岩本 徹三


大正6年、樺太に生まれる。昭和9年呉海兵団へ入団する。第34期操縦練習生に採用。13年には
中国の第13航空隊付けとなった。初陣でなんと4機の敵機を撃墜している。この中国戦線では14機
撃墜を記録している。太平洋戦争開戦時には空母瑞鶴に乗りこみ真珠湾に出撃。しかし専ら、機動
部隊の上空哨戒のみであった。太平洋戦争の撃墜一号は、17年4月5日のセイロン島攻撃の時でPBY
を撃墜した。その後サンゴ海海戦参加後内地で教員になる。昭和18年3月281空に転勤して、アリュー
シャン作戦に参加後、11月ラバウルに派遣された。ここで連日迎撃に飛び立つ。岩本飛曹長の攻撃型
は日本独特の巴戦ではなく、ズームアンドダイブの欧米型で、つまり優位高度からの一撃離脱であった。
201空、204空に転じ1月中旬より253空のトベラ基地に転じた。また3号爆弾による大量撃墜もあった。
ラバウル撤退の後、トラック、茂原基地、国分基地、と移り沖縄作戦に参加した。終戦時は岩国基地で
中尉で終戦を迎えた。岩本中尉自身の記録によると個人撃墜202機、共同撃墜26機、不確実22機となって
いる。このうちラバウルでの撃墜が最も多い。末期のラバウルにあって撃墜の確認も難しくなっていたの
で、このようになったのであろう。