羽切 松雄
静岡県三保の出身で、昭和10年操練28期卒。昭和15年に横須賀航空隊で零戦の試作機十二試艦機
の試験飛行が開始されたとき、そのテストパイロットをつとめ、同年8月には、横山保大尉に率
いられて、中国大陸での零戦初撃墜に加わった。二ヶ月後の10月には、成都攻撃のさいに、大胆にも
東山空曹長、大石ニ空曹とともに、太平寺敵飛行場に強行着陸して敵指揮所に放火し、離陸後さらに
3機と空戦し2機を撃墜するという離れ業を演じ、一躍有名になった。16年夏からは内地に帰って、
横空で練習機の教官をしていたが、18年7月、苦境の204空強化のためにブインにはけんされた。
このとき羽切飛曹長は29歳でひげの羽切と呼ばれていた。9月23日の空戦で肩の骨を吹き飛ばされる
ほどの重症を追うが、よく再起して横空に復帰して、20年4月には、B29迎激戦で再度負傷。
熱海の海軍病院で中尉で終戦を迎えた。