マダムとポチの
伊東温泉湯治と東日本大震災記
2011.3.9~3.12
伊東温泉で湯治をしながら河津桜や稲取の吊るし雛、
伊東のツバキ園を見物しました。3月11日は帰路の
途中で横浜駅に停まっている東海道線の電車の中で
東北沖大震災に遭い、横浜市が用意した避難所、
パシフィコ横浜で一夜を明かしました。12日の朝は
7時にパシフィコ横浜を出発し、東横線、井の頭線、
吉祥寺から西武バスを乗り継いで大震災発生後19時間
ぶりに帰宅しました。
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3月9日(水)晴 11,300歩
6:25に起き、8:30のバスに乗る。9:00小金井発の中央線快速電車で9:40東京駅に到着する。10:02に東京駅を出発した東海道線熱海行き普通電車は熱海に11:59に到着する。1番線で待っていたリゾート21に乗り換える。この列車には海側を向いて窓外の景色を楽しめるサロンカーや運転席に上から前方の景色が眺められる階段状の席などがあり、伊豆の風景を楽しめるよう工夫されている。
熱海駅を12:12に出発した列車は12:40伊東駅に到着する。今日から宿泊するよしのまで迷いながらたどり着き、荷物を置いて伊東市内の見物に出かける。湯の花通りのまるげんで金目鯛とアジの干物の食事をしたが、運ばれて来た料理のみそ汁がマダムの膝にかかり、後始末が大変だった。
7年前に訪れた記憶をたよりに、湯の花通り、キネマ通り、東海館などを懐かしく見物し、なぎさ公園で新島を眺める。風が強くすぐ駅まで引き返す。
ホテルに15時到着し、5階の508号の部屋に落ち着く。ポチは4階の風呂に入り、部屋で寛ぐ。このホテルはフロントに吊るし雛が飾れており、楽しませてくれる。
夕食は6:30から部屋で、金目鯛の煮付けなど海の幸13品をぬる燗でたっぷり頂く。マダムは22時過ぎに風呂に入り、ポチは気持ち良くお休み。
3月10日(木)晴 13,400歩
5:40から交代で風呂に入る。朝食は8:00〜8:40部屋で、久しぶりにアジの開きを頂き、美味しかった。食後は2Fでコーヒーのサービスがある。
9:30伊東発の伊豆急リゾート21のサロンカーに乗り、河津に10:17到着する。今日まで河津祭りが行われており、川沿いの桜並木に沿って様々な屋台があり、威勢のいい掛け声が聞こえる。お猿さんも狩りだされて舞台の上で名演技を披露していた。
河津川に架かる浜橋を渡り、ロカンタでマダムがTVでチェックしていた「へらへらもち」を対岸の河津桜や菜の花を愛でながらビールとコーヒーで頂く。
館橋を渡ってお花見ウオーキングコースを歩き、荒倉橋、来宮橋、を左に見ながら豊泉橋まで行き、そこから引き返す。
河津発12:51の電車で稲取に12:58到着する。以前歩いた記憶をたよりに雛の吊るし祭りメイン会場である「文化公園、雛の館」に向かう途中で「絹の会」の店に立ち寄る。
絹の館では何時見ても見事なこの地方の吊るし雛や酒田、柳川の吊るし雛が展示されていたが、金目鯛の骨で出来た吊るし雛は初めてであった。駅に戻る途中でレストラン、ピープルで13:50〜14:25サンドやビール、コーヒーの昼食をする。
稲取発15:03のリゾート21で伊東に向かい、15:44到着する。今回は先頭の車両で運転席の上から進行方向を眺められ、楽しかった。このリゾート21は西村京太郎著、実業之日本社刊「伊豆急リゾート21の証人」で取り上げられている。
16時ホテルに帰る。風呂に交代で入り、18時から夕食を部屋で頂く。
3月11日(金)晴 10,800歩
最後の朝風呂に6時から交代で入り、8時から朝食をする。9時から2Fの喫茶室でコーヒーを頂き、9:40にホテルをチェックアウトする。
駅前のバス乗り場から今月13日まで行われている「伊東温泉つばき鑑賞会」行きのバスに乗り10:42小室山公園のバス停に到着する。千種、4千本のつばき園を歩いて見物し、黒いつばきの花があるとのことで探したが、まだ蕾だった。
標高321mの小室山の麓にあるリフト乗り場まで歩き、リフトで山頂に登る。山頂は風が強く、富士山も見えないので早々にリフトで降りる。
11:48発の伊東駅行きのバスで駅に戻り、軽い昼食のつもりで駅前の喫茶店エリーゼでサンドや抹茶ケーキをビールとコーヒーで頂く。
東日本大震災起る
伊東始発13:05の東京行き普通電車に乗り、国府津で新宿経由高崎行きの特別快速電車に乗り換える。この電車が横浜駅に停車し、乗客の乗降が終わったと思ったら、14:46東北沖大震災の地震の揺れが来る。電車からホームの看板などが大きく縦に横に揺れているのが分かり、その後も何回か余震があった。電車を乗り換えなかったら戸塚と横浜の間に居たのではないかと思うと今でもぞっとする。そして更に伊東発の電車を1台早く乗ったことも重なって、今日は幸運の連続であった。
揺れが収まっても電車の動く気配はなく、そのうちアナウンスで地震の大きさが知らされると長期戦になるだろうと覚悟を決める。幸い乗車していた車両はトイレのある車両であり、この車両で一晩明かすことになっても不自由が無いよう駅待合室の売店で飲み物、食べ物を買いそろえる。
震災があってから4時間程経った19時頃電車から非難するようアナウンスがあり、全員改札の辺りに誘導される。これから公園に避難誘導すると言う指示があったが寒いので誰も動こうとはしない。むしろ段ボールなどを地面に敷き詰めて座り込んだり横になったりして夜明かしの体制である。
携帯では通じないので、2台しか無い公衆電話を30分程待って子供達に連絡しようとしたがかからず、あきらめる。
21時頃横浜市が準備した避難所、パシフィコ横浜に避難するようアナウンスがあり、地図を渡される。横浜駅から30分程歩き、21:50到着する。この避難所には既に大勢の人が来ており、2階の廊下にやっと椅子を2つ見付ける。横浜市の職員が先ずはマスクを、次いで毛布、水、ミカン2個を配ってくれたが、夜が更けてくると暖房が弱くなったのか、寒い。
公衆電話や携帯の充電器などが用意され、行き届いた気配りである。23時過ぎにやっと娘に携帯がつながり、必要な所に連絡してくれ、ひと安心する。
3月12日(土)晴 4,900歩
6時頃から電車など交通機関の運行状況がアナウンスされ、JR以外の電車は運行本数こそ少ないものの、運転が始まったとのことで、6:45パシフィコ横浜から地下鉄みなとみらい線、みなとみらい駅に向かいそこから地下鉄で横浜駅に向かう。横浜駅からJRで帰宅するつもりであったが、JRは運行されておらず、開始の予定もたっていない。
横浜駅から東横線で渋谷まで乗り、井の頭線で吉祥寺に。そこからバスに乗り、花小金井で乗り換え、10:10帰宅する。震災から19時間ぶりの帰宅となった。
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