業4年目の新しいホテルで、周りの山々を360シ 見渡せる。5時40分、ホテルに到着すると、階段を上がった1階の106号室に落着く。部屋の北側のベランダから見上げると、レディ−・フィンガ−、フンザ山、ウルタリ泄及び峰(7323m)が夕日を浴びてそびえていた。西側の窓からは南西の方にラカポシが、屋上からは南東にゴ−ルデン・ピ−クとディスタギ−ル・サル(7885m)が雪を冠ぶった頭を見せていた。眼下にはフンザ川が流れ、ポプラ、アンズ、リンゴ、サクランボ等の木々が他の草木と共に美しい緑をなしていた。この辺りでは、ポプラの木は松と共に家の建材に使われるそうで、貴重な資源だそうである。
フンザは、1974年までミ−ルと呼ばれる藩王にまかされていたパキスタン内の自治区であった。人口は3万人、80%が学校で教育を受けている。これは人々がイスラム教のうち比較的穏健なイスマ−イ−リ−派を信仰しており、この宗教の指導者ア−ガ−・ハ−ンの基金により学校や病院が建設されているからである。
フンザの人達は人なつっこく、子供からお年寄りまで良く挨拶をし、声をかけてくる。フンザの人々は長生きだそうである。それは新鮮な空気と水と食べ物のせいらしい。空気と食べ物はともかくとして、濁った水はいただけない。山奥から氷河の水が溶けだしてくるらしいが、山肌の溝を流れてくる水を、飲料をはじめ生活水として使っている。ホテルの洗面水もシャワ−の水も、そして野菜や食器を洗う水もこの水を使っている。地元の人は流れてくる溝の水をすくって飲んでいたが、どうもこれだけはなじめなかった。
夕食は最上階のレストランで、7時からコンチネンタル風のバイキングである。しかし、今晩は地元のお酒でミネラルウオ−タ−のビンに入った葡萄のお酒(ワインとは言えない)と桑の実の蒸留酒、夫々500ml
を$10で買い求め、食事の時に頂いた。
5月8日(月)晴 12,700歩
今朝は早起きして日の出を見に行く。希望者10名とガイド、コンダクタ−の計12名が4WDのジ−プ4台で4時15分にホテルを出発し、山道を30分程ゆられて、標高2,700m
のView Point に到着する。辺りが明るくなるにつれて周りの山々が明るく輝いてくる。5時頃からラカボシ山の山頂が朝日で光ってきた。朝日が登るにしたがってゴ−ルデン・ピ−ク、ディラン、レディ−・フィンガ−、ウルタリ泄及び峰が輝いてきた。
今朝はこのView Point にあるレストラン、Mulberry Inn で周りの山々を見ながら朝食をする。
7時20分にホテルにもどると、9時から再び4WD で1時間半程の所にある、標高2,700m のホッパル村にポッパ−(Hoppar)氷河を見に行く。ホテルからガニシュに下り、フンザ川にかかったつり橋を渡り、ナガル川に沿って走る。ナガル川にかかったつり橋を渡ると、山道をほこりを上げながら登って行く。途中、学校や病院などの前を通り、ジグザグ道を進むとポッパル村である。
ポッパ−氷河は村の裏側にある崖下からはるか山奥まで続いていた。氷河は土の色で黒く、氷があるのかわからない。しかし、ここから見るゴ−ルデン・ピ−クは見事で、キャッパル山(6,000m級)、シャルタル山(5,000m級)と共に見事な眺めであった。お茶のサ−ビスがあり、帰りは1時間程でホテルに到着する。
1時から30分程の食事の後、1時間程昼寝をし、2時半から再び4WD でバルチット・フォ−ト(砦)とその下のバザ−ルの見学に出かける。
バルチット・フォ−トは地震に耐えられるよう、木材がふんだんに使われている。18世紀の中頃、当時のミ−ルが建造し、イギリス人、ロシア人と所有者がかわり、1996年ユネスコの手で改修工事が終わり、公開されている。
フォ−トの下方には代々フンザのミ−ルに仕えた家老職の人々の家が今でも残っている。この家並みの間の坂を下ってバザ−ルをぶらつき、待っていた4WDに乗り、5時にホテルに到着する。
7時からの夕食が済むと、思いきって泥水のシャワ−で頭を洗う。
5月9日(火)晴 10,400歩
5時半に起きてホテルの周りを散歩し、朝日に光る山々の頂上を堪能する。
朝食後、9時にホテルを出るとバスはグルミット(Gulmit)に向かってKKHを北上する。ホテルから5分程のところに、アンズの花が一面に咲く桃源郷の写真のモデルがある。今は青々としたアンズの木の葉の緑である。道の左側に仏教時代の彫刻画や岩の上に建つアルチット・フォルトを見ながら30分程でグルミット村に到着する。グルミット村の手前でシシカット氷河の前面が道路沿いに見えた。グルミット村の入口にあるグルミット・ツ−リスト・インで休憩する。ここにはカシミ−ル・フラワ−と呼ばれる薄紫色の房になった花があり、ホテルの前の売店では地元の織物であるカシミ−ル織の織物が展示されていた。
グルミット村を出ると、すぐ左側にグルキン氷河が現れる。氷河の色は黒く、その下を氷河の溶けだした水がごうごうと音を立てて流れていた。温泉の湧くフサニ村を過ぎると、左手にパス−氷河が現れる。この辺りで道の前方右側にカ−ルン・ホ−(Karun-kuh=6977m)のノコギリの歯のような岩峰群すばらしい。この地点は標高2,520mあり、KKHで一番高い所である。
更に15分程進むと、パキスタンで4番目に大きいバトウ−ラ−氷河の出口が道の前面にせせり出ている。この氷河は44kmにもわたる大氷河であるが、見えるところは砂のようで氷河らしくない。これから中国との国境、標高4600mのフンジェラ−ブ峠までは100km余りである。
グルミットの村に下りて、グルミット・ツ−リスト・インで中華風の昼食を食べ、午前中に寄った売店のお兄さんから何故かカシミ−ル織のショ−ルを頂く。
グルミット村の入口からフンザに向かって左側を流れるフンザ川に15分程下りるとフンザ川にかかるつり橋がある。ふぞろいの板や丸太がまばらに並べてあるだけで、その間からゴウゴウと音を立てて流れて行くフンザ川が見下ろせる。
カリマバ−ドに戻る途中で、来るときに見た仏教時代の線刻画の岩、Sacred Lock of Hunza(神聖なフンザの岩)を見学する。4~8世紀の頃、川を渡るため待っている間に描いた人や動物の絵が岩に掘られている。雨ざらし、日ざらしで今まで良く残っていたものだと感服する。
3時半ホテルに帰ると、今日でフンザの山々ともお別れと思い、夕食まで四囲の山々を楽しむ。
夕食は9名の希望者だけ$5の追加をし、パキスタン料理のレストランで三人のバンドによるフンザの音楽を聴きながら、ジュウタンにあぐらをかいて頂く。このレストランもホテルの経営で、味付けも殆ど同じである。そのうちフンザの踊りが始まり、やがてパキスタンの踊りになり、シャ−さんやホテルの従業員、運転手、運転助手、我々も加わって多国籍の踊りとなり、9時頃まで盛り上がる。
5月10日(水)晴 5,900歩
4時半に起床し、朝日の中でフンザの最後を楽しむ。朝食後、バスは6時に出発し、ベシャ−ムまで450kmを下る。
ウルタリ、レディ−・フィンガ−への登山のベ−スキャンプ(元フンザの中心地)になっているアリアバ−ドを過ぎ、ホルメット村のラカボシ0ポイントでカメラ休憩をし、8時にジョッダル村に着く。ここには、KKHの建設工事が行われた1966~72の間、犠牲になった方々のMemorial
Graveがその時使われたスエ−デン製のドリルと共に保存されている。
ヒマラヤ、カラコルム及びヒンドウ−クシュ山脈の開始点と言われているジャグロ−村を9時20分頃通過し、タリ−チ村にかかる頃、前方にナンガ・パルバットの雄姿が、後方にハラモシ(7406m)が姿を現した。
昼食は、前回宿泊したチラ−スのシャングリラ・ホテルで11時半から1時間である。
チラ−スの検問所を過ぎると、チラ−スまで7kmの標識があり、道の上の黒い岩壁に文字と線刻画が刻まれている。ザズィ−ン村の手前7km程にサティア−ルと言う小さな村がある。ここはインダスの対岸との分岐点で、つり橋と遺跡がある。川原の岩に仏像や仏塔の線刻画が残っている。この辺りは標高1000m、2時現在の気温は43°Cである。
ダス−のキ−バ−・ロッジで前回と同様に休憩する。今回は、シャ−さんの紅茶で作った美味しいミルクティ−を頂く。バスのタイヤのパンク修理で1時間程停車し、5時前に出発する。
ベシャ−ムのPTDC・モ−テルに7時半に到着すると、すぐ夕食をし、8時半には27号室にひきあげる。ここは大変暑く、日が沈んでも気温は下がらない。部屋のベッドに横たわると暑さが伝わってくる。幸い水はきれいなのでシャワ−を浴び、さっぱりする。
5月11日(木)晴 タキシラ、ラワルピンディ−は曇 11,000歩
暑さで4時頃目が覚めた。汗びっしょりである。シャワ−を浴びてさっぱりし、インダスの川原を散歩する。インダスの水は冷たく、川面から涼しい風が吹いてくる。眠れなかったのか、他の人達もあちこちと散歩をしている。その後を子供達が話しかけながらついて行く。川原で3人兄弟の男の子と記念の写真を撮る。
6時から朝食、7時に出発する。およそ20分程でKKHの距離程と慰霊塔を見学する。更に30分程進むとタ−コットの釣り橋で、この橋を渡るとタ−コット村である。この村は岩塩で有名らしい。シャ−さんが薄桃色をした岩塩の塊を皆にプレゼントしてくれた。ここでインダスとは分れ、インダスはペシャワ−ルに向かって流れて行く。
バスはKKHで田植え中のバトグラム村を通り(9時)、マ−ンセ−ラ−村で再びオレンジを買い(11時)、12時にアボッタ−バ−ドに到着する。ハベリア−ン村のド−ル川にかかる橋がKKHの終点である。
ハベリア−ンの橋から1時間余りでガンダ−ラ最大の遺跡があるタキシラである。タキシラに入るとミュ−ジアム・ロ−ドを南下し、タキシラ博物館前のPTDCに1時半に到着し、1時間の昼食である。食後、遺跡の見学をする。
ジョ−リアン Jaulian 遺跡 (世界遺産)
PTDCから東へ5km程街道を行き、右手にある狭い並木道を2km程行くと駐車場で、ここから用水路を渡り、180段の階段を登った丘の上にある。
この遺跡はAD2世紀クシャ−ン朝の頃の創建で、4~5世紀には大々的な補修が行われたとのことである。二層の折り重なった塔と僧院があり、塔には仏像や動物の埴輪等が保存されている。石を積み重ねて造った僧院は、29の僧室と集会所、食堂、台所等があり、僧室と僧室との間には彫刻が飾られている。
シルカップ Sirkap 遺跡 (世界遺産)
PTDCから2km程北に行き、橋を渡ったところで未舗装の道を行くとシルカップである。ギリシャの都市型のこの遺跡は、紀元前200年頃の創建であるが、現在目にすることの出来る遺跡の多くはAD30年頃のものである。門を入ると、7~8mの大路が南北に600mにわたって延びている。道路の両側に祠堂、宮殿、仏塔、王宮、謁見殿、客殿、バザ−ルの跡等があり、丘の上には僧院や塔の跡がある。有名なインド、イラン、ギリシャの三大文明を融合した文化として知られる<双頭の鷲>は道路に面して、東側のほぼ中央にあった。AD3年頃から三代に亘って土、石、コンクリ−トで造られた壁には、人や動物の骨が今でも埋もれていた。
PTDC に戻ってトイレ休憩の間、道路を通る派手々トラックやバスの写真を撮っていると、トラックの運転手やバスの乗客が手を振って応えてくれた。
バスはGTロ−ドをラワルピンディ−ヘ向かい、ラワルピンディ−のサダル・バザ−ルでアマン(AMAN)インテリア店を見物し、道路を隔てた前のトラック・タ−ミナルで派手々トラックの数と色合いに圧倒される。つぎはイスラマバ−ドのファイサル通りの突き当たりにあるシャ−・ファイサル・モスクの前で止まる。このモスクはサウジの王様の資金によるもので、モスクと併設して大学もある。
今日の夕食は6時半から1時間、中国大使館の経営するチャイニ−ズ・クラブの中華料理である。ここでは大使館経営の為か、何故かオ−ストラリア製の500ml缶ビ−ルを$7.0で販売していた。
チャイニ−ズ・クラブから30分程で日の落ちたイスラマバ−ド国際空港に到着すると、運転手のアッシュラムさんや荷物運びを手伝ってくれた助手のオリザ−ルさんと別れを惜しみ出発ゲ−トに向かう。荷物検査は入国時と同じく厳重で、先ずは託送荷物と手荷物の検査である。ここでシャ−さんとお別れをする。搭乗手続きをし、託送荷物を預け、出国審査となる。その後再び手荷物検査があり、ここで荷物に付けたタグにパンチしてもらう。このパンチは飛行機の搭乗口でチェックされる。続いて男女に分れて厳重な身体検査である。これをパスすると、二階の搭乗待合室ヘと向かうことが出来る。
カラチ発東京行、PK−852便は30分程遅れての到着である、登場開始は11時、搭乗口からバスで飛行機に向かう。バスを降りたところで先ほどの手荷物のタグのパンチをチェックされる。出発は11時40分、北京経由で成田に向かう。
5月12日(金) 曇 5,300歩
成田には定刻より約30分遅れて、13時過ぎの到着となる。
次のスカイライナ−は14時8分発、16号で、日暮里、新宿で乗換え、4時半帰宅する。
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