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山口市から発信する画家、伊賀晶子


山口新聞で報じられたが、

現代日本美術会会員・審査員の伊賀晶子(大阪芸術大学卒)が、自宅に土曜画廊「アトリエ伊賀」をオープンした。彼女の試みや活動は、いくつかの点で注目に値する。それについて論じてみたいと思う。

彼女の作品は、独自の人間観に支えられたものだ。

彼女は、人間という存在に対してよほど強い信頼を抱いているのだろう。
伊賀晶子は、美しく理想化された人間像、女性らしい女性といった典型的なイメージ、いわば記号化され抽象化された人間像を画面に描き出そうとはしない。
限りなく1/1に近い、いわば固有名詞を持った人間を再現しようとする。

カメラなら、モデルが一瞬、見せる思いがけない、

可能性としての美しさや秘められた側面をとらえようとするだろう。モデルは、固有名詞を持たない普遍的な人間の姿を提供するからモデルなのである。

しかし伊賀晶子という作家は、

食事もし、買い物したり友達と語らったり、ジムに通って肉体を鍛える、そうした「生活している1/1の生身の固有名詞を持った人間」の姿を、形象として画面に表出しようと試みるのだ。

女性としては意外に男性的な筋肉をしていたり、モデルのような理想的なプロポーションではないかもしれないが、その人物の歩んできた人生を感じさせる体の線を提示する。
あるいはまた、きめ細かく官能的な白い肌艶の男性だったりと、彼女の絵画作品は一篇のドキュメンタリー作品のようにさえ見える。

伊賀晶子は、確信を以て1/1の人間を描き、

モデル一人ひとりにドキュメンタリー作品としてまとめる価値を見出すのだ。
これは、人間存在をいとおしみ、絶対的に肯定する人間賛歌だというべきだろう。

生活する生身の1/1の人間を描くことにこだわる伊賀だからこそ、自分も作品を販売して生計を立てる美術家として、自らのアイデンティティーを問うかのように土曜画廊を運営するというのは自然な流れなのだろう。

土曜画廊「アトリエ伊賀」は、

絵画を趣味とする人たちが作品発表をする場を提供する画廊というのではなく、1/1の人間を描くべく心血を注いだ作品を、作家自身が1/1の自分を表に曝すための画廊なのだ。

ブログなどから垣間見えてくるのは「アトリエ伊賀」活動が地域社会にもたすインパクトである。
作家が、自分の創作活動の現場を一部、美術愛好家や後輩作家、学生に公開することで、この地域社会の中でこういう形でアート作品を生み出されているということがアナウンスされ、この地域社会にはこのようなアートを生み出す土壌があり、この地域だからこそ生まれるアートもあるのだというアートと地域社会との相互作用が生まれようとしているようだ。

かつてイギリスでは、

地域の学校の空き教室をアーティストにアトリエとして無償提供し、その代価として子供たちが邪魔をしなければ作家の創作活動を覗き見ることができる、あるいは音楽家の練習風景を覗き見たり、生の演奏を聴くことができるという相乗効果を狙った活動が推進されたことがある。

伊賀晶子の活動は、

山口市の地域社会において作家と地域社会との相互作用、教育的な相乗効果を生み出すものとして注目すべきなのではないかと思う。


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