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ヨシカワゴエモンの自然思想


ヨシカワゴエモンは、思想性の強い造形作家である。

本質的にエコロジーの思想家である

といってもいいかもしれない。彼独特の立体イラストとも言うべきユーモラスで、実に人間的な昆虫、動物の造形を論じる前に、このことは指摘しておかねばなるまい。
もちろんヨシカワゴエモンは、エコロジー問題について声高にあれこれ語りはしない。しかし彼が一貫して昆虫や爬虫類の造形にこだわって制作しつづけている原点に、少年がクワガタ捕りに夢中になるような「好きでたまらない」という気持以上に、現代文明に対する鋭い批判が見えるからである。

ヨシカワゴエモンも、きっと昆虫や爬虫類の形そのものが面白くてしかたがないのだろう。その上で、私たちが当然視して疑わない人間の「形」、行動様式、思考、文化、生活…etc.が、実は自然界では当たり前ではなく、例外的でむしろ異常なのかもしれないことに思い至ったのかもしれない。

二足歩行し、異常に脳が肥大化し、その脳が生み出す「思考」に振り回されて、悩んで夜も眠れなかったり、人を妬み恨み、憎悪したり、支配したいと望むのである。私たちが獰猛、冷血、ヌルヌルで気持悪いといったイメージで嫌がっている爬虫類、とくにカメやワニ、イグアナ、あるいは両生類のカエルの中に、むしろ本能のみに支配されていることの単純さ、明快さ、愛すべき滑稽味を見いだすのである。

逆に言えば、彼は、人間理性の限界を見据えた

マルブランシュからの思想の系譜に連なるように、理性の傲慢を懸念し、合理性や効率性の追求にひそむ危険性を注視しているのである。
その意味で、神の創造の善性を信じて、自然の調和、エコロジカルな復元力を信頼していた18世紀の啓蒙思想家、フランシス・ハチスンの自然神学に近い自然観を感じずにはいられない。
批評学のテリ−・イーグルトンが、大著『表象のアイルランド』で1章を割いてハチスンを論じずにはいられなかったように、私は、ヨシカワゴエモンの自然思想、…自然を思い通りにねじ伏せ、支配しようとおごる人間の独善や攻撃性を風刺してやろう情熱を燃やしてきた創作活動を視野から外すことができないのである。

ヨシカワゴエモンは、弾力のあるスポンジを素材として扱ってきた過程で、きわめて人間的で柔らかいラインを生み出す超絶技巧を手に入れた。それにより彼のユーモラスな動物の造形は、ある種の「鳥獣戯画」と化した。しかし、それは動物を擬人化して、面白く親しみやすいものにしたのではなく、逆に、人間の獰猛さ、危険性、攻撃性を突きつけ、糾弾する論理をはらんだものとなった。

擬人化された動物は、

「人間はオレたちを気持悪い、攻撃性がある、冷血だとか言うけれど、傲慢をきわめた人間の理性こそが、自然を破壊し、オレたちの権利を奪っているではないか」、「オレたちは擬人化されているが、人間たちは動物化しているではないか。いや、論理が逆で、人間が真に動物化するなら自然界はもっと平和なのだ」、そんなことを言い出しそうに見えてくる。ヨシカワゴエモンのワニやイグアナが、次々を壁から出てくるのは、抗議のデモに繰り出そうとしているのかもしれない。


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