使徒書
1.使徒言行録
本書はルカによる福音書と対をなし、ルカによる福音書を第1巻とし、第2巻目に当たりますが、完成後まもなく分割され、すでに2世紀には、両者は別々に扱われるようになりました。
使徒言行録はルカによる福音書と合わせて、イエスの生涯からキリスト教がローマに至るまでを、歴史的に叙述することを目的として書かれていますが、イエスの生涯の記述はマルコによる福音書に準じ、教会の歴史は1つの理想像として描かれています。
ルカによる福音書では、イエスは神から派遣された者であり、ナザレから出てエルサレムにいたります。第2巻目にあたる使徒言行録では、派遣されるのは使徒たちであり、エルサレムを中心に使徒の活動が述べられます。
また、イエスの派遣に際し与えられた聖霊は、第2巻にあたる使徒言行録では教会に与えられ、教会はイエスの業を継続します。
使徒言行録では、終末の遅延は決定的となり、教会は過去になったイエスの業を引き継ぐべき存在です。また、過去になった最初の教会の業を引き継いでいる自覚を覚醒させるため、緊迫した終末を予想させる言葉は後退させられ、伝道がユダヤ人から異邦人に移る歴史が示され、日々の歩みを通してイエスに従う道が語られています。
同時に、使徒言行録は、これから長く続く異邦人世界に生きる教会を考え、ローマや異邦人の好感を得るため、イエスの十字架の責任や教会への迫害の責任を可能なかぎりローマや異邦人に帰さず、教会と国家の間に良好な関係を作り出そうとしています。
使徒言行録は、歴史を3つの時に区分し、洗礼者ヨハネまでを「律法と預言者の時」、悪魔の活動が止められ、イエスによって福音が宣べ伝えられていた間を「イエスの時」とし、それ以降を聖霊が教会を通して働く「教会の時」とします。
2.パウロの手紙
パウロの手紙は、新約聖書の中でもっとも古く、紀元50年代に書かれました。
パウロは当時、すでに誤解され、反対され、排斥されている中で活動し、その手紙も誤解され、反対され、排斥されてきました。
しかし、パウロの意図に従って読まれる時、パウロの手紙はどの時代においても、福音の理解に決定的な役割を果たしてきました。
パウロの手紙のうち、「Tテサロニケの信徒への手紙、ガラテヤの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、Tコリントの信徒への手紙、Uコリントの信徒への手紙、ローマの信徒への手紙」の7つの手紙が、パウロの手紙だと言う事には異論がありません。
「Uテサロニケの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙」の3つの手紙には、異論も多く出されていますが、一応、パウロの著作だと支持されています。
「牧会書簡」と呼ばれる「Tテモテへの手紙、Uテモテへの手紙、テトスへの手紙」の3つの手紙は、パウロの伝統を継承した著者がパウロの名を借りて書いたと見られています。
3.Tテサロニケの信徒への手紙
パウロは紀元49年、第2回伝道旅行の際、シルワノとテモテと共にフィリピからテサロニケに来て、この地に教会を建てました。
パウロはその後、数回にわたりテサロニケを訪れようと計画しましたが実現せず、そこでアテネからテモテをテサロニケに遣わしました。
パウロはその後、テサロニケから戻ったテモテから良い報告を聞き、感謝を表し、質問に答えるために、テサロニケの教会へ手紙を書きました。
手紙は、紀元50年、コリントに滞在していた時に書かれたと見られています。
手紙の中心テーマは、間近に差し迫ったキリストの再臨です。
この初期のキリスト教会に特徴的な、終末への待望とその信仰を伴う宣教は、テサロニケの教会を生み出しますが、同時にユダヤ人から激しく攻撃されます。
しかし、まだユダヤ教的律法主義、キリスト教的グノーシス主義の浸透は教会内に見られません。
そのため、パウロに特徴的な「信仰における義認論」「十字架の神学」「律法との戦い」は、まだ現れていません。
教会の職制はまだ働きとしてだけ語られており、教会は組織的ではありません。
この手紙は、内容から1章から3章までと4章から5章までの2つに分けることができます。そのため、もともとは2つの手紙で、後に1つの手紙にされたとの意見もあります。
4.Uテサロニケの信徒への手紙
この手紙は、大部分が「Tテサロニケの信徒への手紙」の繰り返しであり、パウロが本当にこの手紙を書いたかどうか疑問が持たれています。
ただ2章1節から12節までには新しいことが語れらていますが、パウロ自身の主張とは思えません。
全体としては、「Tテサロニケの信徒への手紙」に比べ、個人的な親密さに欠け、代わって情熱的、ユダヤ教的です。
「Tテサロニケの信徒への手紙」と異なる部分、すなわち2章1節から12節では、「死人の復活についての無知」「終末への熱狂的待望によって陥った実際生活の怠惰」と言った誤った終末論を正そうとしています。
パウロの名を使った偽の手紙に対し、またユダヤ教的な人々への警告を込めて書かれた手紙だと思われています。
「主の報復」「主の日」等に関しては、旧約聖書からの引用が見られ、ユダヤ教的終末思想をよく理解している著者の姿が見えます。
また「怠惰に陥り」「いたずらに動き回っている」者への勧めは、パウロ的であり、福音書の終末論にも通じます。
5.ガラテヤの信徒への手紙
ガラテヤの教会は、パウロの第2回伝道旅行の際、病気になり、アジアでこれ以上伝道することができなくなった時に訪れたガラテヤ地方に建てられた教会です。
この手紙は、パウロが第3回伝道旅行中にエフェソに滞在した紀元52年から55年の間で、紀元53年か54年に書かれたと見られています。
ガラテヤの教会内で悪影響を及ぼしていた宣教者に対して対決すると共に、違った福音に陥った人々のことを憂慮している手紙です。
ここに現れているパウロの敵対者は、洗礼者に割礼を施し、ユダヤの暦を守らせ、キリスト者がユダヤ人のようになることを求めました。
パウロは、この手紙の中で、まず自分に示された啓示と召命を語り、自分が正当な使徒であることと異邦人伝道に召されている自覚を述べます。
さらに、2回にわたるエルサレム訪問を語り、2回目のエルサレム訪問で使徒性の承認を得たことと、ペテロは割礼の者への福音が委ねられ、パウロは無割礼の者への福音が委ねられていると決められたことが語られます。その他、エルサレムにある教会のための献金が要請されたこと以外、何の取り決めもなされなかったことが語れらます。
しかし、それにもかかわらず、ペテロはエルサレムから来たユダヤ人キリスト者を恐れ、異邦人と一緒に食事をしなくなったことをパウロは非難し、このような律法のあり方からキリスト者は自由になったのではなかったのかと問いかけます。
パウロは、この手紙で「律法と福音」の関係を示し、キリストが現れ、信仰に入れられた者は律法の呪いから解放されていることを述べます。
そして、ガラテヤの教会に、この福音によるキリスト者の自由のもとに戻るように呼びかけます。
もちろん、この自由を、勝手気ままに振る舞い自分に破滅を招くような機会とすべきではなく、愛をもって互いに仕えるための機会にすべきです。
そのようにして、キリスト者は互いに良い物を分かち合うべきです。
パウロは、このように少しも妥協することなく、福音をユダヤ教の枠から解放し、すべての人間を自由にする救いの力と主張しました。
6.フィリピの信徒への手紙
フィリピの教会は、第2回伝道旅行の際、パウロによって基礎が築かれた教会で、その後もパウロを助け続けました。
パウロは、教会からの報酬を受けずに伝道することを自分の方針にしていましたが、この教会からの援助は喜び、その使者としてエパフロディトが獄中にまで足を運んでくれたことに感謝して、この手紙を書きました。
書かれた場所については、エフェソ説とローマ説がありますが、おそらくエフェソに滞在中、騒乱に巻き込まれて投獄された時に書かれたと考えられています。
この手紙は、2つ、あるいは3つの手紙が1つにされていると見られています。
その場合、1章1節から3章1節まで、3章2節から4章9節まで、4章10節以下となります。
この手紙で、パウロは、自分に降りかかっている苦しみが福音の前進に役立っていることを共に喜んで欲しいと語り、自分に起こった価値の転換ゆえに偽の教師たちと対立していることを語り、彼らとではなく、自分と同じ目標に向かって進むように語りかけます。
また、パウロの特徴である「キリストを信じる信仰による義」「キリストの十字架の死による贖罪」が結び合わされ1つのこととして語られています。
2章6節以下には、初期のキリスト教の讃歌であった「キリスト讃歌」が書かれており、パウロはそれにならって生きるように勧めました。
7.フィレモンへの手紙
フィレモンへの手紙は、パウロの手紙の中では最も短く、最も個人的な手紙です。
フィレモンへの手紙で、パウロから執り成されているオネシモはその後、コロサイの信徒として登場します。
書かれた場所はエフェソ、書かれた時はパウロが獄中に捕らわれていた時と考えられています。
奴隷制については何も語られていませんが、今は1人の兄弟として迎えて欲しいと語られています。
* 奴隷について
ローマ帝国は、奴隷制の上に成立した帝国でした。
まず、帝国拡大の第1時期には戦争による領土拡大とそこの住人の属州への編入(1部を奴隷として強制移住)を行いました。
属州が安定した第2の時期には、敗戦した王や官僚たち(1部請負人)と共に管理(税金の徴収など)しました。
第3の時期には、属州の主要都市をローマ皇帝直轄の都市としローマ市民権を与えました。
このように、奴隷は法的な財産・所有物であるより、敗戦国の住人の社会的な状態を指すと考えられます。
初期の教会は、奴隷を精神的にも経済的にも支えていたと見られます。
8.Tコリントの信徒への手紙
コリントの教会は、パウロが第2回伝道旅行中に、紀元51年から1年6ヶ月滞在し基礎を築いた教会ですが、パウロが去った後、内部分裂が起こり、倫理的な問題も生じ、礼拝や教会の秩序が乱れました。
これらの問題に答えるために、紀元55年、その初夏には旅立とうとしていたエフェソで、この手紙は書かれました。
この手紙は、2つ、あるいは3つの手紙からなると見られています。
その場合、1章から4章は3番目に出された手紙と考えられていますが、1番目と2番目の手紙は5章以下、いくつかのテキストに分割され配置されています。
教会内の分裂に対して、パウロは、それぞれの指導者は十字架の言葉の愚かさに仕えている者であり、十字架にかかられたキリストからその分に応じて召されている者に過ぎないのだから、誰かをあがめ他を低く見るのはキリストに反し、誰も人間を自分の誇りとすべきではなく、彼らを用いて教会を育てる方を見上げるように語ります。
教会内で起こっている倫理的問題については、除名し、神の救いと裁きに任せること。教会内の争いごとは、裁判ではなく、自分たちの手で解決すること。不正を行っている者は神の国を継ぐことができないことが語られます。
性の自由については、からだの尊厳を傷つけないように求められています。
結婚は、からだの尊厳を傷つけないためにはした方が良く、自分から離婚をしてはいけません。
この世のすべては過ぎ去るものですから、それに捕らわれず、終末における姿こそ求めるべきです。
偶像への供え物については、信仰の知識のない人のことを思って配慮すべきです。
集会の秩序については、神の秩序のままに守るべきです。その中心には、キリストの十字架と復活があり、愛が置かれます。
霊的熱狂よりも、静かな知性の方が人の徳を高めます。
キリストの十字架と復活が、この手紙の中心であり対決点です。
パウロはこの手紙の中で、キリストにつくと主張し、霊の人と自称し、知恵と知識を誇る人々を論敵としています。
彼らは十字架を愚かなものと見なし、からだの尊厳や秩序を否定し、挙げられたキリストに属する者としての自由を主張します。
また、彼らは霊的熱狂のためなら殉教や全財産を施すことをいとわず、脱我状態で異言を語ることを重視し、復活を拒否し、豊かにされていると誇りました。
パウロは、彼らに対してキリストは分割することができないことを語り、十字架のキリストなくして福音はなく、復活のキリストなくしてからだの希望はないことを語ります。
パウロはキリストの十字架と復活を語ることを通して、コリントの教会に起こった諸問題に答えようとしました。
9.Uコリントの信徒への手紙
パウロはコリントを全部で3回訪問し、手紙も複数書いたと考えられています。
少なくても、Tコリントの信徒への手紙の前に「前の手紙」があり、Tコリントの信徒への手紙とUコリントの信徒への手紙の間に「涙の手紙」があったことが分かっています。
そして、Uコリントの信徒への手紙の10章から13章は、コリントに書き送った3番目の「涙の手紙」の中心部分だと考えられています。
また、Uコリントの信徒への手紙の1章から9章の間には、複数の手紙が分割されて配置されていると考えられています。
Uコリントの信徒への手紙を1通の手紙だと考える場合、この手紙は紀元56年の秋にマケドニアで書かれました。複数の手紙だと考える場合、いくつかの手紙は紀元55年から56年にかけてエフェソで、最後の手紙は紀元56年の秋にマケドニアで書かれました。
6章14節から7章1節にかけては、パウロが書いたものかどうか疑問視されています。
Tコリントの信徒への手紙が書かれた後、コリントの教会に「偽教師たち」が現れ、パウロの使徒性を批判し、自分たちこそ正しい教師だと主張しました。
この扇動によって教会員はパウロと敵対するようになり、パウロは、この偽教師たちと対決するため、この手紙を書きました。
偽教師たちは、自らヘブル人であることを誇り、力ある業を行った推薦状と力強い説教を誇示し、神秘体験と聖書の霊的解釈を語り、ユダヤ教の復興をキリストのうちに見、イエスこそ「神の人」であると主張したユダヤ教的律法主義者でした。
パウロはまず(2章から7章で)、自分の使徒性はキリストの十字架と結びついていることを伝え、これによって宣教し、コリントの教会もそれを基礎にして建てられ、復活への希望が与えられており、自分は静かにその務めを果たしており、それにならって欲しいと語りました。
次に「涙の手紙(10章から13章)」で、論敵たちの主張に対して反論し、第3回目の訪問を予告し、教会員たちに強く反省を求めます。
次の手紙(1章から2章)で、パウロは、コリントの教会員が「涙の手紙」の真意を汲み取ったことをテトスから聞き、感謝の言葉を書き、自分を非難し侮辱した人物をゆるすように指示します。
次に(8章で)、マケドニアの諸教会にならって、エルサレムの教会のための募金をして欲しいと述べます。
しかし、さらに(9章で)、その準備がまったく整っていないことを聞き、いくらか厳しい調子で、来る時までに間に合わせてくださいと指示します。
パウロはこの手紙を通して、使徒とは自分の力に頼らず神の力に信頼する者のことであり、霊によって刻まれたキリストの福音に仕え、復活という信仰の目標に向かって着実に歩み、偽教師たちが理想化されたユダヤ教的律法主義に閉じこもろうとしていたのに対して、これはキリストにあずかる者には誰に対しても開かれている神の義だと主張しました。
10.ローマの信徒への手紙
パウロは、3度目のコリント訪問を果たし、3ヶ月そこに滞在しました。このローマへの信徒への手紙は、紀元57年の初め、そこで書かれました。
パウロは、その頃、イスパニア(スペイン)まで伝道をしたいと考え、その根拠地をローマにしたいと考えていました。
そのため、まず募金をエルサレムの教会に届け、そこからローマに向かって出発しようと考えました。
ローマには、すでにユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者による「家の教会」があり、パウロはその何人かを知っています。
また、ローマの教会には、これまでパウロに敵対してきた人々の種がまかれているかも知れず、異邦人の中にもこれまで出会った問題が内包されているかも知れません。
パウロは、これらの論敵の自分への批判を想定しながら、これまで自分が信じ、理解し、宣べ伝えてきたことを「神の義」と言う一貫したテーマのもと、順序立てて書きました。
この手紙の16章以下は、ローマに向かって書かれたものではなく、この時、一緒に書かれたエフェソの教会あてに書かれた手紙の1部が、ここに付加されたと見られています。
また、異邦人あてとユダヤ人あてに書かれていることから、最初2通あったものが1通にされたのではないかと言う意見もあります。
まず、この手紙は、すべての者を救う神の力が「神の義」として啓示されたことをテーマにしていることが述べられます。
次に、神の義はこれまで「神の怒り」として現れていたが、今や「キリスト」を通して、「信じる者を義とする力」として現れたことが語られます。
ここで信仰は、律法とは違う、神の義を成就する別の道です。
このように信仰によって義とされた者は、「死と罪と律法」から自由で、この自由によって人はキリストと共に希望と喜びの道を、終わりに向かって着実に歩けます。
それを救いの歴史として見れば、イスラエルは神の義を求めず自分の義を求めたので捨てられ、異邦人は自分の義を求めず信仰による義を求めたので救われます。
このようにキリストにあって生きる者は、キリストの十字架と復活に示された神のあわれみを知り、愛に生きます。
最後に、パウロは、信仰の強い人は弱い人の弱さを担うように勧め、伝道計画を述べ、偽教師への注意とこの手紙を持参するフェベを紹介し、挨拶をし手紙は終わります。
11.コロサイの信徒への手紙
コロサイの信徒への手紙は、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、フィレモンへの手紙と共に「獄中書簡」と呼ばれています。
コロサイの教会は、ここの出であるパウロの同労者エパフラスによって建てられ、パウロはここを訪れたことはないようです。
この手紙は、パウロのキリスト論、教会論、洗礼論と共通し、パウロの流れを汲む著者が、パウロの死後、新しい状況に対してパウロ神学を展開したものです。
紀元80年代、おそらくエフェソで書かれ、小アジアの諸教会に向かって、教会生活のあり方を示そうとして書かれたものと考えられています。
著者は、2章以下に書かれている「世を支配する諸霊」「神性の充満」「人の教えや規則」に異端の危険を感じ、コロサイの教会が正しい教えと偽りの教えを見分けるように手紙を書きました。
諸霊は、ギリシャ哲学とユダヤ教において、火・土・水・空気などの宇宙の諸要素を意味し、人格的に捉えられ、宇宙の秩序と人間の運命を支配する神的力して崇拝の対象とされました。
この諸霊を崇拝・礼拝することによって、人は神性の充満に達すると考えられていました。
また、これに与るために密儀に参加し、禁欲的な生活を行い、天的存在と出会うことが重んじられました。
コロサイの教会は、キリストへの信仰は、これら諸霊への崇拝と礼拝を通して完全なものになると考え、それらを持たない人々に対して優越感を持っていたと考えられます。
しかし、それでは福音はヘレニズムの混淆主義の中に埋没してしまう危険を著者は感じ、この「哲学」を論駁するために、この手紙は書かれました。
12.エフェソの信徒への手紙
エフェソは、第3回伝道旅行中にパウロが2年半滞在した町で、アジア州におけるパウロの伝道の中心地となりました。
使徒言行録20章以下には、パウロとエフェソの教会の特別な親密さが描かれており、ここにはその後、パウロの影響が強く残ったことが伺えます。
この手紙の宛先には疑問が持たれており、最古の写本には「エフェソ」の名前が見あたりません。
また、具体性に欠け、特定の教会宛ではなく、広くアジア州にある諸教会に回状として回された手紙だと考えられています。
この手紙は、大きく1章から3章までの教理と4章から6章までの実践的勧告の2つに分けられます。
パウロの流れを汲む著者が、パウロのキリスト論・教会論を踏まえながら、独自のキリスト論・教会論を展開した手紙です。
パウロに近いと言うより、むしろ、コロサイの信徒への手紙を書いた著者と類似する点が多く見られます。
また、「光と闇の子」「聖なる結婚」「奥義」などのグノーシス用語を使用しており、著者はヘレニズム混淆主義の影響を受けつつも、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の一致を目指しているユダヤ人キリスト者です。
イグナティオスがこの手紙の存在を知っており、書かれたのは1世紀末です。
13.Tテモテへの手紙
Tテモテへの手紙、Uテモテへの手紙、テトスへの手紙は「牧会書簡」と呼ばれ、牧会者への注意、勧告、制度上の規定などが書かれています。
テモテは、リストラ出身で、ユダヤ人キリスト者を母とし父親はギリシャ人で異教徒です。
テモテは、リストラとイコニオンで評判の良い人で、パウロは第2回伝道旅行の際、テモテを同行させています。
テモテは、パウロの手紙にしばしば名前が挙げられ、パウロによって諸教会へ派遣されたことがあります。
また、その後の伝承によると、テモテはエフェソの監督になりました。
手紙は、異端と貪欲に対する注意、秩序と制度に関する注意、教会員に対する指示からなります。
14.Uテモテへの手紙
手紙は、使徒的伝統を保持すること、苦難の勧め、異端への注意、宣教の勧めからなります。
監督、長老、執事の3者を規定することは難しく、相互の関係は同一文書の中にはありません。
監督は単数で現され、神の教会を預かります。長老は複数で現され、教会を指導します。
監督と長老は同じ物と考えることも、別の物と考えることもできます。
執事は監督(長老)の補佐をし、女性の執事もいました。
また、その他、教会には、教会で奉仕をし、教会から生活を支えられていた寡婦のグループがあったことが述べられています。
15.テトスへの手紙
テトスは、異邦人キリスト者として使徒会議に際してパウロと同行し、エルサレムに赴きます。
この際、ユダヤ主義者たちはテトスに割礼を強いますが、成功しません。
その後、テトスは、パウロとコリントの教会との関係が悪化した時、パウロの使者としてコリントの教会に遣わされ、大任を果たし、パウロとコリントの教会との関係を修復します。
その後の伝承によると、テトスはクレタ島で監督になり、94歳でこの世を去ります。
手紙は、現地におけるテトスの役割、教会員への指示、世界と異端に対する態度からなります。
牧会書簡が論敵とする人々は、グノーシス的なユダヤ人キリスト者です。
彼らは、結婚を禁止し、断食を行い、禁欲的な生活を命じます。また、身体や生殖への嫌悪を示し復活を精神化します。
また、旧約聖書の創世記を利用したグノーシス神話による「つくり話し」、族長の系図を利用したグノーシス的な思弁の展開「はてしない系図」を誇ります。
牧会書簡の著者は、これら論敵と論争することは無益であるばかりか、危険であると考えます。
牧会書簡は、パウロの義認論を踏まえながら、世界に存続する開かれた教会と制度の確立を目指して、紀元2世紀の初め小アジアのどこかで書かれました。
16.ヘブライ人への手紙
ヘブライ人への手紙は、大祭司であるキリスト論を中心に、教理と実践的勧告が交互に書かれています。
救いの言葉はいつ取り去られるか分からず、信仰者は絶えず聞き直す必要があります。
ヘブライ人への手紙は、そのような危険に陥りつつある人々に向かって、教理と勧告が交互に繰り返され、救いの言葉は実践によってしっかりと受け止められるように述べられています。
ヘブライ人への手紙は、手紙と言うより論文、あるいは、説教集(勧告集)と考えられています。
祭司や祭儀について論じることから、ユダヤ教の祭司から改宗した人たち、エッセネ派出身のキリスト者、ローマの教会などに送られた手紙だと考えられています。
紀元95年に書かれたTクレメンスの手紙に、この手紙が引用されていることから、紀元80年代から90年代かけて書かれたと考えられています。
17.ヤコブの手紙
ヤコブの手紙、Tペテロの手紙、Uペテロの手紙、Tヨハネの手紙、Uヨハネの手紙、Vヨハネの手紙、ユダの手紙は「公同の手紙」と呼ばれています。
公同とは、全キリスト者宛てに書かれたという意味です。エウセビウスの教会史で、すでにこの7つの手紙は公同の手紙と呼ばれています。
ヤコブの手紙では、行いによる義が強調され、賞賛されます。
また、キリストのことが全く語られず、ユダヤ教的文書ではないかと言われています。
パウロが律法による義に反対したとして、パウロ主義者たちが信仰から生じる行いのすべてを軽んじることに対して、行いを伴わない信仰の誤りを説いています。
キリストの幸いの教えをもとに、行いを伴うよう勧告を書いています。
18.Tペテロの手紙
Tペテロの手紙は大きく分けて、4章11節までと、4章12節以下の2つに分けられます。
後半の部分は、後から付加されたものと考えられています。
1章から3章までは、伝承されたきた洗礼式での説教(勧告)です。
キリストにあずかる苦難やキリストの死による義が語られており、パウロとの関係が考えられています。
迫害が背景にあり、紀元90年代のドミティアヌス帝による迫害時に書かれたと見られます。
19.Uペテロの手紙
この手紙には、Tペテロの手紙以上に、ユダの手紙と共通する点が多くあることが指摘されています。
偽教師による異端が批判され、再臨への希望が語られています。
紀元1世紀末から2世紀初めにかけて、再臨の遅延が教会において問題とされますが、それに答えるために、この手紙は書かれたと考えられています。
20.Tヨハネの手紙
教会が分裂し、反対者たちが出て行ったことに対して、著者は残った人々に対して、誤った教えに引き込まれないように警告すると共に、伝えられた正しい教えを守り、兄弟愛を実践するように励まします。
Tヨハネの手紙が書かれた教会内には、グノーシス的解釈を施し、罪や救い、霊やキリストに関して誤った考えを持ち込み、教会内に混乱を引き起こしていたグループがあったと考えられます。
それに対し、著者は、伝えられた正しい信仰とエクスタシーによる神認識や生命の謎を解く神秘主義は無関係であることを示し、十字架の上で死んだキリストの購いを信じ、兄弟愛に生きることが、教会に与えられた新しい戒めであることを述べます。
十字架による贖罪、受肉を強調するキリスト論、兄弟愛の実践など、ヨハネによる福音書と共通する点が多く見られます。
また、最初のヨハネによる福音書にはなかった将来的終末論がTヨハネの手紙には見られます。
著者はヨハネ共同体の長老の1人であり、ヨハネによる福音書の執筆者の1人だと考えられています。
書かれた場所はシリア説とエフェソ説があり、書かれた時期はヨハネによる福音書が書かれた少し後です。
21.Uヨハネの手紙
キリストの受肉を否定する仮現論者が宣教活動に乗り出しており、偽りの巡回教師が諸教会を脅かしていることに対し、急遽、その対策としてこの手紙が送られました。
Tヨハネの手紙、Uヨハネの手紙、Vヨハネの手紙の著者は同じ人物で、ヨハネ共同体ではよく知られていた人物で、有力な指導者だったと考えられています。
22.Vヨハネの手紙
この手紙は、ガイオ個人宛に書かれており、教会の指導権を握ろうとしているディオトレフェスが、自分たちに反対し、こちらから送り出した人を妨害し、彼を受け入れた信徒たちを追い出していることを述べます。
この教会の分裂と混乱の原因は分かりませんが、ガイオとディオトレフェスの間には指導権争いがあります。
この手紙には、「真理」が5回現れ、ヨハネによる福音書に共通します。
23.ユダの手紙
この手紙は、Uペテロの手紙と共通する点が多く、Uペテロの手紙の著者がこの手紙を下敷きに、Uペテロの手紙を書いたと考えられています。
使徒の時代が過ぎていることが述べられており、書かれたのは150年より以前だと考えられています。
主が戦われるのだから、この戦いに参加し、異端者と戦い、伝えられた正しい教えを守り、イエスの再臨を待つ希望を持つことが勧められています。
24.ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録は、いわゆる黙示文学に属します。
黙示文学は、迫害などで自由に発言したり王や支配者階級を批判できない状況下で、幻という形で、象徴的表現を用いて、匿名で語ることです。旧約聖書のエゼキエル書やダニエル書がこれに当たります。
ヨハネの黙示録は紀元90年代、ドミティアヌス帝がローマ帝国全土で、キリスト教を厳しく迫害していた時に、エフェソ近郊で書かれました。
著者ヨハネは、エフェソを中心とする小アジアにある教会群の指導者の1人で、ヨハネによる福音書やヨハネの手紙の著者とは無関係です。
内容は大きく2つに分けられ、3章までの7つの教会への手紙と4章からの著者ヨハネが見た幻の黙示(開示・啓示)です。
ヨハネの黙示録は、旧約聖書に精通した数の象徴を1つの特徴とし、終末の審判が恐ろしい現象として描かれ、一方、迫害に耐えている者にとってはそれが希望となるように描かれています。
この書は、教会で読まれることを前提とされており、始まっている殉教を信仰の完成、勝利と呼び、人々を励ましています。
しばしば、ヨハネの黙示録に書かれている「千年期説」が取り上げられ、「キリストが千年支配され(千年王国)、その後に終末が起こり神の国が来る」は、人々の危機感を高め、教会と社会を混乱に巻き込みましたが、現在は、当時の状況とその終末論的解釈に注目が向けられ、他の書と共に、人間の未来を切り開く書として適切に読まれることが求められています。