歌
1.概論
「歌」は「詩編・雅歌・哀歌・ルツ記・エステル記」を指し、ユダヤ教聖典では「諸書」に入ります。
「諸書」の中で特に「雅歌・哀歌・ルツ記・コヘレトの言葉・エステル記」の五書は、「メギロース(巻物)」と呼ばれ、それぞれの祭りの際に朗読されています。
雅歌は過越し祭(ペサハ)で、ルツ記は7週の祭り(シャブオット、ペンテコステ)で、哀歌はアブの月の9日(ティシャ・ベアブ、断食の日)で、コヘレトの言葉は仮庵の祭り(スコット)で、エステル記はプリムの祭りで、それぞれが朗読されています。
2.歌・詩
古代オリエントでは、歌い手や詩人が大切にされ、王や高官たちのそばにかならず楽士たちがいました。
彼らは王や戦士たちの戦いを歌ったり、その功績をたたえたりしました。
また一般の間でも、冠婚葬祭や収穫の祭りなど共同の場で、事ある毎にそれを歌にして表現しました。
良い歌い手、巧みな詩人がいることは、現実よりも大切なことで、たとえば戦いに負けても、その戦いを歌い上げる歌で勝てば、戦いに勝った以上の名誉が与えられました。
歌がもたらす効果は、しばしば現実よりも大きく働き、人々に訴える力があったと考えられます。
旧約聖書の1/3は詩文によって書かれていることを考える時、それは韻律を帯び、歌うように語られたり、歌そのものとして、いろんな場面で人々の心を揺り動かしていたと考えられます。
3.詩編
詩編にはバビロン捕囚前の歌と捕囚後の歌が集められ、大半は捕囚前だとする説と大半は捕囚後だとする説があります。
捕囚後の歌には捕囚に関する歌、エルサレム滅亡に関する歌、第2神殿に関する歌とか信仰の敬虔さに関する歌、メシア的な王に関する歌とかが考えられ、捕囚前の歌には自然宗教的な歌とか宮廷に関する歌とかが考えられていますが、それらにも捕囚後の編集の跡があり、年代決定には至っていません。
詩編は人為的に150編とされ、70人訳・マソラ本文・ウルガタで区切る場所が異なっています。
詩編は大きく、2−89編と90−150編に分けて考えられています。
2−89編は、メシア的王の歌(2と89)を大きな枠にして、その表題から、ダビデ歌集(個人の嘆きの歌、3−41)を大きな1つの歌集とし、コラ歌集(民族の歌42−49と84−88)、アサフ歌集(50と73−83)、第2ダビデ歌集(51−72)の3つがそれぞれの枠を作り、全体で5つの枠を作って構成されています。
42−83編はエロヒーム歌集とも呼ばれ、他の箇所に比べて「エロヒーム」の神名がしばしば使われており、エロヒストによる編集が加えられています。
90−150編は、小歌集(90−103)とダビデ歌集(108−110、138−145)と都もうでの歌(巡礼歌集、120−134)の間に、ハレルヤ歌集(104、106、111−113、115、117、135、146−150)がそれぞれつなぎのように配置され、構成されています。
詩編が今のような150編に成る前に、知恵の歌(1と119)を大きな枠として1−119編が敬虔と瞑想のために1つの書として成立したと考えられています。
4.雅歌
雅歌は「歌の中の歌」を意味します。紀元前2世紀、すでに聖典の中に入れられていました。
男と女が出会う不思議がメインテーマであり、男女の愛を見つめる事による神との合一を目指していると考えられ、神秘主義、エクスタシーのテキストだと考えられています。
5.哀歌
アルファベットによる4つの歌とそうではない1つの歌より成ります。
アルファベット順に並べることは、その歌の思想の完結性を示すと考えられています。
紀元前586年の神殿破壊後に、祭司か預言者か宮廷に連なる人によって書かれたと考えられています。
作者は神殿の破壊と民の陵辱を見、神がシオンの選びを廃棄し、敵となったことを認めます。
しかも、怒りから、神を「あいつは、やつは」と呼びます。
しかし、その神がうなだれ、自分たちの上に覆いかぶさり、うめいていることを知り、神を肯定します。
ヨブ記に匹敵する苦悩が、ここには書かれています。
6.ルツ記
ルツ記はエステル記・ヨナ書・ダニエル物語り・ヨセフ物語などと同じく、芸術的散文学と呼ばれます。
製作年代は王国時代、捕囚前、捕囚後、それぞれの主張がなされ、確定には至っていません。
一家族を通して、神の導きがダビデ誕生に至るまでのことが語られ、歴史を導く神の働きは、何を通して行われるのかが語られています。
7.エステル記
製作年代は、ギリシャ語が用いられていない、語順がアラム語に準じている、異教の王に対する態度から、ペルシア時代後期あるいはギリシャ時代初期が想定されています。
本来文学的作品であったと考えられるエステル記には、後代による宗教的文書の「付加」がいくつか見られます。