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桐村茜展における言語・時制の問題

1998年5月(鎌倉雪ノ下・竹屋画廊)

鎌倉の小町通りを散歩していて桐村茜の作品展を見た。竹屋画廊という小さな画廊、いつだってモダン・アート一直線である。
この作家は、4年間におよぶパリ在住から帰国し、96年よりこの画廊で作品展を行っている。まだ意識としては依然として海外に活動の拠点を置いているようだ。少し話をしてみると日本の芸術事情に対する厳しい

批判がどんどん飛び出す。

このいささか戦闘的な姿勢が、前衛的なスタイル(現在では陳腐な様式化に堕落して”前衛的”でもなんでもなくなっている作品が多い中)において作品のレベルの高さを支えている。桐村茜の銅板画作品には、本や雑誌記事の切り抜きだろうか、さまざまなメディア素材が貼り付けられている。一見して顕著な桐村のシニフィアンへのこだわり。そう、シニフィエではなく、純粋にシニフィアンにたいするこだわりのレベルで、あるいは「行動」の視点も入れて「意味が生成するメカニズム」を凝視しようとする問題としてこの作家を評価していかないと、思わぬ

誤解に陥りそうだ。

図像を解読してみるとたとえば96年の作品展のカードにもなっている「Bribed’Amour-MATERA I」に見られるように、画面に筆記体で綴られたフランス語の文章がある。「なに、なにTransforme en poussire…」などと解読しはじめてはいけない。すぐに「意味の解読」というわれわれの病気がはじまってしまう。
画面中央には、古びた木製のドアのがある建物が見えてきて、…「納屋の入り口かな、それとも居酒屋の…」 われわれの意識はそうした画像の解読をしはじめてしまう。するとその左側にあるのはその建物の壁面の壊れかけた煉瓦積み。その壁面のほころびから見える壁の落書きを今度は読みはじめる。「Transforme…」 画面のマチエールはいかにも「古びた、時間の経過、思い出、その場に生きた人間の営み、恋…」と勝手にストーリーの解読を誘う。
「なるほど、単一の平面に距離感の異なる映像が倍率を変えて併存し、しかも時間の経過が構造化したかたちで全体を構成しているのか…」 われわれの意味理解がそれぞれに成立していく。

この段階でわれわれは、

平面でしかないもの中に描き込まれた図像を無理矢理解読して、作者が描写しようとした(かに見える)空間を追体験する。平面状の図像にすぎないものに、数十メートルの距離と、何立方メートルあるか知れない体積の空間とその空気…その空間で行われた人間の営みの痕跡や物語、時間の経過…を読み取ろうとする。解読がそれなりに首尾一貫したものとして成立すると、われわれは、安心してその作品を受容することができる。了解=受容。

しかし次に、

画面にある楕円にM字のロゴマークのようなもの、FBETTといった、いかにも見る者のロマンチックな想像を拒絶するような記号に気がつくと、先ほどの了解が瞬時に瓦解する。われわれは、「これはパイプではない」という言葉とともにパイプの絵を描いたマグリットに出くわしたような気分になる。「フーコーなら知っているけど…」 こちらは、あくまでも「意味解読」のゲームから出られないまま、何事か言い返したい気持になる。
しかし、「意味解読」ゲームの範囲内で作品を評価してはこの作家に非礼だ。まず美しい色彩ありき桐村作品で僕を引き付ける要素は、その色彩の奇妙さである。
青、黄、オレンジ…とバランスよく(その意味では取りたてて個性的であるわけじゃない)構成された色彩は、離れて見ているとお花畑か何か、そう、美しいヨーロッパの庭園の花壇か何かの花束のイメージを喚起する。いやいや、構成された色彩というより突出して青だ。何といっても特徴ある青だ。

インクを流してみたら

偶然に発見した「この色いいじゃないか」などという青ではなくて、最初から理念型として心に仕舞い込まれていて、「これじゃない、これでもない…」と試行錯誤を繰り返して、やっと取り出した「確信的な」青。奇妙な「くすみ」方をしている。
どうみても、かつて印象派が行ったような、眼前の風景の移りゆく美しい色彩をキャンバスにとどめようとしているような、鮮やかな色彩の美しさではない。今、眼前の色彩を写したような、鮮度の高い色彩の美しさではなく、何か熟成を経た、「これじゃない、これじゃない」という否定を積み重ねて、画面の色彩の

向こうを見据えよう

とするかのような作者の視線を感じる…そんな色なのである。言ってみれば見る者(きっと作者自身がそうなのであろうよ)の「想像力」よりも「記憶」に働きかけるような「くすみ」具合だ。つまりこうだ。
夢の中で美しい風景を見たとしよう。目が覚めてみるとどんな風景だったか思い出すことができない。でも、もう一度それを見れば「これだ!」とわかることはできるだろう。自分のイメージの「原風景」として記憶の底に仕舞い込まれたその映像は、実際にあちこちと歩き回って風景を目の前にしたとき、「これじゃない」と否定のかたちでしか蘇っては来ないのだが、でも、その否定が動因となって次の行動(次の場所、風景を求めて旅をする)を呼び出す心のエネルギーとなる。

こんな想像をする。

桐村は、子供のときか何かに、夢か、写真か、映像かで原風景として心に仕舞い込んだお花畑を抱えているのだ。…で、ヨーロッパ(桐村ならばフランスだろう)各地を歩き回って、その原風景を呼び起こすようなお花畑の色彩の渦をみたいと思う。
しかし、「これじゃない」と否定しつつ、原風景の色彩はますます理想化されていく。その理想化された色彩を追求して、表現したくて、色を塗り重ねていく。そして作家のその行為の果てに、作家の執念のごとき眼力が画面に塗り付けられて、妖しく光彩を発揮している。

シニフィアンへの耽溺

桐村は、美術評論家で詩人のジャン・クラランス・ランベールと共同で詩集に銅板画を添えた詩画集『異景の断章fragments de DEPAYSAGE(異国におりたったときの違和感と風景を意味する2つの語から成り立つ造語)』を制作している。
だから、ポスト・モダンの議論を生み出したフランスにおいてジャン=フランソワ・リオタールの言説を吸収してきたはず。だからこそ彼女が日本の芸術の状況に対して感じている違和感は、「大きな物語」を拒絶して複数の文化モードが並列的に混在する状況の到来を予告した“議論としての”ポスト・モダンが、90年代の日本において“現実の状況として”より徹底して、過剰にポスト・モダン的な混沌として実在していることからくるものとして解釈しなければならないであろう。
現代日本においては、社会全体をまとめるような大きな意味付け・価値のネットワークが機能不全に陥っていて、相対主義の病巣が社会の隅から隅まで

蔓延している。

たとえどんなに奇妙な発言、あるいは嗜好を発信したとしても、「人それぞれだから、いいんじゃないの」と衝撃を吸収されてしまう。あらゆる事に人は驚かず、それを当然のこととして理解し、弁護しようとする人間が出てくる。また、何か生じたその衝撃的なる事件をも、自分の文化コードの中において受け止める「オタク的」消費行動をとるものが追随してくる。
そこでは、各人が好き勝手に意味を与えるしかなく、共通の意味を剥奪された

記号の断片が、

空虚な「情報」の氾濫として流通・浮遊している。そこでは、あらゆるメッセージは発信されると、その瞬間に無意味なものとなり、絶えず誰彼となく発信されつつある膨大な量の「情報」のなかに埋没するしかない。
ならば、自分が立っている場=社会を「異国」としてしか認知できない、こちら側の「違和感」あるいは異議申立て・批判を発信しても、われわれの外に出てしまった瞬間にそれが無意味な記号の

浮遊に霧散してしまう。

そうであるなら、われわれはいかにしてメッセージを発信するのか、意味を流通させるのか?
いや、もはやメッセージ内容(意味)の流通は不可能に近い。メッセージ性、あるいは意味が豊富であればあるほど流通はしない。表現に対する意志(意思)が過剰であればあるほど、逆に発信性は弱まる。メッセージを伝えようとする「意志」は、むしろメッセージの自己確認ができればそれが流通しなくても善しとする自己完結的な表現に陥ることを意味するのだ。

メッセージが流通する

ということ、すなわち他者が誰かの発信に敏感に反応するプロセスは、むしろ発信しているという事実そのもの、「あっ、この発信は何度も受信したことがあるぞ」という「事実性」そのものにこそあるというのが現状である。絶えず発信されていて、だからこそ共有している集団が多そうだというもの、そうしたものに対して人は安心して反応する。しかもそれが、あまりにも多数派になってしまうと、それを選択する自分の個性・価値の表現につながらなくなるので拒絶反応がはじまる。だから、これからブレイクしそうな新しい「発信」にたいして、それが多数を引き付ける「少しだけ前」にそれに反応したい…それが流通の可能性となる。
こうした状況においては、言語という記号を用いて「伝えるべき内容」が問題なのではないのだ。
むしろ文字という記号について、何が書かれているか、何を伝えようとしているかといった「内容」よりも、そこに文字記号=シニフィアンがあるという事実、

美しい色彩と意味ありげな

雑誌・書籍のコラージュが存在していることそのものに見る者は反応するのだ。
桐村作品に見られるさまざまなメディアのコラージュは、もらったプレゼント=商品の包装に使われたリボンの色や質感、ロゴが綺麗だからとって置きたいといった感情と共通する何かがあるようだ。
「何と書いてあるかはよくわからないけれど、この書体の感じ、色と形、手触り・質感が素敵!」

これが優先されて、

作品を「意味」として解読しようとするものを嘲笑するのである。これは、ある部分、なんて書いてあるかは判らないけれど、書道の作品のこの部分のこの感じがいいなぁと思うのに似ているかもしれない。
とはいえ桐村作品は、「意味の病気」に取りつかれた者の解読を拒絶し、作品にありもしないストーリーやロマンティシズムを読み取ろうとする者を嘲笑するような冷ややかさと美しさを湛えている。
桐村が日本人であること、時制との距離感しかし興味深いのは、それでも桐村のコラージュに、こちら側の意味解読を促してしまうような叙情性がある点である。これは一体どこから来るのだろうか?

もちろん彼女の

色彩が、見る者の「記憶」に関わる想像を刺激するという点にも起因していよう。しかし、これは彼女の「認識のシステム」に内在する距離感の問題ではないだろうか。
フランス語では、かつてアルベール・カミュが『異邦人』で試みたように、半過去時制という「時制」の持つ距離感で、現実をベール一枚隔ててみるような、自分が当事者であると認識していないような距離感を表現するということができる。過去が現実との断絶を現したりといったような話者の心性を表現する。これは、ハラルト・ヴァインリヒの『時制論』の古典的研究にあるように、ヨーロッパ言語の特性として、例えば「英語、スペイン語に特有の進行形ではこれこれ…」と議論が可能である。

このような現実との距離感を

「時制」概念を持たない日本語においては表現不可能である。日本語においては、関係性において時間関係を表現する。すると日本語を以って思考するわれわれとしては、いきおい時間性をはらんだ表現において、何かしらの関係性=ストーリー性やロマンティシズムを喚起してしまうような含みを排除しがたい。やはり桐村においても、日本語的思考回路のなせる表現の「湿り気、ロマン性」を脱していないのではなかろうか。
桐村作品を前にしていると、どうしても荒川修作+マドリン・ギンズの『意味のメカニズム』を思い起こしてしまう。荒川+ギンズについては、別項で詳論せねばなるまいが、彼らがメカニズムという概念において作品の構想を展開するなら、それ対して桐村を論ずるなら、mechanicなものに対するorganic有機的とも、生理的ともいうべきもの、いわば『意味の生理学』を展開せねばならないであろう。ここが面白いと思うのだが、この点、作家自身と議論してみたいところである。

桐村茜展再訪

(鎌倉竹屋画廊 1999年5月)

今回の作品展の案内状となった作品には、ミックストメディアとして写真の顔が覗いている。この作家の持ち味は、色彩の美、シニフィアンの面白さへの耽溺。
妙な批評性が前面に出てしまえば、逆につまらなくなってしまう。ラインハルト・サビエの作品を知っている今では、この程度の批評性にインパクトは感じないぞ。
展覧会場に足を踏み入れてみると、この作家は前回の成功した表現に安住せずに、早くも二つの新しい方向性を提示している。タテ長の用紙に青を流した作品群は、桐村らしい特有の「青」を示した優品である。すがすがしく透明な空の色…などという自然界の「青」とは違って、激しい思い込みとこだわりが記憶の中から引き出して来る、不思議にスモークがかかった青。
「回想の青、青の回想」とでも名づけたい色が、この作家の原風景となるイメージの中で強烈な存在感を主張している。

もう一つの方向性は、

今回の作品展で、はじめて日本語のシニフィアンが登場したことである。
「冷たく突き放したようなタイポグラフィーにしたほうがいいと思ったけど…」と作家。これは、微妙なバランスだ。われわれ日本人が見れば、描かれた文字を意味やメッセージとして解読してしまうから。
「たしかにきれいにレイアウトされているけれど、たいした意味がないじゃないか」とか「何か深遠な哲理のようなものが書かれているようだけれど、別に書物じゃないんだから…」などといった反応をこちらもしてしまうだろう。
とはいえ、もし草書体の和歌でも書き散らしたら、書道展の作品になってしまう。なるほど、この配色、このようなタテ長の用紙とくると、「なんだかどっかのお店の包装紙に似てくるのよねぇ」という作家の発言のように、“典型的な”日本調ではある。

しかしフランス語で

ミクストメディア作品を構成していたときに比べて、今度こそ、国際レベルで桐村だけのオリジナルな創造性を発揮するような方向性の端緒についたことは確かなようだ。
もともとこの作家は、「これはフランス人の作品だよ」とみせられたら、そうだと思うし、作品としてのレベルには文句がない。だけど、なぜ日本人がこのような表現スタイルを採り、しかも日本語という第一言語の特性に影響されてフランス語的ではない表現を造り上げているのかという点を掘り下げるべきだ。
この新しい方向性でどのような作品ができあがっていくのか。ここが、この作家が国際的な大家になれるかどうかの曲がり角なのかもしれない。ものすごい作品が生れるその直前に立ち会っているのかもしれないという予感がする。
こうした期待を高めたのは、桐村が少し前の作品群も見せてくれたからだ。この作家は、3、4年前まで、風景を描き込んだ実に詩情を湛えた作品を制作していたのである。
僕としては、一番好みに合うこのスタイルを打ち捨てて、ミクストメディアの制作に取り掛かり、今、さらにそれを捨てて新しい試みへの端緒についた。この作家は、惜しげもなく美しい

到達点を振り捨てていく。

例えば不思議な形状をした修道院と見える建物がある。よく見るとそれは、ある建物の側面の写真が鏡に映ってできた虚像の建物、鏡像。虚像としての存在しない建物。
ありえない空間…。われわれの眼は論理を見るから、鏡像と解析すれば、建物は消失する。作家は、自作の物語を画面に書き込んでいる。「6月のある日、夕暮れのある時間になると、修道院に、実は存在してないはずの扉が現れる。その扉を通って回廊に踏み込むと…」もともと虚像であるものを、実在の風景のように丹念にスケッチをする。するとそこに虚構の虚構である世界が現出し、描いている作家も見ているわれわれもその妖しさに導かれて、さらなる虚構の物語を紡ぎ出してしまう。
ところが、記号の物語性を揶揄する文章のために、二次元上の映像に三次元の空間やら時間性を勝手に読み取ろうとする美しい誤解から引き戻されてしまうのである。夢から覚めると、今、見ていた夢は美しい。
われわれにとって生きている今という現実以外に美の拠り所はないはずなのに、こんなにも物語性にひかれていく。こうした作品はそれとして、手元において眺めていたいなぁとおもってしまう。買うお金もないけど…。


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