坂井 三郎


大小64機撃墜の言わずと知れた撃墜王。大正5年佐賀県に生まれる。昭和8年16歳で佐世保海兵団に入団。
戦艦霧島、榛名に配属される。その後第38期操縦練習生に合格。昭和13年には中国九江飛行場の12空に配属され
96艦戦において、イ16を初撃墜した。15年入ると零戦に機種変更して、再び中国奥地の成都などを連日攻撃する。
太平洋戦争開戦時には、台南空に属し12月8日にはフィリピンのクラークフィールドを攻撃する。11日
にはB17(空の要塞)を世界で始めて撃墜する。その後ホロ島、タラカン島、バリックパパン、バリ島に
基地を移し、ラバウルに転戦する。ラバウル航空隊の始まりである。そしてニューギニアのラエ基地に進出し
連日ポートモレスビー攻撃に参加する。ここでもP40、B25、スピットファイアーなど、多数撃墜している。
ここで敵基地上空において坂井、西沢、太田の3機で、編隊宙返りをやったことは有名な話である。連合軍の
ガダルカナル上陸にあわせて8月7日、18機でラバウルから攻撃に向かう。そこで8機のドーントレスを戦闘機と
間違え後上方より攻撃したが、ドーントレスの16の銃座も彼を狙っており、被弾した。出撃から8時間の飛行の
後ラバウルに帰還したが、右目はほぼ失明のじょうたいであった。その後内地に帰り大村航空隊で教員配置につくが
19年6月には横空航空隊として激戦の硫黄島に進出。ここで敵機15機にかこまれたものの、なんとか逃げ切っている。
まだ特攻という言葉が出る前に、敵艦体当たりを命じられたが、運良くいきのびた。その後343空の教員となり、
武藤少尉と入れ替わりで、横空に配属、終戦を迎える。最終階級は中尉。2000年9月没。

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