映像作家三浦淳子の世界
東京都現代美術館で
「私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」
と題する8人のアーティストによる企画展が開かれた。
(2004年1月17日−3月21日)
その中でも映像作家三浦淳子は、一般市民である高齢の女性の生活を取材対象にピックアップし、ドキュメンタリー作品にまとめて上映し注目を集めた。画面に映し出された、淡々と進行していく日常生活の細部に、驚くべき人生の重さが宿っていて、トータルに設計されたフィクションが内包する事物の記号性とは比べようもないほどの情報があふれていて、観ながら慄然とさせられてしまった。
有名な作家、芸術家、政治家、学者でもなく、
市井の普通人を取り上げて、実はそこに劇的な人生模様があるという描き方はこれまでにも多々ある。猪瀬直樹「凡人伝」シリーズしかり、中島らも「とほほのほ」にもそうした一節がある。
アカデミックにはフランスのアナール派の歴史学やオックスフォード大学のラファエル・サミュエルが1980年代に展開したヒストリー・ワークショップ運動というのもある。作家が自分の周囲にいる普通人の人生を
軽い気持ちで取り上げて伝記にし、茶化したり戯画化してみようとすると、意外にそうした一人一人の人生が波乱万丈の「重い」ものであって驚くということになる。そもそも重くない人生などないのだ。
のっぺりと平穏な毎日が続く、「終わらない日常」などと言うのは、1980年代の豊かな日本社会の神話にすぎない。どんな人にとっても人生は、一つ一つがオーダーメイドであって、どこにも類例のない重いものなのだ。
三浦淳子が描き出す一見孤独に見える高齢者達は、一面、自立し、自分の肉体的老化と戦いながら、必死な努力で能力を維持し新たに吸収しようとしている。
もちろん老齢を迎えてわれわれが弱ってきたとき、その重さをともに支えあう、同感や倫理性、共同性が必要だろう。しかし私なら、弱ったからといって息苦しいほど保護されるのではなく、根本には自分の自由を堅持しながら自分の意志によって緩やかな連帯と相互扶助を行い、自分にとって心地よい他人との距離感を保ちながら生きていきたい。
年金制度の維持に不安があり、将来、われわれが受け取れる年金が生活保護レベルとほとんど変わりがないのではないかと危惧される現代にあっては、老齢者の自立、老いとの戦いは大きな問題となっている。三浦作品を観ながら、ロールズ流の正義論が展開する結果の平等を求める弱者保護とは別の行き方がないかと考えていた。三浦淳子が提起する問題は、
きわめて現代的である。日本のアダム・スミス研究の第一人者田中正司の近著「日本の明日を考える」(実践社)は、ケインズ流の国家による有効需要創出やサイバー金融資本主義の病理を批判し、共同生活の根本原理としてのスミスの同感理論や自然的自由の体系の意義を提示しているが、そこに示されたアダム・スミス=市場原理主義という通俗的イメージとは隔絶した、自由意志に基づく持続可能な共存論・相互性といった問題というのを、私は三浦作品との関連で考えていた。
「孤独の輪郭」という作品では、作家の祖母が登場する。92歳という彼女は、
自分がラジオ放送局の局長を委任されたという妄想にとらわれていて、高齢である自分に与えられた責任の重さに困惑しつつ、毎朝、時計とにらめっこをしながら誰にも聞こえない番組の放送を続けている。聞き取りにくい彼女の言葉には、英語による字幕が添えられているが、それによって逆に、話の荒唐無稽さにもかかわらず、キャスターとして語る内容に文法上の誤りや意味不明な言説があるわけではないことが見えてくる。
放送局が架空のものだという点を除けば、実は立派な番組構成でさえあるのだ。唐詩選からの朗読があり、近親者の死に至るまでの迫真のドキュメンタリーが語られる。
ただこちらの日常の世界とは異なる事態の進行と事情が彼女の頭の中にあって、われわれの常識では過去の出来事の回想であるものが、現在進行しつつあるものになっていく。彼女の住む世界は、
非歴史的な複線構造をなしていて、しかも処理しきれない問題がどんどん積みあがって悪化いくのに孤軍奮闘しているのだ。彼女の語りが、過去形がどんどん現在形と未来形になっていく点にそうした状況が明確に見て取れる。
でも、どうして彼女はアナウンサーになったのだろうか。彼女の人生に放送局は関係がないのだ。
人間には、かくもさまざまな物語が迫真のリアリティーを持って内蔵されている。
彼女の現在と二重写しに過去が語られる。女学校を出てすぐ結婚し、
夫の家族とともに満州に渡ってさまざまな苦労を経験する。ふと見せる教養と挿入されている古い映像記録の存在自体が、彼女の生きてきた生活水準を物語っている。その豊かな彼女が、金銭への執着を失わず、自分に対する褒美の贈り物が届けられるのを待ちつづけている。いわば92歳の高齢にして、まだ少しも枯れておらず、達観もしていない。生への執着や生命力とはそうしたものなのだろうか。
彼女の日常は、生活を覗きにくる人が次々登場する。
お金を返しにくる人がまだやってこない。高齢を理由にアナウンサーを引退したいのだが、放送局から送別会への迎えハイヤーが手配されないし、慰労の贈り物も届けられない。大きな荷物が届くはずだから、室内を傷めないために新聞紙を敷き詰めて用意している。誰にも聞こえない
運送会社とのやり取りでは、相手は誠実に期日までの配送をしてくれない。・・・彼女は放送業務から引退したいのだが、相手の不手際と不誠実さで事務処理が完了せず、仕事がどんどんたまっていくのだ。
彼女は、こんな厄介なことだらけの生活から脱出したいのだが、出口が見出せないまま、しかたなく毎朝の放送を続けている。しかしその一方で、あらゆる事を全て一人で背負わざるを得ないという、能力ある者の宿命を受け入れ、90歳を越える年齢からは驚異的とも思える奮闘ぶりでその自負心に応えている。なんとも凛とした姿ではないか。
たしかに映し出される孤独な光景は、観ているだけでも胸が痛むかもしれない。
しかし、老人を孤独に追いやらず、大家族に迎えよう・・・といったお手軽な議論を三浦淳子は問い掛けてはこない。彼女が見つめる老女は、自分に課せられた任務に不平を言いつつ取り組みつづけてもいるし、自分の生を賭けて戦ってもいる。
この日常世界と二重に存在している異次元世界から彼女を連れ戻し、その忙しい放送局の仕事から解放してやる方法はないのだし、その必要もないのかもしれない。
アナウンサー経験など皆無の人間が、想像の世界とは言え、放送局を一人で運営・切り盛りできるとは、何と人間は多様な可能性を内包しているのだろう。あくまでも自立しようと苦闘する人間の尊厳をこそ、
三浦淳子は提示しようとしているのではないか。
仮に核家族ではなく、大家族の中に暮らしていたとしても、高齢者の住む世界がほころびはじめ、日常世界から少しずつ二重写しにずれて離れていき、やがて崩壊して歪んで非日常的な異世界になってしまうのを止められるのだろうか。
そもそも大家族制の時代には、現代ほどの高齢、長い人生というものをわれわれは経験していなかったのだ。
新しい状況の中で、われわれは発想を転換して、お仕着せの保護ではなく、自立して苦闘する姿と強さに感動し、学ぶ術を求めるべきではなかろうか。
さらに「枇杷の実待ち」という作品は、老いの生活を充実して凛と生きる女性のドキュメントである。作品は、横浜山手にある日本最古の女学校、
フェリス女学院の旧校舎解体・建て直しに際して、卒業生が母校を訪れるところから始まる。90歳に近い2人の同窓生が、懐かしい校舎を歩き回る。この校舎は、関東大震災直後に再建されたもの。ミッション・スクールらしく、いかにも欧米流の古い建造物が映し出され、2人の老女の背後に明るく騒ぎまわる現代の中学、高校の少女達の声が響いている。
壁に掘りこまれた水飲み場は、今は使用不能になっているが、彼女ら2人が学んでいたとき、幾度となく眺めたのであろう、一人の女性はそこに掲げられたヨハネ福音書の「この水を飲む者は誰でもまた渇くであろう。しかし私が与える水を飲むものは、いつまでも渇くことがない」といった今や判読しがたくなっている聖句を暗唱していた。作品全編に、フェリス女学院の
キリスト教による教育の芳香が充満している。
彼女がフェリスに学んだ時代、日本は、ますます国粋主義や全体主義へと傾斜していった。その日本社会において、きわめて少数派であったキリスト教教育を行い、しかもアメリカ流の英語が充満しているフェリスで教育をうけた彼女達は、周囲の異端視し疑惑を抱いた視線にさらされたであろう。
他方で、こうしたミッション・スクールという場所が、先進欧米文化と舶来品のささやかな輸入窓口であった事情を、映し出される机、椅子、ロッカー・・・どれもが舶来品といった風情であるところが物語っている。
「フェリス生は、どんなときにも顔を挙げて歩きなさいと教えられたの。その通り私は生きてきました」という言葉や、カイパー講堂のピアノでIさんが伴奏し、Kさんが讃美歌を歌いだすと、女学生に戻った可愛らしいソプラノの合唱になるところなど、70年変わらず生き続ける良き教育の
影響力の大きさを感じさせる。
「こうやって学校に戻ってくると、親がいなくなった実家を訪れるような感覚・・・フェリスの影響が強すぎるとよく言われるの」などと語るとき、多感な少女時代にこれほどの深い愛情を
学校、教員達から与えられたのだと率直に感動を覚えてしまう。
これは、エリート意識の裏返しの学校自慢とはまた別次元のものと言うべきなのだろう。Iさんは「フェリスへの思いがひどすぎる」という言い回しにこだわって、それを言葉を替えて解説する。「フェリスへの思いがひどすぎる」と表現せざるを得ないほど、彼女にとって学校生活の思い出に対する愛着は強いのである。
有名な小説家の旧邸を買い取ったという瀟洒な日本家屋の自宅に、Iさんは一人住まいしている。
彼女は、日に何度も旧型のアップライトピアノに向かう。相当の練習量、絶えざる努力がなければ、
プロのピアニストでもない彼女が90歳という年齢までベートーヴェンの悲壮ソナタをインテンポで演奏するなどということはありえないだろう。
彼女の指使いは、井口基成流の端正なハイフィンガー奏法であった。私は、東京音楽学校に学んだ自分の師の演奏を思い出していた。
一人で生活しながら、彼女はティータイムでもFAUCHONの茶葉をいつもの手順で入れる。きっと彼女は、かつて日本にあったハイソサイエティーの作法や文化を何事も省略せず、基本に忠実なまま現在にいたるも普通に実践し続けているのだろう。誰が見ていようがいまいが、一人でいようがたくさんの人に囲まれていようが、きっと彼女にとっては”Lord knows”「主は知りたもう」なのだ。
こういう凛として端正な古典的文化に満ちた生活をプチブル的と嫌悪する人もいるだろう。しかし「本音で生きる」とか「人間らしく」などといって本能や欲望の赴くままという現代には芳香を放つものだと思う。
作品の最後の部分で、彼女は、昔習ったという聖書「詩篇」の長い一節を
英語で朗々と暗唱して見せた。
「The Lord is my shepherd; I lack for nothing. He makes me lie in green pastures. He leads me to water where I may rest; he revives my spirit; for his name's sake he guides me in the right paths.・・・主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させて、憩いの水際に伴われる。主はわたしの魂を生き返らせ、御名のためにわたしを正しい道に導かれる・・・」ここには、超越的な大いなる存在に信頼を置いて身をゆだね、自分は、自分としてできる努力を誠実にしつづけ、充足して生きている彼女の姿が現れている。
もちろんキリスト教の信仰あってのことなのだろう。しかし彼女にあっては、フェリス女学院で過ごした青春の
楽しい思い出、教育が分かちがたく一体化していて、むしろそれが彼女のキリスト教信仰の根底をなしているようにさえ思えた。
宗教への無関心があたりまえである一方で、カルト宗教の危険性につねに脅かされている現代日本にあって、このような形で神の視線を意識するという、宗教との距離感を思い起こすことも大事ではあるまいか。
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