西沢 広義



  最終階級は中尉。開戦時はパラオに駐屯していたが、17年に入るとラバウルに進出する。そこで、快進撃
  を続けていた台南空に吸収される。そして、ニュウーギニアのラエ基地に移動し、連日ポートモレスビー攻撃
  に出撃する。8月7日の連合軍のガダルカナル上陸に呼応して基地もラバウルに移る。
  坂井三郎一飛曹傷つき後、先任搭乗員として台南空をひっぱていく。戦力を消耗しきった台南空は、11月
  に内地に引き上げ、名前も台南空から251空に改称される。それから半年後18年5月に再度ラバウルに進出。
  18年10月19日に部隊は再び内地に引き上げる。このときすでに撃墜数は100機をこえていた。
  その年の11月に飛曹長に進級し、19年4月には251空に転属となり、10月フィリピンに進出する。ここで、日本初の
  神風特攻隊の護衛戦闘機隊長を命じられる。護衛した後、セブ島に着陸しその飛行機を特攻大和隊に献上し、
  自らは基地に帰るために、輸送機に便乗する。その帰投中ミンドロ島上空において、敵戦闘機F6Fの急襲をうけ
  輸送機もろとも西沢もまた憤死した。戦闘機に乗っていれば無敵の彼も、運命には逆らえなかった。
  撃墜数はこのとき120機を超えており、全軍布告の2階級特進を受けた。     

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