本田 敏秋
大正8年11月9日福岡県に産まれる。49期操縦練習生卒業後、昭和16年9月15日付けで中国大陸にあった
第12航空隊から、シナ方面艦隊指令部付けとなり、10月1日付けで台南航空隊へ赴任。そこで後の撃墜王坂井三郎
一飛曹と出会い列機となる。その後台南航空隊の南進とともに、フィリッピン、ホロ島、タラカン、バリックパパン
を転戦し、ラバウルにいたる。17年4月にはラエに進出する。そして運命の5月13日空戦の神様、半田飛曹長
の列機としてポートモレスビー強行偵察に出撃。モレスビー基地上空に達したときに、突如P39が突っ込んできた。
小隊長を守ろうとした本田は一瞬の内におちていった。享年21歳であった。総撃墜数は5機。